1/30/2005

ジェフ "テイン"=ワッツ「ディテインド」

  早いものでもう1月が終わろうとしている。昨年末にブランフォードのDVDに興奮しながら、あけましておめでとうごさいますとこのろぐに書いてから早くも1か月が経ったわけだ。この間、僕にはプライベートなことを中心にいろいろな出来事があった。気持ちの上でちょっと疲れることが2度続いて、多少辛い面もあった。いまはまだそのことについて書くのは控えたいと思う。

 この週末は、東京の青山に木製家具の工房を見に行ったり、都内のいわゆる高層マンションというものを見学に行ったりと、なかなか充実の時間であった。運動というつもりではなかったが、かなりの距離を歩いて少し肉体的なだるさも残っているが、精神的な疲れを忘れさせるには心地よいものである。

 今月に入って、音楽的には日本の現代音楽、そしてコンピュータミュージックの演奏家による即興演奏などを中心に聴きながら過ごすことが多かった。正直、この手の音楽は歳とともにだんだん聴きづらくなるのではと考えていた時期もあった。心のどこかで、僕自身そうしたものを聴くのは少し無理をしていて、何か使命感の様な意味でという部分があるのかな、と感じていたこともあった。

 このろぐを書いていても、最初の頃はやや意図的にその手の作品を取り上げることもあった。しかし、実際に書き続けてみて過去の記録を少し振返ってみると、やっぱり自分は本当にそうした新しい音楽を聴きたくて仕方がない時があるんだな、ということがよくわかった。今月はとにかくそういう1ヶ月だったのだ。前回紹介した作品のレコード会社、ハットハットのサイトに、そんな僕の気持ちを代弁してくれているような、アメリカの作曲家ジョン=ケージのこんな言葉を見つけて、うれしく感じた。
「私が聴きたい音楽は、私がこれまでに聴いたことがない音楽だ」
いかにもストレートで当たり前な表現なのだが、実際の言葉として見てみると、とても頼りがいのある言葉である。

 さて、今回もそのつながりで同レーベルのフリー系作品を紹介しようかなと思ったのだが、少しまだ僕のなかで消化不良のところもあるし、正月に紹介したブランフォードのグループでドラムを叩いている、ジェフ=ワッツのライブアルバムが発売されたので、それを紹介しておこうと思う。しばらくジャズ系の作品を取りあげていないのも淋しいと思った次第である。

 彼が現在のジャズシーンでトップクラスのドラマーであることは間違いない。しかし、そのことは必ずしもバンドリーダとして優れているという意味にはならない。これまでも彼のリーダ作を聴いたことがあるのだが、なにか面白くないという印象だった。ウィントンやブランフォードの作品に感じられる個性のようなものが希薄という感じで、「これがジェフ=ワッツの世界だ」というものが伝わってこなかったように感じていた。音楽としてのまとまりや、演奏者の技量などの点ではもちろん卓越した内容なのだが、それ以上のものがなく、1回聴けばまあこんなものかという感想しか残らなかった。

 今回の作品は、ニューヨークのジャズクラブ「ブルーノート」でのライヴ録音。メンバーは現在の彼のレギュラーグループで、もちろんウィントンもブランフォードも参加していない。それでもやはり華にかけるのか(?)、アルバムの後半でアルトサックスのケニー=ギャレットがゲスト参加しており、これが作品の大きな聴き所となっている。ブランフォードとは違った意味で炸裂する、ギャレットのアルトとそれを挑発していくワッツとのやり取りは、なかなかのものだ。

 とはいえ、やはりいまの僕にとってはこの作品はまあまあの内容である。今回はここまで。

Drummerworld-Jeff Tain Watts ドラマーワールドにあるジェフ=ワッツのページ

1/23/2005

エリクム&フェネズ「コンプリメンタリー コントラスツ」

  このところCDを購入するペースがややあがっている。こういう時は、耳から音楽への欲求が刺激され、頭が新しい音楽を欲するようになっている。僕にとっては、相当充実した音楽生活をおくっている証拠であろう。

 年初からのろぐを読んでいただいている方は、お気づきかもしれないが、年が明けてからの僕の耳は、かなり新しい音を欲するようになっている。今回取り上げる作品もその類いのものだ。これは先週、新宿で以前会社の同僚だった知人と飲んだ際に、待ち合わせまでの時間を潰した新宿のタワーレコードで試聴して気に入ったもの。その時は既に手に2枚の現代音楽CDを握っていたので、実際に購入したのは、週末に渋谷に出向いた時になった。

 海と空が逆さまになったCDジャケットを裏返して、このCDの説明を読んでみると、2人の演奏者が操る楽器のところに「コンピュータ」と書いてある。この作品を演奏している2人のアーチストについて、僕は事前に何も知らなかった。2人ともコンピュータミュージックの世界では相当に有名かつ重要な人物らしく、この2人が共演するというのはちょっとしたコトであるらしい。CDには、2003年にドイツのドナウエッシンゲン市の音楽フェスティバルにおける2人の初共演のライヴパフォーマンスと、その共演に先立ってスタジオで行われた音合わせ(?)で収録された、2つの作品が収められている。

 1990年代の後半は、音楽のジャンル崩壊が加速度的に進んだ時代であり、現在ではジャンルは過去の作品を語るものになりつつある。今回の作品も既存のジャンルではどうにも捉えがたい。表現手段としての楽器という点では「テクノ」、即興という表現スタイルの点ではジャズとも言える。実際に演奏されている内容からは、クラシック音楽の延長にある現代音楽ともいえるだろう。まあそんなことはどうでもよい。

 重要なのは、ここに収録されているのは、いずれもライヴ、つまり生演奏であるということだ。コンピュータを使った音楽と言うと、マシンの上でいろいろな音を重ねたりして造るもので、いわば作曲(コンポーズ)であると思われがちだが、最近はコンピュータにあらかじめ用意した様々な音(DJが持ち歩く何枚ものLPレコードに相当する)を、コンピュータのプログラムで様々に加工し、それをキーやパッドを使って音色やピッチ等々をリアルタイムに変化させ、楽器のように演奏することができるのだ。コンピュータは記録用途としての楽譜やテープから、楽器へと進化しているのだ。

 コンピュータ音楽に限ったことではないが、ここに展開されているようなデュオによる即興は、互いに音をぶつけ合いながら触発し合うというスタイルから、単独での演奏よりも、はるかにスリリングなものになる。演奏者はあらかじめ練習したり準備してきたネタをただ披露する、というだけではすまされない。相手の出してくる音を受け止め、即座に新しい音作りに反映させて、聴衆に表現しなければならない。

 ともかくこれは間違いなく素晴らしい音楽なのだ。聴かないよりは、絶対に聴いた方がよい。人生の1時間を費やして、十分なおつりがくるぐらい貴重な体験がもたらされる。人類が誕生して以降、いまの時代に至るまでのあらゆる音楽が凝縮されたひとつの形態といっても過言ではないだろう。僕にとっては、この手のものとしては久しぶりに、新しいものを体験するのは本当にいいものだと実感させてくれる作品となった。できることなら、一度きちんとしたオーディオを借りて大音量でこの「音の作品」を楽しんでみたい。

 このCDは、スイスの前衛レーベルハットハットが製作、リリースしている。同社の方針により、すべての作品は2000枚または3000枚しかプレスされない。それでも日本で(東京でというべきか)こうした作品を入手するのは比較的容易い。最近のリリースはすべて紙だけのジャケットに収められており、CDを固定するプラスティックやビニールの袋も使わないという徹底ぶりである。ジャケットからCDを取り出すと、そこには、このレーベルの主催者であるウェルネル・X氏のこんなメッセージが呼びかけてくる。

"Thank you! Whether this is your first recording from Hat Hut Records, or your Xth, we want you to know how proud we are to have you as a member of our growing world-wide community of listners. We hope that you enjoy this recording. It represents our constant aim to bring you the music of the future to discover. What you hear is what you hear!"

 素晴らしい。そしてこのCDを手にした者として、とてもうれしい言葉である。インターネットの時代になろうが、量と質には相関はない。あるのは絶対的な量、そして絶対的な質である。

 CDを買うにはいまいち踏み切れないけど、彼等の世界を少しでも垣間見たいという方には、是非とも彼等自身のサイトを訪れてみていただきたい。従来のシステムとは無縁の、インターネット時代のアーチストの存在が感じられる。

erikm experimantal music エリクム公式サイト
Fennesz.com フェネズ公式サイト
ハットハットレコード

1/17/2005

湯浅譲二「オーケストラル シーン」

  前回のろぐでウィスキーの話をした所為もあるのか、先週は外で酒を飲む機会が何回かあった。最近は、新しいお店をわくわくしながら探すということはあまりなくなってしまった。少し前なら「グルメ情報」に興味がないわけではなかった。それでも、僕はどちらかと言えば、気に入ったところができれば、そこに何度も足を運ぶタイプの人間のようだ。

 会社の宴会に参加するときも、案内状(サラリーマン的には開催通知という方が通りはいいかもしれない)にある宴会場の情報をみて、「へえ、この店は誰の行きつけなの?」と聞いてみると、実は誰の行きつけでもなく、幹事さんがインターネットで探しました、クーポンあります♪というようようなお店だと、結構げんなりする。それが開店間もない店で、駅前でクーポン付きティッシュを配っていたようなところだとなおさらである。チェーンの居酒屋(ダイニングバーとは大げさだ)など僕にとってはファミレスと同じだ。何の期待もない。

 僕はお店の人と親密になれるようなところが好きだ。もちろん酒や料理などの出し物や、お店の内装に多少のこだわりはあった方がいいが、それよりも店主の人柄、これが一番大事ではないだろうか。堅物の頑固親父もあまり有難くはない。店主の人柄にほれられれば、酒も料理にも愛着をもてないはずがない。逆に言えば、料理やサービスは店主の人柄次第というのは言い過ぎだろうか。まあ、今年も少しは新しいお店を訪ね歩いて、新しい馴染みを開拓するのも悪くはないだろう。でも結果的に新たにできるひいきの店はせいぜい数軒程度、そのうち今後数年にわたってお世話になりそうなお店は1軒あればいいほうというのが現実だろう。

 さて、前回に続いて、今回も日本の現代音楽を取り上げてみたい。湯浅譲二は日本の作曲家、今年76歳になる。実は僕自身は最近まで名前を知らなかった。詳しい経歴とうについては、関係のサイトを参照いただきたい。現代の日本の作曲家といえば、僕は正直なところ武満徹以外は全くと言って未知であった。前回の藤家溪子も山下和仁がとりあげなかったらずっと知らずに終わっていただろう。いまの時代において、作曲という領域で活動を続けてこられたことの、強さを感じないわけにはいかない。

 「現代音楽って何?」これは本当に悩ましい質問だ。同じ意味では「クラシック音楽って何?」という問いがあってもおかしくないはずなのだが。こちらはおかげさまで、ベートーベンの第5交響曲に代表される様な、国民的コンセンサス(あってるのか間違っているのかはもはや誰にも判定できない)があるから簡単なのだが、それと現代音楽が関係あるということ以前に、その存在自体を知られていないという現状は、やはり残念である。伝統とか前衛とか正統とか、作品の価値はそんなこととで決まるのではない。ただ作品を探求するのは作曲家の指名として、作品を知られる機会をつくるのは、誰の役割なのか、それを作曲家に求めるだけでいいのか、これは難しい問題だ。さっきの話で言えば、いいお店は料理の味やサービスのよさだけでその評判が広まっていく、これは本当なのだろうか。

 今回の作品は、湯浅のオーケストラ作品から最近のものを中心に4つの作品を収録したものである。誤解を恐れずに言えば、一般にはほとんど知られる機会のないものばかりであるが、CDショップの売り場でたまたま見かけて、僕には妙に惹かれるものがあり、購入してしまった。興味深いのは、このCDに収録された4つの作品のうち2つの作品が、俳句の先駆者にして巨匠である松尾芭蕉に因んだものである点だ。「交響組曲『奥の細道』」そして「芭蕉の情景」。いずれの作品も、各楽章のタイトルに芭蕉の句が引用されている。それらの作品が特に印象に残る。詳しくは、CDのライナーで湯浅自身が書いているので、そちらを参照されたいが、芭蕉の句を音楽で表現するという試みの面白さも手伝ってか、作品にある種の現代的なヴィジュアル志向を間接的に持ち込むことに成功している点が興味深い。

 僕の亡母は俳句を嗜んだ。いまとなって残念なのは、彼女が芭蕉の様な古典に始まり、現代の俳句も含めて、同じ俳人としてそうしたものをどう評価していたのか、そこまでを語りあえる機会がなかったのは残念だ。だが不思議と僕自身がそうしたものにいまこの時点で興味を抱く、そのことには偶然性とはことなるなんらかの運命的な必然を感じないわけでもない。ふとした時に気付く、自分のアイデンティティ、日本。最近、それをますます強く意識するようになっていると感じる。そんな思いが僕をこの作品に導いてくれたのかもしれない。

 自分にとって大切なことは何か。改めてそれに向き合う機会をくれたように思う。

湯浅譲二 東京コンサーツによる湯浅氏プロフィール
フォンテック

1/11/2005

山下和仁「青い花〜藤家溪子ギター曲集」

  年明け早々、ちょっとごたごたがあってろぐの更新が遅れてしまった。事実上、これが年明け最初に書くろぐである。

 正月はおおいに食べ、そして酒を飲んだ。おかげで体重がかなり増えてしまった。どことなく身体が重い。また、あまり便のよくない田舎で、荷物を持って坂道(僕の実家は山を切り開いた高台にある)を上り下りして運んだりしているうちに、最近は影をひそめていた足腰の不調がまた現れそうになったりもした。ちょうど2年前の同じ頃、発症し始めた時期に自覚したのと同じ症状が感じられて、もしや再発かと少し不安にもなった。幸いにも、そちらの方は、いまは落ち着いている。あとはまた運動をはじめて体重を減らさねばならない。

 しばらく飲んでいなかったウィスキーが急に恋しくなり始めて、12月あたりから家で飲むのはほとんどそればかりになっている。僕が飲んでいるのは、サントリーの「角瓶」というやつ。程よい甘ったるさとコクがウィスキーを感じさせ、値段も手頃である。以前はロックで飲んでいたが、最近はもっぱらこれをストレートで飲む。僕には2つ上の兄がいるのだが、聞けば彼もこれをよく飲んでいるという。兄は僕以上の酒飲みで、大晦日にたまたま実家においてあったスコッチウィスキーを、夜に2人で飲み始めたら、あっという間に1本飲んでしまったのには、ふたりとも少しびっくりした。仕方がないので、元日早々、地元のコンビニでまた角瓶を1本買った。

 ウィスキーには産地によって5つのカテゴリーがある。スコッチ、アイリッシュ、カナディアン、バーボン、そしてジャパニーズである。僕がウィスキーを飲み始めた大学生の頃(いまから20年以上前である)は、まだウィスキーは高かった。8年もののブレンデッドスコッチが3800円、12年ものが8500〜10000円もした(現在の売値はその半額以下である)。さらに酒の値引き販売は禁止されてたのだ。

 その後、酒税の改正とともに並行輸入品の販売が認められるようになり、僕が大学生だった最後の1年には、まさに「洋酒天国」となった。当時住んでいた大阪府吹田市の下宿の近所にあった酒屋が、どういうルートなのかやたら安かった。ワイルドターキーの1リットル瓶が、2000円ちょっとだったのを憶えている。安売りになるのはなぜか1リットル瓶ばかりだった。そういうものを買っては、アルバイト帰りに夜な夜なジャズを聴いては飲んだ。1本を大体1週間かけて飲んでいた。飲む時は9割がた独りだったが、楽しかった。上京前に下宿を引払う時に、近所のゴミ置き場だった電柱の足下に、そんな瓶が40本程並んで、近所の人がびっくりしていた。

 ウィスキーの思い出についてはもう1つ、僕の音楽仲間のドラム奏者とその親父さんの話をしないわけにはいけない。僕は大学に入ってバンド音楽のサークルに入ったが、それは自分の入学した大学とは異なる大学のものだった。そこで僕はあるドラム奏者に出会い、彼とは以後ずっと長い付き合いをさせてもらっている。いつしか僕は彼の家に遊びがてら泊りに行くようになり、そのときは決まってウィスキーをごちそうになった。

 彼の家は神戸の長田区というところにあり、親父さんは地元で会社を経営していたので、自宅はびっくりする様なお屋敷だった。親父さんは相当な酒好きで、当然のことながら家には実にいろいろなお酒があった。もちろんウィスキーが中心である。僕はそこで普通では飲めない様ないろいろなものをいただいた。なかでもよく憶えているのは、ウェッジウッドのボトルに入れられたバレンタインの17年もの、そしてサントリーが誇る当時としては世界最高級のウィスキーだった「ザ・ウィスキー」である。この2つの味はいまでも忘れられない。特に後者は、親父さんがいきなり部屋に入ってきて少し話をしていると、「そんなにウィスキーが好きや言うんやったら、アンタにはこれや」といって飲ませてくれた。なめらか、透明、しっかり、豊か、そんな言葉があうだろうか。とにかく素晴らしかった。

 僕が留年の末に就職が決まった秋に遊びにいくと、またまた親父さんが出てきて「お祝いや」といってタクシーに乗せられ、当時三宮にあった「ルル」というバーに連れて行ってもらった。そういう超マジなバーには行ったことがなかった。ずらりと並んだボトルを前に、好きなものを注文しろというので、僕がワイルドターキーを頼もうとしたら、瞬時に遮られ「そういうどこでも飲めるものを、ここで注文してどうすんじゃコラ!」と怒られた。結局、マスターのすすめでオールドグランダッドの何番だったか忘れたが高そうなヤツを飲んだ。それ以降は、バランタインの30年ものが出たり、揚げ句にはアブサン(リキュールの一種で常用すると幻覚などの毒性があるため輸入発売とも既に禁止されていた)まで出てきて、帰りはもうよく憶えていない。

 社会人になって、銀座のバーでマスターにその話をしたら、「それはもしかしてルルというお店ですか」と言われ、そこがその筋では知らぬ人はいない伝説的なお店であることを知った。ルルは僕が訪れた直後に代替わりして店を移転し、その店も震災でなくなってしまったらしい。そして、僕のウィスキー体験に箔をつけてくれた、ドラムの友人の親父さんは昨年の2月に亡くなってしまった。僕はいまだにお参りができないでいる。今回はその親父さんに捧げる意味で、2005年になって最初に購入したCDを取り上げようと思う。

 日本を代表するクラシックギター演奏家の山下和仁は43歳、一方、作曲家の藤家溪子は京都生まれの41歳。いずれも僕と同じ世代である。藤家のギターソナタ「青い花」はドイツのロマン派の詩人ノヴァーリスの同名の詩からヒントを得て、藤家がシューベルトへのオマージュとして書いた作品である。ギター曲にしては珍しく、4つの楽章からなる45分近い大作である。現代作品といっても、内容は非常に親しみやすく、奥ゆかしさと暖かさに溢れた名曲である。他に「さくらさくら」の変奏曲と舟に因んだ2つの小品が収録されている。興味ある方は、CDに藤家自身による楽曲の解説があるので読んでみるといいだろう。

 神戸でウィスキーをごちそうになりっぱなしだったあの頃、僕らはもっぱらジャズを聴いていた。その親父さんは近代ドイツやロシアのクラシック音楽が好きだったようだ。ダイニングにつながった広すぎる応接間には古くて立派なオーディオがあった。あのお屋敷もいまはもうないらしいが、今夜はその薄暗くて広い空間に、このギターソナタが暖かく鳴り響くことを想いながら、ウィスキーを傾けている。親父さんの耳にも届いていればいいのだが。

藤家溪子ウェブサイト
山下和仁ファンクラブ
株式会社サントリー
禁断の酒 アブサン
神戸市長田区

1/01/2005

ブランフォード=マルサリス「ア ラブ サプリーム ライヴ」

  新年、あけましておめでとうございます。本年もえぬろぐをよろしくお願いします。

 ページデザインを一新した。動画を使用するのは以前からやってみたいと考えていたが、今回が初めての試みである(動画が見れない人はアップルのサイトからQuickTimeをインストールしてください)。これからも出来るだけ、見やすさと読みやすさを意識してやって行きたいと思う。何か不具合や不都合があれば、メールでご一報いただければ幸いである。

 本当は年内は大掃除のつもりでページデザインの更新だけをやって、新しいろぐは新春早々に書くつもりだったのだが、2004年最後の日曜日に入手した超強力DVDにハマってしまい、とうとう我慢できなくなってしまった。おまけに今日(12/29)は東京で雪が降り、外に出かけるのが億劫になってしまった。というわけで、歳末に新年気分で年賀状を書くのと同じ要領で(?)、新春第一弾のろぐを書いてしまうことにした。

 先のろぐで紹介したブランフォード=マルサリスが、コルトレーンの「A Love Supreme(至上の愛)」全編のライブ演奏を収録したDVDをとうとう入手した。僕は買ったその夜に2回観て、以降3夜続けてウィスキー片手にこの作品を見続けた。ブランフォードは2001年のスタジオ録音でこの作品を演奏しているが、今回の演奏はその内容をはるかに上回るものになっている。全編を通して繰り広げられるブランフォードとカルデラッツオの壮絶なソロ演奏、そしてそれを激しく煽り立てるワッツとレヴィス、まさに炎のごとく燃え上がるクァルテットである。これこそが僕にとってのジャズの醍醐味だ。

 この作品のリリースに対しては、様々な意見があるだろうと思う。ストレートに演奏内容を賞賛するもの、コルトレーンの再来とか復活などと騒ぐもの、いまさらコルトレーンかよと呆れるもの、等々である。僕自身は、この作品がこの時期にリリースされる意味にはとても重要なものがあると考えている。ブランフォードの演奏は、決して古い「モダンジャズ」ではない、それ以降これまでの様々な音楽の存在が随所に垣間見える内容であり、同じことは他の3人のスタイルにもそのまま当てはまるだろう。これはまぎれもなく21世紀の音楽なのである。

 オリジナリティと言いながら、実際にはオーケストラとかソロとか単に編成を変えただけのものや、安易に他のジャンルとのクロスオーヴァーを試みただけのものが溢れかえった、1980〜90年代ジャズの状況を考えれば、たとえリメイクの作品であるとはいえ、この作品の独自性や重みには抜群の存在感がある。ましてや、その時代にリメイク作品を演奏することを拒否し続けてきたブランフォードのこれまでを考えると、彼の想いがいっそう重みを持ってくるように感じられる。いままでいろいろと音楽を聴いてきた僕の直感だが、コルトレーンのオリジナル演奏に匹敵する影響力をこの作品は持つことになると思う。

 コルトレーンを聴いたことがない人、そして「至上の愛」を聴いたことがないという人が、先ずこの作品を最初に聞くということは全く持ってアリだと思う。とにかく映像付きという贅沢なこのコンテンツから、この作品の緻密さと繊細さ、そしてこのクァルテットの演奏の迫力を直に感じ取ってもらいたい。

 ところで、僕はこの輸入盤DVDを渋谷のディスクユニオンの店頭で見つけ、買う前に日本のDVDプレイヤで再生できるのかどうか確認したところ、店員さんがOKだと言ってくれた。もちろん実際に再生しても何ら問題はない。ひとつあるとすれば、DVDに付録のインタビュー等で字幕が出ないことだが、まあなくても大体の内容はわかるし、インタビューは1回観たらしばらくは観ないと思うので問題はない。ちなみにこのインタビューにはマイケル=ブレッカーも出演している。

 ろぐの冒頭にあるジャケット写真は、アマゾンで扱っている輸入DVDにリンクをはってある。そこの商品説明にはなぜか「このDVDは日本国内のDVDプレーヤでは再生できません」の記述があるのだが、おそらく問題はないだろうと思う。どうしても気になるという人は、可哀相だが2月に予定されている国内盤の発売まで待つしかないだろう。ただしこちらには輸入盤にはあるライブ演奏を収録したCDは付かないらしい。それにしても、このタイミングの遅れといい、価格差といい、サービスの悪さといい、何とかならんものなのか。DVDはもともと複数の外国語の字幕を収録できる仕様になっているのではなかったのか。

 そんなことはおいといて、ともかくこの作品は新春早々にご紹介するものとしてはまったくオメデタイ超強力盤である。あなたもテレビの前で目をむきながら、身体を揺すり、ソロが終わる度に拍手をして、うなり声をあげることはほぼ確実である。ビールやワインではなく是非ともウィスキーをご用意されることをお勧めします。必見!