12/26/2004

DJ KRUSH「寂」

  えぬろぐを1年間続けることができた。前回のろぐのおしまいでこの1年に取りあげてきた作品を振り返ってみたいなことをやろうかと書いたが、過去を振り返るよりも、いま、そしてこれからを見るのがえぬろぐ的ではないかと考え、今回も普通にやってしまおうと思う。生来、年の瀬のそういう雰囲気が好きではなかったから。

 IT関係の仕事をしていると、いやでも世界と日本ということについていろいろな意味で考えさせられる。僕は海外で暮らしたりした経験は無いし、海外に旅行したことは仕事も含めて数回しか無い。その意味では海外経験には乏しい。でも、小学生の高学年になって洋楽を聴き始めてしばらくは、「ちっ、日本人の音楽なんて聴いてられるかよ」という呪いのようなものに長い間悩まされた。ロックでもジャズでもクラシックでも、どうしても邦人アーチストの作品に手が伸びない。それが変わり始めたのは、ある意味ここ数年のことかもしれない。

 いまとなっては呪いは解けた。そして昔のことを少し恥ずかしく思うと同時に、日本にありがちな自虐的な自国観を嫌悪するようになった。20世紀半ばの戦争と敗戦を境に、日本全体がその呪われたような雲に包まれてきたが、21世紀の実感とともにその呪いが解けつつあるように感じる。自分のアイデンティティからは逃れられないし、それを否定しても結局はいいことは少ないのだ。

 DJ KRUSHは日本のヒップホップを代表する演奏家である。年齢は僕より2歳ほど上らしい。彼は既に数枚のリーダー作をリリースし、日本はもちろんのこと世界レベルでの名声を得ている。そのことは彼が作品で共演する様々な大物アーチストの顔ぶれを見れば一目瞭然である。今回の作品は、その彼が2004年にリリースした最新作である。

 この作品では、生の純邦楽演奏が全面的にフィーチャーされている。尺八、三味線、太鼓などである。タワーレコードが発行するフリーペーパに掲載されていたインタビューで、彼は今回の作品の動機についてこう語っている。
「・・・本物のグルーブ感が欲しかったし、いまの自分が海外に行って、冷静に日本の国を見られたりとか、年齢も手伝ってか、伝統的な音楽を改めて聴ける自分が正直にいた。じゃあ、今回は真正面から向き合ってやってみようと。そこでどんな調和がとれるかなって」
(イントキシケイト Vol.52より)

 素晴らしいことだ。結果的に出来上がった作品もとても素晴らしいものになっている。実は、2002年にリリースされた前作「深層」を聴いたとき、正直何かが違っていて、これはもうダメかなと感じたことがあった。同じインタビュー記事に、実は前作から、それまでのサンプラーとリズムマシンを思い切って捨て、すべてコンピュータベースの演奏システムに切り替えたのだと書かれていた。今回の作品は、それが非常にしっかりと彼の持ち味に融合し、そこに新しいうわものとして和楽器をはじめとする日本的なものが上手くのせられてるように聴こえる。これこそオリジナリティであり、日本が世界に誇れるヒップホップであろう。

 内藤忠行によるCDジャケットのアートワークがまたとても素晴らしい。そして作品のタイトルもまた、非常に印象的であり、いまの世相を考えると、非常に象徴的でもある。2005年は平穏な年であることを願わずにはいられない。

 月並みではあるが、えぬろぐを1年間読んでいただいた方々に感謝したい。2005年も気負わずこの調子で続けていければいいと思う。既にもう数作品のエントリーが決まっている。正月に田舎に帰って酒で清め(まあこのところ毎晩なのだが)、少しだけ新たな気分になってまた書き始めようと思う。

DJ KRUSH Official Website 公式サイト
Tadayuki Naitoh Official Website 内藤忠行氏の公式サイト

12/23/2004

ヘンリ=カイザ & ワダダ=レオ=スミス「ヨー マイルス!」

  先の週末はいろいろと用ができてしまい、ちょうど体調も少し崩れかけていたので、ろぐをサボってしまった。幸い悪化には至らず、年内の仕事にもメドがついたので日本では祝日の今日ろぐを書いている。

 東京はこの1週間でようやく冬らしくなった。それでも僕が上京してきた17年前に比べても、まだ暖かいような気がする。「温暖化」は確実に進んでますね。身近にできるところからなんとかしたいとは思うのだけど、電気で音楽なんか聴いてる場合じゃないよと思うのは寂しい。うちは自家用車を持ってないので、あとはせめて燃えるゴミを減らすこと、部屋のなかでもなるべく厚着をすること、こんなことでも続ければ意味はあるだろう。音楽とインターネットはその分ご勘弁願いたいところだ。

 音楽を聴いて暖まるという効果はどの程度期待できるのか。音楽暖房(または冷房)という新しい概念でも提唱するひとがそのうち出てくるかもしれない(というか、僕がいま提唱したのかもしれない)。季節や曜日、時間などにあった音楽と言う考え方は、別に嫌いではないのだが、結局僕のなかではあまり意味の無いことになっているようだ。真夏の現代音楽、朝の通勤時でのフリージャズ、眠れない夜のヒップホップ、どれもまったくOKである。

 さて、実のところいまだエレキマイルスブームが続いている。マイルスばかりとりあげてもいいのだけど、あまり一人のアーチストに偏るのはえぬろぐ的ではないので、今日はその関連作品として、あまり知られていないかもしれないがとても面白い、そして素晴らしい作品を紹介しよう。

 ギタリストのヘンリ=カイザとトランペット奏者のワダダ=レオ=スミスは、ともにフリーミュージックのシーンで活躍するアーチストである。ともに1970年あたりからシーンに現れ、現在まで様々な作品をリリースしライブ活動も行なっている。僕もそれぞれ個別の作品として、デレク=ベイリーやセシル=テイラー等フリーミュージックの大御所と共演する彼らの演奏をCDで持っている。

 そんな2人が突然タッグを組んで1998年に2枚組のCDを発表した。タイトルは「ヨー マイルス!」。ずばり、1970年代のエレキマイルスに捧げた作品である。内容は完全にエレキマイルスのスタイルそのもので、選曲もご機嫌である。ライナーノートを読んでみて驚くのは、彼らがいかにこの時代のマイルスを敬愛し、その音楽を研究していたかということである。エレキマイルスをフリージャズへのアンチテーゼのように言う人もいるが、そこは反動とかそういうことよりも、素直に時代に流れとして連続したものとして受け入れたいと思う。彼らもまさにその通りで、そこはフリーミュージックの中核を担うアーチストとして真摯な姿勢がうれしい。

 ゲストミュージシャンとして、なんとローヴァサクソフォンカルテットのメンバーも参加。あの「アガルタ」のテーマをブラスアンサンブルでやってしまうのだから、これはもうカッコ良くないはずがない。2枚合わせて160分近いこの作品を、MP3プレーヤに入れて聴きまくる毎日、これで健康になること請け合いである。聴きながら思うのは、僕もこういうセッションがしてみたい!ということだ。リズムを受持つ身としても、ソロを受持つ身としても、そして演奏を聴く身としても、こんなに自由でエキサイティングで楽しい音楽セッションはないだろう。

  このセッションは彼らにとってもお気に入りだったようで、そしておそらくはビジネスとしてもいい実入りになるのだろう。なにせ、フリーミュージックのインディーズ作品なんて、1タイトルあたり世界で3000枚も売れればいい方という世界だ。それに比べればこの内容なら、とりあえず聴いてみようかなと言う人だけでも世界で1万人はくだらないはず。2004年になって、おなじコンセプトでの続編「ヨー マイルス!スカイガーデン」(写真右)が発売され、一層パワーアップした演奏が楽しめる。もちろんローヴァも再びゲストで参上している。そして2005年早々にはさらにもう1作品発売されるそうである。

 僕の嫌いな師走の喧噪を吹き飛ばすちょうどいい作品が見つかって、気持ちよい年越しになりそうである。気がつけば年内に書くろぐも残すところ今回を含めてあと2回となった。次回には、この1年間で取りあげた作品をもう一度振り返ってみたいと思っている。

Homepage of Ishmael Wadada Leo Smith ワダダ=レオ=スミス公式サイト
henry kaiser : the official website ヘンリ=カイザ公式サイト
どちらも充実の内容です。レコード会社や事務所が作るおざなりサイトとは異なる、とてもミュージシャンらしい、そしてインターネットらしい、素晴らしいサイトですよ。

12/12/2004

ローヴァ1995「ジョン コルトレーンズ アセンション」

  前回前々回とマイルス=デイヴィスがいわゆる電化という大変革を遂げた時期の作品を取り上げた。結局、ほぼ2週間にわたって僕は持っているほとんどすべてのエレキマイルス作品を通勤の行き帰りに繰り返し聴いた。それぞれの作品はどれもそれなりに聴きどころを持ったものばかりだったが、やはり「ビッチズ ブリュー」のずば抜けて高い完成度をあらためて確認したというところで落ち着いた。本当はこの流れでもう1枚とりあげたい作品があったのだが、それは次のマイルスブームの時までとっておくことにしようと思う。

 マイルスのような長きに亘ってジャズの第一線であり続けたアーチストには、それこそいくつかの転換点があるわけだが、「ビッチズ ブリュー」が最も大きなそれであることには、多くの人が同意することと思う。転換点は常に大きな変化、それも非連続的か時に破壊的ともいえる変化を伴うことを意味するわけで、そこには幸せと同じかそれ以上の不幸せがある。歓迎する人の一方で、ついていけなくなる人、快く思わない人も必ずそこにいる。それが転換点の実現を難しくしている大きな理由でもある。

 今回はその「転換点つながり」で、僕が最も敬愛する音楽家、ジョン=コルトレーンの音楽人生における最大の転換点となった作品を取り上げてみようと思う。コルトレーンについては、以前にもこのろぐで取り上げており、つい熱くなって長々と書いてしまった思い出がある。そこで彼の音楽キャリアの4つの頂点ということを書いた。マイルスの「電化」に相当するコルトレーンのそれは「フリー」である。その幕開けとなった作品が、1965年に発表された作品「アセンション」である。

 両者の転換点に共通するのは、それを「音楽人生における事実上の終わり」と見なす人が少なからず存在するということである。つまり彼等にとってはコルトレーンもマイルスもその転換点をもって音楽的自殺を図ったというわけである。

 「さてと、飯も食ったし、飲みながらコルトレーンでも聴くかい?」
 「おっ、いいねいいね」
 「何がいいかなあ」
 「うーん、なんでもいいよ、『アセンション』以外なら・・・」

 僕自身以前にどこかで聴いた様な会話である。ここで「アセンション以外」という意味は、アセンション以降のすべての作品ということを意味しているのは明らかだ。彼等にとってはアセンション以降のコルトレーンは存在しないのである。まあファンというのはそういうものである。

 よく考えてみると、ジャズの世界ではマイルスとコルトレーン以外には、こうした破壊的転換点を持っている巨人は意外にいないかもしれない。ビル=エヴァンスもソニー=ロリンズもそしてデューク=エリントンも、音楽性こそ少しずつ変化していったが、これほどまでに断層的な変化を遂げたわけではない。従来のリスナーに受け入れがたいのは、音楽性が大きく変わったことももちろんだが、それを実現するためにグループの編成が大きく変わったことが承服しがたい要因だったりする。やることが変わる、そしてメンバも変わる。そこでバンドの音楽との接点がうすくなり、ついていけなくなる人が出る。別に音楽の世界に限った話ではない。

 コルトレーンはこの作品で、長年続いた「黄金のクゥアルテット」に、当時の新潮流であったフリージャズで頭角をあらわしていた6人の若手演奏家を加え、さらに土台を強固にする目的でベースをもう1人加えた11人編成で演奏に臨んだ。演奏の内容に関して、それだけの大編成で無茶苦茶な音の洪水を生み出しているという、いかにもうるさい音楽であるかのようなことを書いてあるのを見かけるが、それはあまり正当な表現ではない。

 「アセンション(Ascension)」とは、聖書における「神の降臨」を意味する言葉である。日本で最初に発売された当時に付けられた邦題は「神の園」だった。ここではコルトレーンや他の演奏家が神というわけではなく、フリージャズに表象されるこうした新しい状況をもたらしてくれた力を神と考え、その降臨(つまりは到来)を迎え讃える演奏ということが意図されていると考えるのが正しいだろう。

 作品は冒頭の神の光が雲の隙間から洩れてくるような印象的なイントロに始まり(このイントロだけを知っている人は多い)、その降臨を讃えるようなアンサンブルが全員で演奏され、続いて各メンバーが個別に賛辞を表し、その合間に再びアンサンブルを全員で演奏するということを繰返しながら進んでいく。このアンサンブルの部分が、楽譜の存在を意識させつつも、そこは新しい音楽の表彰としてフリー特有の混沌とした雰囲気で演奏されるので、聴くものはそこにとてつもない魅力的な力を感じるか、恐れをなして単にうるさいと感じるかというふうになるのだろう。

 この作品は、コルトレーンの「フリージャズ宣言」として、ジャズシーンに衝撃を与えることになり、折しも高まりつつあった公民権運動などとも結びついて、ジャズは黒人の芸術として政治的な世界に巻き込まれてゆくことになった。コルトレーンは1967年に世を去り、1968年のキング牧師暗殺事件で頂点に達していた黒人運動は急激に失速、同時にフリージャズも米国での活動の機会が狭まるなかで方向性を見失い、米国内での音楽はヒッピー文化を基盤とするロックに移行していき、ジャズの魂は欧州に亡命することになった。アセンションは評論家や研究家が歴史学的に取りあげて云々する象徴的な存在になってしまい、作品の演奏内容を顧みる人はいなくなった。

 そのアセンションの誕生から30年を経た1995年に、少し前にこのろぐでとりあげたローヴァ サキソフォン クゥアルテットが中心になって、なんとこの作品を再びこの世によみがえらせるコンサートがアメリカで行われたのである。今回の作品はその時の模様を収録したライブアルバムである。僕自身、前のろぐを書いた際に、彼等のウェブサイトを調べている時にはじめてこの作品の存在を知り、さっそくCDを取り寄せたのである。コルトレーンのアセンションはやはり僕の家でも押し入れに格納されてしまっていた。

 聴いてみて驚いたのは、この演奏が30年前のオリジナル演奏とまったく同じ編成で演奏され、構成も非常に原曲に忠実なものとなっていることだ。当然だが、リード楽器の演奏技量は30年前に比較して全体的に向上していて、それはもう凄まじいソロが次々に展開する豪華な内容になっている。僕は時間を忘れて聴き惚れてしまった。さっそく長らくしまっていたオリジナルのCDを取り出して、そこに収録されている2種類のテイクと、今回の現代版をあわせた3種類のアセンションを、それぞれ数回ずつ楽しんだ。この週末は予期せぬ神の降臨に、僕の耳は一足早いにぎやかな(?)クリスマスとなった。

  マイルス時にも似た様なことを書いたことだが、新しいものが生まれつつあった激動の転換点に渦巻くエネルギーという意味で、やはり1965年のオリジナル演奏には独特のテンションとパワーがみなぎっていることがあらためて感じられて良かった。もしかしたら、再び聴くことはなかった可能性もあったこの作品を、ローヴァは自身の演奏で再現し、聴くものをもう一度再びオリジナルの演奏にまで引き合わせてくれた。こういう温故知新的な役割はなかなか果たせるものではない。感謝である。このエネルギーを忘れて無駄にしたくはないと思う。転換点とは自らつくりだすものである。(写真右はジョン=コルトレーンの「アセンション」)

12/04/2004

マイルス=デイヴィス「ビッチズ ブリュー」

  前回取り上げたマイルスのDVDを観て以降、いわゆるエレキマイルスを聴きたいという気持ちが止まらない。この1週間というもの、僕の耳はその関連の音源で見事に埋め尽くされた。おかげで気分的にもとても調子がいい。というわけで、今回もマイルスをとりあげる。

 この作品のことは随分以前から知っていた。音楽にまだそれほど興味はなかった小学生の頃、兄の買ったオーディオ雑誌を見ていたら「音の良いレコードベスト○○」なる企画があって、そこにこの作品が紹介されていた。本だからもちろん音が聞こえるわけではないのに、僕の印象に強く残ったのはそのジャケットである。なんとも異様なそのジャケットを一目見たくて、田舎のレコード屋さんに行ってみた。もちろん僕がジャズのコーナーを見たのはその時がはじめてである。当時はもちろんLPレコードの時代だから、このジャケットの迫力は相当なものだった。一体どんな音楽が入っているのか。僕が実際に中身を耳にしたのは、それから10年近く経った大学生になってからのことだった。

 音楽の演奏仲間でコレクター仲間でもあった友人が、これを買ったというので感想を訊ねてみると返ってきた答えが「異様!異様!僕にはわからん。とにかく気持ち悪い」というものだった。さっそく彼に頼み込んでレコードを貸してもらい聴いてみた。子供の頃どきどきしたあのジャケットを手に、僕はそのとき初めて耳にしたこの音楽に素直に感動してしまったのを憶えている。「異様っておまえ、全然ちゃうやん、めっちゃええやんか〜!」と、僕はもう夜中だというのに彼にすぐ電話したものである。

 この作品はジャズトランペットの帝王といわれたマイルス=デイヴィスが、1969年に長い音楽キャリアのなかで最も大きな転換を宣言した作品である。前回のろぐで紹介したように、それは「電化」つまりエレキギターやエレキピアノなどの電子楽器の本格的に導入したことと、ロックやアフリカ民族音楽のリズムを導入していわゆる「4ビート」とは決裂したことである。ジャズの帝王マイルスが示したこの大変貌はさまざまな議論を巻き起こしたが、結果的にこの作品は1970年代以降の音楽の方向性を示すことになった。別の言い方をすれば、この作品を境に音楽の中でジャンルを云々することの意味が徐々になくなりはじめ、30年以上経た現代においてもそれは変わっていない。

 ただそうしたクリエイティブの側面で音楽が高度になる一方で、音楽の世界にももたらされた商業主義がその内容を均質的画一的なものにすることで、ある種の中和的作用が働いているといってもいいかもしれない。その意味ではこの作品などは、かなりクリエイティブの最前線から生まれたエキスが一杯の内容だけに、いまこれを聴いても何ら古さや陳腐さを感じさせないところが凄いところである。

 LPまたはCD2枚に全6曲、比較的長い演奏の曲が中心だが、やはり1曲目の「ファラオズ ダンス」から最後の「サンクチュアリ」までを順番に通して聴くことで、その魅力が存分に堪能できる。一言でいってしまえば、音楽の中心がリズムに移ったことをはっきりと示していると思う。それまでのジャズに聴かれた、トランペットやサックス、ピアノなどのリード楽器によるソロ演奏は影をひそめ、誰が主役ともわからぬ混然とした演奏のなかで、リズムが聴くものをどんどん音楽のなかにひき込んでいく。最後の「サンクチュアリ(聖域)」では、荒れ狂うジャック=ディジョネットを中心とするリズム世界の中心で、ジャングル大帝のように帝王のトランペットがウェイン=ショーターのサックスを従えて遠吠えの様なテーマを、高らかに歌い上げる。ここは圧巻でもう鳥肌ものである。

 CDショップでマイルスのコーナーを眺めてみると、この作品が製作された前後の未発表音源を含めたCD4枚組のボックスセットの存在が目に入る。実は僕もこのセットを持っていて(これは僕が1998年に米アマゾンで一番最初に購入した商品でああった)、それまで持っていた2枚組のCDは中古屋に売ってしまった。マイルスの関連では、最近コロンビアレコードがこの手の企画を推進中で、他にも同様のボックスセットが数種類発売されている。

 しかし、僕の経験から言わせてもらうと、こうしたセットにはあまり手を出さない方がいい。ライブの未発表音源などは、まだそれなりの価値があるとは思うのだが、スタジオセッションの未発表テイクというものについては、やはり未発表になったそれなりの理由があるのだから。当時のプロデューサの意図を安易に乱すものではない。はっきり言って他に収録されている演奏は、ちょうど死んだ作家の全集などで、遺された小説のためのメモやスケッチといった類いと同じもので、グリコのおまけ程度のものである。もちろんレベルは高いのだが、別に「貴重な」とか言って恩着せがましく売りつけるものではないだろう。

 やはりクリエイティブとビジネスの結びつきがお互いを高めるのは難しい。これまではビジネスが社会を引っ張ってきたが、その状況は変わりつつある。いまの時代にこの作品が放つものをあらためて聴いてみて、僕はやはり強くそう感じた。

 ともかくまだ聴いたことのないという人には、ぜひとも聴いていただきたい作品である。もちろんある程度気持ちの余裕がないと受け入れるのは困難ではあるが。それは文学や映画の大作と同じことだ。そのための1時間半は決して無駄ではないと思う。

11/27/2004

マイルス=デイヴィス「マイルス・エレクトリック」

  凄いDVD作品が出たものだ。平日の夜中にもかかわらず、アマゾンから届けられたその日にたまらず観てしまった。観終わってもただひたすら唸るのみ。音楽関連の映像作品では久々の感動である。音楽作品としてよりもドキュメンタリー映画として観るべき作品だろう。

 作品は、ジャズトランペット奏者でジャズの帝王と言われたマイルス=デイヴィスが、1960年代の最後に自己の音楽に起こし世に衝撃を与えた大胆な変革(ジャズの世界では「電化(エレクトリック)」と呼ばれている)とその背景をドキュメンタリータッチで描くもので、電化マイルスのグループが1970年にイギリスのワイト島で開催されたミュージックフェスティバルに出演した際の模様が完全収録されている。

 DVDは本編80分とボーナストラック40分という構成になっていて、本編の前半40分で様々な証言をもとに、マイルスが遂げたエレクトリックジャズへの変貌の軌跡をたどり、そして35分のワイト島ミュージックフェスティバルのライブ映像、そして3人のミュージシャンがそれぞれにマイルスへのトリビュートを短い演奏で捧げるエピローグで締めくくられる。

 なんと言っても凄いのが本編前半の、この演奏に関わった全員を中心に大物ミュージシャンや業界関係者等が、当時を振返ってマイルスとその変革についていろいろな考えや証言を語る部分と、さらにボーナストラックとして収録された、本編から漏れた様々な発言をテーマ別に再構成して収録したインタビュー集である。これがこの作品の中核である。個人的には本編とボーナストラックを合わせた120分の映像作品として考えていいのではないかと思っている。証言はいずれも非常にズシッと来るものばかりだ。引用したいものをあげればきりがないので、ここにはその内容は書かない。是非とも実際に目と耳で確かめていただきたい。

 面白いのは、証言者として登場する中に評論家のスタンリー=クローチ氏がいることだ。彼の存在が作品の面白さを一段と深めている。彼は黒人文化としてのジャズを重視する人で、帝王マイルスの変貌に困惑する批評家のなかで唯一はっきりとマイルス批判を展開した人物である。興味のある方は、先のろぐで紹介したウィントン=マルサリスの「マジェスティ オブ ザ ブルース」に収録された、彼のジャズへの想いを綴った長い詩を読んでみるといいだろう。クローチ氏のエレクトリック以降のマイルスに対する現在の想いに関しては、興味あるところだがここでは明言を避けているようだ。

 完全収録されたワイト島でのライブパフォーマンス「コール イット エニシング」の演奏内容に関しては、はっきり言って、先に何種類かのCDで発売されている同時期のライブ演奏に比較して、やや劣るものだと思う。この作品の魅力は、パフォーマンスの映像がほぼ完全に収録されているという点にある。もう35年近く前のことだから当たり前なのだが、若々しいチック=コリア、キース=ジャレット、ジャック=ディジョネット、デイブ=ホランド等の姿が存分に楽しめる。会場の雰囲気がプレッシャーなのか終始困惑気味のチック、対照的に与えられた電気オルガンへの不満も出さずに首をまわし続けるキース、当時も変わらず貫禄でドラムを打ち鳴らすジャック、ベース少年そのものの青いデイブ、そしてマイルス。みんな夢の様に素晴らしい。

 マイルスのことを知らなくとも、ジャズのことを知らなくとも、音楽のことを知らなくとも、この作品にそんなことは関係ない。いろいろな場所で新しいものを目指そうとするすべての人、とりわけ若い世代の人たちに、是非ともこの作品をご覧になることをお勧めしたい。音楽に限らず、あらゆるシーンにおいて新しい何かを生み出すとはどういうことなのか、その具体的一面がバシっと伝わってくる、まったく素晴らしいドキュメンタリー作品である。

Miles Davis Web Site 公式サイト

11/20/2004

ブランフォード=マルサリス「フットステップス オブ アワ ファーザーズ」

  忙しい一週間だった。なんとか峠は越えたようだが、なんとも後味の悪い越え方だった。そんなことは酒を飲んで音楽を聴いてさっさと忘れるにこしたことはない。しかし、今回の後味の悪さは、どことなく異質なもののように僕の中にとどまっている。

 今回はジャズサックス奏者のブランフォード=マルサリスである。このアルバムは2001年12月に録音されたもので、その意味では少し前から書いている21世紀のジャズに相当するものだ。タイトルの意味は「親父たちの軌跡」ということだろう。その通りに内容は、彼自身が敬愛する偉大なるジャズ演奏家4人の作品が収められている。その4人とは、オーネット=コールマン、ソニー=ロリンズ、ジョン=コルトレーンそしてジョン=ルイスだ。「なんだ21世紀って言ったって、昔の曲ばかりじゃないか」ということになる。しかも演奏のスタイルも、すべてオリジナル演奏を彷彿とさせる。しかし、ブランフォードが21世紀の始まりに際してこれを録音したことは、まったくもってある意味新しいことなのだった。彼にとっては非常に大きな転機となった作品だった。

 ブランフォードもデビュー後数年を経て、1980年代半ばにリーダー作を弟と同じコロンビアレコードから発表した。「シーンズ イン ザ シティ」と題されたこの作品を聴いた僕は、当時の6畳一間のアパートで「サックスってカッコいいなあ」とつぶやいた。以来、彼のジャズリーダ作はすべて揃えてきた。弟とは異なり、ブランフォードはポップカルチャー指向の一面も持ち合わせていて、ロックやラップなどのアーチストとの共演も多い。有名なのは、スティングがポリスを解散して最初のソロ活動を始める際に結成したグループへの参加だろう。彼を聴いたことがないと思っている人も、当時のスティングの名曲「イングリッシュマン イン ニューヨーク」での彼のソプラノサックスを耳にしている人は多いはずだ。

  彼はコロンビアから10枚程のジャズアルバムを発表した。そのほとんどがオリジナル作品で占められている。ウィントンは早くからスタンダーズナンバーの録音にもとり組んでいて、それがシリーズ化していくわけだが、ある意味それが彼なりのポップカルチャーだったのかもしれない。僕は全然そう感じないが、スタンダードのないことがブランフォードのアルバムに取っつきにくいイメージを持たせた一面も否定できない。ちょっとふざけた様な写真をあしらったジャケットの作品もあったが、中身は音楽的にかなりシリアスである。なかでも、コロンビア時代最後の作品となった「コンテンポラリー ジャズ」(写真右)は、僕の愛調盤だ。

 その後、ブランフォードはコロンビアレコードからジャズ部門の音楽監督を引き受けてくれというオファーを蹴って、自分のレーベルを設立して独立することになる。十何年間にわたって務めあげてきた大企業には嫌気がさしたようである。そして新たに再出発する第一作となったのがこの作品なのである。コロンビア時代のオリジナル路線がレコード会社の方針だったのかどうかはよくわからない。しかし彼は何らかの理由で過去の作品を演奏せず、ここまでためてきた想いを一気に吹き出している。

 作品のライナーノートの最後にもブランフォード自身が「この作品は自分の音楽人生で中核的な位置づけになるものだ」と書いてある。なかでもテナーサックスの2大巨人については、それぞれの最も代表的な組曲を全曲演奏する形で賛辞を捧げている。この2つの組曲を本人以外の演奏家がこういう形で全曲とりあげたのはおそらく初めてであろう。ブランフォードはそれらを、こんな名作を新しいスタイルにリメイクするななんてヤボだよと言わんばかりに、原曲そのままのスタイルで一気に吹き切っている。いずれもはっきり言って壮絶の一語に尽きる。コロンビア時代に十分に発揮されたオリジナリティの積み重ねとあわせて聴いてみると、彼が現代最高峰のテナーの一人であることに誰もが納得するはずだ。

 21世紀に入ると同時に人生の転機に立った彼が、一番最初に取組んだことが、先人たちの軌跡をなぞることだった。素晴らしいことだ。CDジャケットで海に向かって果てしなく続く橋の下で、波打ち際の足下を見下ろす彼の姿がとても印象的である。ジャケットを裏返すと、波は満ちて彼の姿はそこにはもういない。再びジャズの橋を歩き始めた彼は、その後も次々と新しい作品を発表している。今度、このアルバムに収録されているコルトレーンの「至上の愛」のライブ演奏を収録したDVDも発売になるらしい。彼もまた来日公演が待ち遠しいアーチストの一人であるだけに、このDVDはうれしい。入手次第、すぐまたとりあげることになるだろう。

 ブランフォードが再出発したとき、彼は40歳だった。

Branford Marsalis 公式サイト

11/14/2004

デイヴ=ホランド・クィンテット「エクステンデッド プレイ」

  このところ仕事が少し忙しくなり、不覚にも休日にまで仕事をしなければならないハメになってしまった。この調子では「ん〜えぬろぐもさすがに今週はお休みかな〜」、というところなのかもしれないが、僕に音楽のない1週間などあるはずもないから、そうは言っていられない。

 忙しいにもかかわらず、先日仕事であるセミナーに参加し、その帰りに忙しさを気にしつつも同じ会社から参加した面々で六本木で一杯やって帰ることにした。その中に、今年入社したばかりだという人がいて、話をしていくうちに学生時代(彼はほんの数ヶ月前までは学生だったのだ!)に、ハードロックバンドを結成して、ギターとヴォーカルを担当していたのだということがわかり、少し音楽の話もすることができた。僕とは17〜8歳離れているはずなのだが、彼が一昔前のロックを熱心に聴いていたので、浦島太郎にはならずに済んだ。その彼に、翌日このろぐを読んでもらったところ、就職してしばらく音楽から離れていたのが、また聴いてみようという思いを取り戻したように感じた、というような意味の感想を送ってくれて、なんだか嬉しくなった。今回も頑張ってろぐを書いてみようと思う。

 今年の夏に「東京ジャズ2004」というイベントが開催された。僕はこの手のジャズフェスというやつをもう長いこと観に行っていない。最近では、ジャズの現状をよく反映していて、実に様々なアーチストが出演する。今年はなぜかあの「TOTO」が出演した。まあそれはそれで楽しいのではないだろうか。この模様は先日NHKの衛生放送でもダイジェストで放映され、僕はそれを録画して楽しんだ。

 これを観ながら気づいたのは、ここで演奏されているのが「21世紀の音楽」だということ。その意味で、僕の聴いている音楽、えぬろぐで紹介しているものも含めて、21世紀の音楽が少ないことが気になった。まあ、まだ21世紀になって4年も経っていないのだから当たり前なのかもしれないが、いくつかの若手演奏家たちの音楽はもちろん、20世紀から引き続き活躍しているアーチストも含め、そろそろ新しい動きが出て来ているのかな、ということを漠然と感じた番組だった。若手は皆テクニックはもう完璧である。そして音楽性も豊かである。でももちろん新しいだけではいいものにはならないことは、彼ら自身もよくわかっている。その意味でこういう大御所も出演するイベントへの参加は、なかなかプレッシャに違いない。

 僕が聴いたなかで、さすがだなと感じたのは、ヴォーカルのダイアン=リーヴスが率いるグループ。ドラムのグレッグ=ハッチンソンは、まだ34歳だがここではもう立派なお兄さんである。なかなか貫禄の演奏だった。そして、正体不明のリオーネル=ルエケというギタリスト。このイベントのトリであるハービー=ハンコックとウェイン=ショーター等によるクゥアルテットで、ショーターの名曲「フットプリンツ」に飛び入りで演奏していたが、演奏全体としての出来はともかく、なんとも言えぬ新しいスタイルの演奏だった。そして僕にとっての最大の目玉が、今回紹介するベースのデイヴ=ホランドの出演だった。テレビで放送された演奏について言えば、バンドとしてのまとまりは必ずしもいい感じではなかったが(特に最後の出演者全員によるスーパーセッションはハッキリ言ってサムかった)、彼のベースの醍醐味は随所に現れており、その意味では満足の内容であった。

 デイヴ=ホランドは僕にとってベースのアイドルである。彼の演奏が素晴らしいのはもちろん、作曲やプロデューサとして表現される音楽そのものが、僕にとっては「理想のジャズ」である。CDを探していてメンバーに彼の名前を発見すると、僕の中ではそれだけでプライオリティが上がってしまう。生でも彼の演奏は少なくとも3回観ている。彼について書き出すともう止まらなくなるので、端的に彼の何がそんなにいいのかといえば、彼がフリーからメインストリームまで幅広いミュージシャンから敬愛されていること、そして彼自身がしっかりと持つオリジナリティ溢れる音楽性である。決して何でも屋ではなく、安易なジャンルの混ぜ合わせにも走らず、これは揺るぎない自身の音楽感がなければできないはず。彼のアルバムはいつ聴いても新しい発見をもたらしてくれる。

 今回の作品は現時点での最も新しい彼のグループのライブ演奏を2枚のCDに収録したものである。これは1996年のアルバム「ドリーム オブ ジ エルダース」から始まるユニットの集大成と言える作品である。僕が思うに、これは最も現代的でありまた伝統的でもある「現代のジャズ」の姿だ。いま21世紀のジャズとは、と問われれば僕はためらわずにこの作品を推薦したい。サックス、トロンボーン、ヴァイブラフォン、ドラムの若手4人の演奏も最高である。このグループでの来日公演が待ち遠しい。

Dave Holland 公式サイト

11/06/2004

ローヴァ「サクソフォン ディプロマシー」

  前回は、最近サックスのいい作品にお目にかかれない、ということで1980年代ジャズの懐メロ(?)作品について書いてみた。あの作品はもちろんサックス奏者のリーダー作としては画期的なものなのだけど、そうは言っても、いま僕が聴きたいと思っているサックスとはやはり違っている。そういうふうに、急にわいて出てきた欲求を満たそうと、日本では祝日になっている11月3日の文化の日に、CDを求めて渋谷に出かけてみた。

 渋谷の中古CD屋さんは大抵、開店時間が午前11時30分である。個人的には休みの日くらいは午前10時からやって欲しいのだけど、そこはやはり若者の街、夜の街である。開店直後に入ってみると、熱心なマニア達が相変わらずそこにたむろっている光景に、これはいいものが見つかるかもしれないという期待が高まる。確かに、最近聴いてきたものに関連したものでも、良さそうなものがいろいろとあった。ビル=エヴァンスの最後のトリオによるライブ演奏を集めたボックスセットにも惹かれた。トニー=ウィリアムスのライフタイム初期の名作も、しばらくは手にキープしながら他の棚を漁った。一昔前の僕なら両方同時に買っていたとしても不思議ではない。

 結局は、諸事情を考慮したうえで、中古CDは1枚に絞った。それが今回の作品である。これを買ってお店を出た僕は、帰路につきながら心の中でわれながらに思わず苦笑してしまった。「あれだけいろいろなものがあったのに、よりによってなんでこんなのを選ぶかな〜。あんたも好きだねぇ。」という感じだろうか。

 ローヴァはユニットの名称で、正式には「ローヴァ・サクソフォン・クァルテット」という。その名の通り4人編成のユニットなのだが、ここでいうサクソプォン・クァルテットの意味は、サックスとリズムセクションという一般的なジャズコンボではなく、クラシックのストリング・クァルテット(弦楽四重奏団)と同様のスタイル、つまりサックスが4人という編成である。他にはピアノもドラムもいない。ある程度ジャズを聴いている人なら、デヴィッド=マレイやオリヴァー=レイク等黒人フリージャズの名手4人で編成された同様のユニット「ワールド・サクソフォン・クァルテット(WSQ)」を思い出される方もいるだろう。ローヴァは、ジョン=ラスキン、ラリー=オッシュ等白人のヨーロピアン・フリージャズシーンで活躍する4人が集まってできたユニットである。別にWSQに対抗してできたわけではないと思うのだが。

 僕はWSQもローヴァも結構好きで、それぞれ2,3枚CDを持っている。WSQは1980年代後半からは、ちょっとコマーシャルな路線でも活動して、デューク=エリントンの作品集を発売したり、日本のジャズフェスティバルやブルーノートに出演したりした時期もあった。2つのユニットは現在もまだ活動を続けており、新作のリリースもあるようだ。僕はやはりスタンダード曲をベースに演奏するよりも、フリー系のオリジナル作品を中心にサックス4本でバリバリとやる彼等元来のスタイルが好きである。

 今回の作品のジャケットには、クレムリンの赤の広場を行進するソ連軍の写真が使われている。この作品は1983年に行われた、ローヴァの伝説的東欧ツアーの模様を記録したものである。タイトルを直訳するとズバリ「サックス外交」ということになる。内容は4本のサックスが時に仲良く、楽しく、美しく、そして時に自由に、大暴れという、サックスという楽器とそれによる音楽スタイルの醍醐味とが一杯に詰まった、とても気持ちよいものである。同時に作品を聴いてみて、当初冗談めいていると思ったこのタイトルの意味深さに、少々恐れ入ってしまった。

 サクソフォンという楽器は歴史が新しく、いわゆるクラシック音楽がピークにあった19世紀にはまだ原型とも言えるものすら存在しなかった。従ってサックスを前提にしたクラシック作品は20世紀になって少し存在するだけで、クラシック界ではピアノ、ヴァイオリン、フルートなどに比べれば全く影が薄い存在である。そしてこの楽器は、20世紀の音楽をリードしたアメリカにおいて、特にブラックミュージックを象徴するものとして世界に広まっていくことになった。その音楽はもちろんジャズである。ジャズは、モダンジャズ以降アドリブを重視するスタイルになり、その一部はさらなる「自由」を求めてフリージャズへと発展していった。サックスという楽器ほど、楽譜を見ながら演奏するというスタイルが似合わない楽器もないかもしれない。

 そんなサックスを抱えた4人の若者が、1983年の夏にモスクワ、リガ(現ラトヴィアの首都)、ルーマニアなど冷戦続く共産主義諸国の街に突如として現れ、文字通り「自由」な音楽を謳歌したわけである。アメリカンミュージックがいわば敵性音楽であり、流通が大きく制限されていた当時の状況を考えれば、東欧の人にはこのサックスという楽器自体が珍しく、しかもフリージャズという自由にスタイルが変化していく音楽は、かなり衝撃的であったに違いない。CDには演奏の盛り上がりとともに、音楽に熱狂して高揚する聴衆の様子もしっかり収録されていて、感動的である。

 こうして、僕の「思う存分サックスが聴きたい!」という欲求は、この作品によって満たされることとなった。もしかしたら、僕自身も日常のどこかに何か閉塞的なところがあったのはかもしれない。そんなもやもやを気持ちよく吹き飛ばしてくれたローヴァの作品との偶然の出会いに感謝だ。おかげで、また押し入れにしまってある箱から引っ張りさねばならないCDが数枚できてしまったようだ。めでたし、めでたし。

r o v a 公式サイトーなんと12月に来日するそうです!

10/31/2004

アンディ=シェパード「アンディ シェパード」

  今日はまた押入れにしまってあるCD収納箱を取り出して、少しCDの入替を行った。このところやや熱心に購入が続いたので、部屋に与えられている収納スペースが窮屈になって来た。かといって押入れの収納段ボール3箱も一杯になっている。とうとう、古いパソコンソフトなどを入れてあった段ボール箱を解放し、新たに第4のCD収納箱として働いてもらうことにした。と、部屋に出してあるもので、だぶつき気味だったものが一気にそこに流れ込み、早くも半分が埋まってしまった。おかげで部屋に少し余裕が生まれ、また購入意欲に火がつきそうである。まあ蒐集とはこういうものだ。

 以前は、買ったものについて確実に記憶している自信があったのだが、買ったはずのものがなかったり(売ってしまったことを忘れている)、少し前に注文しかけた作品を箱の中から発見して焦ったり(一度にたくさん買いすぎてほとんど聴いていなかった)と、自分の記憶にやや怪しいところが発覚したりして、あまり有難くない経験までさせてもらった。

 余談だがCDやDVDといった光ティスクは決して永久的なものではなく、寿命というものがあるらしい。取扱いが粗雑で傷がつけば、ディスクの劣化はそれだけ早くなるのはわかるが、特に何もしなくても品質の悪いものは20年前後で劣化が起こるという話もある。僕が最初のCDを買ってからもう20年以上経つ。確かに、初期の輸入CDには品質の悪いものがあった。致命的なのは、ディスクの一番内側の部分に傷がついたりすることで、ここがやられると、プレーヤに入れても再生できなくなる。何曲入りで全部で何分という情報が表示されなくなるので、プレイヤーがどう再生していいかわからなくなるのだ。

 今週はいろいろな音楽を聴いた。特に深く聴いた作品とアーチストが他にあったのだが、それについてはもう少し時間をおいてから書きたいと思う。代わりにといっては何だが、今回は久しぶりに、最近なかなかいい出物にお目にかかれない、サックスの作品を取り上げようと思う。もちろんこれは今日の入替作業で長いお蔵入りから解放されたものだ。少し前に、最近いいサックスの作品がないなと考えたときに、ふと思い出したのだ。

 この作品は、イギリス人サックス奏者アンディ=シェパードの記念すべき初リーダー作である。これが発表された1987年は、彼とコトニー=パインという2人のサックス奏者が、イギリスから相次いで衝撃的なデビューを飾った年である。イギリスという国は、それまではジャズとは若干縁遠い国であったが、これらの作品を機にそのシーンは急速に世界の注目を集めるようになった。同時に、当時英国で急速に成長しつつあったクラブミュージックがジャズと融合し、今日ではジャズという言葉が、むしろそちら側の言葉となってしまった感さえある状況になっている。昔ながらのジャズファンはそういう現状を嘆くのかもしれないが、いわゆるモダンジャズの現状を見るに、これはこれで必然的な流れだったと思う。

 内容はいわゆるモダンジャズの延長としてはかなりかけ離れたもので、ジャズをベースにもっと視野の広い進歩的な音楽が一杯に詰まっている。先に紹介したジョン=スコフィールドの最新作でベースを演奏しているスティーブ=スワローがプロデュースを担当しており、他に最近はいまひとつだがそれでも現在を代表するサックス奏者マイケル=ブレッカーの兄、ランディー=ブレッカーがトランペットで数曲参加している。アンディはソプラノとテナーを中心に、とてもメロディアスで情熱的な演奏を繰り広げている。

 このアルバムは発売当時は大変な好評を博したが、続くセカンドアルバムでは、この路線は早くも破綻し始めたように僕の耳には聴こえた。そしてそのアルバムはもう僕の手元には無い。いま考えてみれば、この路線はウェザーリポートなどに代表される、ジャズをワールドミュージックの方向に発展させたものだったのだが、結局そのやり方はスタイル的な落着点を見いだせないまま、中途半端な内容になって音楽の方向性としての流れをつくれないまま分散してしまったように思う。

 その後、僕の興味はヨーロピアンフリーとハウスミュージックに向かい、彼の存在はいつの間にか忘れてしまっていた。同時期にデビューしたコトニーは、ハウスに取り込まれた新しいジャズの波にのって、いまやクラブジャズシーンの大御所である。現在でもDJを引き連れて東京のブルーノートに時折出演している。まあ、そのハウスミュージック自身も、さらに早いスピードで様変わりしているわけだが。

 アンディがその後どうしているのか気にかけたこともなかったのだが、彼のサイトを見る限りは、いろいろな活動を続けながら、現在までリーダー作も発表し続けている。いまのところあまり聴いてみようという気にはならないが、カーラ=ブレイなど新しい音楽の先端にいる人たちと演奏活躍をしているようである。

 おそらく結婚する際に、それまで住んでいたアパートを引き払う時に箱詰めして以来、ほぼ6年ぶりに箱から出して聴いてみたCDだったが、最初、プレーヤがディスクを認識してくれなくて少々焦った。確かにもう17年が経過したディスクであり、この前聴いたときにはどういう扱いをしたのか、盤面もずいぶん汚れていた。ディスクを水で洗ってきれいにしてやると、無事に再生することができた。

 就職で上京して、はじめて渋谷にCDを買いに行ったときのことを思い出し、バブル景気に沸いた当時の世相を思い出しながら演奏を楽しんだ。たぶん次にCDを整理するときには、また箱の中に戻ることになると思うが、少し立ち止まって一息入れるような気分で楽しめた作品である。たまにはこういう聴き方をするのもいいものだ。

Andy Sheppard- Jazz musician and composer 公式サイト

10/22/2004

tohko「籐子」


 職場のチームメンバーが、携帯型音楽プレーヤの市場についてショートレポートをまとめるというので、そのラフ版を見せてもらった。アップルのiPodに端を発したブームのおかげで、この世界はいま非常に活気があり、いろいろなメーカからいろいろな製品が出されている。人気のiPodは小型のハードディスクにたくさんの音楽が収録できるのが魅力だが、これはいくらデザインがよくてオシャレだと言われても僕の感覚には合わない。ハードディスクといういかにも壊れやすそうなものを持ち歩くことに抵抗があるのと、電源が専用の充電池なので出先で電池が切れたらどうしようもないという不安がどうしても拭えないのだ。

 僕は、Rio500というMP3プレーヤの草分け的傑作品を持っていて、それにメモリを増設して重宝していた。とにかく軽いし、振動にも強いので、通勤だけでなく散歩しながら音楽を聴いたりするのには持ってこいのアイテムだった。だがこれにはいくつか欠点もあった。1つはメモリが少なくて128MBを増設してもせいぜいCDにして3枚分しか入らない。そこで頻繁に入替が必要になるわけだが、これが意外に面倒でしかも音楽の転送の際に電池を激しく消耗した。もう1つは、増設用の着脱式スマートメディアが、僕にはどうにも頼りなさげに感じられ、いつダメになるかと気が気でなかった。そもそも半導体メモリなどというものは、いくら安全にパッケージされているとはいえ、本来はつけたりはずしたりするようなものではない、という古い(?)考えがどうしても抜けないらしい。予想通り、それはしばらく使っているうちにメモリカードを認識できなくなり、壊れてしまった。

 ということで、愛用して来たRio500が壊れてしまって以降は、元に戻ってもっぱらソニーのCDウォークマンを使ってきた。重いし振動には弱いという欠点はあるが、やはりすぐにCDを入れ替えられる手軽さは、僕のようにいろいろな音楽を聴く人間には捨てがたいものでもある。それでもときおり起こる音飛びには我慢を重ねる毎日だったのだけれど。

 メンバーの作ったレポートイメージを眺めていると、少し前にRioからSU10という製品が出ていて、内蔵メモリが1GBというモデルでありながら、価格は23,000円台とお手頃だということを知り、いつもの思い込みが激しい性格で、僕の心は急速にその商品に惹かれていった。その週末にはちょうどひきはじめだった風邪をおして、川崎のヨドバシカメラに出かけていった。店頭では、既にその商品は新製品に場所を譲っていて展示されていなかった。新しいSU70では液晶がカラーになったとか店員がいろいろ説明をしてくれたが、値段は高いし僕の心は動かなかった。僕がSU10を指名すると、店員はすぐに出して来てくれた。値段を確認した僕は、迷わず赤の1GBモデルを購入した。

 ちょうどお昼前だったので、ヨドバシカメラと同じショッピングビル「ルフロン」1階にある「カフェハイチ」で目玉カレーとコーラを注文した。天気がよかったので、家に帰って早速SU10に音楽を入れて、多摩川あたりを散歩しようと思った。何を聴こうかなとわくわくしてみたものの、最近聴いていたジャズピアノはちょっと散歩の音楽には違うと思った。尺八でもないし、クラシックの室内楽、それもちがう。ここはやっぱり気楽にJ-Popがいいかなと考えたときに、急に頭の中で2つの歌メロディがほぼ同時によぎったのだった。僕はそれが同じアーチストの曲だったはずだとは感じたのだが、とっさに名前が出て来ない。たしか、小室哲哉プロデュースの女の子だったはずなのだが…。運ばれて来たカレーを食べながら、しばらく思い出してみると「トーコ」という名前が浮かんで来た。

 しかし曲名はどちらもさっぱり思い出せない。というのも、僕はその子のCDを持っていなかったし、人から借りたり聴かせてもらったことはなかったのだ。ただテレビで見かけて耳にしたりしたものをどこかに覚えていたのだろう。だから曲名を知らないのも無理はない。早速、その足でCD屋さんに出かけてみた。その店では既に彼女のコーナーはなく、「J-POP:と」のコーナー売り場に置いてあったアルバムジャケットを見て、そのうちの1曲が「BAD LUCK ON LOVE」というタイトルだということを思い出した。それは、当時の職場仲間とカラオケに行った際に、女の子のひとりが「これなかなかいいんですよ」と挑戦して、曲の途中で呼吸困難に陥ったという思い出とともに、僕の頭の中によみがえって来たのだ。もう1曲のタイトルはやはりわからなかった。

 今回の作品は、そのtohkoのデビューアルバムである。僕はこれをそのお店で買わずに、近くにある中古ショップのブックオフで手に入れた(トーコさんゴメンナサイ)。これは一昔前のJ-Popを楽しむ際の決まりごとのようなものである。彼女に限らず、というかそれ以上に、宇多田も浜崎もサザンもビーズも、こうしたお店には一昔前のミリオン作品の中古品が山のように置いてある。値段はもう大変なものである。こんなお店が全国にたくさんあるのだから、いったいミリオンヒットとは何なのかを考えてみるに、音楽とビジネスの奇妙な関係としか言えない不思議な思いに駆られる。まあ何かその音楽によいところがあるのは間違いない、しかしその反対にほとんど売れない作品はいいところがないのか、というと決してそんなことは無いのである。ともかくそれが僕とこのCDの出会いだった。

 家に帰って、早速聴いてみた。はじめて全編通して聴いた彼女のデビュー曲「バッド ラック オン ラブ」。3分半と割と短い曲だが、彼女のヴォーカルの素質が全編にみなぎり、曲の構成も相まってその迫力に圧倒されてしまった。サビの部分で、彼女の声が、エレキギターの鳴きの音みたいにメタリックな輝きに聴こえる瞬間があって、一瞬凍りつく思いがした。この曲は、小室氏の片腕といわれた日向大介とglobeのマークが共作した曲だとわかったが、サウンドはもう小室のそれである。もう1曲の曲名は「LOOPな気持ち」だった。これはテレビのコマーシャルかなにかで使われていたものだ。僕はこの2曲を含めた全12曲をSU10に入れて、散歩に出かけた。ちょうど天気もよくて暖かな日曜日、音楽は散歩によくマッチした。

 久しぶりにこういう作品を聴いてみて、このtohkoという人の歌の才能に少々驚いた。声の伸び、音程、そして安定感といった基本的なところでの上手さがある。高音域で伸びる歌声は、聴くものにある種の緊張感をもたらすものであるが、tohkoの歌声はそれでもどこか童的というか和みを感じさせてくれるのがいい。彼女は当初は宝塚を目指していたというから、歌の素質は天性のものだったのだろう。このアルバムを録音した頃はまだ大学に在学中で、それも保母の免許を取得して無事に卒業されたのだそうだ。その後もアニメの主題歌やミュージカルへの出演など、いろいろと音楽の活動を続けていらっしゃるようである。

 そしてもう一つ、あらためて小室哲哉という人のすごさを感じた。彼は、本当にその人のキャラクターを見抜いた的確なプロデュースをしていると思う。彼について、ショービジネスの成功物語とその時代としてだけ語られるのは、なんとも空しい話である。まだ10年も経過していないのだが、あの頃の作品をヴィジュアルの面や、いくつも収録された頼りないリミックステイクや、そして中古ショップに溢れた商品という様な点で見れば、確かに色褪せたものを感じる。しかしそうしたものは、はっきり言って音楽の本質には関係がない。本当にいい歌はアカペラでもいい。その意味でも彼の一連の作品は音楽の歴史に残るべきものだと思う。
 
 技術の発達で、音楽はますます手軽に楽しめる時代になっている。しかし、それは決して音楽が使い捨てになるということを意味しているわけではない。技術は、ひとたび世に放たれた音楽をずっと記録に残すこともまた容易にしているのだ。作品として世に放たれた音楽には、その時点で命が与えられたようなもので、それはそのアーチストの名誉でもありまた責任でもある。この作品は、はっきり言っていまこの時点では、ほとんど忘れ去られようとしている歌なのかもしれない。しかし、街中で不意に僕の耳によみがえって来たそのメロディは、作品としていま聴いてもまったく色あせない、彼女の新鮮で力強い息吹がとじ込められていて感動的だった。

 アーチストtohkoとしての新作がリリースされていないのがちょっと残念に思った。なんとかこの素晴らしい歌声で息の長い活動を期待したい人である。

籘子 tohkoさん自身による公式サイト
Rio Audio

10/17/2004

ビル=エヴァンス トリオ「パリ コンサート」


CD蒐集が興じてくると、新品で買うほどでもなく中古盤で見つかれば買っとこう、というようなアイテムがいろいろ出てくる。再発の新品で買おうと思っていたら、いつの間にか廃盤になっていたりということが、何度か繰り返されているものもある。ジャズは中途半端にマイナーなジャンルなので、レーベルが倒産したり売買されたりして、発売元を転々とすることもある。それでも発売され続けるところが、ジャズの根強いところだろう。

 1980年代後半からしばらくの間、日本のレコード会社によるジャズ関連の復刻ブームが巻き起こり、こんなものまでCDになるのかと驚かされるほど、マイナータイトルのCD化が進んだ。おかげでマスターテープを再チェックするなどの作業が一気に進み、貴重な音源を発見すればそれが商売になるという、ある意味いい状況をもたらしてくれた。

 インターネットの時代になって、世界のマニアがこぞって自分のお気に入りのアーチストに関する専門サイトを立ち上げるようになり、情報の共有は一気に加速している。これはなにも今日ご紹介する、ビル=エヴァンスのような超メジャーアーチストの場合に限ったことではない。なかには、随分充実のサイトだなと思って見ていると、アーチスト本人が運営している場合もある。いずれご紹介することになると思うが、契約の切れた自分の音源をインターネットで公開している人もいる程だ。

 さて、今回の作品は、僕がこれまで何度となく中古CD屋さんの棚で見かけて、しばらく手に持って買おうと決めながら、直後により魅力的なものが発見されて、仕方なく手放してしまい、次にお店を訪れた時にはもうなかった、というようなことでなかなか買う機会がないまま、ずっと気になり続けていた、というものである。アマゾンの輸入版セールのカタログに入っているのを見つけて、この度めでたく購入となった。

 ビル=エヴァンスは白人のジャズピアノを代表する巨人であり、彼が確立したスタイルは、ジャズに限らず、彼以降の世代の幅広い領域のピアノ演奏家に、いまなお影響を与え続けている。1950年代半ばからプロとして活動をはじめ、1980年に亡くなるまで約25年間に渡って常に第一線で自己の演奏スタイルを貫いた演奏活動を続けた。ピアノ、ベース、ドラムという編成のピアノトリオによる音楽スタイルを確立したのは、バド=パウエルと言われるが、エヴァンスの功績は、このスタイルによる表現の多様性と奥深さを飛躍的に高めたことだ。

 この名声は、1959年から約2年間に編成されたトリオで録音された4枚のアルバムにより、確立されたものといってよいだろう。その4枚とは「ポートレート イン ジャズ」「エクスプロレーションズ」「ワルツ フォー デビィ」「サンデイ アット ザ ヴィレッジ バンガード」である。メンバーは、ベースにスコット=ラファロ、そしてドラムがポール=モチアンだった。一言で言ってしまえば、それまでリズムをメインに担当していたベースとドラムが、メロディやハーモニー、そしてリズムとは異なる意味での音楽の時間的広がりの演出という、それまで主にピアノがメインに担当していた領域に大きく出てきたのである。結果、3人が対等の関係で音楽を展開し、時にスリリングに時にリリカルにと、まるでクラシック音楽のような大胆な表現が、即興で行われるという表現世界が生まれた。「何だそれは」という方は、とにかく上記4つの作品を聴けば一瞬にして理解できます、ハイ。

 エヴァンスはその名声の一方で、なかなか多難な人であった。それは先の名トリオの重要メンバーであるラファロが若くして突然事故死してしまったあたりから、始まっている。私生活でも決して幸福ではなかったようだ。その後、彼のトリオは様々なメンバーが去来することになる。先にご紹介したキース=ジャレットのトリオのメンバー、ゲイリー=ピーコックとジャック=ディジョネットも時期は異なるがエヴァンストリオのメンバーを務めている。そのせいか、当初は意図的にエヴァンスの有名レパートリーを演奏することを避けていた、とジャレットがインタビューで語っているのを読んだ記憶がある。それほど、エヴァンスの存在は大きいのである。

 今回のご紹介する「パリ コンサート」は、彼の最後のトリオによるコンサートを、2枚のCDに収録したものである。1990年代になって、同じメンバーによるこれより後の録音が発表されるまでは、公式に発売されているものとしてはエヴァンス最後の演奏と言われており、そのことが僕にはずっと気になっていた。エヴァンスはこのメンバーによるトリオについて、あの黄金のトリオに匹敵するものだと、非常に自信を持っていたらしい。僕自身は、ともかくエヴァンス最後期のピアノが聴ければいいや、という程度の期待であったのだが、実際に聴いてみると、ピアノはもちろんトリオとしての出来も予想以上のものだった。僕の耳にもエバンスの自信は確かにそう感じられた。

 このコンサートでも、黄金トリオのレパートリが演奏される度に、大きな拍手が沸き上がる。ピアノのソロ演奏で始まる「マイ ロマンス」が、トリオ演奏に入ったところで、エヴァンスがテーマの音をはずしているが、それが何か過去の呪縛に対する彼のささやかな抵抗のようにも聴こえた。そして最後の「ナーディス」でも、冒頭に激しくアブストラクとなソロ演奏が展開され、続いてベースのマーク=ジョンソン、そしてドラムのジョー=ラバーベラ(サックス奏者パット=ラバーベラの兄弟)のソロがたっぷりと堪能できるロングヴァージョンである。おまけとして、2枚目の最後には、最晩年のエヴァンスの肉声(インタビュー)も収録されている。

 いろいろな災いを乗り越えて、ピアノでの表現を追求し続ける姿勢に、「う〜ん、いいねぇ〜これ」というようなところを遥かに通り越した、熱い感動が身体のなかを流れた。この作品に対する評価は様々のようだが、僕自身としては、エヴァンス本人のいう通り、あの黄金メンバーによる4枚に決して引けを取らない、彼自身の充実感が伝わってくる傑作だと思う。

The Bill Evans Webpages 公式(?)サイト—ディスコグラフィやバイオグラフィなど

10/10/2004

キース=ジャレット/ゲイリー=ピーコック/ジャック=ディジョネット「オールウェイズ レット ミー ゴー」

click! 前々回の海童道、そして前回の横山勝也と純邦楽が続いた。この2週間は実際に聴いていた音楽も、ほとんどそのいずれかだった。尺八の演奏は「風を聴く」ようなものである。おかげで自分の耳にたまっていた、いろいろな音楽を聴いた結果として残った、何か「燃えかす」のようなものが吹き飛ばされ、きれいにリセットされたような気分になり、以降何を聴いてもとても新鮮に聴こえる。音楽を聴くうえでの基本的姿勢のひとつは、演奏者の息遣をたどること。そのことを、あの作品は僕に再確認させてくれたように思う。楽器を演奏する機会が、家でつま弾くレベルのことも含め、かなり減ってしまっているこの頃だけに、そういう姿勢はなおさら忘れかけていくものだったのかもしれない。

 尺八の演奏を聴いてみて、あらためて考えたのは「自由」ということだった。風のように聴こえる尺八の演奏は、厳しい「道」のうえに成り立った芸術であることはもちろんなのだが、海童道のようにそうした道を外れてさらなる「自然」を求めた音楽にも、それを含めてさらには西洋音楽の領域までを視野にいれつつ、従来の尺八道を広げようとする横山勝也の音楽にも、共通して「自由」という時間や空間の概念を表現する姿勢を感じずにはいられなかった。西洋音楽のメロディー、ハーモニー、リズムという音楽の要素という観点からは、非常に自由な何か、それは単に僕自身にとっての耳新しいさだけなのかもしれないが、を感じさせてくれた。逆に、フリージャズなど西洋のフリーミュージックが、ともすれば散漫なものに聴こえてしまうのは、そうした「道」の不在によるところが大きいと言えるのかもしれない。

 いまの時代、僕たちの生き方は自由なのかと問われれば、なかなか難しい。昔に比べて年齢や性別に起因した伝統的な因襲やしきたりからは、確かにかなり解放されつつある一方で、現代というシステムは、僕らに新たな因襲をもたらしているようにも思える。若い世代はいつの時代にも「自由」を叫ぶ。会社の企画や戦略を議論する場でも、「従来の枠にとらわれずもっと自由に」というような言葉をよく耳にする。それは実行の当事者に向けられているのか、組織や体制に向けられているのか、実際のところは難しい問題である。もちろん「自由」と「道」はそのいずれかが絶対的に存在できるものではないのだが。

 今回の作品は、タイトルがとても印象的である。日本語で言えば「いつも自由でいさせてくれ」とでもなるのだろうか。1ヶ月ほど前にとりあげたキース=ジャレットの作品がその代表であったように、この3人による演奏活動はジャズのスタンダード曲を、彼らの境地で新たな作品として演奏することが売りのひとつであった。しかし、この作品はCD2枚全編にわたってオリジナル曲、その多くがトリオ編成によるインプロヴィゼーション(即興演奏)、で占められている。彼らとは設立時からの付き合いであるECMレコードは、この作品をカタログナンバーで1800番目という、ひとつの節目の作品として位置づけており、それだけ製作者側のの「気合い」もこめられた作品になっている。

 残念ながら、セールスの方は必ずしも好ましくなかったようだが、その点についてECMは確信犯的であったと考えるべきだろう。3人の演奏家たちは、もちろんそんなことを知る由も気にかけることもなく、トリオによる濃密な即興演奏を繰り広げている。内容的にはもう十二分に期待に添うものであることは言うまでもない。「スタンダーズ ライブ」で聴かれた奇跡の連続は、15年の時を経たここでは、より時間的空間的に引き延ばされた芸術に進化しており、あるときは聴くものの集中を促し、あるときはリラックスや楽しいノリをもたらしてくれる。このメンバーによるスタンダードを中心にした最新作「アウト オブ タウナーズ」はなかなかのセールスを記録しているらしいが、僕はそれよりもまだこの作品の方が好きである。

 幸運にも、僕はこの演奏が収録された2001年4月24日の東京公演を、渋谷のオーチャードホールで実際に聴くことができた。コンサートは二部構成だったが、いわゆるスタンダード曲の演奏は少なく、スタンダード中心の演奏を勝手に期待していた多くのお客さんを、いい意味で裏切ることになった。僕個人の印象としては、スタンダード曲の演奏になると、3人がどことなくつまらなさそうにしているように見えた(もちろん彼らが手を抜くなどということはあり得ないのだが)。そのくらい彼らの即興演奏は強い印象を残してくれた。

 だからそれらが収録された作品にこういうタイトルが付けられているのが、珍しくストレートだなと感じる一方で、彼らの姿勢と自信が感じられて嬉しく思ったものだ。あえて「フリー」という表現を使わずに、こういう表現を用いたところが、芸術家としての姿勢がよりはっきり表されているのかもしれない。以前にも書いたように、この作品はキース=ジャレットトリオとしてではなく、3人のリーダーによる共作という位置づけになっているのも納得できる。それは、即興という「自由」な形で一瞬にして生み出されたことは事実であり、20年近い共演経験という長い「道」から生み出されたこともまた事実である。

 気軽に「ながら」で聴ける作品とは言えないかもしれないが、非常に深い味わいのある作品である。こういう音楽を聴ける時間や空間を持てることは、間違いなく「自由」な証である。それは決して与えられるものではなく、自ら作るものなのだろうと思う。

(この作品に興味を持たれた方は、ジャケット写真をクリックしてみてください。アマゾンでこの作品を試聴したり、購入することができます)

ECM Records
キースジャレット通信 キース=ジャレットファンの店主さんによる個人サイト CDレビューやコンサートレポートなど充実の内容です。

10/03/2004

横山勝也「ZEN(禅)」

  インターネットのおかげで、情報を探し出すテクニックを少し身につけると、本当にいろいろな音楽を手に入れて聴くことができるようになった。新しいキーワードを手に入れれば、それをもとに検索するとまた新しい出会いをいとも簡単に得ることができる。いろいろな人が言っているように、交通手段の発達が物理的な移動に関する可能性を高めたのに対し、インターネットは何かを探すことに関する可能性を飛躍的に高めてくれた。別の言い方では、出会いの場やきっかけを増やしてくれたということもできるだろう。

 自分でもそのことがとても楽しくなり始めた頃、たぶん結婚するよりも前だったと思うが、そうは言ってもたぶん自分の興味という観点から、こちらから積極的にアプローチすることはないだろうな、と思っていた音楽の分野が3つあった。それは、声楽、演歌、そして純邦楽の3つだった。まあもちろんこれは当時の僕の偏見だったわけで、いまはそんなことはなくなってしまった。あえていうなら声楽のなかでオペラだけはいまだにCDを買ったことがないくらいだろうか。そして、最近はもっぱら尺八がブームである。この1週間の間に既に5つのCDを入手し、うち4つはネットでの購入である。川崎や渋谷のお店を歩き回っても、本やCDを見つけ出すのは容易ではない。僕のような人間にとっては、インターネットはこのうえもなくありがたい道具である。

 前回のろぐで、海童道祖の作品を紹介した。そのCDを購入した際、同時に購入したのが今回の作品、横山勝也の作品集である。前回も書いたように、この作品はもともと日本のレコード会社RCAビクターが製作したものを、ドイツの現代音楽専門レーベルWERGOが海外での販売権を買って、リリースしているものである。日本国内では、「尺八の遠音〜横山勝也尺八古典名曲集成1、2」というタイトルのLPレコードで、1978年にリリースされている。ともかくこの手の情報は日本国内のインターネットサイトでは極めて不足しており、また十分な整理がなされていない。却って海外のサイトからの方が良質な情報を得られるというのは、なんとも皮肉な話である。

 横山勝也は現時点でご存命の演奏家としては最も重要な人物の一人である。彼の生い立ち等については他のサイトにあるのでそちらをご覧いただくとして、彼の名が直接邦楽に興味を持たない人、とりわけ海外にも知られているのは、日本の現代音楽家、武満徹の作品「ノヴェンバーステップス」他での演奏に負うところが大きい。それが発表された1960年代半ば以降、尺八は海外での人気を高める一方で、日本国内での人気は一般的に見ていまひとつというところではないかと思う。それは、先ほども書いたように、実際に街のCDショップや本屋さんで関連した商品を探してみればすぐにわかることである。

 ただ、もちろん残念なことであるが、マスメディア的な人気は博しても短命に終わるもので、最悪の場合本質を疲弊させるだけで終わってしまう危険性もあるから、個人的にはこういうものはインターネット的な意味での人気、草の根的にしっかりと支えられた存在とでも言えばいいのか、となって欲しいと思っている。その意味で、海外ではそうしたものが定着つつあることは心強いと思う。

 まったくの偶然だったとはいえ、海童道の作品とこの作品を同時に購入した僕はラッキーだったと思う。海童道の方が、ある意味アヴァンギャルドな人間的魅力に満ちている一方で、この作品では伝統的な尺八の魅力を堪能することができるからだ。その対比がとてもよく理解できた。好みの問題はあるだろうが、僕は横山勝也の演奏については、純邦楽をほとんど聴いたことのない人でも、一度聴けばすぐに心地よく感じられるのではないかと思う。

 思いがけず純邦楽の作品が続いてしまった。これとは長い付き合いになりそうだ。

Internatinal Shauhachi Societyにある横山勝也の略歴とディスコグラフィー(英文) 大変よく整理されてます。日本語ではこういうサイトはありません。
Wergo ドイツの現代音楽専門レーベル

9/26/2004

海童道宗祖「海童道<法竹>」

  あまり歳の話をしてもしょうがいないのだが、何人かの人から「40歳になった感想は?」と聞かれる。なる前は、40歳といえばもう立派な中年の仲間入りだなあとか、そんなことばかり考えていて、もう開き直りというか諦観というかそういう気持ちになるのかな、とか思っていた。

 実際になってみると、相変わらず人生は楽ではないが、これからの展開が楽しみになるというか、まだやっていない様々なことに対する意欲が増々強くなる一方、確実に迫りくる年齢的な限界が意識されて、ある種の焦りというか急がねばという想いがどことなく感じられる。要はまだまだ未熟であるということであって、とても開き直れるような気分ではないようだ。偶然、近所を歩いていて新築住宅のモデルルームを内覧した。家を買うのは経済的には厳しいと思う一方で、「生活の基盤」ということが意識された体験だった。基盤という言葉の意味するものは、仕事だったりパートナーであったりおカネだったりと様々だが、住居というのはやはりその一つにあたる様な気がした。これが贅沢な話になってしまう国はやはり不幸である。

 音楽については、これからもいままでとあまり変わらないと思う。深さも広さもまだまだだが、やり方だけはともかく自分にとってそれなりのものになっているということなのか。やはり自分には音楽だ、これは変わりそうにない。今回は音楽ネタに戻って、40歳になって最初に購入したCDをとりあげようと思う。昨日はじめて聴いて強い感銘を受けた作品だ。作品のタイトルは「わたづみどう<ほっちく>」と読み、ジャンルはいわゆる「純邦楽」である。

 この海童道宗祖(のちに海童道祖となる)という方は大変な人である。いわゆる禅の道における尺八演奏の名実共に頂点に達していながら、伝統に安住するよりもさらなる探求を選び、自らその地位を辞して新たな道を創り進んだのである。その新しい道が「海童道」というものである。その心は有でもなく無でもなく云々となるのだが、詳しくは彼について書かれたものや、彼自身の言葉を綴ったものを参照していただくとしていただきたい。

 参考までに、先のろぐでも触れた作曲家の武満徹の対談集「ひとつの音に世界を聴く」(晶文社)に、海童道宗祖と武満そしてジョン=ケージによる鼎談が収録されていて、僕はここで彼の考え方の一端に触れた。この鼎談は40年近く前に行われたものだが、音楽という観点よりも生き方という意味で、現代の僕たちに対して非常に重要な深い示唆を与えてくれている内容だと思う。興味のある方は是非とも読んでいただきたい。言葉と同時に発せられる鮮烈なインスピレーションが強烈だ。一カ所だけ引用しておく。

「伝統という言葉は怪物で、これはいやな言葉です。なんでも伝統という言葉でごまかし、それで生きている人が多いのには驚かされてしまいます。伝統ということでなく、現実に見て、現実に聞いて、そこから精進がはじまらなければウソだと思うのです。また批評家の批評を聞いてみてもおかしいのです。自分ではなにも修行しない人が、他人の批評だけはびしびしやる。これも間違いです。経験せずして他の経験がわかるはずはないのです。」


 海童道における楽器を意味する「法竹」(のちには単に道具と呼ばれるようになる)という考え方もユニークである。法竹は楽器ではないという意味は、それが何か特別なものではなく、自然に存在するそのままの竹であるという意味で、実際、ここで彼が演奏(これも吹定(すいじょう)という)しているのは、物干竿を切ったものや、傍に捨てられていた竹を適当な長さに切って、適当に穴をあけただけのものらしい。それも尺八のように楽器職人が作ったとなると、誰のそして何のための芸術かが不明確になるので、その辺の子供にやらせたりしている。彼はこのような法竹を、何百と持っており、そのときの思いや表現に応じて使い分けているようだ。

 実際に演奏を聴いてみて、先ずこのことに一番驚かされる。これが特別になんの調整もしていない竹筒を吹いて出る演奏なのか。彼の言いたいことの一つはそれだろう。人は常に安全牌をはっている。生業の至らぬところを、他人だったり道具だったりと他の何かの所為にする。彼はそれを明確に否定している。逆に至らぬもの不完全なものの良さを引き出しているようにさえ思えるのだ。そのために、つまりただの竹筒を鳴らすために、彼が体得した業はなみなみならぬものがあるはずだ。

 このCDを探すのに、都内の大きなCD屋さん数件を歩いてみたが、純邦楽という領域がおかれている状況は極端に厳しいといわざるを得ない。それは、単に売り場が小さいあるいはほとんどないということだけでなく、かろうじて売られている内容に、この領域の将来が感じられないことである。僕自身、伝統ということはあまり好きではない。それでも今回の作品の様な歴史上の重要記録を次の世代に伝え、新しい発展の礎にすることは必要なはずなのだが、売り場に並んでいる内容にはそれが感じられない、これはなぜなのか。しかもそれは決して売り場の責任だけではないように思えた。そのことはある意味、現代音楽やフリージャズよりも深刻な事態であると感じた。

 このCDは、1968年発売のLPレコードをCD化したもので、2000年に発売され即座に完売となったらしい。それが2003年に1000部限定で再発され、現在そのデッドストックが一部の専門店中心に流通している。そのためなかなか入手は難しいが、それでも9/24時点では都内のディスクユニオン(僕が見たのは渋谷ジャズ館)でまだ見かけた。地方の方は同社の通信販売でも入手できるようなので、お早めに。

 今回、本作と同時に、日本の現代尺八を牽引する人でこの海童道宗祖にも師事した、尺八演奏家の横山勝也のCDも購入したのだが。これはかつて日本のレコード会社がLP化したものを、ドイツの現代音楽レーベルWERGO社が販売権を買い取り、CD化したものだった。もちろん内容は素晴らしいものであり、尺八の歴史上極めて重要な作品となるはずなのだが、国内での販売権を所有するレコード会社から、CD化される話はないようだ。寂しいことである。昨今のコマーシャルな邦楽ブーム(東儀秀樹や吉田兄弟など)は、一過性の部分ではすでに終息したようだが、その中に何か確実な芽生えがあることを願いたい。

 なかなかいいタイミングで、素晴らしい作品に出会うことができた。

「尺八を越えて」 尺八吹奏研究会インターネット会報に掲載された海童道宗祖自身の寄稿
アンドレイ=タルコフスキー「サクリファイス」 シアターイメージフォーラムで開催されたタルコフスキー映画祭での作品紹介、悩める主人公が海童道宗祖の演奏レコードに陶酔することで有名

9/22/2004

散歩〜川崎市川崎区(多摩川→浮島)

 前回のろぐで現代音楽のクセナキスを取り上げたからか、ここ最近は聴きものが多様化している。クセナキスの他の作品だったり、武満徹だったり、キ−ス=ジャレットだったりと、音楽を聴く量的な時間だけは相変わらず同じなのだが、今日のあるいは今週の1枚となるとなかなか焦点の定まらぬ1週間だった。そこで今回は、えぬろぐのいまひとつのテーマである「散歩」をメインに書いてみようと思う。

 子供の頃から歩くのが好きだった。小学校の頃、父の勤める会社の社宅集落だった家から、学校までは少し距離があり、子供の足で30分以上は十分かかる距離を通学で毎日歩いていた。ミカン山経由とか漁港経由とか寄り道の方法はいろいろあった。親父は車を持っていなかったから、どこかに連れて行ってもらうのはいつも自転車だった。幼稚園までは親父の自転車に相乗りだったが、やがてそれは自力で漕ぐ自転車に変わった。連れて行ってもらうといっても、親父の役割は水先案内とセキュリティであって、動力については自己責任になっていた。いま思えば、日曜日の朝に出かけて、途中父の実家に立ち寄ってお昼をご馳走になって、そこからさらに遠くに出かけて、家についたら夕方午後6時を回っていたなどということがよくあった。相当疲れはしたはずなのだが、それでも自転車で2時間以上もかけて遠くまで出かけるのが楽しかった。

 中学に入って、友達と当たり前のように同じコースを自転車で遊び走って帰って来たら、話を聞いた友達の親が学校に連絡し、学校で呼び出しを受けて先生から「そんなところまで自転車行くなんて非常識!」と怒られたこともあった。考えてみたら、和歌山の田舎町で校区を5つも6つも渡り歩いた先が行き先だった。僕らを叱ったその先生はその町から自動車で30分かけて通勤していたのだから、まあそれを自転車でと考えると非常識というのも仕方ないかもしれない。

 高校に入って、電車通学をする様になっても、同じ中学出身の友達と自転車で高校まで1時間以上かけて行ってみたこともあった。山奥のエリアから通っている友達には毎日1時間半をかけて通っている友達もいて、その意味ではエリアの拡大は成長の証だったのかもしれない。3年生になる前に僕はさらに遠いところに引っ越したが、やっぱりこの「電車で行くところを自転車で」という欲求は抑えがたく、2、3度独りで片道2時間近い自転車通学を試みた。1度目は「受験を控えて事故でもしたらどうするんだ」と親から怒られ、2度目は夏休み前の終業式の日で、昼過ぎに汗だくで帰宅した僕は、どうしても喉が渇いたので冷蔵庫のビールを飲んだらまた怒られた。
 
 大学時代になると音楽にのめり込む一方で、バイクに乗るようになって行動パターンはある意味人並みになったように思う。別の言い方をすれば、行動が音楽の探求にすり替わったといえるかもしれない。それはいまも続いているが、それでも歩き癖は時折どうしても抑えがたいものとなって身体に充満する。幸い、妻もそれに付き合ってくれるので、いまは2人で自宅を中心にいろいろなところへ散歩に出かけている。

 先の日曜日、2人で自宅のある川崎市中原区から、はじめて川崎市南部に位置する川崎区を本格的に歩いてみることにした。計画では川崎駅から多摩川沿いに河口に向かって歩き、余力があればそこからさらに工業埋立地である浮島に築かれた海釣り公園まで出かけようということになった。地図(1枚目2枚目3枚目)を見ていただければわかると思うが、川崎駅からは片道およそ10数キロの道のりである。

 川崎区は川崎市の東海道から南側を占める臨海工業地帯。同じ多摩川沿いでも、これまでに何度も歩いた田園調布から二子玉川に至る上流への道とはことなり、周辺は完全な港湾市街の下町情緒にあふれた景色、そしてその奥地に日本の高度成長の原動力となった京浜工業地帯が険しく存在する。川崎駅から歩いて多摩川沿岸に出て真っ先に僕らを迎えてくれたのは、パンツ一丁で日光浴を楽しむ入れ墨だらけの親父だった。河口に向けてさらに進んでみると、夜のおかず目当てでハゼ釣りをする老夫婦、商売目的なのか干潟で貝を漁る不思議な一団など、ある意味僕が生まれ育った町を思い起こさせる風景が続く。対岸の羽田空港を離発着する航空機とのバランスが何ともいい感じだ。

 川の姿は徐々に流れから打ち寄せる波に変わり、空港を臨む葦の原の水辺にカモメなど水鳥の姿が見えて、波らしきものが打ち寄せているなあと思いはじめた河口付近(いすゞ自動車工場裏)で、突然道が途絶えてしまう。気がつくと背後には川崎区のメインエリアとも言える、京浜工業地帯の重厚な工場群がうなりをあげていた。ここでいったん川沿いにUターンし、殿町の交差点から3km先の浮島公園を目指す。

 ここからの道のりはひたすら一直線、道路は空中を走る2層の高速道路、そしてその両側に様々な工場群が立ち並ぶ。なかでも目を引くのが、ステンレス生産大手の日本冶金(やきん)工業の川崎製造所である。正直、この工場の眺めは圧巻の一言である。いろいろな構造の建築物を観てきたつもりだが、この建築物は一体なんなのか。その形相とここまでの疲れ、そして工場から流れてくる独特の臭気に圧倒されて、写真を撮るのを忘れてしまったのが悔やまれる。僕は金属精錬のことは全くわからないが、いったいなぜあの様な設備が作られたのか、その経緯と仕組みがどうしても知りたくなってしまった。

 ひたすらまっすぐの3kmの最後に、道路はぱっくりと口を開けた海底トンネルになる。この先は東京湾横断道路で自動車専用。そのすぐ隣にあるのが九州宮崎へのフェリー乗り場と浮島公園である。公園にはもう夕方だというのにたくさんの釣り客でにぎわっていた。帰りは最寄りの浮島バスターミナルから川崎駅までバスに乗って帰った。

 散歩コースとしてはこのうえないアヴァンギャルドであったのだが、日頃目にすることのない風景にいろいろなことを思い出したり、考えたりした。特に工場群を眺めていると、なんだか世の中は随分と小粒になったんだなと感じずにはいられなかった。「モノからコトの時代へ」とはよく言うが、あの工場の様なスケール感を持った「コト」を探し求めたい、そんな気がした。恐いもの見たさで興味を持たれた方は、是非とも一見していただきたい風景である。今度行くのはいつかわからないが、しっかりと写真に収めたいと思う。できれば工場見学をさせていただきたいところだが、無理でしょうか、日本冶金工業様。

 僕は40歳になった。
 
川崎区役所
日本冶金工業 残念ながら(?)とてもきれいなホームページで工場の写真はありません

おまけ

川崎側の多摩川最終地点から臨む東京湾と羽田空港



浮島にある花王株式会社川崎工場。なかなかモダンなコンプレックスでした。

9/13/2004

ヤニス=クセナキス「シナファイ」

  日中はまだ暑いこともあるが、朝晩はかなりすごしやすくなって来た。この2週間ほどの間に、はじめて出かけたところが2カ所ある。ひとつは六本木ヒルズ、そしてディズニーシーである。どちらも予想外に空いていて、なかなか楽しめた。そろそろ半袖シャツで通勤したりするのも終わりそうな、夏の終わりの体験だった。もう秋だ。暑くてなかなか手が伸びなかった音楽が、急に思い出されて聴きたくなってきたりする。

 今回のろぐは前回つながりで、またピアノの作品を取り上げようと思う。断っておくが、今回の作品は、前回書いた僕がピアノの扉を開くきっかけになったもう1枚の作品ではない。今回はいわゆる「現代音楽」の作品を取り上げてみようと思う。「現代音楽」はもちろん狭義の表現であって、いわゆるクラシック音楽の流れにおける「現代の音楽」という意味である。一般には20世紀以降の音楽をさすが、もう21世紀になっているし、そろそろ別の表現が必要だろう。やはり「20世紀の音楽」というのが一番適当だろう。それより細かいジャンル分けは、やりたい人がやれば良い。

 現代音楽を知らない人は「へえ、そんなもんまだあんの?」と思うかもしれないし、少し聴いたりしたことがある人は「ああ、あのわけのわからんやつでしょ」というのを耳にすることが多い。僕が以前にお会いしたあるポピュラーミュージック演奏家のマネージャは、類する表現としてそれを「自己満足の世界ですね」と言った。まあ感じ方は人それぞれだから仕方ないと思うが、僕にとっては非常に重要な音楽がそこには多く含まれているのだ。このろぐでも、少しずつその一部を紹介していきたいと考えている。

 ヤニス=クセナキスはギリシャの作曲家で、1922年に生まれ2001年に死んだ。彼の功績を簡単にまとめると、1950年代半ばに行き詰まりかけた現代音楽を再び解放し面白いものにしたことと、音楽の作曲や演奏に空間や数学的考え方を積極的に導入してこれまた面白いものにしたこと、などがあげられる。彼は、建築家でもあり数学者でもあった。いかにもギリシャ人らしい多才である。

 今回ご紹介する「シナファイ」は、クセナキスが1969年に書いたピアノとオーケストラのための作品である。まあ言ってしまえばピアノ協奏曲の一種である。この作品は1,2年前に日本でもちょっと有名になった。というのも、朝のテレビ番組か何かで「弾くのが一番難しい音楽」という触れ込みで紹介されたかららしい。

 この作品の何がそんなに話題になるのかといえば、ピアノパートの楽譜が10段あるとか(楽譜の一部をこちらで見ることができます)、日本での初演時、あまりに過激な演奏にピアニストの爪が割れて流血のリサイタルになったとか、ともかくそういうことで「すごい音楽!」というイメージが先行したようで、おかげであるCD販売サイトでは、それに乗っかったサイトプロモーションの効果も相まって、この手のものとしては異例の400枚近い受注が入ったというから、驚きである。まあ話題になるきっかけとしては悪くないが、それ自体は音楽の本質とはあまり関係がないだろう。

 僕は現代音楽は好きだし、なかでもクセナキスの音楽はかなり好きである。現代音楽について「あんな不安定な音楽の一体どこがいいのか」ということを聞かれることもあるが、不安定かどうかはあくまでも主観的な問題だし、それが音楽の良し悪しと関係するとも思わない。もっと極端には「そんなの普通の人は誰も聴いていないじゃないか」という意見もよく耳にするが、決してそんなことはないと思うし、大体、普通の人ということ自体が僕にとってはあまり意味がないのだ。

 この「シナファイ」は、そのなかでも彼の作品の性格を非常によく表しているものだと思う。とにかくこれが人の手により作曲され、それがピアノとオーケストラを含めすべて人の手により演奏されているということ自体が、もはや芸術なのである。同じ音階付近で行われるピアノの高速連打が、緻密な構築物を思わせる。そしてその背後で様々な曲線で空間を描くオーケストラ。弦楽器、管楽器、打楽器そしてピアノがとても効果的に混じり合う様が見事である。これが一番演奏が難しい曲かどうかとは無関係に、この作品は20世紀を代表するピアノ音楽であることは間違いない。

 僕の愛読書で、作曲家の武満徹が現代における音楽の世界の偉人たちと行った対談を収めた著作「すべての因襲から逃れるために」(音楽の友社)の中に、クセナキスとの対談がある。その末尾で武満がクセナキスについて書いている一文が素晴らしいので引用させていただく。
ヤニス・クセナキスは作曲家であると同時に、建築家でもあり、また数学者としても著名である。かれの音楽は実に知的に組みたてられているのだが、それはけっして冷たい印象を与えない。かれの方法は、かれの内実と深く関わるものであり、たんなる数的操作として自己完結してしまうものではない。でなければ、あのように激しい火のように燃える感情を、私たちは、かれの音楽から聴くことは無い筈だ。

 前回のろぐでは僕のピアノに対するイメージについて少し書いた。実はキース=ジャレットについて書く以上に、ピアノに対するああいった考えを果たして書いてしまっていいものかどうか、少し迷っていた。アップしてしまった後で、珍しく自分で何度かアクセスして読み返してしまった。結局、ろぐを修正することはなかったが、書いておきながら妙に後々気になった文章だった。

評論家木下健一氏による本盤に関連情報 ピアノ演奏家大井浩明氏のインタビュー等があります
本番発売時の国内各誌掲載のCD評一覧
Score Galleryに掲載のシナファイ楽譜(一部)
Timpani Records

9/05/2004

キース=ジャレット トリオ「スタンダーズ ライブ」

  僕が大学生になってジャズを聴き始めることで、本格的に音楽にのめり込むにつれ、ピアノやキーボードといった鍵盤楽器による音楽から次第に遠ざかるようになった。ピアノよりはサックスやギターを中心にした音楽を好んだ。もちろんビル=エバンスをはじめとする代表的なジャズピアノの作品は持っていたし、熱心に聴かなかったわけではない。でも、僕が30歳を過ぎる頃までの約10年の間、僕は鍵盤楽器の演奏に対して消極的な姿勢をとり続けた。そのことは、ピアノレス編成のジャズユニットや、ギターやチェロなどのソロ演奏、そしてフリージャズ、民族音楽、現代音楽、テクノミュージックという、その後、僕が体験する様々な音楽の道を進む礎となったように思える。だからもちろんそのことを後悔してはいない。

 鍵盤音楽から遠ざかった理由を説明するのは簡単ではない。ジャズに限らず、ある時期からピアノという楽器に対してある種、画一的なイメージを抱くようになっていたように思う。もちろんそれは大きな誤解であり偏見でもあったわけだが、それはピアノを中心とした音楽を聴くことで形成されたイメージというよりは、いま考えてみれば、僕が身近で経験したピアノやキーボードの演奏から作られたイメージだったように思える。誤解を恐れずに言えば、僕の身の回りで聴かれたピアノやキーボードの演奏の多くが、上手なのにどこか個性に欠け、音楽を画一的でありふれたものにしようとしていると感じていた。その所為でというのは、ちょっとフェアでない気もするのだが、ピアノ演奏のCDを聴いても同じように画一的な偏見を抱くようになってしまったのだろう。

 ある時期、音楽に関係のある領域で仕事をしたことがあった。そのとき、複数の音楽を職業にしている人から、日本の音楽教育における問題についてお話を聞く機会があった。彼らの話には共通したある種の批判があり、なかには日本を代表するある楽器メーカをはっきりと名指しで非難する人もいた。詳しい内容はここには書かないが、それは僕にとってもある意味で納得のできるお話だった。日本で鍵盤楽器を演奏する人の多くが、非常に似通ったシステムのもとで音楽教育を受け、その結果、音楽演奏に自ら親しむ人口が増えた一方で、課題解決的な教育が音楽演奏において大切なイマジネーションや様々な感性が貧弱なまま、演奏技能だけを向上させる(そのこと自体が目標となったといってもいいかもしれない)方向に、演奏家の分布を作り出したというのである。そのことが、聴く音楽にも影響を与えていると考えるのも難くはない。

 それでも真実は自ずから明らかにとばかりに、やがて30歳を過ぎた僕にも、ピアノの魅力に開眼させてくれる作品が現れた。その作品は2つあり、その1つが今回の作品である。(もう1つについてはまたいずれ書くことがあるだろうと思う)

 僕は、この作品を発売されたばかりの大学生の頃に購入した。もちろん最初に聴いた時から、なかなか気に入っていた作品である。ピアノに消極的だといいながらも、これはいくつかの他のピアノトリオ作品とともにふと思い出しては聴いていたのである。そうした積み重ねが十数年を経たある時、僕がいつものように仕事帰りに独りでビールを飲みながらこのCDを聴いていると、僕の前に閉じたままになっていたピアノ音楽への扉が、遅まきながら突然開いたのである。その時にどんなことが起こったのかは言葉にできない。ただ、ここでの演奏にいままで自分のなかでつかえていた、ピアノという楽器の豊かな表現力にはじめて出会えた様な、そんな思いがしたのだ。その日は朝までこのCDを連奏したのは言うまでもない。

 収録されている6曲すべてがベストテイク。いずれも聴き逃せない、まさに「奇跡の瞬間」の連続である。キースのソロはそのほとんどが単音で展開する。ピアノ以外の楽器でコピーすることもできなくはないだろうが、この演奏はそんなことが無意味と思えるほど、ピアノでなければ表現することができない音楽に溢れているように思う。キース自身もいつもながらに演奏しながら歌っているのだが、ここでの様はただならぬ雰囲気になっている。そしてそれに応える様な、ディジョネットのドラム演奏もまたピアノの繊細さとドラム本来の力強さに満ち、要するにキースのピアノを中心にして3人全員で「うたっている」というのがこの演奏の魅力なのだ。ここまでの域に達していると感じられる音楽演奏の記録は、なかなかあるものではない。

 キース=ジャレットはこのトリオ編成でもう20年以上活動しており、これまでに16,7点のCDをリリースしている。僕も大学生の頃だった1987年と、社会人になり結婚もした後の2001年の来日公演を観た。演奏のスタイルはかなり異なっていたが、どちらも素晴らしいステージだった。それでもこのCDの演奏はまた格別なのである。いろいろなCDを持っているけど、どのCDを一番よく聴いたかと聞かれれば、間違いなくこの作品をよく聴いた、これは間違いない。おそらく数百回といっても大げさではないはずだ。

 その、キース=ジャレットの新作「ジ アウト オブ タウナーズ」が最近発売になった。僕も早速購入していま聴いているところである。僕は彼らの作品はどうしてもすぐに今回の「スタンダーズ ライブ」と比較してしまい、正直これまで発売された他の作品には、これを上回るという実感がない。例外は、僕が観た2001年の東京公演を収録した「オールウェイズ レット ミー ゴー」であるが、これは2枚組の全編がインプロヴィゼーションとなっていて、発売元のECMでも、キース=ジャレットのリーダ作品としてではなく、3人のリーダ作としていることから、ちょっと次元の違う作品と考えるべきだろう。「ジ アウト オブ タウナーズ」はまだ数回しか聴けていないが、なかなかいい線を行っているという予感はある。

 本当のお気に入りについて書くのはなかなか難しい。いつもはあまりこだわらずに軽い気持ちでさらさらと書いてるのだが、今回は少し力が入ってしまい、アップするのに時間がかかってしまった。結果的にはいつもとあまりかわり映えしないのが情けない。ともかく、今回の作品はできるだけ多くの人に聴いていただきたいと切に願う作品であります。

ECM Records
Keith Jarrett.net

8/29/2004

トニー=ウィリアムス ライフタイム「ビリーヴ イット」

  会社の出張で関西方面に出かけた。出張先は奈良県生駒市の山中に開かれた学研都市にある。朝4時半に起床して自宅を出発し、なんとか会議開始の10時には間に合った。ちょうど金曜日だったので、その日はそこから神戸に向かった。奈良から大阪に向かう近鉄奈良線の車窓から見下ろされる大阪の夜景がとてもきれいで、ふと銀河鉄道とはこんな感じなのかもしれないと思った。

 久しぶりに訪れた神戸の街は、3年ほど前に比較すれば賑わいが戻っていて、ジャズの生演奏が流れるオープンカフェの前を通り過ぎて、ちょうど慌ただしく出勤するホステスさんの姿が目立つ時間となった歓楽街へと向かう。神戸には事前に宿を確保してあり、大学時代からの付き合いになる音楽仲間達と、三宮駅北側の加納町にあるジャズバー「Y's Road」で夜遅くまで飲んだ。皆それぞれに疲れを抱えているようだったが、集まって音楽の話をするうちに屈託のない昔の雰囲気に還ることができた。マスターも3年前には客足が途絶えて、「仕事探そかなあ」と悲しいセリフをもらしていて心配していたのだが、この日はカウンター(といっても狭いのだが)はちゃんとお客さんで埋まっていてにぎやかであった。ときおりライブ演奏もやっているらしい。来月には近くに条件のいい話があったのでと、お店を移転することになっているとのことだった。ともかく先行きやってゆくことがあるのはハッピーなことである。

 帰る前に、大阪にも少しだけ立ち寄って梅田近辺を歩いてみた。前の日、朝が早かったことや、会議が予定より長引いてしまったり、移動が案外大変だったこともあって、かなり疲れてしまってはいた。それでも、自分が学生時代を過ごした街を歩いてみるのはいいものだ。神戸も大阪も表面的には東京や横浜と同じ様な店が目立つが、少し踏み込んでみるとやはり「らしさ」はそのままである。お店は相対的に関西の方がいい、僕はいまでもどこかでそう思っている。

 さて、前回のろぐの最後にお約束した通り、先週末に観劇前の渋谷で購入したCDを1枚紹介する。トニー=ウィリアムスはまさにグレートなジャズドラマー。マイルス=デイビスの黄金のクインテットといわれる時代を支えた人物としてジャズファンの間では知らない人はいない。圧倒的なパワー、そして繊細で多彩なリズム表現を駆使して、ジャズの枠を超えて新しいドラム演奏のスタイルを創り上げた。彼は音楽的には伝統より革新を重視し、マイルスグループでの活動に並行して、同世代のミュージシャンたちとさらに新しいジャズに取組んでいた。その多くは1960年代のブルーノート4000番台と呼ばれる作品群に遺されている。そのあたりの作品については、いずれまた取り上げる機会があることと思う。

 トニーが1969年にマイルスのグループを離れた時、マイルスは既にエレクトリックやロックに対する関心を強めていたわけだが、トニー自身もまたロックに対する関心はマイルス以上に強かった。彼はしばらくして「ライフタイム」というユニットを結成する。メンバーはギターのジョン=マクラフリン、オルガンのラリー=ヤングという編成だった。お気づきのように、ジャズの象徴ともいえるホーン(トランペットやサックス)と決別し、ロックを象徴するエレキギターそしてキーボードがメインになっている。そしてリズムは4ビートから8ビート、そして16ビートへと変化してゆく。いわゆる「フュージョンミュージック」の具体的な形に向けて音楽が動き始めていた。

 この「ビリーヴ イット」は1975年の作品。ジャケットには「The New Tony Williams Lifetime」とある。メンバーは一新され、エレクトリックピアノのアラン=パスクァ、エレキベースのトニー=ニュートン、そしてイギリス出身のエレキギターのアラン=ホールズワースという布陣だった。このアルバムでは、いわゆるフュージョンの原型とも言える音楽が展開されているが、内容はこれ以降に出た軟弱なフュージョンとはとても比較にならない。目玉は「2人のアラン」の華麗なソロ演奏、そして「2人のトニー」による超強力なパワー(これに匹敵するリズムと言えばレッド ツェッペリンぐらいか?)、そしてバンドとしての一体感だ。フュージョンというより「ジャズロック」とでもいうべきものだろう。今回が初CD化というのも驚きである。

 最初にヘッドセットで聴いた時は、正直、ああフュージョンだなあ、似た様な曲ばっかだなあとか感じた。しかし家に帰ってステレオで聴いているうちに、不思議ともう一回聴いてみようかなと思うようになり、グイグイとその世界に惹き込まれていった。一説にはバンド加入脱退記録の金メダリストと言われるホールズワースの唯我独尊的な超絶技巧ソロ、それに負けじと応えるパスクァ、そして時折突拍子もないフィルインをカマすトニー。ライブ感に溢れ、曲を追うごとに凄みを増すかのような演奏に、僕自身もなにか自分でもよくわからない「あの頃」に飛んでいくような気がした。

 大学の頃、僕もフュージョンに興味をもってCDを聴いたり、仲間と演奏をしたこともあった。だけど、僕はどうしてもあの軟弱な雰囲気がイマイチ好きになれなかった。いま考えてみると、その頃に蔓延したフュージョンは、トニー等が創り上げた音楽スタイルのうえで、単に技巧やアレンジを楽しんでいただけのように思える。そこにはそれがどこからやってきた誰の音楽で、これからどこに向かおうとしているのか、そういうものが何も感じられないようだった。

 このライフタイムの演奏からは「どうだい、これが俺たちの考えるイマの音楽さ」という彼らの4人の言葉がはっきりと聞き取れる。繰り返し聴くうちににじみ出てきた時代を超えて生き残る作品の本質だった。それは音楽を創りだす者にとっての本当にあるべき姿だと思うし、僕自身が聴いている音楽に求めているものなのだなということを、あらためて気付かせてくれたように感じた。とてもすぐにできることではないが、演奏についてもそうありたいと思う。

 大阪から帰ってくる新幹線の中でもこれを聴いていた。品川の駅に降り立ってみると、Tシャツ一枚では寒いくらいの気候になっていた。関西に向けて発っていく新幹線を見ながら、また近いうちに大阪や神戸を訪れたいと感じると同時に、やはり自分でも音楽を演奏したいと強く感じていた。

Tony Williams(Drum World) 名ドラマーを一堂に集めた情報アーカイブにあるトニーのコーナーです。この凄まじい演奏を是非とも目と耳で!(要Quicktime)
The Unofficial Allan Holdsworth Web Site 熱烈なホールズワースファンによる充実のサイト。神の手が迫る!
近鉄ホームページ
神戸市

8/22/2004

宮藤官九郎/河原雅彦「鈍獣」

  今回は音楽の話はお休みである。その代わりと言っては何だが、渋谷のパルコ劇場で舞台劇を鑑賞したのでそれについて少しばかり書いておこうと思う。

 演劇と言えば、小学校から高校生までの間には、何年かに1回の割合で観る機会があった。もちろん授業の一環であって、テーマは戦争だったり同和問題だったりした。大学時代になると、学園祭で演劇部のアングラ劇などの上演もあったようだが、ともかく母校の学園祭には一度も顔を出したことがないので、そういうものを観る機会はなかった。就職して上京すると、ちょうど東京は小劇場ブームの真最中で、カルチャー誌には必ずと言っていいほど何らかの演劇のレビューが載っていたのは知っていた。しかし根っからの音楽マニアがそんなものに興味を示すわけもなく、結局、こちらに来てもただの一度も演劇を観る機会などなかったのだ。

 3年前、仕事の関係である異業種交流会の様な勉強会にメンバーとして、半年間ほど参加することになった。この勉強会は、あるCMプロデューサが企業人を集めてプロデュースとは何かを伝授するというもので、毎回、世の中ではかなり名を知られたいろいろな分野の講師がやってきて、ご講義を拝聴し、討議を行うと言うものだった。その中で、つかこうへい氏の「新・幕末純情伝」という作品を観覧する機会に恵まれた。この時は内田有紀がヒロインを務めており、僕はほとんどその程度のミーハ根性で出かけた(というより受講した)わけだが、意外にも舞台の世界に引き込まれてしまい、なかなか悪くないものなのだなと感じた。それでも、それ以降自分で切符を買い求めて舞台を観る機会はやはりなかった。

 今回の「鈍獣」は、JR武蔵溝ノ口駅近くにある、和歌山ラーメンのお店「まっち棒(MATCH-BO)」に2ヶ月ほど前に入ったことがきっかけだった。このお店は、店長の趣味なのかはたまた心の本業なのか、カウンターに演劇やライブのチラシがよく貼ってあり、その日僕がたまたま座った席の目の前に、この芝居のチラシが貼ってあったのだ。僕の目には暑苦しい3人の男優(生瀬勝久、池田成志、古田新太)となかなか魅力的な3人の女優(西田尚美、乙葉、野波麻帆)を対比したそのチラシにしばらく留り、その内容に興味を持ったのである。

 宮藤官九郎の名前は、聞いたことはあってもそれが誰なのかほとんど知らなかった。この作品の告知ホームページを妻に見せて、それがいま非常に人気のある劇作家なのだと知る。後に映画「世界の中心で愛を叫ぶ」に脇役で出演していることなども知った。妻は宮藤作品ということもあって興味をもったが「人気あるからチケットはとれないんじゃないの」と言った。東京公演だけで26回もあるのだから、まあ何とかなるんじゃないのと思っていた僕だったが、それは甘かったようで、一般発売前にほとんどが売り切れという状況。もちろん確保することはできなかった。

 仕方ないなと、諦めていた先月の半ば、さきの勉強会の同窓会の様なものがあり、そこのメンバーに今回の鈍獣をプロデュースする会社の偉い方がいた。これも何かの縁かと冗談半分にその話を彼にすると、「あっ、そうなの」と言われて、しばらくしてチケットが2枚僕の家に送られてきたのである。こういうものはこういうもんだ、とわけのわからないような納得を無理無理しながら、昨日の東京ラス前公演を観ることができた。会場はもちろん満席で、年齢層は20〜30代が中心、女性の姿が目立った。客席では女優の奥菜恵さんとその夫の姿を見かけた。

  まだ地方公演もあるし、いずれテレビでも放映されるようなので、ストーリ等については書かない。ストーリ構成は、タランティーノの映画「パルプ・フィクション」を思わせるもので、なかなか憎いものだったとだけ書いておこう。ともかく、今回の観劇体験は僕にとってはなかなかのインパクトがあった。役者の個性、ストーリ、演技、笑い、テンポ、演出、舞台装置などいろいろなところで感心させられた。やはり目の前のステージで生身の人間が行うパフォーマンスの素晴らしさ、それがあらためて僕を新鮮な気分にしてくれた。考えてみれば、あまり好ましいことではないのかもしれない。やはり何事も感動の本質は生、ライブである。

 ということで、また新しいものをひとつ体験することができた週末であった。

 なお公演前に、渋谷でCD屋さん巡りを行い、また3枚ほど面白いものを仕入れたので、次回は再び音楽に戻ってそのどれかについて書いてみたいと思っている。

鈍獣 公式サイト
大人計画
西田尚美公式頁
otoha.tv 乙葉公式サイト
野波麻帆
MATCH-BO

8/15/2004

エマーソン・レイク・アンド・パーマ「恐怖の頭脳改革」

  先月初め頃からというもの、本当によくビールを飲んでいる。東京では、真夏日が40日間続いてきたが、今日は一転して急に涼しい一日になり、午前中の雨降りを除けば、エアコンなしでも十分過ぎるくらい快適な日曜日だった。アテネではオリンピックも開幕し、相変わらず派手な開会式だなと感じたが、「オリンピックの原点に帰る」という意図はなかなか上手く表現されているように感じられた。開けて翌日にはさっそく2つの金メダルが日本にもたらされた。今朝起きてテレビをつけたら決まっていたという感じでも、やはりうれしいものである。

 さて、ここしばらくジャズの作品をとりあげてきたが、今回は少し趣向を変えて久しぶりにロックをとりあげようと思う。「原点に帰る」というわけではないのだが、僕が音楽にのめり込み始める小学校5,6年生の頃に和歌山の田舎町で聴いていた音楽だ。通称ELPと略されるこのグループの名前は、バンドメンバー3人のファミリーネームを並べたもの。キース=エマーソン、グレッグ=レイクそしてカール=パーマの3人である。

 ビートルズの出現を境にロックは1970年代までには急速に音楽の主流となっていった。そしてそれはさらに多くのジャンルに分かれていくことになる。その中に、このELPを含め、ピンクフロイド、イエス、キングクリムゾンなどに代表される「プログレシヴ・ロック」(通称プログレ)というジャンルがある。そのまま訳せば進歩的ロックということになる。8ビートのロックをベースに、クラシックやジャズなど様々な音楽のエッセンスを融合すること、エレキギター以外に様々な楽器を使ってサウンドに変化と広がりを追求すること、そして多くは美学的あるいは社会的なテーマの歌詞を含んでいること、といった点がこのジャンルの特色である。音色面では、以前に冨田勳についてのろぐでもふれた、シンセサイザーの起用が大きなポイントだった。

 僕がELPをはじめて聴いたのは「展覧会の絵」というアルバムだった。これは有名なクラシックの組曲をアレンジした大作で、そのことが先ず作品の大きな聴き所となっている。しかし、何度も聴いていくうちに僕の耳は、多くのELPフリークと同様に、キース=エマーソンという人の見事なキーボード演奏に魅せられていった。もちろん魅惑のシンセサイザーもフィーチャーされているのだが、彼が長年引き続けたハモンドオルガンの奥深さも特に素晴らしいと感じたものだ。いま考えてみると、随分と音楽的には早熟だったと思う。

 ELPには再結成も含めて大きく3つの活動期があるが、やはり1971〜1974年にライブアルバム含む6枚の作品をリリースした最初の活動期において、その魅力を存分に出し切ったと言っても過言ではないだろう。この作品「恐怖の頭脳改革」はその最後にあたる作品で、ここでは多重録音や当時まだ珍しかったポリフォニックシンセサイザー(要するに和音が出せるシンセサイザー、当時はまだなかったのです)、またシンセドラムなどが駆使され、異常なまでに高まっていたメンバーの(特にエマーソンの)作曲に対するインスピレーションも相まって、それまでの4つのアルバムを遥かに凌ぐ壮大な音楽が展開されている。

 ちょうど近所で仲の良かった友達が、僕の家に遊びにきて音楽を一緒に聴いたりしているうちに、やはりこのELPにカブレてしまい、彼がお小遣いで購入したLPレコードを、僕の家のステレオで聴こうとやってきたのが、僕のこの作品との出会いだった。僕はその際に録音させてもらったカセットテープを、それこそ何百回と聴いたものだ。つい最近久しぶりにCDで聴いてみたが、あれから20年以上経ったいまでも、作品の細部にわたるまですべて記憶している自分の耳が恐ろしかった。

 1曲目の十字軍をテーマにした「聖地エルサレム」がもう既に神々しい。レイクのクリアなヴォーカルにエマーソンの重厚なハモンドオルガン、そして後半には見事なシンセサイザーによるオブリガート、たった3分にも満たない作品なのに、もう圧倒的なスケールと密度である。この歌は内容的に一種の軍歌であり、いまこのご時世にこんな作品をリリースしたら確実に大きな物議をかもすであろう、その意味ではやはり古き良き時代である。そして、南米の現代音楽家ヒネステラの作品に取組んだ「トッカータ」ではパーマが大きくフィーチャーされ、シンセドラムのソロ演奏パートは、その後いろいろな映像や舞台の演出でお目にかかることになった。レイクのバラード「スティル・ユー・ターン・ミー・オン」、エマーソンのホンキートンクピアノ(意図的に調律を少し狂わせたピアノ)が楽しい「詐欺師ベニー」という小品2曲を挟んで、いよいよ本作のハイライト(おそらくはELPの最重要曲でもある)「悪の教典#9」になる。この作品は3つのパートからなる30分近い組曲で、このグループが完全燃焼した恐るべき成果が記録されている。これはもう文字では表現しようのない素晴らしさなので、気になる人はぜひとも作品を聴いていただきたい(それなりの集中力が必要です)。

 後にラジオのインタビューに応えたエマーソン氏が、この頃のことを振返って「あるアイデアから次のアイデアに移ってしまうのが少々速すぎた」みたいなことを語っていた。この作品のリリース後、大掛かりなツアーも成功させたELPは、2年間活動を休止し、新たな出発となった次の作品からは、各自のソロを充実させる一方で、グループとしてはオーケストラとの共演でさらなるスケールアップを図った。確かにサウンドはよく練られたものになっていて、それはそれで素晴らしいものだったが、グループとしては長続きはしなかった。やはり理屈抜きにがむしゃらに突き進んだあの時期が、本人たちも音楽的に一番充実していたのではないだろうか。大きなことを成し遂げようとして関わる人が増え、マネジメントやらの問題が絡んでくると、人間本来の勢いは不思議と精気を失うように思える。

 いま聴いてみると、彼らの音楽にはジャズやクラシック、特に20世紀の現代音楽のエッセンスをかなりしっかり取り込んで、自分たちのオリジナリティを創り上げていることがわかる。こういう音楽ができる人は、この先そうそう出てくるものではないだろう。1970年代というロックにとっては短い黄金期に遺された貴重な財産だろう。まだ子供ではあったが、その時期に同じ時代の人間としてこの音楽を体験することができたことは、やはり僕自身には貴重な体験だったと思う。

 プログレは様々な音楽がミックスされていることから、パンチのあるストレートさはないが、ハマる人には深いところでその虜になってしまう。僕はその後プログレ体験が中学2年頃まで続き、楽器演奏に興味を持ち始めた後は、フュージョンやジャズに足を踏み入れ、さらに様々な音楽に興味を拡げることができた。一方、その友人はその後もエマーソンフリークであることを続け、自らピアノを独学で学んで、シンセサイザーやハモンドオルガンを購入して演奏に取組む一方、聴く方では海賊盤収集に飽き足らず、テープのフリートレードなどにも手を染めて、日本ではちょっと有名なELP系プログレコレクターになった。いまは札幌で歯科医をしており、最近は愛する娘さんのピアノレッスンに熱をあげて、ご自宅にグランドピアノを買おうかと頭を悩ませているそうだ。

 短いお盆休みに、久々に自分の音楽体験の原点にあたる作品に触れてみて、やはりまた当時と同じ熱さがこみ上げて来た。こういう原点回帰ならたまにやってみるのも悪くはない。今度、この作品を同じように聴く機会はあるのだろうか。それはたぶんあるだろうと思う。

The Official ELP Global Web Site 公式サイト
ELP Digest 個人ファンサイト

おまけ:週末に鎌倉に出かけて山の中のハイキングコースを散策した。その折に見かけた竹林の写真です。

8/08/2004

アンリ=テキシェ「モザイク マン」

  土曜日に川崎の自宅から横浜桜木町までを歩いてみた。午前11時過ぎに家を出て、国道1号線に出るまでが45分、そこから国道沿いに歩くこと2時間、横浜みなとみらい地区の真ん中にあるショッピングモールの中華レストランにたどり着いたのは、午後2時半頃だった。自宅からここまで約20km弱。途中、コンビニで水分を補給すること2回、天候は薄曇りでちょうどよい歩き日和だった。大きな国道沿いに歩くのは、距離が短くて済むし、しっかりした歩道があるので効率的なのだが、行き交う自動車に並んで歩くのはそこそこのストレスを感じるもので、意外に疲れる。それでも、目的地に着いて飲んだビールはこのうえなく旨かった。

 その後、海沿いの公園でのんびりと横浜港を眺めながら時間を過ごした。静かな入り江では時折ボラが水面に跳ね上がった。近くに作られた野外ステージでは、矢井田瞳のコンサートの準備が行われていた。そのすぐ近くのヘリポートからは遊覧飛行のヘリコプターがひっきりなしに離着陸を繰り返す。パシフィコ横浜のホールでは、コミックマーケットが開かれていて、アニメや漫画の主人公のコスプレを決めた若者でにぎわていた(話には聞いていたがこういう現場を観たのは初めてだったので少々驚いてしまった)。道中の国道もそれなりに楽しかったが、やはりこういう人が集まるエリアでは、一帯だけで同時に実にいろいろなことが行われているのだなということをあらためて知った。

 前回のろぐで紹介したウィントンの7枚組は、まったく強力な内容である。この1週間もほとんどその7枚を繰り返し楽しむことに費やされた。1枚1枚を毎回とりあげてもいい位だ。僕は結果的にこのウィントン=マルサリスというアーチストに対する思いを新たにした。彼のやや原理主義的な主張もいまとなっては理解できる。ここに記録されている素晴らしい音楽は、急速に広がるジャズのなかで、いま一度その源流を振返るという意味で、ひとつの時代的な要請であったように思えるのだ。ジャズにとって、こんなことができるアーチストは、やはり彼しかいなかったのだ。

 NHKの夜の番組で、歌手の森山良子がジャズシンガーに挑戦し、ニューヨークの名門クラブブルーノートの舞台に立つという番組をやっていた。彼女の父親のエピソードから始まり、森山自身がニューオリンズのバーボンストリートに足を運んで当地のジャズを楽しむ映像などもあり、なかなか楽しめた。ステージのハイライトでマイケル=ブレッカーが登場したのには驚いた。

 さて、そんななか、たまたま出かけた渋谷のディスクユニオンで、中古CDを漁っていて見つけたのが今回の作品である。タイトルの「モザイクマン」とは、ジャケットにあるアフリカの草原を駆けるシマウマの模様にも表されている、アンリ自身のジャズに対するそして現代に通じるひとつの概念である。ジャズは黒人と白人の文化が出会ったことから始まった、というのが通説になっている。リズムやメロディ、ハーモニーなどジャズ音楽のベースになっているは、明らかに黒人の音楽文化であり、まあそのあたりからウィントンのような考え方も出てくるのだろう。テキシェはヨーロッパジャズの人間だから、この作品の意味にもウィントン等の考えにアンチする意味もあったのかもしれない。

 しかしまあそうした歴史的経緯と、音楽の内容そのものは別物と考えたいところである。どちらの意見も間違ってはいないし、どちらの音楽も素晴らしい。音楽はどんなものであれ、争いとは縁のないものであってほしいものだ。スポーツ観戦に熱狂している人たちの話を聴いていると、ついそういう気持ちになる。

 アンリ=テキシェの作品は、記念すべきえぬろぐ第1回目のCDだ。いま読み返してみると、半年前のこととは言え、いったい何書いてんだかという感じでちょっとお恥ずかしいが、あのアルバムはやはりいま聴いてもはじめて耳にした時の感動がよみがえる。相変わらずアメリカからはいいジャズの便りが聞こえてこないが、僕も一度アメリカからヨーロッパへとジャズが広まった道を旅してみたいという気持ちになった。まだまだこの音楽にはいろいろな楽しみがありそうだ。

横浜みなとみらい21公式サイト
エクセル航空 横浜のヘリクルーズをサービスする会社です。

7/31/2004

ウィントン=マルサリス「ライブ アット ザ ヴィレッジバンガード」

  暑い毎日、昼間はオフィスで、夜は自宅でかかさずエアコンのお世話になる。歳をとるごとに気をつけるようにはしているのだが、今年は久々にエアコンにあたって体調を崩してしまった。一気に38.8度も熱が出ると、かなりしんどいものであるが、幸い1日会社を休んで寝ていたら熱は下がった。おかげでこの土曜日はどこにも出かけずに自宅でエアコンもかけずにじっとしている。西向きに進む不思議な台風の影響もあって、湿った空気ではあるが、ときおり風が吹き抜け、身体をいたわるには悪くない気候だ。青い空に蝉の声がして夏らしい。

 おまけに、そんなプチ療養生活(?)のお供にちょうどよいCDセットを手に入れたばかりだった。ウィントン=マルサリスのこの作品は、ニューヨークの名門ジャズクラブ「ヴィレッジバンガード」での演奏を7枚のCDに収録したものである。それぞれのCDは月曜日から日曜日までの各夜ごとのセッションをイメージして作られている。実際には、1991,93,94年の複数のセッションから選ばれたライブ演奏を丁寧に編集してつくられており、曲目によって演奏メンバーも異なるのだが、ちゃんとオープニングとエンディングまでつけられていて、これがあたかも一つのセッションのように聴こえてしまうから不思議である。もう夏の間中これを繰り返し聴いていても飽きないのではと思えるぐらいの名演揃いである。毎晩こんなに楽しいセッションを前にみんなでビールが飲めたら、それはそれは楽しい毎日に違いない。

 ウィントンは1980年代から兄のブランフォードとともにジャズの「神童」として華々しくデビューした。卓越したテクニックと音楽性で、1970年代以降影が薄くなっていたジャズの復活に貢献したことも事実であるが、1980年代後半あたりから(おそらくは1986年のマイルス=デイビスの死あたりを境に)、ジャズがより大きなカテゴリーへと移行する時代の必然のなか、彼ら自身の考えと、レコード会社(具体的にはコロンビアレコード)、評論家たち、そしてリスナーたちの間で様々な葛藤が生じたことは間違いない。そのあまりにも見事な技巧とも相まって、彼らは極端な賞賛と非難を受けることにもなった。

  早くからマイルスやスティング、その他クラブミュージック系アーティストとの共演で音楽性を広げたブランフォードに対して、ウィントンはコロンビアレコードお得意のクラシック音楽にも活動を拡げる一方、ジャズではある種「黒人原理主義」的ともとれる色彩が強い作品群を発表し続ける。マチスの絵画をジャケットに使った1989年の作品「マジェスティ オブ ザ ブルース」(写真右)でその傾向はピークに達し、評論家のみならず、キース=ジャレットやリー=コニッツといったジャズミュージシャンからも、その主張に対する疑問が呈されてしまうことになる。

 僕はマルサリス兄弟の音楽は大好きで、特にブランフォードについてはほとんどのアルバムをチェックしている。一方、ウィントンについては先の「マジェスティ〜」は大好きだったのだが、それ以降にはクラシック含め様々な作品が発表され印象が散漫になってしまった一方で、僕自身がテクノやら現代音楽へとあらたな探求に出かけた時期でもあり、正直彼の音楽からはしばらく遠ざかってしまっていた。

 マルサリス兄弟は21世紀に入って相次いでコロンビアとの契約を打ち切り、また新たな活動期に入った。ウィントンはジャズの名門ブルーノートレコードと契約し、先頃素晴らしい新作「マジックアワーズ」を発売した。これは僕も購入したが、ある意味肩の力が抜けたリラックスしたアルバムだった。そんなわけで、しばらく遠ざかっていたウィントンの音楽が気になりはじめていたのであった。少し前のろぐで書いた、押し入れから引っぱりだした100枚の中にも彼の作品が2つ入っていた。そこに今回の作品が廉価版として再発されたというニュースが届いた。コロンビアもマルサリスの遺産でさらに一儲けしようというわけだ。僕がアマゾンで購入した価格は4500円位であり、これはかなりのお買得である。

 7枚のCDに、コロンビア時代のジャズの総括とも言える作品が一杯に詰まっている。モンクやエリントンなどのスタンダードナンバーも多数収録され、先の「マジェスティ〜」も含めて代表的なオリジナル作品もかなり入っている。演奏はどこか説教的なスタジオ録音とは異なり、ライブならではのエモーション性やエンターテイメント性に溢れている。本当に夏の間中毎晩これでビールを飲みたい気分になる作品である。まあ当てつけではないが、同じ7枚組でもECMから発売されているキース=ジャレットの「ライブ アット ザ ブルーノート」よりは充実した内容だと思う(もちろん僕はキースの大ファンでもあるのだけれど)。

 「マルサリスの音楽はどうも。。。」とためらっている人も、「ジャズは何を聴いたらいいの」と迷っている人も、このセットは素晴らしいお中元となること間違いなしである。続けて聴いても7枚などあっという間に終わってしまいます。う〜ん、もう1枚!それからビールおかわり!

WyntonMarsalis.net コロンビア時代のウィントン公式サイト
Branford Marsalis ブランフォードの公式サイト

7/24/2004

ジョン=スコフィールド「スティル ウォーム」

  この1週間は、前回のろぐでご紹介したジョン=スコフィールドの「エンルート」(フランス語の発音では「アンルート」となるのだそうです)をMP3プレイヤにいれて持ち歩き、仕事の行き帰りには、そればかりをひたすら聴きまくった。あれは本当にいい作品です。1週間聴き続けても飽きません。未聴の方はぜひぜひ。

 その際に、プレイヤの余ったメモリに収録したのが、同じくスコフィールドの1986年の作品「スティル ウォーム」である。国内発売された当時はなぜか「鯔背(いなせ)」というタイトルが付けられていた。わかったようなわからないようなタイトルである。これは、いわば彼の出世作ともいえる作品である。スコフィールドの名が多くの人に知られるようになったのは、ジャズトランペットの巨人マイルス=デイビスのグループへ参加したことがきっかけだった。

 この作品では彼の「変態フレーズ」とも言える独特のギターワールドがたっぷりと展開されている。作品はすべて彼のオリジナルで、その後の彼の十八番となった難解曲「プロトクール」をはじめ、いずれも名曲揃いの内容だ。ここからほぼ20年が経過した現在の彼の姿が「エンルート」だと考えると、その間、常に第一線にいながら、自分のスタイルを研究進化させる彼の努力は並々ならぬものだということが実感できる。煮詰まらない才能とでも言うべきか。多くの演奏家は、自分が変われないので、伴奏やスタイル、ジャンルなど周囲を変えて適応しようとするが、彼は様々なセッションに関わりながら、自身のスタイルも少しずつ進化させているところが素晴らしいと思う。これはきっと音楽の世界だけでなく、様々なところでも大切なことなのだろうと思う。

 さて、今日は朝から、数ヶ月ぶりにベースを持って川崎市内にある音楽スタジオ「八泉」さんに行った。考えてみれば独りでスタジオに入るのははじめての経験だった。そもそもエレキベースは、ヘッドフォンでも練習できるから、独りでやる分にはわざわざスタジオを借りる必要はないのだが、今日はどうしてもアンプで大きな音を出してみたかったのと、エアコンがよく効いた環境でじっくりと指慣らしをしてみたかったという理由から、わざわざスタジオに出向いたのだった。時間は1時間だけと比較的短かったが、指慣らしやら、楽器の調整、それからちょっとした作曲までできてしまい、なかなか充実したひと時だった。

 スタジオの人に訊いてみると、土日はなかなか繁盛しているそうで、この日もお昼以降の予定は3つあるスタジオすべてが夜までほぼ満杯という状態だった。同じ趣味の人がそれなりに頑張って活動しているのだなと知ると、なにやら嬉しくなると同時に自分も頑張らなくてはと感じた。このスタジオは、昨年にオープンしたレンタルスタジオで、何と言っても機材が新しいのが嬉しいところである。僕が学生の頃は、スタジオの機材と言えば、大きなヤマハのベースアンプだった。これはエレクトリックベースの本来の音色を、無味乾燥なうるさい音に変えてしまうという代物で、僕は大嫌いだった。スタジオ八泉さんのベースアンプはすべて米国SWR社のもので統一されており、これはなかなかクリアで力強い音を出してくれる。いい楽器を持っている人ほど、この楽器でよかった〜と感じさせてくれるのではないだろうか。

 最近はスコフィールドやジャコを聴いているせいか、今日は僕が2本持っているエレクトリックベースから、わざわざ重くて古い方のベースを持っていった。こちらはいかにもエレキベースと言う音色が気に入っているもので、今日は自己満ジャコになりきって楽しんだ。といってもなかなか指は思うように動いてくれず、もどかしい思いもした。またしばらくの間は、ちょくちょくスタジオに足を運ぶのも悪くないなと思った。SWRのキャビネット(スピーカのこと)から出てくる大きな音は、それだけで気持ちがよいものだった。

 終わった後は、京都本店のラーメン店「天下一品」でこってりラーメンを食べて、そそくさと家に戻り、ベースを置いてランニングウェアに着替え、午後の多摩川の河川敷を1時間ばかり歩いた。歩いている間は音楽は聴かなかったが、ジャコやスコフィールドの音楽が鳴り響き、僕の指はそれに合わせて動き続けた。

7/19/2004

ジョン=スコフィールド「エンルート」

  この数日間のうちに、とても楽しいドリンクセッションに2度も巡り会うことができた。いずれも音楽を中心に共通の話題を持つ飲み友達とのひと時で、うち一 人は大学時代からの友人で、なかなかの腕前のサックス奏者でもある人である。彼は現在ミラノに在住しており、年に1回くらい仕事かプライベートで帰国して くる。僕らはその度ごとに東京で一杯やることにしている。彼からはいろいろと音楽的に影響を受けたのだが、今回久しぶりにサシでジャズについて語りあかし て、お互いつくづくよく聴いているもんだなあと感心してしまった次第である。短いひと時であった楽しいセッションだった。

 いずれのセッションも、舞台はJR田町駅近くの(自称)西洋居酒屋「カドー」さんである。このお店には、会社で働き始めてからかれこれ10数年にわたって何かとお世話 になっている。いわゆるショットバーで、初めてお店に足を踏み入れた人は、逆さまに並べられたボトルの数に圧倒されるが、雰囲気は至ってカジュアルな居心 地のいい飲み屋さんである。お酒にはかなりのこだわりがあり、ビールから、ウィスキー、焼酎に至るまで、なかなかいいものを揃えてくれている。20代の頃 には近所の洋食屋か中華屋で腹ごしらえをしてから、このお店で会社の仲間とウィスキーをあおるのがスタイルになっていた。銀座や六本木にあるスタイリッ シュなバーにも足を運んだが、結局はここに落ち着いてしまった。お酒をしっかりと飲める人と行くには持ってこいのお店である。

 今回は、 新譜で購入したジャズ作品に久々に当たりが出たのでそれを紹介したい。ジョン=スコフィールドは僕が大好きなジャズギター奏者のひとり。1980年代後半 から90年代にかけて活動は、当時ジャズに入り浸っていた僕としては、マイケル=ブレッカー、パット=メセニーなどと共に、とてもその動向を楽しみにして いたアーチストであった。

 既に21世紀に入り、ジャズは大きく曲がり角を迎えているわけだが、個人的な感想としては、その流れのなかで ブレッカーとメセニーの2名は、残念ながら僕にとってはあまり重要な存在ではなくなってしまったというのが本音である。今世紀に入って相次いで発売された 彼らの作品については、僕にとっては彼らが大きな流れの中に埋没してしまったようにしか聴こえなかったのが、とても残念であった。その意味で、スコフィー ルドの新作が出ると知った時も、その点が少なからず心配であったのは事実である。

 タイトルの"EnRoute"とは、英語では"On the Road"という意味だと思う。その名の通り、ニューヨークの名門クラブブルーノートでのライブ演奏を収録したものである。彼のギタースタイルは、 1990年代前後の名演に聴かれた「変態フレーズ」中心の内容から、よりオーソドックスなジャズギターのスタイルに広がっているように思える。不安定な音 程を演出するチョーキングの頻度が明らかに減っていて、その分、スピーディーなフレーズで力で推してくる印象が新鮮だった。もちろん、彼らしさがなくなっ たということではなく、それをベースにした新しいものをジャズの世界に築き上げているという感じだろうか。僕は自分では保守的なジャズファンであるつもり は毛頭ないのだが、今回のスコフィールドの新作に、新しいジャズへの挑戦がしっかりと感じられ、タイトルの意味に、ある種の自信さえ垣間見える思いがし た。

 さて、そんなスコフィールドのゴキゲンな演奏の力を借りつつ、日本では3連休であった昨日に体験したことを少し紹介しておきたい。 僕は独身の頃から、オートバイで三浦半島に出かけるのが好きだった。半日で帰って来れる手軽さと、海を中心にそれなりに充実した自然が楽しめるところが気 に入っていて、冗談抜きにもう少ししたらここに家を買うのも悪くないかなと考えていいる。いまはバイクは手放してしまってないが、この休日に妻と二人で電 車とバスで三浦半島巡りをしてきた。気温は高かったが、薄曇りで極端に強い日射はなく、海岸を歩いたりするには悪くない気候だった。少しだけ写真を紹介し ておこう。

三浦海岸とはまた異なる雰囲気を持つ大浦海水浴場付近。きれいです。

南下浦のシンボル劔崎灯台。なんと1871年から東京湾に明かりを灯しています。「劔崎」の名の由来は、、、現地のプレートに説明がありますよ。

劔崎灯台から間口漁港方面を望む

三崎港といえばやっぱりマグロです。三崎港バス停すぐのところにある「さくらや」さんでマグロ丼とネギトロ丼をいただきました。ビール1本込みで合計3200円也。


この日は海南神社のお祭りも重なって道路が大渋滞。バスが三崎港から次の三崎東岡のバス停までの500mを行くのに2時間(!)という異様な事態に、三崎口駅までの4kmを歩いて家路につきました。途中、畑のヒマワリの花が元気に励ましてくれました。


 えぬろぐをはじめてからちょうど半年で1000アクセスをいただきました。地味でしょうもない内容にもかかわらず、日頃お読みいただいている皆さん、ありがとうございます。まだしばらくは続けるつもりですので、よろしければおつき合いください。

John Scofield-Jazz Guitarist ジョン=スコフィールド公式サイト
三浦市ホームページ

7/08/2004

ケニー=ドーハム「アフロ キューバン」

  夏だ!○○だ!まだ7月も初旬だというのにこの暑さはひどい。今日は用あって、真っ昼間に会社から10分ほどのところまで歩いて出かけたのだが、目的地に着いたら汗がもうドバドッバである。用を済ませて、帰りに昼飯だと吉野家に入って「豚キムチ丼」をかき込んだ。残念ながら出て来たのはキムチをトッピングした豚丼で、いわゆる炒め料理の「豚キムチ」(キムチを先に炒めるって知ってましたか?)とはほど遠いものだった。そしてまた10分歩いてオフィスに戻る。時間は12時45分。しばらくは呼吸困難になりそうなほどだった。ひたすら冷水機の水をかぶ飲みした。

 さて、夏だ!○○だ!を音楽で考えてみると、う〜自分ではさほど好きなジャンルではないのだが、やっぱり夏だ!ラテンだ!になるのだろうか。レゲエとかボサノバとか他に思いつくのも広い意味のラテンばかり。えぬろぐ的には、夏だ!フリーだ!(これは響きはなかなかよいが音楽となるとどうだろうか)とか、夏だ!シュトックハウゼンだ!とか、キメてみたいが、実行するには相当にエアコンの助けを借りないと、炎天下ではそのまま意識不明になりそうである。

 ということで、今回は僕の好きな数少ないラテンジャズを紹介する。「アフロ キューバン」とはもう名前がモロである。これはもちろん前回のろぐで書いた、押入れから生還した100枚のうちの1枚なのである。冒頭から、暑苦しい感じのホーンアンサンブルが「バババッ!」とたたみかけてくるところで、もう太陽と海と熱風が感じられる。ラテンパーカッションが奏でる軽快なリズムに乗って、ドーハムならでは小粋なラテンテーマ、そして続いて1950年代半ばの、ゴキゲンな何の迷いもなかった時代を謳歌するジャズらしい、ソロ演奏が次々に披露されていく。

 僕にとっての聴きどころは、何と言ってもテナーのハンク=モブレーである。もちろんドーハム他の演奏もナイスではあるが、ここはやっぱりモブレーだ。僕はこの人の演奏に関しては、1950年代のものがなんといっても大好きなのだ。有名な「リカード ボサノバ」を収録した1965年の「ディッピン」など足下にも及ばない、モブレーの屈託のないゴキゲンなテナー演奏。それがもうラテンにのってチャンチキチンなのだ(わけがわからんが)。夏だ!ラテンだ!モブレーだ!とやってしまってはリーダーのドーハムに失礼だが、僕にとってはこのアルバムはそういうものである。モブレーのカッコよさをはじめて実感したアルバムだった。

 このアルバムは海でラジカセ全開でも、車で高速をぶっ飛ばしながらでも、エアコンのきいた部屋でビールをグッとやりながらでも、何でもあいます。もう書きながら暑くてたまらんのでまた聴いてしまおう!


 さて、ついでと言ってはなんだが、夏だ!○○だ!の食べ物編をひとつ。カレーもうなぎも捨てがたいが、今回ご紹介するのは「鶏飯(ケイハン)」という食べ物である。ご存知だろうか。以前に我が家に遊びに来てくれた友人ご夫妻のご招待で、先方の家にごちそうになった際に、奄美大島出身の奥様が作ってくれた郷土料理である。温かいご飯の上に、鶏肉をゆでて細切りにしたものと錦糸卵をトッピングし、薬味として奈良漬けのこま切り、醤油で煮て細かく刻んだ椎茸、そして貝割れ菜をのせる(このへんは家によって流儀があるらしい)。そこに熱〜い鶏ガラスープ(塩と醤油で味を整えたもの)をたっぷりとかけていただく料理である。材料からするにこの食べ物は、いわば親子丼のかなり大胆なリミックスという感じである。

 こう書くと、お味の方はなんとなく想像はつくのではないだろうか。これがもう抜群にウマい!のである。客人としてはお恥ずかしい限りだが、夫婦そろってオカワリをしてしまった次第である。これは夏に限らずかもしれないが、特に暑い日には最高である。さらさらと心地よい塩加減のスープにのって、程よく和らいだご飯とさっぱりした具が流れ込んでくる。鶏ガラスープを家で作るなど、子供の頃は母親が当たり前にやっていたが、最近は鶏ガラを入手するのもちょっとした手間である。意外に簡単ではなさそうな料理であるが、これは是非作り方を教わっておきたい一品である。トライしてみたい人は最寄りの・・・どこだろう?奄美料理のおいしいお店ってあるのかな?

(いただいた鶏飯の写真です。少し暗くてせっかくの鶏飯のイメージが台無し、奥さんスイマセン!)

7/03/2004

ジャコ=パストリアス「ライブ イン ニュ−ヨークvol.5」

 2000枚もCDがあると、狭いアパートでそれをいっぺんに収納できる棚を置くのは無理である。同居を始めるにあたって、部屋に置く家具を選んできるときに、なんとか700枚収納のラックを1台設置させてもらうことに、妻の同意をとりつけることができた。あとは買ったばかりのものを中心に、オーディオラックの下にあるスペースに収めていたのだが、そこも溢れていまやラックの前の床に、妻の冷たい視線に耐えながらぞろぞろと列を作っている有様である。

 それでも残りの1000枚程度はやむを得なく引越時の段ボール3箱に詰められて、押入れにしまい込むはめになっている。当初、ラックに収納するものを厳選したつもりだったが、何年も生活しているうちに、聴きたいものがいろいろ出てくるのは当たり前である。あれどこだっけと聴きたいCDを探してラックや床にないことがわかると、これはもうため息ものである。押入れにある箱のなかから呼び戻すのは容易なことではないのだ。僕はそういうストレスをある程度忘れたりためたりしながら、それが一定のところまで来ると、意を決して押入れから箱を取り出して、ラックにあるあまり聴かなくなったものとの入れ替えを行うことにしている。文字通りのお蔵入りである。

 いままでのところだいたい年に1、2回のペースでそれをやってきた。ところがここ1年半ほどは、腰を悪くしたので、段ボール箱を出し入れすることができず(さすがにCDが一杯に詰まると重くなるものだ)、フラストレーションを溜めながらも諦めていたのである。それがここのところ体調が劇的な改善をみるようになり、とうとう今日、意を決してCDの入替を実施することになったのだ。

 今回は100枚程度の入替で、お蔵入りとなるほとんどがこの2年ほどの間に購入したものからあまりパッとしないものが中心だった。替わって部屋に帰って来たCDは、このところ聴きたくてうずうずしていたものばかりである。何か一気に100枚のCDを買ったような気分である。このろぐにもこれらの中からネタとして登場することになると思う。

 さて、さっそくその中から今回はジャコ=パストリアスの晩年の様子を収録したライブアルバムを聴いている。ジャコは言うまでもなく、エレクトリックベースに革命を起こした演奏家であり、僕にとっても、多くのエレキベーシストにとっても永遠のアイドルである。実は先日ある若手エレキベーシストのソロアルバムを購入してみたのだが、なんらの驚きもない内容にがっかりしたばかりであり、ジャコの荒々しい演奏が聴きたくなっていたのだった。

 僕は幸い生前のジャコを2回生で観ることができた。1回目は1983年の春、自身のグループを率いての来日公演を大阪のフェスティバルホールで体験した。当初、ギターがマイク=スターンの予定だったのが、来日が不可能になり、急遽代理で出演したのが渡辺香津美だった。この頃のジャコはまだまともではあったが、コンサートの内容はやはり彼らしい奇抜さに溢れていた。

 当時、ギターマガジンに連載でコラムを執筆していた渡辺氏が後にそのツアーのことを書いていたが、とにかく事前に決めた曲目は本番では次々に変更され、全く予定にない曲をやるのも日常茶番という状況だったらしい。東京公演では、いきなりウェザーリポートの代表曲「ブラックマーケット」のイントロを弾き始め、唖然とするメンバーのなかで渡辺氏がうろ覚えのテーマをギターで演奏した後「アイムノットシュア!」と苦笑いしながら叫ぶと、ジャコは「ガッデム、カモンカズミ!」とそのまま演奏を続けたのだそうだ。

 僕が観た日も、メンバー紹介の後に、その日が誕生日だったあるメンバーの紹介の後に「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」をジャコが歌い出したと思ったら、そのままそのハーモニーでアドリブ大会に突入してしまった。他の曲でも誰がどういう順番でソロをとるとかそういう細かいことはほとんど場当たり的にやっているようで、さながらジャムセッションを観ているような感じであった。これには僕はとても刺激を受けた。自由に音楽が演奏できるということの素晴らしさを初めて知ったのだった。

 2回目は、その3年後だったと思うが、タバコ会社主催の夏のジャズイベントにギル=エバンスのオーケストラにジャコがジョイントするというとんでもない豪華な企画で来日したのを観に行った。事前にNHK-FMが生でオンエアした東京公演はなかなかのできだったので、期待して出かけたのだが、残念ながら大阪でのジャコは酒でラリってしまっており最悪の状態だった。あの時はとても悲しく悔しかった。共演したギル=エバンスも悲しそうだった。

 その後、ジャコは1987年に36歳でこの世を去る。原因は泥酔の結果、店員に殴られたことによるものだった。僕はアルバイト先の塾の控え室で眺めていた夕刊の訃報欄でそのことを知った。

 この作品はいわゆるブートレッグであるが、内容も音質も非常によい。収録時期は1985年ということになっているようだが、定かではなく、他に全部で8枚の作品が同じ発売元からリリースされている。この第5集ではギターのマイク=スターンら4人編成のグループでの自由なセッションの様子が収録されている。もちろん内容は相当粗っぽいが、これがある意味で本当のライブというものの醍醐味だと思う。僕が大阪で初めてジャコを観た時の衝撃を、何か彷彿とさせるものがある。アルバムの末尾にジャコが、演奏終了後のクラブでピアノを演奏しながら何かを楽しそうに話している様子が収められており、ここがなんとも泣けるトラックである。

 体調もよくなって来たことだし。久しぶりに思いっきりベースを演奏してみたくなた。

Jaco Pastorius.com 公式サイト 〜ジャコの曲のタイトルにもなっていた4人の子供たちの近況も出ています。皆元気なようです。メアリーの回想は泣けます。その他共演アーチストたちのインタビューなど満載です。

Bob's Jaco Pastorius Home Page

(追伸)ろぐを始めてから半年が経過しました。サイトのデザインを変更し、コメント機能を追加しました。お気軽にご利用ください。

6/26/2004

エリック=ドルフィー「アザー アスペクツ」

  今回はある日付が近づいてきたので、それにちなんで以前から考えていたネタを書くことにする。実のところ最近、少し音楽から遠ざかってしまっている。何か新しいものはないかと冒険心で購入したソフトがあまりぱっとしなかったり、仕事やらその他のことでいろいろ考えるところがあってやや悶々としたり、月の初めに暑くてふとんをまくり上げて寝たら風邪をひいてしまい、それが意外に長引いてしまって体調がもうひとつすぐれなかったり、まあ他にも理由はあるのだが、いままでもたまにこういうことがあったので、あまり気にはしていない。

 最近買ったCDでは、ジャズリード奏者のエリック=ドルフィーが1963年に遺したいくつかのセッションをCD2枚に収めて1480円というお買い得商品に、タワーレコードで巡り会った。Jazz Worldというおそらくは著作権期限切れの音源を格安セットにして販売するレーベルからのもので、タイトルは"Eric Dolphy Sound"となっている。これは「アイアンマン」と「メモリアル アルバム」という名称で発売されていたインディーズ盤をベースにしたもので、僕はどちらもCDでは持っていなかったので、安いし他に良さそうなものもないしちょうどええわと、購入したのだった。まあドルフィーに駄作はないのだが、これがなかなかツボにハマってしまい、ちょくちょくお酒や通勤のお供になっている(お酒が先かい!)。

 今年はドルフィーが亡くなって40年目にあたる。彼は1964年6月29日にドイツのベルリンで死んだ。その独特の演奏スタイルから、玄人には受けが良かったものの、ようやくジャズが商業音楽として定着し始めた本場米国でのウケはイマイチであったらしい。アメリカが新しいものに冷ややかであることを嘆いたドルフィーのコメントも実際に遺されているようだ。音楽活動はかなり精力的でリーダー作以外に、多くの大物とのセッション記録が遺されている。

 なかでも、ジョン=コルトレーンのグループと、ジャズベース奏者チャールス=ミンガスのグループでの活躍が特に有名である。そしてそれらのグループでのヨーロッパツアーにも度々同行していた。ジャズが音楽芸術として評価されていた同地での、彼に対する評価はなかなかのものであったようで、そうしたこともあってか、彼はミンガスグループの1964年4月の欧州ツアー終了後、メンバーから離れてそのまましばらく残る決心をする。その後、ドイツやストックホルムなどで現地のミュージシャン達の熱烈歓迎を受けて共演したいくつかのセッションの記録が遺されおり、いよいよ本格的なリーダー活動のスタートかと思われた矢先に、ベルリンで病死してしまったのだ。

 先に紹介した格安盤は彼の様々な魅力がいっぱい詰まったものなのでぜひお勧めしたいのだが、今日のメインタイトルは彼の異色作「アザー アスペクツ」である。この作品はドルフィーの死後およそ20年を経た1985年に発表されたもので、タイトルにもある通り、それまでに知られていた一連の演奏作品とはかなり音楽的に異なる内容になっている。ドルフィー好きの間でも好みが分かれる作品だと思うが、別の意味ではこの作品で彼の考えていた音楽がとんでもなく奥深いものであったことが明らかになったのはまぎれもない事実である。実は生きていたドルフィーが20年後に突然この作品を発表して復活したのだとしても不思議ではない。作品の発表にいたるまでのエピソードもなかなか面白いので、興味のある方は是非ともライナーノートを参照されたい。まさに「縁は奇なもの」である。

 僕自身、この作品が発表されたころは大学生で、ドルフィーの未発表作品が出るというのでわくわくしてこれを聴いた。オーディオから流れてきた音楽に最初一瞬「?」となったが、不思議なことに数分後には、僕はこの作品の虜になったのを憶えている。いま振り返ってみれば、僕の音楽への興味はこの作品を聴いたあたりから急に拡張をはじめたように思う。その意味ではあの扉が急に開いた様な感覚がなぜ起こったのかはよくわからないが、この作品にきっかけがあったことは否定できない。その意味で、僕にとっては何か特別な想いがある作品なのである。

 ベルリンで病に倒れたドルフィーの最後の言葉は「家に帰りたい」だったそうだ。ジャズミュージシャンの死に関するエピソードはいろいろあるが、僕が最も印象に遺っているのはこれだ。「アザーアスペクト」を聴きながらこのことを考えると、僕の心はいっそう強く作品に引き寄せられる。

Eric Dolphy Discography "Jazz Discography Project"によるドルフィーの演奏記録集
エルビン=ジョーンズ(左)とエリック=ドルフィー(右)(コルトレーンのグループで共演していた頃のものと思われます。ドルフィーの気さくな人柄が感じられるようで、僕が好きな写真です)

6/19/2004

金森穣/Noism04「Shikaku」

 以前このろぐでも少し触れた、振付師の金森穣と彼が率いるユニット「Noism」によるダンスパフォーマンス「Shikaku」を、新宿のパークタワーホールに観に行った。

 この公演の特徴は、前半において舞台と客席という概念がないということ。「開演=開場」で、観客はホール内に作られた迷路のような、最新式お化け屋敷のようなセット(大きく4つの部屋に仕切られている)のなかを移動しながら、10人のダンサーたちと空間を共有する。ダンサーたちは激しく踊りながら観客に極限まで接近しつつ、それを無視するでもなく直視するでもない、不思議な対話を挑んでくる。途中、ダンサーの1人が眺めていた手紙を僕に手渡してくれた。

 後半、突然に空間を仕切っていたセットの壁が上昇しはじめ、ホールは本来の「広場」のような空間に還る。ここでおもむろに観客は壁際に移動し、細いロープでホール中央に舞台が仕切られる。空間に解き放たれたダンサーたちは、音と光の効果がいっそう明確になった時空のなかで、驚異的なパフォーマンス繰り返しながら、物語のないストーリを展開してゆく。

 1時間と少しの公演はあっという間だった。秋にDVD化される予定だそうだが、やはりこういうものは生でないとダメだ。観客の9割は女性だったが、意外にもいろいろな人が見に来ていたように思う。終演後のトークライブでダンサーのひとりが「今日のお客さんはよかった」と言ってくれていたが、それはまんざらでもなかったようだ。また新しい可能性と楽しみにできる未来を感じることができたように思う。観ることができて本当によかった。

 (公演パンフレットの表紙と内容の一部)
   

6/12/2004

スティーブ=レイシー「リメインズ」

ソプラノサックス奏者のスティーブ=レイシー氏が2004年6月4日に亡くなられた。彼は6月11日金曜日に、横浜のジャズクラブ「ドルフィー」でライブを行う予定だった。かねてからの大ファンだった僕は、友人と2人でこれを体験すべく、会社を早退する手はずまで整えていたのに、前日になってまったく偶然にネットでこの報を知った。残念無念である。やっと生でレイシーが体験できると思ったのに。

 ソプラノサックス1本で演じられる彼の音楽は、本当に奥深いもので僕のお気に入りだった。僕は彼のソロ演奏のものを中心に、数多くのCDを集めている。一番のお気に入りは、hatArtレコードから1992年に発表された「Remains」。東洋の思想、とりわけ老子の「道徳経」に深い関心をよせたレイシーの組曲「Tao(道)」が収録されている(残念ながら現在は廃盤)。

 彼がなぜソロ演奏にこだわったかはよく知らない。演奏そのものは関心のない人が聴いたら「体育館の裏で個人練習に励むブラバン部員」のように思えてしまうかもしれないが、まあじっくり聴けばそんな誤解はあっさり吹き飛ぶと思う。彼の音楽は緻密であり、やさしく躍動する。僕にとって理想の音楽のひとつだった。だから是非とも生で聴きたかったのだが。。。

 彼が長年暮らしたフランスのSenetorsレコードにあるレイシーのサイトのトップページに掲げられている、彼の音楽に対する考え方(漢詩を意識したものと思われる)が、彼の音楽を一番よく言葉で表現していると思う。
Steve Lacy 
We don't determine music,
The music determines us;
We only follow it,
To the end of our life:
Then it goes on without us.

It begs to be born and,
Wants to go its own way,
We just make it up and,
Then we let it out.

Music speaks for itself,
And needs no explanation
Or justification:
Either it is alive,
or it is not.

 さよなら、レイシー。


※この「えぬろぐ」もはじめてから今月で半年が経ちます。これまでやって来たなかで得られたいろいろな反省を含め、もう少し内容を自分の日常や肉声に近づけていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

6/06/2004

行定勲/片山恭一: "世界の中心で愛を叫ぶ"

  妻が原作を読んだら観てみたくなったので行こうと誘われ、片山恭一の「世界の中心で愛を叫ぶ」を川崎のシネコンに観に行った。原作がベストセラーで映画もかなりの人気ということで、僕の場合は期待も不安もそれほどではなかったのだけど、映画館が久しぶりだったし、柴咲コウが出るというので、まあテレビドラマを観るようなつもりで行くことにした。作品のストーリー自体は悲しい内容が中心だが、僕自身はそれよりも、懐かしさと清々しさのようなものを感じて、なかなか楽しめた作品だった。決して悲しいだけの映画ではない。

 久しぶりに映画館に足を運んだ。1年半ほど前に腰を悪くして以降、ホールの座席や応接のソファーなど低く深く腰掛ける椅子が苦手になってしまい、映画館もしばらくご無沙汰であった。最近になってようやく調子がよくなって来たものの、いざ行こうと思っても、観たいという気になる映画がなかったりする。僕は最近、ハリウッド映画を劇場で観ることはほとんどなくなった。たぶんマトリックスの1作目が最後だったと思う。僕が映画に求めるのは、CGで演出されたスリルやファンタジーではなく、人間が演じる日常と人間性が中心になったようだ。

 物語の舞台となっている1986年といえば僕は大学3年生。もう高校を卒業して3年が経過したころだ。僕の高校生活は、楽しい思い出もあるが、ときめき的なものは特になかった。部活の思い出も修学旅行の思い出も特にない。そんな懐かしくも空虚な思い出しかない僕には、アキ役の長澤まさみはまぶしく映った。四国高松という海辺の舞台は、僕が高校2年生まで住んでいたところにそっくりだった。佐野元春の名曲「Someday」にのせて展開するああいう青春は、僕の現実にはなかったが、時代や土地柄が必ずしも大きく違っていない自分には、それがあり得なかったわけではないことに懐かしさと清々しさを感じさせてもらえた。

 アキの白血病という病気と入院生活、そして病死ということには、やはり自分の母親のことを思わずにはいられなかった。薬の副作用で髪が抜けてしまい、無菌病棟に忍び込んで遭いに来た主人公に「えへ、こんなになっちゃった。。。」と無理に照れ笑いするシーンには、ちょっと涙が出そうになる。

 映画の最後の方で、山崎努が扮する近所の写真屋の親父が主人公に言うセリフ、「天国なんてものは生き残った人間が勝手に作り出したもの。逝ってしまった人はそこにいる、いつかきっとまた会える。そういう思いが作らせたものだ。生き残った人間がやらなければいけないのは、後かたづけだ」。それと、オーストラリアの先住民族が主人公に言うセリフ、「我々は死者を2回埋葬する。1回目は肉を2回目は骨を。そうすることで死者の血がこの地にしみ、地中にある泉に流れ込む。我々はそのおかげで生きていける」。この2つのセリフに、意外にも急速に変化しつつある現代の我々の死に対する新しい見方が表されているように思った。「世界の中心」は人間が本能的に向かうところを象徴しているのかもしれない。

 ところで、この映画に出演している長澤まさみはと柴咲コウは、ともに映画「黄泉がえり」に出演している。僕はこの作品を以前にビデオで観た。ストーリは決して悪くないと思うのだが、テレビで見かけるタレントがたくさん出てくるわ、場面の展開が単調だわ、などなど気に入らない点が多かった。さながらテレビドラマの様な感じだった。

 それに比べて、この「世界の・・・」は、多少強引な設定などがあって気にならないわけではないが、映画として十分に楽しむことができた。観ようか観まいか迷っている方がいるなら、映画館でご覧になることをお勧めしたい。ただ残念なことに、テレビドラマ化が決定したとのこと。製作委員会にテレビ局が入っているので、いた仕方ないとは思うのだけど、せっかく大きなキャンバスに描いたものを、わざわざまた小さくする必要があるのだろうかと思うと、残念である。この手の話で作品として成功した例を僕は知らない。ビジネスとしてみれば必然のことなのだろうが、そういう発想そのものがなにか時代遅れの感じがする。

 ちなみに、この作品名をはじめて耳にしたとき、僕は真っ先にアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビシリーズ最終話のタイトル、「世界の中心でアイを叫んだけもの」を思い出した。この両者に何か関連はあるのだろうか。ご存知の方は教えてください。

 映画館には若い人からお年寄りまでいろいろな人がこの作品を観にやってきていた。終わって退出する時に、皆それぞれいろいろな感想を口にしていた。原作の小説とは設定などでかなり異なる点があるらしいが、それは映画化のお約束であると思う。映画を見終わり、そして映画に集ってきた人たちの表情を観ているうちに、あらためて映画はやっぱりいいものだなと感じた。これからまた映画館にちょくちょく足を運ぶようにしたいと思う。もう少し入場料が安ければいいのだが。

「世界の中心で愛を叫ぶ」公式サイト
-Peace- Masami Nagasawa(長澤まさみ公式サイト)
もっと高松(香川県高松市公式サイト)
Moto's Web Server(佐野元春公式支援サイト)
わかりやすい白血病の話
新世紀エヴァンゲリオン公式サイト

5/30/2004

アレクサンドル=クニャゼフ「バッハ:無伴奏チェロ組曲」

Alexander Kniazev: この1週間、妻が仕事で海外に出かけてしまい、僕にとってはしばらく独身に戻ったような時間を過ごした。こういう機会はこれまでにもなかったわけではない。で、その度に、さて独りになったならそれはそれ、なにかちょっとはじけてみるか、とか考えたりもするのだが、結局、落ち着く先はいつも決まって、酒と音楽になる。確かに、独身の頃と比べて一番大きく変わったのは、誰とのおつきあいでもなく、それらとの関わりでの時間の使い方である。

 ともかく、この1週間は1日だけ会社の仲間たちと遊びに行ったのを除けば、ほぼ毎日仕事からまっすぐ帰って、さっさと食事とシャワーを済まして、毎晩遅くまで音楽を聴いて酒を飲んだ。シャワーを出て軽くビールで喉を潤したら、以後に飲む酒は最近はもっぱら焼酎が多くなった。巷で流行の理由はよくわからないが、僕の場合は、以前に会社の後輩が我が家に遊びにきてくれた際に、奥さんの故郷である奄美大島の黒糖焼酎「里の曙」を手みやげとしていただき、それ以来その味にハマり込んでしまったのだ。幸いにも近所のスーパーでそれを取り扱っていて、すっかり「またですかー」と自分で口にしながら、カゴにいれてレジに向かっている。甘みがあってクセもなく、糖分が少ないとくれば、悪酔いもせず気持ちよく楽しめる。おつまみの音楽もどんどん進むわけだ。

 音楽は、ここしばらくはジャズ一辺倒になり、相変わらずコルトレーンとその周辺の音楽を中心に聴いていたのだが、タワーレコードがクラシックとジャズ部門を中心に発行しているフリーペーパー"ミュゼ"を読んでいて、気になって購入したクラシックのCDが、なかなか衝撃的な内容で、僕の中でちょっと流れを変えつつある。それが今回の作品である。

 バッハの「無伴奏チェロ組曲」はおなじみの人も多いことと思う。知らないなあという人でも、第1番の第1曲(プレリュード)の冒頭を聴けば、「ああこれね」とうなづくに違いない。すべて無伴奏のチェロ1本で奏でられる6つの組曲集で、ベートーベンのチェロソナタとあわせて「チェロのバイブル」と言われている。ほとんどのチェロ演奏者にとって、大きな目標となる作品集である。少し前には、サックス奏者の清水靖晃氏が、全曲サックスだけで本作を演奏した作品集が発表され、テレビCFにも使われたりして話題になった。

 僕はまだ学生の頃に、ヨーヨー=マが若くして録音した全集を購入して一頃よく聴いていた。1回聴いただけでチェロという楽器の魅力に取り憑かれてしまった。天才チェロ奏者として、いまや幅広い活躍をしている彼が、若くして早々とこの全集を発表したことは当時相当話題になったらしい。彼の演奏は「さらりと弾いてのける」というような華麗な感じで、ある意味とても聴きやすいものだった。

 僕は、この音楽にずっとそれなりにこだわり続けている。楽譜も買った。ベースでちょろっと演奏してみたりもした。ヨーヨー=マ以外にも、パブロ=カザルスやムスティスラフ=ロストロポービッチといったチェロの大家の録音や、ギター演奏家の山下和仁が全編ギターで演奏した録音も持っている。でも一番よく聴いたのはやはり最初に聴いたヨーヨー=マのものだ。彼は1990年代後半に再度この作品を録音しているが、僕はお店で聴いただけで買わなかった。僕はもうこれ以上この作品に興味を持たないかなと思っていた。ただ、少し前に久しぶりにそのCDを聴いてみて、「あれ、こんな演奏だったっけ」というなにか物足りなさみたいなものを感じていたところだった。まあ言ってしまえば歳のせいなのかもしれない。

 そこへ、ロシアのチェロ奏者アレクサンダー=クニャゼフによる演奏のことを知った。はじめて名前を聞いた演奏家だった。僕が情報誌の紹介記事を見て興味を持ったのは、この人の演奏は曲によって非常に時間を長くかけてゆっくりと演奏されているということだった。他の大抵の演奏家の録音がCD2枚組で発表されているのに、この録音はCD3枚となっている。最終曲の第6番だけが3枚目に収録されているのだが、なんとそれだけで40分もかけている。3枚合計の演奏時間は2時間40分になる。それが僕が少し前にヨーヨー=マの演奏を聴いて感じた物足りなさを、埋めてくれるような気がしたのである。

 結果は大正解だった。僕は土曜日に開港祭でにぎわう横浜に出かけて、そこのタワーレコードでこれを購入した。家に帰ったのは夕方だったが、先ず夕食前に3枚を通して聴いた。彼のチェロの音がとても厚みがあり深い音色である。速いパッセージを華麗に弾きこなすヨーヨー=マとはずいぶん異なるが、とにかく引き込まれるような音色なのだ。スピードは似合わない。ゆっくりとした曲でその真価を発揮するという感じにいまのところは聴こえる。近所のラーメン店にキムチチャーハンを食べに出かけて、すぐまた帰ってきてそそくさとシャワーを浴び、早々に飲み始めてまた3枚を通して聴いた。うーん、素晴らしい。さて夜も更けて日付も変わった、他に何を聴こうかなと考えてみたが、結局またまた聴いてしまった。後から考えれば自分でもあきれた話だが、確かにこういう時間はなかなか過ごせるものではない。たまたま与えられた機会だったわけだが、酒だけでなく新しい音楽とも出会い、それを充実して過ごすことができた。よい休日だった。

 どこかで読んだ話だが、クラシック音楽のオーケストラメンバーに「あなたがいま担当している楽器以外に、何か楽器を演奏するとしたら何をやりたいか」と質問したら、多くの人がチェロと答えるのだそうだ。僕自身もできることならやってみたいが、住宅事情の問題があるのでいまだに手が出せないでいる。チェロの魅力は、その楽器が持つ音域と、弓による演奏の表現力だろうと思う。一言でいえばいろいろな意味で人間的な楽器とも思える。それはメカニカルなものではなく、このクニャゼフの演奏が表しているような懐の深いような、優しく暖かいようなものだ。なにかの栄養不足を満たしてもらえたような気がした。

 ちなみにこの情報誌"ミュゼ"は、毎奇数月の20日にタワーレコードの店頭で発行されるもので、クラシック、ジャズ、映画を中心に、なかなかいいセンスでそれらの芸術の最新の売り物を紹介してくれる。フリーペーパーというにはもったいないくらいの中身の濃さであり、僕も音楽を捜すうえでよくお世話になっている。僕は大抵、これを店頭でもらって帰ると、2、3日後には、お買い物リストに10タイトル程度が簡単にリストアップされてしまう。その意味では、発行者の意図はどんぴしゃというところだろうか。まあ今回の件はやはりこれに感謝しなければいけないだろう。

Alexander Kniazev,cellistアレクサンドル=クニャーゼフ(バイオグラフィやレパートリー一覧など)

5/23/2004

エルビン=ジョーンズ「ライブ アット ザ ライトハウス」

前回のろぐでジョン=コルトレーンについて書いてしまい、おそらくそうなるだろうなと予感はしてはいたが、やはりしばらくの間は聴く音楽がコルトレーンばかりになった。これは僕にとってはいつものことで、2回続けてコルトレーンを取り上げることになるかなと思っていたところに、何の因果か、哀しいニュースがやってきてしまった。ジャズ・ドラム奏者の、エルビン=ジョーンズ氏が、2004年5月18日に亡くなられた。この訃報は日本国内の一般紙やスポーツ紙でも「ジャズ・ドラムの神様、逝く」などと報じられ、改めて底堅い人気ぶりが伺えた。

エルビンはジョン=コルトレーンのグループでその音楽の重要な時期を共に創りあげた人で、前回のろぐで書いたところの、第2の頂点「ジャイアント・ステップス」の直後から、「至上の愛」に至る第3の頂点の直後までのおよそ5年間を共にした人物である。この間に録音された作品は駄作なしと言われる程の名盤揃いで、非公式なライブ録音含めCDにして実に30枚近い演奏が世に出ている。コンサートではコルトレーンとエルビンが激しく競り合うように演奏する場面が話題になった。僕も最初にコルトレーンに熱狂したのはこの時期の演奏だった。

というわけで、今回はそのエルビン=ジョーンズの作品を紹介することにします。

たくさんのお魚が灯台を目指して方々から集まってくると言う、ユニークなジャケットのこの作品は、コルトレーンのグループを離れ、彼の死にも遭遇したエルビンが、いろいろな精神的、音楽的模索を続けた後に、ようやくそれをはっきりと受け止め、音楽スタイルとして確立することができた作品と言っていいと思う。

詳しくは書けないが、エルビンがコルトレーンのもとを去るに至った経緯は、いろいろな意味での芸術家の道の厳しさそのものを現した出来事であった。僕は、先にも書いたように、その後のコルトレーンが後退したり、失敗したとは全く思っていない。逆に、エルビン等優秀なパートナーの脱退を乗り越えて、また別の意味での新たな頂点を極めたのは、やはり彼の凄さだと思っている。対照的に、その後のエルビンは、いくつかの作品を発表してはいるが、内容はあまりぱっとせず、この作品に至るまで苦悩と模索の時代が続いたのである。まあ変な例えだが、異動や転職などの人生の転機と、それにまつわる様々な人間ドラマの一つと考えればわかりやすいのではないだろうか。

前回のろぐで紹介した、「ジャズ批評」誌のコルトレーン特集号に、エルビンへのインタビューが収録されている。昔の思い出をいろいろと語っていたエルビンが、話がコルトレーンの死のことになると、途端におかしくなってしまう様子が描かれている。彼の妻で日本人のケイコさんがフォローして、「エルビンはジョン(コルトレーン)のことを語るのがなによりも辛いのです。あの日(コルトレーンが死んだ日)、エルビンは私の前からも姿を消して、何日も家に帰って来ませんでした。その間、彼はきっと狂ったようになってしまって、どこかを彷徨っていたに違いないのです」というような言葉を語っている。

エルビンはこの作品以降、「ジャズ・マシーン」という名のグループでの活動をスタートさせ、自分が共に創り上げたコルトレーンの音楽を継承しつつ、それをベースにジャズを発展させることに注力し続けた。コルトレーン派と言われるサックス奏者2名メインに据え、若手を登用して育てることも怠らなかった。この作品がある意味でジャズ・マシーンの出発点になっていることは明らかだが、結局、僕の個人的な意見だが、この作品の内容を超えるものは出なかったと思う。それほど、この作品での演奏内容は凄まじく激しいのである。エルビンの快演はいうまでもなく、それを導き出す2人のサックス奏者(デイブ=リーブマンとスティーブ=グロスマン)の激しい演奏は、まさにコルトレーンが2人いるようなもので、僕は先のコルトレーンの「ライブ・イン・ジャパン」と対をなす、エルビンの総決算的作品であると思う。

この作品は当初LP2枚で発表さていたが、1990年にはじめてCDでリリースされた際には、未発表になっていたすべての音源を復活させ、当夜に実際に演奏された順番に並べられ、CD2枚に150分の演奏を詰め込んだ超お得盤として発表された。僕は移転前の渋谷のタワーレコードでこのCDを発見し、買うつもりで手にしていた3枚のCDをすぐに返してこれを買って帰ったのをよく覚えている。残念ながら、現在はこのCDは廃盤で、その後日本で再発売された際も、もとのLPと同じ内容でしかなかった。現在は、ブルーノートの作品を中心にした全集企画で有名なモザイクレコードから、エルビンのブルーノート時代のすべての音源を収録した全集が5000セット限定で発売されており、その中でこれらの演奏を楽しむことができる。

僕は、1991年頃だったと思うのだが、東京青山にあるブルーノート東京(現在の場所に移転する前のお店)で、彼のグループを聴きにいき、間近で彼のドラミングを感じることができた。この時の演奏は後にNHKの衛星放送でオンエアされ、僕はそのテープをいまでも大切にもっている。まあともかく、ドラムやシンバルを叩けばそれが風になって感じられる位の距離だったので、なにか変な言い方だが、彼のドラムを肌の感覚で覚えているという感じである。楽器に振り下ろされる彼のスティックを見ながら「あれが頭のうえに振り下ろされたら俺は死ぬ」と正直思った。

よくピアノやサックスがリーダー格になっているグループについて、ドラムやベースは「サイドメン(脇役)」と表現される。この演奏におけるエルビンは明らかにそうではないし、コルトレーンのグループにおいてもそうではないと思う。僕の友人のサックス奏者は、彼のそうしたドラム演奏について、「リーダーとしてひとつの音楽の場を提供している」というような表現をしたが、まさにそうだと思う。曲によっては先にドラムソロをやってしまうのもそういうことの現れと思う。そうして提示された場に、サックスを持って乗っかってしまったら最後、恐ろしいまでのリーダーシップで煽り立てられ、簡単には降ろしてくれない。それがこの演奏の醍醐味である。もちろん彼がサイドメンとして参加した録音はたくさんあるし、そこでの彼の演奏はまた別ものである。

この作品が収録された日はエルビンの誕生日で、Vol.2の冒頭、メンバーと観客による「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」の和やかな合唱が収録されている。ジャケットにある灯台がエルビンなのかコルトレーンなのか、それはどちらでもいいかもしれないが、まさにこの作品にある音楽を拠り所に、多くの若い演奏家達が引き寄せられ、その後のジャズの方向性に光を灯した。こうして演奏が遺されている限りその光が弱まることは永遠にないと思うが、やはりそれを演出した当人が世を去ったことは、ジャズという音楽にとっては大きな出来事だと思うし、それは明らかに一つの時代の終わりだと思う。残念なことだが。

彼の訃報を知って、僕は自分の(休眠状態であるが)演奏仲間にメールでそのことを知らせた。たまたま翌日にそのなかの一人と川崎市内で飲む約束をしており、酒席の前半はさながらエルビンのお通夜となってしまった。店に音楽はなかったが、下手にジャズがかかっていたりしなかったのが却って幸いだった。それにしても、先にとりあげたリー=モーガンのライブ盤といい、この「ライトハウス」というジャズ・レストランの近所に当時住んでいた人のことを思うと、本当に幸せものだなと思う。あまり過去を羨んでばかりではいけないのだけれど。

Drummerworld Picture Gallary of Elvin Jones エルビンの写真が多数あります
Washington Post紙による訃報
Mosaic Records


5/15/2004

ジョン=コルトレーン「ライブ イン ジャパン」

John Coltrane:  僕にとって一番大切な音楽家は、いまのところ、ジャズ・サックス演奏家のジョン=コルトレーンである。僕の中でこのことはこの20年余のあいだ変わっていないし、たぶん、これから先も変わることはないだろうと思っている。これは、僕にとっての一番いい音楽が、彼の音楽だということとはちょっと意味が違っているかもしれないけど、今回とりあげるこの作品には、他の作品のようにこのログの主旨である「ある日僕が聴いた音楽」という気軽なものとは異なる、深い思い入れがある。もちろん、ここ数日よく聴いている音楽であることには違いないのだけれど。

 僕は、ある音楽家の一生涯の物語とそのほとんどすべての作品を実際に耳で辿るということを、コルトレーンを聴くことではじめて経験した。数十枚にわたる彼の主要な作品をCDや中古レコードで集めるということに、僕の大学生活の少なからずの時間が費やされ、彼の音楽活動や生涯について書かれたものをいろいろと読んだ。なかでも季刊誌「ジャズ批評」のジョン=コルトレーン特集は、本当に隅々まで何度も読んだ。それから20年近い年月が経ったいまも、コルトレーンの音楽を聴くときは、演奏された頃の彼の人生の背景や、そのスタイルの時代的な意味などを考えずにはいられない。

 コルトレーンは1926年に生まれた。10代後半からサックスを吹き始め、早くからプロを志すもいろいろな苦労があり、29歳でマイルス=デイビスのレコーディングに参加することで本格的な活動を始めた。そして1967年に40歳でこの世を去るまで、彼の演奏家としてのキャリアは10数年だったわけだが、そんな彼の音楽には実に4つもの「頂点」があると僕は考えている。「ブルー・トレーン」(1958年)、「ジャイアント・ステップス」(1959年)、「至上の愛」(1963年)、そしてこの「ライブ・イン・ジャパン」(1966年)である。この4つを彼の代表作品と考えることもできるわけだが、それらのスタイルは相当に異なっている。彼はプロの演奏家としての生涯を通じて、自分の音楽のスタイルを追究し、これら頂点に向けてあるスタイルを発展させ、それを破壊し、また次の頂点に向けて新しい創造を行うということを繰り返した。

 そして、コルトレーンは1966年7月、39歳の時に自分のグループを引き連れて初来日を果たした。この作品はそのときに東京で行われた2つのコンサートを、そのままCD4枚にわけて収録したものだ。元々レコード化する予定ではなく、2つの放送局が放送で1回だけ流すことを条件に録音したものだった。従って、録音の状態はモノラルではあるものの非常によい。コルトレーン本人はどの日の演奏がその対象になっているのかは知らなかったらしいが、こうして2日分の演奏がまるごと残されたものを聴くと、そのレベルの高さから、彼がそのことを事前に意識するような人ではなかったことがよくわかる。

 来日時のエピソードは先に紹介した雑誌(いまではバックナンバーというより中古を探すしかないのだが)に、多くのことが詳しく書かれている。到着時に開かれた記者会見で「私は聖者になりたい」と発言し、記者団から何か一曲吹いて欲しいと頼まれると、激しいソロ演奏を何十分にもわたって吹いた。移動中は小さな袋にお菓子をたくさん入れて持ち歩き、新幹線のグリーン車に招き入れた楽器商から琴や尺八を購入した。はじめて触れた尺八を手にしてすぐ音が出たので楽器商が驚いたそうだ。ヤマハの楽器工場を訪問した際には、アルトサックスをプレゼントされて大喜びした(7月22日演奏の「レオ」の一部でその楽器を使っているのを聴くことができる)。前日のコンサートで酒に酔ってステージにあがったベースのジミー=ギャリソンを「今度飲んだらクビだ!」叱り飛ばしもした。そして、常に楽器を携行して暇さえあればそれらを吹いていたのだそうだ。

 当時は、現代のように世界の情報が瞬時に共有されるような時代ではなかった。日本で発売されていた作品は、3つめの頂点である「至上の愛」とそれに続くいくつかの作品までで、彼の新しいスタイルがいわゆるフリージャズのスタイルになっていることを知らない人も多かったという。この演奏に対する評価は現在においても様々であるが、当時これに生で触れることができた人(本当にうらやましい!)の多くが、相当なショックを受けたことは事実のようだ。演奏の途中や終了時に記録されている観客の熱狂ぶりは、当時のことを考えれば相当なものであったことがよくわかる。おとなしいといわれる日本の聴衆だが、この観客の少なからずの人が拍手を贈るだけでなく何やら叫び声をあげている。この数年後に記録され、「ライブ・イン・ジャパン」という言葉を有名にした、ロックグループ、ディープパープルの同名の作品があるが、そこに記録されている観客の熱狂でさえ、これには及ばないのではないかと思えるぐらいだ。(ウソだと思う人で、運良く両方をお持ちの奇特な方は確認してみてください)

 ここで演奏される音楽は、メンバーそれぞれのソロ演奏といい音楽のスタイルといい本当に神懸かった内容である。僕は、ツアー最終日7月22日の最後に演奏された「レオ」をよく聴く(CDには収録時間の関係で、同日の最初に演奏された「ピース・オン・アース」と同じディスクに収録されている)。これは45分程の演奏で、ベースを除く全員のソロ演奏をフィーチャーしながら展開してゆく音楽だが、これだけの長時間演奏を行っても、まったく緊張感が失われることなく、壮大なスケールの劇画の様に展開する音楽は何度聴いても感動ものである。演奏の最後にわきあがる観客の叫び声もただならぬ熱狂を現している(僕はいつもここで泣きそうになる)。それでも、当時の習慣だと思うのだが、コンサートの最後には司会者が登場して、「それでは花束の贈呈です。花束の提供は・・・」と記録されているのも面白く、最後には「ついに2時間10分におよぶ大熱演でありました。皆さんもさぞお疲れになったことでしょう」という大きなお世話のコメントまで入っていて、ここで我に返ることができるのは、制作者の計らいなのかもしれない。

 僕は、会社に入って2、3年目のある時期に少し落ち込んで悩み、夜に自分の部屋で独りで酒を飲みながらいろいろなCDを聴いているうちに、真夜中になってヘッドフォンでこれを聴きはじめ、そのときはじめてこの演奏の素晴らしさを悟ったのだった。その翌日は会社を休んで「うぉー」とバイクで南に向けて走り出したのも思い出す。僕はそのときに確かに何かが得られたような手応えを感じたし、それが何だったのかはうまく言えないが、単なる空元気のような一過性のものではなかったことは、いま考えても間違いない。あの夜を境に僕の中で何かが変わったのである。

 僕は、コルトレーンがプロとして活動しはじめたのと同じ位の年齢で彼の音楽を聴き始め、今年で彼が生涯を閉じた40歳になる。さて、自分がやってきたことについてはというと、いまだに何の頂点もないのが実際である。これから先にも、それができるのかいまのところわからない。あまり考えたくはないが、そう考えるとまったく情けないものだ。あの夜以来、何かの理由で悩んだり、落ち込んだ気分になったとき、僕はひとりでにCDラックにあるこの作品に手を伸ばしてきたが、今回はそのことに気がついて、一瞬さらに輪をかけて落ち込んでしまった。それでもこの演奏を聴くと、それは僕の中いっぱいに流れ込んできて、他のことをすべて押し流してしまった。

 僕は、この演奏をコルトレーンが最後に到達した云々というふうには考えていない。日本を去ったコルトレーンは、また新たなスタイルに向けて創造し始めている記録が残されている。それでもその方向性は、これまでの彼の変遷からしても十分納得のいく自然なものだと僕は思う。意外性などということのかけらもない。そんなものを狙っても意味はないのだ。大げさになってしまうが、やはり人生として音楽を追究した彼の軌跡は、自分の中で高めてゆけるものを持たなければ、どんなことでも強くはなれないことをあらためて教えてくれる。

 やはり、思い入れの強い作品をとりあげるのは難しいものだ。結果的に自分には文章の力があまりないなと思うだけで、いつもと同じような駄文になってしまったが、書き上げるのは思いのほか時間がかかってしまった。これまでの他の作品についてももちろんそうなのだが、もしこの駄文を読んでこの作品に興味をもつ人がいたら、僕はとてもうれしい。簡単な音楽ではないが、できるだけ多くの人に聴いてもらいたいと思う。

John Coltrane 公式サイト(代表作品の試聴や映像もあります)

5/05/2004

ジャック=ディジョネット「第5世界へのアンセム」

  ゴールデンウィークを利用して妻の実家がある広島に行き、そこで4日間にわたっていろいろとお世話いただいた。広島には自動車会社でエンジニアとして勤めている僕の実兄もおり、同じく広島市内に住む義妹と4人で市街での会食を楽しむこともできた。

 広島はご存知の通り、世界遺産にも指定されている原爆ドームとその周辺を取り囲む平和公園が街の中心に位置している。沖縄、長崎とともに日本、いや世界を代表する平和を象徴する街である。平和公園周辺では、海外からの観光客の姿も多く見かける。しかし、別の側面では映画「仁義なき戦い」シリーズに代表される任侠世界の大舞台という一面もあり、そういう目で街を見ると、ちょっと威勢のよさそうな人がみんなその筋の人に見えてきたりして、なかなか不思議な感じがする。

 今回の広島訪問では、妻の家族とともに広島県の隣、山口県岩国市にある名勝「錦帯橋」を案内していただき、橋やその周辺での観光を楽しんだ。恥ずかしながら、僕は米軍基地のある岩国が山口県にあることを知らなかったし、錦帯橋に至っては存在すら知らなかった。最近、大きな改修を終えたばかりという錦帯橋は、日本三名橋といわれるだけあって、全景も橋の作りもなかなか見事なものであった。

 橋の近くの河原でお弁当を広げてのんびりした時間を過ごしていると、上空でジェット機の音がした。見上げると岩国基地を飛び立ったと思われる、米軍戦闘機の姿がはっきりと見え、いやでも昨今の中東での出来事の映像が脳裏をよぎった。目の前には改修を終えた見事な橋と、たくさんの観光客、そして広島名物むさしのおむすび弁当。これが現代の平和な1日だ。いつもの癖で、とっさに耳にわき上がった音楽は、ジャック=ディジョネットの「第5世界のための音楽」だった。

 ジャック=ディジョネットは、僕にとっては最も重要なドラム演奏家である。最近の彼の活動で最も有名なのは、ジャズピアニスト、キース=ジャレット氏とのトリオ演奏活動だろう。彼らの演奏を記録したCDのほとんどを僕は持っており、それがディジョネット氏のドラム演奏の深い魅力を知るきっかけになった。彼のドラムは、リズム演奏という域を遥かに超えて、ドラムで歌ってしまう表現がぴったりなところが大きな魅力だろう。これはもうこの人にしかできない独自の境地である。ある僕の友人は彼のドラム演奏を賞賛を込めて「とにかくヘンなタイコ」と表現した。

 この作品は、ディジョネット氏が「平和」をテーマに取組んだ作品である。目玉は、ロックグループ「リビングカラー」のメンバー2人(ギターのヴァーノン=リードとドラムのウィル=カルホーン)が全面的に参加していることである。他にはディジョネット氏周辺の大所ジャズミュージシャンも参加しているが、内容はほぼロックである。ネイティブアメリカンやアボリジニなど少数民族の文明を反映させた作品が中心で、様々な音楽が融合するエネルギーから平和を実現させようという主旨のものだ。作品にディジョネット氏自身がこんな言葉を寄せている。

 Music is energy, and I feel we need the kind of energy that this recording evokes to create the changes needed to heal ourselves and our environment.

 残念ながら現在は廃盤になっているようだが、別の意味で残念ながら(?)、僕の経験上、大きな中古CD屋さんに行けばかなりの確率でこのCDに出会うことができるのも事実である。大御所ジャズドラマーのアルバムということで飛びついてみたものの、中身がまるでロックなので買ってはみたもののサヨナラということらしい。まあその辺は人それぞれであろうが、僕にとってははじめて聴いた瞬間から、とてもとても大切な音楽になっている。このメンバーでなければ絶対に演奏できない、とにかくどエライ音楽である。ロックかジャズか民族音楽かとかはどうでもいい話である。ディジョネットの「ヘンなタイコ」は1曲目から全開で心地よい。

 それぞれの曲は、よく聴いてみるとリズムやハーモニーはかなり複雑な構成なのだが、そういうことを全く感じさせない素晴らしい「賛歌」に仕上がっている。ディジョネットはシンセサイザーやらヴォーカルまで披露しているが、やはり聴きどころはドラムだと思う。この演奏を聴いていると、「じっとしていたって何も起こらない、とにかく立ち上がらないと何も始まらないよ」というようなメッセージが聴こえてくるような気がする。

 タイトルにある「第5世界」の意味は、ディジョネット氏がこの作品を作るきっかけになったアメリカン・インディアンの詩人トゥワイラ=ニーチの言葉によるもので、「セパレーション(分離)の時代である第4世界は終わり、我々はいまイルミネーション(光)とインテグレーション(統合)の第5世界にいる」というような内容らしい。この光という概念、最近つい忘れがちなように感じるのは僕だけだろうか。どうやら日本は光で溢れてしまったらしい。

 世界は平和を願っている、というのはおそらく間違いない事実だと思いたいのだが、こればかりは総論各論の違いがある意味最も如実に出てしまっているテーマだろう。まあこんなところで僕一人がどうのこうのと言っても仕方がないが、やはり音楽は国境や民族の違いを越えて、人々が理解し合える有効な手段の一つとして、大きな役割があると思いたい。そのためにも、先ずはすべての音楽を尊重して理解しなければはじまらないと思う。偏見はいけない。


Jack DeJohnette
 ジャックディジョネット公式サイト
Living Colournet Living Colour公式サイト
広島市ホームページ
岩国市ホームページ
MCCS Iwakuni アメリカ空軍岩国基地公式サイト(基地に勤務する隊員やその家族を主に対象にしたサイトです)