前回のろぐで現代音楽のクセナキスを取り上げたからか、ここ最近は聴きものが多様化している。クセナキスの他の作品だったり、武満徹だったり、キ−ス=ジャレットだったりと、音楽を聴く量的な時間だけは相変わらず同じなのだが、今日のあるいは今週の1枚となるとなかなか焦点の定まらぬ1週間だった。そこで今回は、えぬろぐのいまひとつのテーマである「散歩」をメインに書いてみようと思う。
子供の頃から歩くのが好きだった。小学校の頃、父の勤める会社の社宅集落だった家から、学校までは少し距離があり、子供の足で30分以上は十分かかる距離を通学で毎日歩いていた。ミカン山経由とか漁港経由とか寄り道の方法はいろいろあった。親父は車を持っていなかったから、どこかに連れて行ってもらうのはいつも自転車だった。幼稚園までは親父の自転車に相乗りだったが、やがてそれは自力で漕ぐ自転車に変わった。連れて行ってもらうといっても、親父の役割は水先案内とセキュリティであって、動力については自己責任になっていた。いま思えば、日曜日の朝に出かけて、途中父の実家に立ち寄ってお昼をご馳走になって、そこからさらに遠くに出かけて、家についたら夕方午後6時を回っていたなどということがよくあった。相当疲れはしたはずなのだが、それでも自転車で2時間以上もかけて遠くまで出かけるのが楽しかった。
中学に入って、友達と当たり前のように同じコースを自転車で遊び走って帰って来たら、話を聞いた友達の親が学校に連絡し、学校で呼び出しを受けて先生から「そんなところまで自転車行くなんて非常識!」と怒られたこともあった。考えてみたら、和歌山の田舎町で校区を5つも6つも渡り歩いた先が行き先だった。僕らを叱ったその先生はその町から自動車で30分かけて通勤していたのだから、まあそれを自転車でと考えると非常識というのも仕方ないかもしれない。
高校に入って、電車通学をする様になっても、同じ中学出身の友達と自転車で高校まで1時間以上かけて行ってみたこともあった。山奥のエリアから通っている友達には毎日1時間半をかけて通っている友達もいて、その意味ではエリアの拡大は成長の証だったのかもしれない。3年生になる前に僕はさらに遠いところに引っ越したが、やっぱりこの「電車で行くところを自転車で」という欲求は抑えがたく、2、3度独りで片道2時間近い自転車通学を試みた。1度目は「受験を控えて事故でもしたらどうするんだ」と親から怒られ、2度目は夏休み前の終業式の日で、昼過ぎに汗だくで帰宅した僕は、どうしても喉が渇いたので冷蔵庫のビールを飲んだらまた怒られた。
大学時代になると音楽にのめり込む一方で、バイクに乗るようになって行動パターンはある意味人並みになったように思う。別の言い方をすれば、行動が音楽の探求にすり替わったといえるかもしれない。それはいまも続いているが、それでも歩き癖は時折どうしても抑えがたいものとなって身体に充満する。幸い、妻もそれに付き合ってくれるので、いまは2人で自宅を中心にいろいろなところへ散歩に出かけている。
先の日曜日、2人で自宅のある川崎市中原区から、はじめて川崎市南部に位置する川崎区を本格的に歩いてみることにした。計画では川崎駅から多摩川沿いに河口に向かって歩き、余力があればそこからさらに工業埋立地である浮島に築かれた海釣り公園まで出かけようということになった。地図(1枚目、2枚目、3枚目)を見ていただければわかると思うが、川崎駅からは片道およそ10数キロの道のりである。
川崎区は川崎市の東海道から南側を占める臨海工業地帯。同じ多摩川沿いでも、これまでに何度も歩いた田園調布から二子玉川に至る上流への道とはことなり、周辺は完全な港湾市街の下町情緒にあふれた景色、そしてその奥地に日本の高度成長の原動力となった京浜工業地帯が険しく存在する。川崎駅から歩いて多摩川沿岸に出て真っ先に僕らを迎えてくれたのは、パンツ一丁で日光浴を楽しむ入れ墨だらけの親父だった。河口に向けてさらに進んでみると、夜のおかず目当てでハゼ釣りをする老夫婦、商売目的なのか干潟で貝を漁る不思議な一団など、ある意味僕が生まれ育った町を思い起こさせる風景が続く。対岸の羽田空港を離発着する航空機とのバランスが何ともいい感じだ。
川の姿は徐々に流れから打ち寄せる波に変わり、空港を臨む葦の原の水辺にカモメなど水鳥の姿が見えて、波らしきものが打ち寄せているなあと思いはじめた河口付近(いすゞ自動車工場裏)で、突然道が途絶えてしまう。気がつくと背後には川崎区のメインエリアとも言える、京浜工業地帯の重厚な工場群がうなりをあげていた。ここでいったん川沿いにUターンし、殿町の交差点から3km先の浮島公園を目指す。
ここからの道のりはひたすら一直線、道路は空中を走る2層の高速道路、そしてその両側に様々な工場群が立ち並ぶ。なかでも目を引くのが、ステンレス生産大手の日本冶金(やきん)工業の川崎製造所である。正直、この工場の眺めは圧巻の一言である。いろいろな構造の建築物を観てきたつもりだが、この建築物は一体なんなのか。その形相とここまでの疲れ、そして工場から流れてくる独特の臭気に圧倒されて、写真を撮るのを忘れてしまったのが悔やまれる。僕は金属精錬のことは全くわからないが、いったいなぜあの様な設備が作られたのか、その経緯と仕組みがどうしても知りたくなってしまった。
ひたすらまっすぐの3kmの最後に、道路はぱっくりと口を開けた海底トンネルになる。この先は東京湾横断道路で自動車専用。そのすぐ隣にあるのが九州宮崎へのフェリー乗り場と浮島公園である。公園にはもう夕方だというのにたくさんの釣り客でにぎわっていた。帰りは最寄りの浮島バスターミナルから川崎駅までバスに乗って帰った。
散歩コースとしてはこのうえないアヴァンギャルドであったのだが、日頃目にすることのない風景にいろいろなことを思い出したり、考えたりした。特に工場群を眺めていると、なんだか世の中は随分と小粒になったんだなと感じずにはいられなかった。「モノからコトの時代へ」とはよく言うが、あの工場の様なスケール感を持った「コト」を探し求めたい、そんな気がした。恐いもの見たさで興味を持たれた方は、是非とも一見していただきたい風景である。今度行くのはいつかわからないが、しっかりと写真に収めたいと思う。できれば工場見学をさせていただきたいところだが、無理でしょうか、日本冶金工業様。
僕は40歳になった。
川崎区役所
日本冶金工業 残念ながら(?)とてもきれいなホームページで工場の写真はありません
おまけ
川崎側の多摩川最終地点から臨む東京湾と羽田空港
浮島にある花王株式会社川崎工場。なかなかモダンなコンプレックスでした。
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