2/21/2009

マイケル=マントラー讃

伊豆の温泉旅館の部屋やラウンジで過ごした心地よいひと時は、大切な人生の想い出になった。そのなかで新しく僕の心に刻みつけられることになったのが、マイケル=マントラーの音楽である。

マントラーの新作"Concertos"が発売されたのは昨年の11月だった。それが僕の手元に届いたのは今月の初めだったが、最初にさっと聴いてみたそのときからこれは素晴らしい音楽だと直感した。じっくりと聴いたのは温泉旅行に持参したiPodを通じて。往路で1回、入浴後夕食前に部屋で1回、翌昼に眺望のいいラウンジでまた1回、そして帰りの車中で1回と計4回これを聴いた。その後体調が回復してからも毎日これを聴いている。

収録されているのは、トランペット、ギター、サキソフォン、マリンバヴィブ、トロンボーン、ピアノ、パーカッションという楽器の名前が冠された7曲である。アルバムタイトルからお分かりのように、それぞれの楽器をメインにフィーチャーした小さな協奏曲集というスタイルになっているわけだが、それぞれの作品とその演奏の素晴らしさはもはやただものではない。

冒頭ではマントラー自身のトランペットが高らかに歌い上げたかと思えば、続くルーペのエレクトリックギターが奏でる旋律がまた何ともいえない美しい流れである。こういう調子で、ラストのニック=メイスン(ピンクフロイドの!)によるパーカッションまで、全く気が抜けることのない緻密な音楽協奏曲の時間が経過してゆく。

ちなみにマリンバとピアノ(演奏者はシュトックハウゼンの息子である)の2曲はソロパートまで完全に書き込まれた作品で、パーカッションのみがソロイストのパートが全面アドリブである。そして残る4曲は一部にアドリブパートが挿入されるスタイルになっている。詳細はマントラーのウェブサイトに全曲のスコアが掲載されているので、興味のある方は是非ともご覧いただきたい。

本作が発売された昨年は、マントラーを有名にした1968年の"The Jazz Composer's Orchestra"からちょうど40年目に当たるわけだが、今回の作品の方法論があの歴史的な名作の現代的再演を意識したものであることは、本人もライナーノートで認めている。前作でファラオ=サンダースをフィーチャーした衝撃的演奏"Preview"のモチーフは、今作のサキソフォンのなかでもはっきりと聴くことが出来る。

オーケストラパートはその規模はほぼ同じであっても、楽器の構成は管弦楽に代わり、奏でられるアンサンブルにも重ねた年月の熟成が繊細さのなかににじみ出ている。セレクトされたソロイスト達の顔ぶれにも、マントラーのその後の音楽活動の幅広さが現れている。

これを機にまた40年前の作品を繰り返し聴いてみたのはもちろんだが、あらためて作品としての完成度の高さに唸ってしまうばかりであった。コリエルをフィーチャーした"Communications #9"の緻密さを再発見し、"Preview"にはわかっていても何度でも打ちのめされる(マゾである)。そしてなんと言っても、2つの作品でソロ演奏を披露するラズウェル=ラッドの聴き比べはなんともエキサイティングだ。

いやもう、マントラーという芸術家に深くハマってしまいそうである、というか既にハマったのは間違いない。昨日には、メイスンをはじめジャック=ブルース(!)等を迎えたロックスタイルのユニットによる"Live"も取り寄せ、活動の幅広さにまたとてつもない位置に座標を拡げられてしまって、楽しく混乱している。

うーん、素晴らしい!これだから音楽はやめられん。わはははははっ!

ノロ

伊豆の温泉から川崎の自宅に戻ったのは土曜日の夕方、和歌山から出張で上京した幼馴染みと川崎駅地下街のビール屋で一杯やることになった。これまでも何度かろぐに登場している彼だが、相変わらずの飲みっぷりにこちらも調子を合わせてしまい、おかげさまでそれはそれはたくさんのビールをいただいたわけである。

レシートによると、大きめのワイングラスより一回り大きい専用のビアグラスに入ったお店自慢の生ビールを、2人で15杯ほど飲んだ後、ウィスキーのオンザロックを彼はダブルで2杯、僕もシングルで2杯いただいた。彼は平気だったようだが、僕はすっかり酩酊寸前で自宅に戻った。

さすがに翌日曜日の朝までは少し頭が痛んだが、起きる頃には気分もなんとか平常に戻ったかに思えた。妻と少し散歩がてら武蔵小杉にある餃子の王将まで出かけ、餃子やラーメンを食べ、イトーヨーカドーで買い物をして家に戻った。

お腹の調子がおかしいと思い始めたのはその日の夜からだった。汚い話で恐縮だが、もう完全な下痢なのにお腹が緩くて超特急というわけではなく、トイレでさんざん頑張ってようやくそうしたものが力なく流れ出てくるという状況。いまにして思えばもう腸が完全に機能不全に陥り仕事ができないという状態だったのだ。

夜半までそういう状況で苦しんでいたら、ある時急に吐き気がした。主にお昼に食べたもので胃に残っていたものが逆流してきて、洗面所で激しく嘔吐。あまりの激しさに嘔吐物が鼻のなかにまで流れ込んで詰まってしまう始末で、これはさすがに辛かった。

胃の中身が全部出てしまうと気分は急に楽になったが、全身がだるく、消化器系が機能停止状態にある何ともいえない不健康さが心身に充満した。翌月曜日の朝は少し甘い野菜ジュースを少し飲むのが精一杯だった。仕事は休んだ。

そうこうしているうちに午後になると今度は高い熱が出てきて、一時は38.8度にまであがった。それまでは単に飲み過ぎでお腹をこわした程度に考えていたのだが、ここにきて職場の人間と交わしたメールにあった「ノロウィルス」という言葉に、妙に納得してしまったのである。確かにネットで調べてみると、「腹痛→下痢&嘔吐→高熱」と絵に描いた様な症状経過をたどっていた。

このウィルスは経口感染で潜伏期間が短いのが特徴らしい。いったいどこでもらってきたのだろうかと、いろいろ考えてみたのだが、ビール屋で一番最初に出てきたおつまみが、大きな巻貝をそのまま昆布出しで煮たもので、引っ張り出した身のうち僕はオシリの方の柔らかい部分を食べた。それがその日の陽気もあってか少しねっとり感じられたのをいまでも思い出す。

まあ結局のところ原因はよくわからないし、本当にノロウィルスなのか単なる飲み過ぎなのかもはっきりしない。おかげで僕は火曜日も仕事を休んでしまい、今週は3日間仕事をしただけだった。おかゆや肉の少ない食事を摂り、アルコールも金曜日の夜まで一切飲まなかった。おかげで体重は2kg減り、体脂肪率に至っては5ポイントも減少した。

妻にうつったら大変だと心配になったのだが、幸いそれは大丈夫だったようだ。

まあ何はともあれ、やはり暴飲暴食はいけないということだ。それと栄養面でも量的にも節制した食事は健全な身体の状態をもたらしてくれる、このことにあらためて気づかせてもらった。身を以て反省した一週間であった。

2/17/2009

望水

子供が産まれたらしばらくはのんびり旅行どころではないだろうからと、1日仕事を休んで伊豆の温泉旅館に出かけることにした。

今回お世話になったのは伊豆北川温泉「望水」という宿。伊豆では比較的お高い宿として有名らしい。そんなところに少し料理のグレードアップまでして予約を入れた。倹約が強いられる昨今のご時世からすれば、なんたることかと思われるかもしれないが、これも亡き父母が遺してくれた旅行券があったから。

会社を定年て円満退職する際に、夫婦で海外旅行でもどうぞとばかりに、会社や年金組合から退職金とは別に旅行券が支給されるのがはやった時期がある。父が退職したのは16、7年前のこと。不動産と株のバブルは崩壊していたが、まだその本当の影響が姿を現すには至っていなかったころのことだった。

海外とりわけヨーロッパに旅行するのは母親の念願だったが、臆病な父はなかなか腰を上げず、しまいには母に「誰か友達と行ってこい」とかいう始末だった。結局、母親はロマンチック街道を夢見ながら病に倒れ、残された父もこの旅行券を使うことはなかった。父の遺品を整理していて、タンスの奥に隠すようにしまわれていた旅行券が出てきたときは、そんな悲しい思い出だけがよみがえった。

結局、兄と折半して貰い受けることにした。気風のいい(といっていいのか)兄は、早々に北海道旅行を楽しんだようだが、我が家ではなかなかこういうものを使う機会がなかったので、今回の旅行で大胆に使ってしまおうと考えた次第だ。

伊豆北川(ほっかわ)温泉は、熱川温泉のすぐ近くにある海岸沿いの温泉街である。川崎から伊豆急熱川駅まで踊り子号に揺られて(本当によく揺れた)約2時間で到着。そこからは迎えの車で5分ほどのところにある。現れた玄関からは平屋建てのように見えるが実はこれが最上階で、建物は岸壁に沿って8つの階からなっている。

部屋割りの関係で事前に予約してよりもグレードの高い部屋に通された。通常の和室のほかに、応接セットがおかれた小さな洋室と小さな和室がついている。天気は雨こそ降っていなかったが、これから翌朝にかけて春の嵐と予想されていた。海は少々荒れ模様だったが、おかげで窓からは心地よい波音が十分に楽しめた。

こんな経験を滅多にしない僕らにとっては、食事も設備もサービスも特に言うことなしである。正直他には何もないところなので、旅館でのんびりできるプラン(チェックアウトも通常より1時間延長)にしたのが正解だった。部屋を出た後も結局眺望のいいラウンジで音楽を聴いたりとのんびりした時間を過ごした。このとき聴いた音楽についてはまた別のろぐで。

プライベートガゼボ「さゞ波」での貴重な入浴シーン(妻撮影)


部屋の窓から空を眺める(海の上に広がる雲はいいものである)

2/08/2009

丈夫で長持ち

理由あってテレビやオーディオ関係の設備を一部リニューアルすることを考えていた。一番の目的はテレビを買い替えること。デジタル放送に対応した薄型テレビに我が家もようやく乗り換えようかと思い始めた。アナログ放送の終了までにはまだ少し時間はあるが、調べてみると薄型テレビの値段もずいぶんと安くなってきている様だ。

そもそも正月に兄の家に遊びに行って、そこで超大型のプラズマテレビやら最新式のデジタルAVアンプなどを目の当たりにしたことにも影響されたのだと思う。確かにあのシステムは値段相応の凄いものだと思った。ハイビジョン放送で観たアルプスの自然の情景などは、本当にそこにいる様な感じすら覚えそうだった。

しばらくはすっかりその気になっていたのだが、最近になってそれがかなりトーンダウンし始めた。もちろんお金の問題はある。経済の先行きがまったく不可解で仕事の将来も含めてこれから一体どうなるのやらという不安もある。しかしそれとは別に、新しくモノを買うということに少し慎重にならないといけないなという気持ちが強くなってきた。

最近のデジタル系耐久財というやつは実に寿命が短い。すぐに壊れるということではなく、すぐに仕様が古くなってしまう。使っていて深い愛着がわく様なものではないのをいいことに、接続するインターフェースが新しいものになったというような理由で、特に未練も持たれないままお払い箱になってしまう。

先日、2002年に買ったコンピュータを業者に引き取ってもらった。幸い15000円程の値を付けてくれたのでまだよかったと思っているのだが、実際には買った値段の10分の1以下である。おまけにそれよりももっと以前から使っている大きな17インチのCRTモニターはそのまま残されてしまった。これはお金を払って処分業者に引き取ってもらうしかなさそうだ。

同じ買うなら安いにこしたことはないのだが、一方で、できるだけ長く使える品物を選びたいものである。別に電気製品に限ったことではない。家具でも車でも、そして洋服やブーツもそうだし、音楽ももちろんそうだ。気をつけなければいけないのは「安い=寿命が短い、使い捨て」では決してないし、「高い=長く使える」も決してそうとは言い切れない。

だまされてはいけないのだ。

2/01/2009

フットルース

レポートの作成が佳境となるなか、これからの仕事のこととか組織のこととかいろいろと気を揉むことが多く、なかなか思うように作業がはかどらなかった。結局、自分が一番力を入れているレポートの発行は、週明けに持ち越しとさせてもらって、仕上げは共同作業者と分担のうえ、それぞれ自宅に持ち帰っての作業ということになった。

それでも金曜日の時点ではあらかた作業は済んでいるとやや軽く考えて、土曜日はお天気が悪いらしいから一日家で作業をしてレポートを完成し、日曜日はまたのんびり出かけようなどという気でいた。

しかし実際に持ち帰ってあらためて作業経過を眺めてみると、やっぱりまだ5割程度しか出来ていないことに否応でも気がつかされる。追い込まれている最中に時折間をさす楽観というのはそういうものだ。いわゆる悪魔のささやきというやつだ。

結局、日曜日に行こうと思っていた散髪も返上し、それでも十分な余裕を織り込ませながら2日間作業に取り組んだ。おかげでなんとか9割がた作業を終えることができた。最後の仕上げは、月曜日の朝に相方の作業内容を見て午前中で一気にまとめあげよう。またそんなささやきが頭の中をかすめ通った。

夜は妻に代わって僕がパスタを作った。これまでも月に2、3回はこういう感じでやってきているが、パスタは慣れるといろいろな材料を自己流にアレンジして(といっても加熱して炒めるというのがほとんどなのだが)作ることが出来る。

今日はブロッコリーとスナックエンドウ、スーパーで買ったドイツ語っぽい名前のソーセージ、それに卵焼きが入っている。ベースはオイルとニンニクと赤唐辛子である。うちのパスタはともかくすごい分量。今回も350g程度あったと思う。妻は毎回おいしいと言ってくれるが、実際に他人に食べてもらう機会がこのところほとんどない。

最近気がついたのだが、僕はどうやら冷え性のようだ。あるいは冷え性になったという方が正しいのかもしれない。この季節、気がつくと足先や手先が冷たい。血の巡りが悪くなっている証拠だというが、数年前椎間板ヘルニアで苦しんで以来、どこか感覚のおかしい左足は特に冷えを感じる。

もうすぐ父親になるのだからいまのうちから身体をもう少ししっかりさせておかないとなあと思う。なにせ僕はもう44歳だ。子供をだっこしたり一緒に走ったり、もしかしたら取っ組み合いをしなければならなくなるかもしれない。筋力はともかくスタミナをつけておかないといけないだろうか。そんな心配をよそに妻のお腹は順調に大きくなっている。

少し前に取り寄せたポール=ブレイの初期の演奏を収録したCDがお気に入りだ。"Complete Savoy Sessions 1962-63"と題されたこの作品は、従来"Footloose"のタイトルで知られるブレイ初期の代表作のセッションを収録した完全盤である。ブレイ自身の作品の他、当時の妻カーラやオーネットの曲の入っている。

人の演奏スタイルについて誰々の影響が云々とかいうのは、あまり意味がないと思うようになった。ECM時代になってから最近に至る彼の作風を代表する「音数が少ない」という印象とはかなり異なり、当時のジャズピアノのスタイルからそれほど大きく外れているわけでもない。ベースはスティーヴ=スワロウ、ドラムはピート=ラ ロッカが努めている。

もちろん彼の独自性は既にそこここに感じられ、それがパウエルやエヴァンスらのスタイルとうまく入り交じっている、そういうところがこの作品の魅力なのだと思う。意外にこれから長い付き合いになりそうな予感がするピアノトリオ作品である。何事も多少の怪しさがなければつまらない。