7/31/2004

ウィントン=マルサリス「ライブ アット ザ ヴィレッジバンガード」

  暑い毎日、昼間はオフィスで、夜は自宅でかかさずエアコンのお世話になる。歳をとるごとに気をつけるようにはしているのだが、今年は久々にエアコンにあたって体調を崩してしまった。一気に38.8度も熱が出ると、かなりしんどいものであるが、幸い1日会社を休んで寝ていたら熱は下がった。おかげでこの土曜日はどこにも出かけずに自宅でエアコンもかけずにじっとしている。西向きに進む不思議な台風の影響もあって、湿った空気ではあるが、ときおり風が吹き抜け、身体をいたわるには悪くない気候だ。青い空に蝉の声がして夏らしい。

 おまけに、そんなプチ療養生活(?)のお供にちょうどよいCDセットを手に入れたばかりだった。ウィントン=マルサリスのこの作品は、ニューヨークの名門ジャズクラブ「ヴィレッジバンガード」での演奏を7枚のCDに収録したものである。それぞれのCDは月曜日から日曜日までの各夜ごとのセッションをイメージして作られている。実際には、1991,93,94年の複数のセッションから選ばれたライブ演奏を丁寧に編集してつくられており、曲目によって演奏メンバーも異なるのだが、ちゃんとオープニングとエンディングまでつけられていて、これがあたかも一つのセッションのように聴こえてしまうから不思議である。もう夏の間中これを繰り返し聴いていても飽きないのではと思えるぐらいの名演揃いである。毎晩こんなに楽しいセッションを前にみんなでビールが飲めたら、それはそれは楽しい毎日に違いない。

 ウィントンは1980年代から兄のブランフォードとともにジャズの「神童」として華々しくデビューした。卓越したテクニックと音楽性で、1970年代以降影が薄くなっていたジャズの復活に貢献したことも事実であるが、1980年代後半あたりから(おそらくは1986年のマイルス=デイビスの死あたりを境に)、ジャズがより大きなカテゴリーへと移行する時代の必然のなか、彼ら自身の考えと、レコード会社(具体的にはコロンビアレコード)、評論家たち、そしてリスナーたちの間で様々な葛藤が生じたことは間違いない。そのあまりにも見事な技巧とも相まって、彼らは極端な賞賛と非難を受けることにもなった。

  早くからマイルスやスティング、その他クラブミュージック系アーティストとの共演で音楽性を広げたブランフォードに対して、ウィントンはコロンビアレコードお得意のクラシック音楽にも活動を拡げる一方、ジャズではある種「黒人原理主義」的ともとれる色彩が強い作品群を発表し続ける。マチスの絵画をジャケットに使った1989年の作品「マジェスティ オブ ザ ブルース」(写真右)でその傾向はピークに達し、評論家のみならず、キース=ジャレットやリー=コニッツといったジャズミュージシャンからも、その主張に対する疑問が呈されてしまうことになる。

 僕はマルサリス兄弟の音楽は大好きで、特にブランフォードについてはほとんどのアルバムをチェックしている。一方、ウィントンについては先の「マジェスティ〜」は大好きだったのだが、それ以降にはクラシック含め様々な作品が発表され印象が散漫になってしまった一方で、僕自身がテクノやら現代音楽へとあらたな探求に出かけた時期でもあり、正直彼の音楽からはしばらく遠ざかってしまっていた。

 マルサリス兄弟は21世紀に入って相次いでコロンビアとの契約を打ち切り、また新たな活動期に入った。ウィントンはジャズの名門ブルーノートレコードと契約し、先頃素晴らしい新作「マジックアワーズ」を発売した。これは僕も購入したが、ある意味肩の力が抜けたリラックスしたアルバムだった。そんなわけで、しばらく遠ざかっていたウィントンの音楽が気になりはじめていたのであった。少し前のろぐで書いた、押し入れから引っぱりだした100枚の中にも彼の作品が2つ入っていた。そこに今回の作品が廉価版として再発されたというニュースが届いた。コロンビアもマルサリスの遺産でさらに一儲けしようというわけだ。僕がアマゾンで購入した価格は4500円位であり、これはかなりのお買得である。

 7枚のCDに、コロンビア時代のジャズの総括とも言える作品が一杯に詰まっている。モンクやエリントンなどのスタンダードナンバーも多数収録され、先の「マジェスティ〜」も含めて代表的なオリジナル作品もかなり入っている。演奏はどこか説教的なスタジオ録音とは異なり、ライブならではのエモーション性やエンターテイメント性に溢れている。本当に夏の間中毎晩これでビールを飲みたい気分になる作品である。まあ当てつけではないが、同じ7枚組でもECMから発売されているキース=ジャレットの「ライブ アット ザ ブルーノート」よりは充実した内容だと思う(もちろん僕はキースの大ファンでもあるのだけれど)。

 「マルサリスの音楽はどうも。。。」とためらっている人も、「ジャズは何を聴いたらいいの」と迷っている人も、このセットは素晴らしいお中元となること間違いなしである。続けて聴いても7枚などあっという間に終わってしまいます。う〜ん、もう1枚!それからビールおかわり!

WyntonMarsalis.net コロンビア時代のウィントン公式サイト
Branford Marsalis ブランフォードの公式サイト

7/24/2004

ジョン=スコフィールド「スティル ウォーム」

  この1週間は、前回のろぐでご紹介したジョン=スコフィールドの「エンルート」(フランス語の発音では「アンルート」となるのだそうです)をMP3プレイヤにいれて持ち歩き、仕事の行き帰りには、そればかりをひたすら聴きまくった。あれは本当にいい作品です。1週間聴き続けても飽きません。未聴の方はぜひぜひ。

 その際に、プレイヤの余ったメモリに収録したのが、同じくスコフィールドの1986年の作品「スティル ウォーム」である。国内発売された当時はなぜか「鯔背(いなせ)」というタイトルが付けられていた。わかったようなわからないようなタイトルである。これは、いわば彼の出世作ともいえる作品である。スコフィールドの名が多くの人に知られるようになったのは、ジャズトランペットの巨人マイルス=デイビスのグループへ参加したことがきっかけだった。

 この作品では彼の「変態フレーズ」とも言える独特のギターワールドがたっぷりと展開されている。作品はすべて彼のオリジナルで、その後の彼の十八番となった難解曲「プロトクール」をはじめ、いずれも名曲揃いの内容だ。ここからほぼ20年が経過した現在の彼の姿が「エンルート」だと考えると、その間、常に第一線にいながら、自分のスタイルを研究進化させる彼の努力は並々ならぬものだということが実感できる。煮詰まらない才能とでも言うべきか。多くの演奏家は、自分が変われないので、伴奏やスタイル、ジャンルなど周囲を変えて適応しようとするが、彼は様々なセッションに関わりながら、自身のスタイルも少しずつ進化させているところが素晴らしいと思う。これはきっと音楽の世界だけでなく、様々なところでも大切なことなのだろうと思う。

 さて、今日は朝から、数ヶ月ぶりにベースを持って川崎市内にある音楽スタジオ「八泉」さんに行った。考えてみれば独りでスタジオに入るのははじめての経験だった。そもそもエレキベースは、ヘッドフォンでも練習できるから、独りでやる分にはわざわざスタジオを借りる必要はないのだが、今日はどうしてもアンプで大きな音を出してみたかったのと、エアコンがよく効いた環境でじっくりと指慣らしをしてみたかったという理由から、わざわざスタジオに出向いたのだった。時間は1時間だけと比較的短かったが、指慣らしやら、楽器の調整、それからちょっとした作曲までできてしまい、なかなか充実したひと時だった。

 スタジオの人に訊いてみると、土日はなかなか繁盛しているそうで、この日もお昼以降の予定は3つあるスタジオすべてが夜までほぼ満杯という状態だった。同じ趣味の人がそれなりに頑張って活動しているのだなと知ると、なにやら嬉しくなると同時に自分も頑張らなくてはと感じた。このスタジオは、昨年にオープンしたレンタルスタジオで、何と言っても機材が新しいのが嬉しいところである。僕が学生の頃は、スタジオの機材と言えば、大きなヤマハのベースアンプだった。これはエレクトリックベースの本来の音色を、無味乾燥なうるさい音に変えてしまうという代物で、僕は大嫌いだった。スタジオ八泉さんのベースアンプはすべて米国SWR社のもので統一されており、これはなかなかクリアで力強い音を出してくれる。いい楽器を持っている人ほど、この楽器でよかった〜と感じさせてくれるのではないだろうか。

 最近はスコフィールドやジャコを聴いているせいか、今日は僕が2本持っているエレクトリックベースから、わざわざ重くて古い方のベースを持っていった。こちらはいかにもエレキベースと言う音色が気に入っているもので、今日は自己満ジャコになりきって楽しんだ。といってもなかなか指は思うように動いてくれず、もどかしい思いもした。またしばらくの間は、ちょくちょくスタジオに足を運ぶのも悪くないなと思った。SWRのキャビネット(スピーカのこと)から出てくる大きな音は、それだけで気持ちがよいものだった。

 終わった後は、京都本店のラーメン店「天下一品」でこってりラーメンを食べて、そそくさと家に戻り、ベースを置いてランニングウェアに着替え、午後の多摩川の河川敷を1時間ばかり歩いた。歩いている間は音楽は聴かなかったが、ジャコやスコフィールドの音楽が鳴り響き、僕の指はそれに合わせて動き続けた。

7/19/2004

ジョン=スコフィールド「エンルート」

  この数日間のうちに、とても楽しいドリンクセッションに2度も巡り会うことができた。いずれも音楽を中心に共通の話題を持つ飲み友達とのひと時で、うち一 人は大学時代からの友人で、なかなかの腕前のサックス奏者でもある人である。彼は現在ミラノに在住しており、年に1回くらい仕事かプライベートで帰国して くる。僕らはその度ごとに東京で一杯やることにしている。彼からはいろいろと音楽的に影響を受けたのだが、今回久しぶりにサシでジャズについて語りあかし て、お互いつくづくよく聴いているもんだなあと感心してしまった次第である。短いひと時であった楽しいセッションだった。

 いずれのセッションも、舞台はJR田町駅近くの(自称)西洋居酒屋「カドー」さんである。このお店には、会社で働き始めてからかれこれ10数年にわたって何かとお世話 になっている。いわゆるショットバーで、初めてお店に足を踏み入れた人は、逆さまに並べられたボトルの数に圧倒されるが、雰囲気は至ってカジュアルな居心 地のいい飲み屋さんである。お酒にはかなりのこだわりがあり、ビールから、ウィスキー、焼酎に至るまで、なかなかいいものを揃えてくれている。20代の頃 には近所の洋食屋か中華屋で腹ごしらえをしてから、このお店で会社の仲間とウィスキーをあおるのがスタイルになっていた。銀座や六本木にあるスタイリッ シュなバーにも足を運んだが、結局はここに落ち着いてしまった。お酒をしっかりと飲める人と行くには持ってこいのお店である。

 今回は、 新譜で購入したジャズ作品に久々に当たりが出たのでそれを紹介したい。ジョン=スコフィールドは僕が大好きなジャズギター奏者のひとり。1980年代後半 から90年代にかけて活動は、当時ジャズに入り浸っていた僕としては、マイケル=ブレッカー、パット=メセニーなどと共に、とてもその動向を楽しみにして いたアーチストであった。

 既に21世紀に入り、ジャズは大きく曲がり角を迎えているわけだが、個人的な感想としては、その流れのなかで ブレッカーとメセニーの2名は、残念ながら僕にとってはあまり重要な存在ではなくなってしまったというのが本音である。今世紀に入って相次いで発売された 彼らの作品については、僕にとっては彼らが大きな流れの中に埋没してしまったようにしか聴こえなかったのが、とても残念であった。その意味で、スコフィー ルドの新作が出ると知った時も、その点が少なからず心配であったのは事実である。

 タイトルの"EnRoute"とは、英語では"On the Road"という意味だと思う。その名の通り、ニューヨークの名門クラブブルーノートでのライブ演奏を収録したものである。彼のギタースタイルは、 1990年代前後の名演に聴かれた「変態フレーズ」中心の内容から、よりオーソドックスなジャズギターのスタイルに広がっているように思える。不安定な音 程を演出するチョーキングの頻度が明らかに減っていて、その分、スピーディーなフレーズで力で推してくる印象が新鮮だった。もちろん、彼らしさがなくなっ たということではなく、それをベースにした新しいものをジャズの世界に築き上げているという感じだろうか。僕は自分では保守的なジャズファンであるつもり は毛頭ないのだが、今回のスコフィールドの新作に、新しいジャズへの挑戦がしっかりと感じられ、タイトルの意味に、ある種の自信さえ垣間見える思いがし た。

 さて、そんなスコフィールドのゴキゲンな演奏の力を借りつつ、日本では3連休であった昨日に体験したことを少し紹介しておきたい。 僕は独身の頃から、オートバイで三浦半島に出かけるのが好きだった。半日で帰って来れる手軽さと、海を中心にそれなりに充実した自然が楽しめるところが気 に入っていて、冗談抜きにもう少ししたらここに家を買うのも悪くないかなと考えていいる。いまはバイクは手放してしまってないが、この休日に妻と二人で電 車とバスで三浦半島巡りをしてきた。気温は高かったが、薄曇りで極端に強い日射はなく、海岸を歩いたりするには悪くない気候だった。少しだけ写真を紹介し ておこう。

三浦海岸とはまた異なる雰囲気を持つ大浦海水浴場付近。きれいです。

南下浦のシンボル劔崎灯台。なんと1871年から東京湾に明かりを灯しています。「劔崎」の名の由来は、、、現地のプレートに説明がありますよ。

劔崎灯台から間口漁港方面を望む

三崎港といえばやっぱりマグロです。三崎港バス停すぐのところにある「さくらや」さんでマグロ丼とネギトロ丼をいただきました。ビール1本込みで合計3200円也。


この日は海南神社のお祭りも重なって道路が大渋滞。バスが三崎港から次の三崎東岡のバス停までの500mを行くのに2時間(!)という異様な事態に、三崎口駅までの4kmを歩いて家路につきました。途中、畑のヒマワリの花が元気に励ましてくれました。


 えぬろぐをはじめてからちょうど半年で1000アクセスをいただきました。地味でしょうもない内容にもかかわらず、日頃お読みいただいている皆さん、ありがとうございます。まだしばらくは続けるつもりですので、よろしければおつき合いください。

John Scofield-Jazz Guitarist ジョン=スコフィールド公式サイト
三浦市ホームページ

7/08/2004

ケニー=ドーハム「アフロ キューバン」

  夏だ!○○だ!まだ7月も初旬だというのにこの暑さはひどい。今日は用あって、真っ昼間に会社から10分ほどのところまで歩いて出かけたのだが、目的地に着いたら汗がもうドバドッバである。用を済ませて、帰りに昼飯だと吉野家に入って「豚キムチ丼」をかき込んだ。残念ながら出て来たのはキムチをトッピングした豚丼で、いわゆる炒め料理の「豚キムチ」(キムチを先に炒めるって知ってましたか?)とはほど遠いものだった。そしてまた10分歩いてオフィスに戻る。時間は12時45分。しばらくは呼吸困難になりそうなほどだった。ひたすら冷水機の水をかぶ飲みした。

 さて、夏だ!○○だ!を音楽で考えてみると、う〜自分ではさほど好きなジャンルではないのだが、やっぱり夏だ!ラテンだ!になるのだろうか。レゲエとかボサノバとか他に思いつくのも広い意味のラテンばかり。えぬろぐ的には、夏だ!フリーだ!(これは響きはなかなかよいが音楽となるとどうだろうか)とか、夏だ!シュトックハウゼンだ!とか、キメてみたいが、実行するには相当にエアコンの助けを借りないと、炎天下ではそのまま意識不明になりそうである。

 ということで、今回は僕の好きな数少ないラテンジャズを紹介する。「アフロ キューバン」とはもう名前がモロである。これはもちろん前回のろぐで書いた、押入れから生還した100枚のうちの1枚なのである。冒頭から、暑苦しい感じのホーンアンサンブルが「バババッ!」とたたみかけてくるところで、もう太陽と海と熱風が感じられる。ラテンパーカッションが奏でる軽快なリズムに乗って、ドーハムならでは小粋なラテンテーマ、そして続いて1950年代半ばの、ゴキゲンな何の迷いもなかった時代を謳歌するジャズらしい、ソロ演奏が次々に披露されていく。

 僕にとっての聴きどころは、何と言ってもテナーのハンク=モブレーである。もちろんドーハム他の演奏もナイスではあるが、ここはやっぱりモブレーだ。僕はこの人の演奏に関しては、1950年代のものがなんといっても大好きなのだ。有名な「リカード ボサノバ」を収録した1965年の「ディッピン」など足下にも及ばない、モブレーの屈託のないゴキゲンなテナー演奏。それがもうラテンにのってチャンチキチンなのだ(わけがわからんが)。夏だ!ラテンだ!モブレーだ!とやってしまってはリーダーのドーハムに失礼だが、僕にとってはこのアルバムはそういうものである。モブレーのカッコよさをはじめて実感したアルバムだった。

 このアルバムは海でラジカセ全開でも、車で高速をぶっ飛ばしながらでも、エアコンのきいた部屋でビールをグッとやりながらでも、何でもあいます。もう書きながら暑くてたまらんのでまた聴いてしまおう!


 さて、ついでと言ってはなんだが、夏だ!○○だ!の食べ物編をひとつ。カレーもうなぎも捨てがたいが、今回ご紹介するのは「鶏飯(ケイハン)」という食べ物である。ご存知だろうか。以前に我が家に遊びに来てくれた友人ご夫妻のご招待で、先方の家にごちそうになった際に、奄美大島出身の奥様が作ってくれた郷土料理である。温かいご飯の上に、鶏肉をゆでて細切りにしたものと錦糸卵をトッピングし、薬味として奈良漬けのこま切り、醤油で煮て細かく刻んだ椎茸、そして貝割れ菜をのせる(このへんは家によって流儀があるらしい)。そこに熱〜い鶏ガラスープ(塩と醤油で味を整えたもの)をたっぷりとかけていただく料理である。材料からするにこの食べ物は、いわば親子丼のかなり大胆なリミックスという感じである。

 こう書くと、お味の方はなんとなく想像はつくのではないだろうか。これがもう抜群にウマい!のである。客人としてはお恥ずかしい限りだが、夫婦そろってオカワリをしてしまった次第である。これは夏に限らずかもしれないが、特に暑い日には最高である。さらさらと心地よい塩加減のスープにのって、程よく和らいだご飯とさっぱりした具が流れ込んでくる。鶏ガラスープを家で作るなど、子供の頃は母親が当たり前にやっていたが、最近は鶏ガラを入手するのもちょっとした手間である。意外に簡単ではなさそうな料理であるが、これは是非作り方を教わっておきたい一品である。トライしてみたい人は最寄りの・・・どこだろう?奄美料理のおいしいお店ってあるのかな?

(いただいた鶏飯の写真です。少し暗くてせっかくの鶏飯のイメージが台無し、奥さんスイマセン!)

7/03/2004

ジャコ=パストリアス「ライブ イン ニュ−ヨークvol.5」

 2000枚もCDがあると、狭いアパートでそれをいっぺんに収納できる棚を置くのは無理である。同居を始めるにあたって、部屋に置く家具を選んできるときに、なんとか700枚収納のラックを1台設置させてもらうことに、妻の同意をとりつけることができた。あとは買ったばかりのものを中心に、オーディオラックの下にあるスペースに収めていたのだが、そこも溢れていまやラックの前の床に、妻の冷たい視線に耐えながらぞろぞろと列を作っている有様である。

 それでも残りの1000枚程度はやむを得なく引越時の段ボール3箱に詰められて、押入れにしまい込むはめになっている。当初、ラックに収納するものを厳選したつもりだったが、何年も生活しているうちに、聴きたいものがいろいろ出てくるのは当たり前である。あれどこだっけと聴きたいCDを探してラックや床にないことがわかると、これはもうため息ものである。押入れにある箱のなかから呼び戻すのは容易なことではないのだ。僕はそういうストレスをある程度忘れたりためたりしながら、それが一定のところまで来ると、意を決して押入れから箱を取り出して、ラックにあるあまり聴かなくなったものとの入れ替えを行うことにしている。文字通りのお蔵入りである。

 いままでのところだいたい年に1、2回のペースでそれをやってきた。ところがここ1年半ほどは、腰を悪くしたので、段ボール箱を出し入れすることができず(さすがにCDが一杯に詰まると重くなるものだ)、フラストレーションを溜めながらも諦めていたのである。それがここのところ体調が劇的な改善をみるようになり、とうとう今日、意を決してCDの入替を実施することになったのだ。

 今回は100枚程度の入替で、お蔵入りとなるほとんどがこの2年ほどの間に購入したものからあまりパッとしないものが中心だった。替わって部屋に帰って来たCDは、このところ聴きたくてうずうずしていたものばかりである。何か一気に100枚のCDを買ったような気分である。このろぐにもこれらの中からネタとして登場することになると思う。

 さて、さっそくその中から今回はジャコ=パストリアスの晩年の様子を収録したライブアルバムを聴いている。ジャコは言うまでもなく、エレクトリックベースに革命を起こした演奏家であり、僕にとっても、多くのエレキベーシストにとっても永遠のアイドルである。実は先日ある若手エレキベーシストのソロアルバムを購入してみたのだが、なんらの驚きもない内容にがっかりしたばかりであり、ジャコの荒々しい演奏が聴きたくなっていたのだった。

 僕は幸い生前のジャコを2回生で観ることができた。1回目は1983年の春、自身のグループを率いての来日公演を大阪のフェスティバルホールで体験した。当初、ギターがマイク=スターンの予定だったのが、来日が不可能になり、急遽代理で出演したのが渡辺香津美だった。この頃のジャコはまだまともではあったが、コンサートの内容はやはり彼らしい奇抜さに溢れていた。

 当時、ギターマガジンに連載でコラムを執筆していた渡辺氏が後にそのツアーのことを書いていたが、とにかく事前に決めた曲目は本番では次々に変更され、全く予定にない曲をやるのも日常茶番という状況だったらしい。東京公演では、いきなりウェザーリポートの代表曲「ブラックマーケット」のイントロを弾き始め、唖然とするメンバーのなかで渡辺氏がうろ覚えのテーマをギターで演奏した後「アイムノットシュア!」と苦笑いしながら叫ぶと、ジャコは「ガッデム、カモンカズミ!」とそのまま演奏を続けたのだそうだ。

 僕が観た日も、メンバー紹介の後に、その日が誕生日だったあるメンバーの紹介の後に「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」をジャコが歌い出したと思ったら、そのままそのハーモニーでアドリブ大会に突入してしまった。他の曲でも誰がどういう順番でソロをとるとかそういう細かいことはほとんど場当たり的にやっているようで、さながらジャムセッションを観ているような感じであった。これには僕はとても刺激を受けた。自由に音楽が演奏できるということの素晴らしさを初めて知ったのだった。

 2回目は、その3年後だったと思うが、タバコ会社主催の夏のジャズイベントにギル=エバンスのオーケストラにジャコがジョイントするというとんでもない豪華な企画で来日したのを観に行った。事前にNHK-FMが生でオンエアした東京公演はなかなかのできだったので、期待して出かけたのだが、残念ながら大阪でのジャコは酒でラリってしまっており最悪の状態だった。あの時はとても悲しく悔しかった。共演したギル=エバンスも悲しそうだった。

 その後、ジャコは1987年に36歳でこの世を去る。原因は泥酔の結果、店員に殴られたことによるものだった。僕はアルバイト先の塾の控え室で眺めていた夕刊の訃報欄でそのことを知った。

 この作品はいわゆるブートレッグであるが、内容も音質も非常によい。収録時期は1985年ということになっているようだが、定かではなく、他に全部で8枚の作品が同じ発売元からリリースされている。この第5集ではギターのマイク=スターンら4人編成のグループでの自由なセッションの様子が収録されている。もちろん内容は相当粗っぽいが、これがある意味で本当のライブというものの醍醐味だと思う。僕が大阪で初めてジャコを観た時の衝撃を、何か彷彿とさせるものがある。アルバムの末尾にジャコが、演奏終了後のクラブでピアノを演奏しながら何かを楽しそうに話している様子が収められており、ここがなんとも泣けるトラックである。

 体調もよくなって来たことだし。久しぶりに思いっきりベースを演奏してみたくなた。

Jaco Pastorius.com 公式サイト 〜ジャコの曲のタイトルにもなっていた4人の子供たちの近況も出ています。皆元気なようです。メアリーの回想は泣けます。その他共演アーチストたちのインタビューなど満載です。

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