12/25/2011

ライヴ アット カシオペア

イヴをはさんだクリスマス3連休。横浜もかなり冷え込んだが、いい天気に恵まれ、家族でのんびり過ごすことができた。

子どもにはイヴの朝にサンタさんがやってきた。目が覚めて枕元に置かれたプレゼントの包みを、嬉しそうに見つける表情を動画に収めて喜ぶ親バカである。

僕も自分自身へのプレゼントにフライのエンジニアブーツを買った。アメリカから個人輸入で取寄せた。心配されたサイズは最初履いたときは少し小さめかなと思ったが、3日間続けて着用しているといい感じに足に馴染んできた。

2011年のろぐは今回が書き納めになる予定。おかげさまでこのろぐも8年目を無事に終えそうなところまでやってきた。

世の中では、大震災に原発事故に電力不足、そして欧州の金融不安などなど、運命と時代の大きな転換というものを嫌でも感じさせる1年だった。その意味では世知辛いと言わざるを得ない側面も大きかった。

だけどそうしたなかでも、家族や僕個人の生活という意味では、思い出深い出来事やいろいろな新しい出会いがあり、とても充実した毎日を過ごすことができたと思う。僕を生んでくれた両親から宇宙に至るまでの奇跡的な偶然の積み重なりに感謝しなければならない。

趣味の音楽に関しては、従来以上に「フリーな音たち」と向かい合うことになった。これについては僕の人生のなかではひとつの節目になったのではと思う。

僕にとってのこの1年を代表するアーチストは、
 ・リード奏者で作曲家のアンソニー=ブラクストン(Anthony Braxton)
 ・ピアニストのマシュー=シップ(Matthew Shipp)
 ・ベーシストのピーター=コヴァルド(Peter Kowald)
の3人だ。1年を通じて彼らを中心に即興演奏の記録を本当に数多く聴きまくった。

そして、その1年を締めくくる音楽として今回は、ピーター=コヴァルドが、サックスのジュリアス=ヘンフィルと組んだ2枚組"Live at Kassiopeia"をご紹介しておきたい。

ここで演奏している2人はもうこの世にはいない。ヘンフィルはワールド・サクソフォン・クァルテットのメンバーとして有名だが、彼が既に1995年に故人となっていたことを僕は知らなかった。

いまから24年前になる1987年の1月に、ドイツのヴッパータールという街にあるライヴハウスで収録されたもの。これがどういう経緯で陽の目を見ることになったのかはわからないのだが、今年の秋に突然リトアニアの新興レーベルであるNo Business Recordsから発売された。

1枚目はそれぞれのソロがたっぷり、2枚目はデュオセッションが収録されている。音質はまずまずだが演奏内容は抜群に素晴らしい。同レーベルの紹介ページで少しだけ試聴ができるのでご興味のある方は是非どうぞ。

ベースから縦横無尽な音宇宙を紡ぎだすコヴァルドに対して、ヘンフィルのサックスはオーソドックスなジャズをしっかり感じさせる即興演奏で、サックスのフリーにありがちな絶叫的な咆哮はあまり聴かれない。それが彼らしさなのだろう。

面白いのは、デュオで珍しくピーターが、ジュリアスに合わせてか4ビートのランニングを長々と繰り出すシーン。興味深いけどやっぱり彼にはこういう演奏はあんまり似合わない。ジュリアスという相手あっての演出だったんじゃないかな。

CD購入も年内はもはや打ち止めかと思っていたのだが、やっぱりコヴァルドはいいなあということで、国内でフリーを専門に扱っておられる埼玉のBarbar Fujiさんから、3枚ほど彼の作品を取り寄せることにした。いまとなっては彼の記録はとても貴重なものだから、なるべく手に入れられるものは耳にしておきたい。

来年の目標など特に考えてはいないが、家族が元気でいてくれるということと、僕自身についてはもう少し仕事を頑張れるようにしたいと思いつつ、即興演奏の世界に自身も身を投じてみようかなとも思っている。酒とウォーキングは同じペースで続けられればいい。

年末にかけては少し寒さはやわらぐとのことだが、昨年のように体調を壊さぬよう気をつけて過ごしたいと思う。

どうか皆様もよい年末年始をお過ごしください。

12/18/2011

横浜の週末

最近聴いている音楽のことで書きたいこともちょこちょこあるのだが、北海道の幼馴染みから自宅と職場のLANのことなどで相談したいということで、日曜日の夜にスカイプでしゃべっているうちに話が長くなってしまい、いつの間にやらウィスキーにも手をのばしてしまって、お話が終わるころには少々ほろ酔いになってしまった。なので今回は簡単に近況など。

先週に続いて寒い週末。土曜日は大さん橋にウォーキング。まだ日が昇っていないベイブリッジや本牧ふ頭など、朝の海がきれいだ。本当は週の真ん中の水曜日あたりにも、同じようにウォーキングができれば、もう少し身体のためにもなるのではと思うのだが、なかなかそうもいかない。

そんなことを思いながら自宅近くまで戻って来たら、生まれて初めて警察の聞き込みを受けてしまった。何を捜査しているのかはわからなかったけど、別に僕が怪しいということではなく、この周辺に関係があるらしいあることを訊かれた。僕はそれに対しての自分の知っていることを答えたまでだった。

日中はどこに出かけようかと考えて、久しぶりに家族で八景島へ。最初はそういうつもりはなかったのだけど、シーパラダイスで水族館やイルカやオットセイのショーを見物した。決して安くはないのだけど、イルカのショーってなぜか気分が高ぶって楽しくさせてくれる。水族館では、ラッコやクラゲ、マンボウやジンベイザメなども見ることができて、子どもも満足したようだった。

僕は泳ぎも得意ではないし海に潜ることもできない。サーフィンもボディーボードもできない。でも暮らすのは海の近くがいい。それは港町でも、人気のないビーチの端っこでも、水平線が見える断崖でもいい。海の存在が何らかの形で感じられるのならそこでいい。

日曜日も自宅近くでのんびりした。久しぶりに近所の子ども達を何人か見かけたが、やっぱりみんな少しずつ成長している。うちの子どもも同じように成長している。できないことはまだまだいっぱいあるけど、できることは少しずつで増えている。いま僕が思うのは、耳がいいのと記憶がしっかりしていること、そして運動神経がいまひとつということだろうか。

冒頭にも書いたように、いろいろと紹介したい音楽はあるのだけど、ラフロイグが身体にだいぶんしみ込んで来たので、今日はこのへんで。

12/11/2011

スカイプで一杯やりましょう

また一段と冬らしくなった一週間。土曜日は5時に起きて本牧方面にウォーキングに出かけたが、山頂公園付近はしっかり霜が降りているのがわかった。

ウォーキングを日曜日にしなかったのには訳があった。この日の夜は、先のオホーツク旅行で世話になった幼馴染みと一杯やることになっていたのだ。じっくり呑むつもりだったから翌朝5時起きはまず無理と考えた。

といっても、僕が厳寒の地(前日の朝の気温はマイナス17℃だったそうな)に赴くわけではないし、彼の方から生温い冬の横浜にやってくるわけでもない。そうスカイプでお互いの顔を見ながらおしゃべりとお酒を楽しもうという段取りなのである。

スカイプはずいぶんとメジャーになっているものの、やはりまだ話には聞くけど使ったことがないという人も多いことだろうと思う。でもこれは本当に楽しいもの。特にこうして普段なかなか逢うことのできない人と一杯やるのは最高である。

先の旅行でお世話になったお礼にと、彼にはアイラ島のモルトウィスキー「ラフロイグ」の「カスクストレングス」を2週間ほど前に送ってあった。ラフロイグは初めて飲む人からは必ず「消毒液」と言われる独特の香りが特徴。

医療関係者で酒好きの彼には、思いっきり嫌われる可能性もあったのだが、やはり彼と自分自身にふさわしいものを贈ろうとこれに決めた。彼は最初の一杯こそ戸惑ったものの、たいそうこれを気に入ってくれ、いまではすっかりモルトウィスキーのファンになってくれたようだ。

今回は僕の方でも久々にラフロイグのボトルを用意し、オホーツクと横浜の間でアイラウィスキーをやりながら楽しいひとときを過ごさせてもらった。夜8時にスカイプを始めて、最初は子どもや妻も交えながらビールを飲み、2人が階下に寝に降りた午後9時前頃からラフロイグであらためて乾杯となった。

お話の内容は一般的な幼馴染みの酒飲み話である。時間と場所があちこちに行きながら、酒がいいように進んでゆく。トイレにも行くし、氷やおつまみを取りに席を立ったり、手元の本の一部をウェブカメラに近づけて見せたりする。気がつけば時刻は午前0時少し前になっていた。

また春が近づいたらスカイプでの再会と、近い将来、今度は彼の方から横浜に遊びに来てもらってそこでまた地元の料理をいっしょにつつきながら一杯やりましょうと約束し、スカイプをアウトした。僕のボトルは4分の1ほどなくなっていた。楽しくもおいしいお酒だった。

以前、このろぐでちょこっと書いたが、一時期少しだけやろうとしていたFacebookはどうにも気持ち悪くてやめた。お友だちで登録していただいた方には、特に事前にお知らせすることもなく失礼してしまったかもしれない。しかし僕にはどうもSNSというやつは居心地が悪い。ウェブは開かれた素直なものだ。

このろぐは僕の友達に限らず、知人であれそうでない人であれ、誰にでも読んでいただければと思って続けている。ここに書いたことがささやかであっても、どなたかにとって何かのお役に立てるかもしれない、ということも少しは感じているつもりだ。

なかなかお目にかかる機会がとれない人でも、スカイプを使えば簡単にグラスを傾けることができる。もちろん実際に同じボトルの酒を酌み交わすことはできないが、そのハンデは些細なことにすぎない。

僕としては、Facebookのお友だちリストに登録してもらうことよりも、こうしてスカイプでお話しができることの方が、よりインターネット的で自然なことだと思う。加えて一杯おつきあいいただけるのであればなおよしである。ただしスカイプでのコンタクトをしていただく前に、事前にメールなりでご一報はいただければと思う。

(おまけ)わが家のリヴィングでオホーツクに住む友人とスカイプを楽しむ僕と子どもです。子どもにとってはこれが当たり前の世界になるんだろうなあ。

12/04/2011

否定不可

円高差益還元月間ということで11月に一挙に購入したCD(その後また2枚追加となったので)合計8枚が、ここ2週間程の間でバラバラとポストに投げ込まれてきた。

今回はそのほとんどがフリージャズかそれに関連する(まあそんなことはもはやどうでもいいのだが)もので、その点は相変わらずだ。少しずつ聴いているが、欧州の金融不安がひたひたと恐慌に向けて動くなか、音楽を聴いているその時はイヒヒとかウフフの日々である。

なかに1枚だけ毛色の異なるものがあって、今回はそれについて少し書いてみる。何かといえば、ジャズギタリストのパット=マルティーノの新作"Undiniable"がそれ。

アランの店で物色中に何気に新作リストにこれが顔を出しており、「へえ、マルチーノさんまだ頑張ってるね〜」とクリックして、たまたまあったサンプルを試聴したのが運のつきである(ご想像通りアルコールによる撹乱も若干影響している)。

聴こえてきたのはまぎれもないマルチーノの音色だが、往年の「音符は続くよどこまでも」よりももっと深い味わいのある演奏。まあそこが彼本来の持ち味なのだろうが。

2009年に行われたワシントンD.C.の有名なクラブ「ブルースアレイ」でのライヴ盤で、サックスにエリック=アレクサンダーが、そしてドラムスにはなんとジェフ=ワッツが座っている。

演奏はもちろんエキサイティングなのだが、そこはやはり御大がリーダーを努めているとあってか、珍しくかなりリラックスしたジェフのストレートなドラミングが楽しめる。ベースはおらず、トニー=モナコさんというオルガン奏者が参加して低音も担当。

会場の方はただひたすらマルティーノを楽しみに訪れた、という感じのお客で溢れており、彼のギターが渋く熱を帯びる場面では「イェーア!」と野太い歓声が湧き上がる。いい雰囲気だ。

「もう」というより「まだ」というべきだろうが、御大はいま67歳でいらっしゃる。いやあ素晴らしいですよ、我が道をいってしっかり濃く熟すというのは。タイトルそのもの、誰にも否定はできません。

やっと本格的に寒くなってきたと思ったら、今日はまたちょっと暖かな日曜日だった。今夜はビールでもやりながら、ワシントンの一夜をもう一度味わってみたい。

11/27/2011

たま・おもちゃ・いちご

今回は、2週間前に家族で和歌山を訪れた際の写真をいくつかご紹介したいと思う。

子どもが電車好きなので、以前から気になっていた和歌山電鐵を楽しんだ。この鉄道は、以前は南海電鉄貴志川線と呼ばれていたローカル線だったのが、廃線になりかけたのを機に岡山の鉄道会社が買い取り、今日の状況になっている。

僕は高校時代に、貴志川線沿線に住んでいた同級生の家に泊まりに行くのに乗ったことがあったが、その他はほとんど記憶がない。

いまこの鉄道が有名なのは、終着の貴志駅で駅長を務める猫の「たま」と、それをモデルにした「たま電車」をはじめとするユニークなデザイン電車のおかげである。2007年からはじめられたこの試みは、そこそこの話題になっており、僕もその存在は知りつつもなかなか訪れる機会がないままになっていた。

この鉄道を楽しむには、必ず「1日乗車券」を購入のうえ、あらかじめ電車の時刻を調べてある程度計画を立てておく方がいいと思う。もう一つ、始点の和歌山駅と途中車庫がある伊太祈曽駅、そして終点の貴志駅以外は、すべての駅が事実上無人駅である。途中駅で下車して近くでランチを、などという都会的な考え方は通用しないと思っておこう。

これが「たま電車」。猫の顔をイメージしたフロントと、側面にはかわいいたまのイラストがいっぱいである。


一歩なかに足を踏み入れると、まさにこれがたまワールドである。座席のシートはいろいろな形をしたものがあり、すべてにたまのロゴが描かれてたカバーがつけられている。


猫にちなんだ絵本を集めた本棚(!)は、運行中でも自由に空けてなかの本を楽しむことができる(電車の車両のなかですよ、これ)。


車内の照明にもたまの形をあしらったかわいいランプ。


時々、たまが車掌を勤めるための専用ケージまで備えられている。この日は残念ながらたまはお休みでした。窓にもイラスト(^^)。


続いては、おもちゃ箱をイメージした「おもちゃ電車」に乗車。


なんとなかには、鉄道模型やらフィギュアなどいろいろなおもちゃを展示したショーケースが所狭しと並べられている(これらのおもちゃは見るだけ)。おもちゃ販売機の代表「ガチャガチャ」も8機設置(!)されており、これらはもちろん運行中でも買うことができる。


貴志駅にある、駅長たまのオブジェの前でパチり(いつからこんなポーズをとれるようになったのかね、君は)。


この日は時間の関係で残念ながらもう一つのデザイン車両「いちご電車」には乗ることができなかったが、伊太祈曽駅の車庫で待機する姿を見ることができた。乗れないのを残念がる子ども。


伊太祈曽駅近くの伊太祈曽神社を訪れてみた。なかなか立派な神社で静かないいところだった。この日は七五三参りで何組かの家族連れの姿があった。


3つのデザイン車両以外にも、プレーンな(?)普通車両があり、それらも混じって交代で運行される。これがまた対照的にとてもシンプルできもちがいいほどプレーンなので、少し感動してしまう。やっぱり広告がないのっていいよねえ。会社は大変なんだろうけど。


と、ここまでが和歌山電鐵のご紹介です。僕も子どももいっぺんにファンになってしまいました。また乗りに来たいなあ。今度はぜひともいちご電車に。それまでがんばって続けていてほしい。


和歌山の旅の最終日、小さな頃に父母に連れて来てもらった遊園地「みさき公園」を、自分の子どもを連れて訪れてみた。

小学校に上がる前のことだと思うのだが、母と初めてジェットコースターに乗った思い出や、父と兄とで「木下大サーカス」を見に来たことなど、かなり昔の記憶を、この灯台をみて鮮やかに思い出しました。


子どもが真っ先に乗ったのは機関車トーマスの乗り物。月曜日なので訪れる人は少なく、ほとんどの施設や乗り物は待ち時間ゼロ&貸し切り状態でありました。


母と乗ったジェットコースターは車両は別のものに変わっていたが、レールコースはそのまんまだったのにはビックリ。

子どもはまだ乗れないので代わりに「チャイルドコースター」というのに初挑戦。妻は「無理無理、絶対に泣くよ」と消極的だったが、走っているのを見せて「乗ってみる?」と聞くと「ノッテミル」と怖いもの知らずな返事が(笑)。途中、ふわりふわりとなるところで泣きかかったが、なんとか完走した。

今回の旅では、初日に親戚達との交流をした。実家を処分してしまったことの報告をして、子どもには初めてとなるお墓参りもすることができた。

父母の兄弟姉妹たちは皆元気で何よりだったし、それぞれに子どもを見ながら僕の小さい頃の話を妻に聞かせてくれたことがうれしかった。

子どもはいまのところ和歌山のことを「ワヤカマ」と言っている(^^;)。また来年には法事で訪れることになるだろう。その時にはまた子どもも少し成長しているだろう。今度はいちご電車に乗れるだろうか。

11/19/2011

アセンション プリーズ!

先週は和歌山への家族旅行のため、ろぐはお休みとさせていただいた。その時の模様はまた後ほど写真でご紹介したいと思っている。

さて、ブラクストン祭に始まったフリー祭は現在もなお延焼中である。実は旅行をはさんだこの2週間というものは、それがすっかり「アセンション祭」となってしまっており、炎の勢いは容易に収まりそうにない。

「アセンション」はサックス奏者ジョン=コルトレーンが1965年に収録した作品。これを境に以後の演奏がフリージャズに傾斜したことから、コルトレーンのフリージャズ宣言などと言われたりする。

ことの発端は2週間前の4連休のある日、独りで横浜市街をウロウロしていた際に入ったディスクユニオンで、ローヴァ(サキソフォンクァルテット)による"Electric Ascension"という中古CDを見つけてしまったことにはじまる。

既にアランの店などで円高差益還元と称して買った、8枚のCDが到着するのを心待ちにしていたのだが、この発見物はどうしても気になった。

ローヴァのアセンションといえば、以前このろぐでもご紹介した1995年の作品があるが、この"Electric Ascension"はその8年後の2003年に収録されたもの。

95年版が編成や構成の面で原作に極めて忠実な内容であったのに対して、本作はそのタイトルにある通り、ホーンはローヴァの4人だけで、あとはニルス=クラインにフレッド=フリス、クリス=ブラウン、イクエ=モリ、大友良英等々という超豪華メンバーによる、エレキギター・ベース、ヴァイオリン、ターンテーブル、サンプラー、コンピュータといった電気屋が集結した「アセンション電化版」という内容になっている。

中古盤かと思いきや実は新古品で、しかもたった900円という値付けに、到着待ちの8枚のことも忘れて、思わず買ってしまった。

演奏時間は63分。オリジナルに忠実だった前作からは一聴してかなり趣の異なる演奏かもしれないが、それでもこれは紛れもないコルトレーンのアセンションであり、時代の流れを加味して進化させた素晴らしいインタープリテーションだ。

95年の演奏後に再びこれを演奏し、さらにCDとして発表するまでに至った経緯を、ローヴァのリーダーであるラリー=オッシュがじっくりと正直に綴ったライナーノートも、一読の価値がある。

そこにも書かれているが、いま現在でもアセンションをフルに演奏した記録は、コルトレーン自身による2つのテイクと、ローヴァによるこれら2つのバージョンの4つしかない。

最新電化版のあまりの素晴らしさに、僕はそれら4つの演奏をiPodに入れて、この2週間というもの朝夕の通勤時間を中心に繰り返し聴き続けた。これがアセンション祭の真相である。

今回、アセンションをじっくりと聴いてみて、作品について少しだけ書いておきたいと思ったことがある。

アセンションがフリージャズの曲であることはもちろんだが、その構成については世の中に少し誤解があるように思う(そしてその誤解はご多分に漏れず、ちゃんと聴いていない人が作り出したものだと思う)。

この音楽は2つのテーマを持っている。ひとつは最初と最後に出てくる有名なテーマ、そしてもうひとつは最初のテーマの後にソロ演奏への受け渡しの役割を兼ねて現れる長めのテーマである。

アセンションの構成について「集団即興とソロ演奏が交互に繰り返される」という表現をよく目にするのだが、集団即興と言われている部分は、2つ目のテーマを全員で演奏する中でその変奏として行われているということは、予め知っておいた方がよいと思う。

そしてこの2つ目のテーマこそ紛れもないコルトレーンメロディとハーモニーであり、この録音の少し前に発表された傑作「クレセント」に収録されたコルトレーン3大バラード、すなわち"Crescent", "Wise One", "Lonnies' Lament"のハーモニーと極めて共通性を持つ美しい音楽なのである。

今回、こんなに何度も(20回以上になるか)繰り返してアセンションを聴くことになるとは思ってもみなかったわけだが、もちろんそれぞれの版で展開されるソロ演奏の素晴らしさもさることながら、それを楽しむ一方で、曲が展開するたびに繰り返されるこの2つ目のテーマの再現を心待ちにするようになる自分がいることを理解した次第である。まさにあのテーマこそが「降臨」の瞬間を現したものだと言ってもいいだろう。

話のついでに脱線すると、コルトレーンのバラード演奏は素晴らしいものだが、僕自身それは彼のオリジナル曲においてのことだと思っている。スタンダード集として有名なアルバム「バラード」は、僕にとっては平凡な作品だ。あれはコルトレーンのアルバムというよりは、(プロデューサの)ボブ=シールのアルバムだ。

先の3大バラードに、"Dear Load", "Welcome", "Peace On Earth"を加えた内容でアルバムを作れば、それが本当の「バラード」と言えるものになるだろう。

さて、話を"Electric Ascension"に戻すと、ここではソロ演奏という形態ではなく、メンバー数名による即興演奏という形になっている。その組み合わせ方については事前に慎重な検討がなされたことがライナーには記述されている。

その甲斐あって、各パートは従来の演奏ではあり得なかった面白さに満ちている。クリスとモリによるエレクトロニカセッションや、ジョーのバリトンと大友のターンテーブルが激突する場面は特に印象的だ。この手の音を聴き慣れない人には、ちょっとしたハードルになるかもしれないが、是非ともトライしてみていただきたい。

この作品に巡り合えたことで、僕にとってのアセンションはすっかりスタンダードになってしまった。本当にヨカッた!雨が激しく降る今夜は、自宅のスピーカーでじっくりと聴いてみたいと思っている。

アセンション プリーズ!

追伸:AmazonのMP3ダウンロードで、Rovaの1995年版アセンションがなんと200円で買えますよ!

11/06/2011

フリーにワンカップ

文化の日で始まる飛び石連休の真ん中を有給休暇で埋めて長い休みにさせてもらった。職場のボスが海外出張ということもあって、そうする同僚も多かったようだ。概ね好天に恵まれ、横浜で子どもと一緒に過ごすことが多かった。

前回に書いた通り、音楽は何度目かわからないブラクストンブームに始まるフリー祭りが続いている。アランの店で買った4枚もまだ届いていないというのに、さらにアマゾンのマーケットプレースを利用して数枚のCDを取り寄せることにした。

製造業に勤めるものとして円高は困ったものだが、こうしてCDを買い集めるには、インターネットの恩恵と合間って、以前ではとても考えられないような相乗効果がある。

国内の関係者の方々にはまったくもって申し訳ないのだが、いまや中古CD1枚を購入するにも海外から取り寄せた方が安く確実に欲しいものが手に入る。もちろん送料を含めての話だ。

職場では円高は困るという主旨の資料を作っておきながら、自宅では大喜びでCDを買い漁る。家と会社の二面生活はなかなか解消しそうにない。

もっとも円高は決して恒久的なものではないから、これがあるうちにせめて個人で享受できるメリットは楽しんでおくべきだろうと思う。次に「円安」という言葉がメディアにあふれることがあるとすれば、それはかなりヤバイくらいに困った状況になるかもしれないのだから。

円高とともに世間を賑わせているTPPにしても、国内の事情どころか関係国の事情も正直よくわからないところはある。しかしいまの状況が、中途半端な「開国」では、国の経済システムが持たないということを示唆しているのは明らかだ。もちろん農業に限ったことではない。

ただそれを考えるにも、日本にとって海外とはアメリカのことだけではない、ということも少し知っておく必要がある。そのアメリカの立場も少しずつ変わってきている・・・新しい頭の中ではもう少し深く考えているつもりなのだが、この程度にしておく。

さすがに朝晩はかなり冷えるようになり、ビールやハイボールのような炭酸系の冷たいお酒が持つ清涼感も有難味がなくなってきた。5日ぶりの仕事を前にブルーな夜だが、昨夜同様にフリーなサックスを聴きながらワンカップで残された休日をくつろぐことにする。コンビニで売っていた「ワンカップ大関上撰季節限定秋あがり」はなかなかイケますよ。

10/30/2011

ハロウィンとアンソニー祭り

今日はハロウィン。朝から近所の子供達がドアチャイムを鳴らしては、「トリック オア トリート〜」と呪文を唱えてやってくる。

うちの子どもにもどうぞといって、キレイに袋詰めされたお菓子を持ってきてくれる。出迎えた妻はいろいろなお菓子をお盆に盛って差し出して、好きなものを持っていってもらう。

お菓子は楽しいものだが、いざ親になってそうやってやり取りされるのを見ていると、何かありがたみのないものに見えてしまう。子どもたちはあれを楽しみにとっておいて、大事に大事に計画的に食べるようなことはしなさそうだ。豊かさ・・・ということではないだろう。


さて、半年ほど前にJazzloftのアランがブログで、アンソニー=ブラクストンの新作"Quartet (mestre) 2008"を褒めていたので、僕もつられて買っていた。ただ、その頃はどうしてもそれが耳から心には入ってこず、あ、これはやっぱり失敗したかなと思っていた。

ところが、最近になってそれをもう一度聴いてみたところ、これがズトンとストライクゾーンに突き刺さり、僕の心にある音楽堂はすっかりブラクストン祭りになってしまった。

"Diamond Curtain Wall Quartet"と名付けられたこのユニットは、アンソニーの他に、コルネット、エレクトリックギター、バスーンからなるもの。メンバーは男女2名ずつでそれぞれが卓を囲むように向かい合わせに配される。

各自の前には譜面台が置かれ、台上には異なる色で描かれた図形というより絵画のようなものが置かれている。おそらくはこれを見てインスパイアされたイメージを音にしてゆくということなのだろう。

そして4人の中央には大きな砂時計が置かれる。たぶん1時間計なのだろう。演奏はフリーテンポであり、ただ時間だけが決められているというわけで、いわばこれがこのユニットにおけるリズム楽器や指揮者の代わりなのである。

収録内容は"Composition 367c"と題された1時間超の集団即興演奏と、短いアンコール。これが何とも言えないスリリングな音楽なのである。といっても先ほども書いたように、僕の場合はこれが入ってくるのに少し時間がかかった。

参考までに僕の場合は、Mary Halvorsonのギターにフォーカスを当てて聴いた瞬間からスイッチが入ってしまい、この音楽への扉が開かれたように思う。

なお、このユニットによる同時期にモスクワで行われた演奏の模様がYoutubeにアップされているので、そちらを参考までに貼っておく。(こちらはステージの関係で配置が向かい合わせではないが、砂時計はちゃんと鎮座しております)


この演奏もCD化されているようで、さっそくアランの店で注文。届くのがいまから楽しみである。ちなみに円高メリット享受ということで、他にも全部で6枚ほどアメリカからお取り寄せすることに。

Happy Halloween.

10/23/2011

水曜日のマディ

水曜日に仕事の大先輩と横浜で食事。僕が会社に入ったばかりの頃の上司で、いまはもう退職して、僕がいまやっている仕事でも関係がある団体の手伝いを週に2日ほどしている。

退職後も時折お目にかかっては、いろいろなお話を聞かせてもらっている。ご自宅が桜木町駅の近くで、僕らが山手に移り住んでからは、半年に1回くらいのペースで市内のお店で会っている。

今回は桜木町の寿司バーの様なお店で、僕の家族も交えて会食をさせてもらった。彼と会う時はいつもお互いに手土産を交換するのが習慣になっている。今回僕が差し上げたのは文明堂の秋のお菓子詰め合わせだった。

当初は家族は早々に退散するつもりが、日中はずっと手を焼いたらしい子どがこの時はいい子にしていたことと、それですっかり疲れた妻が好物のお寿司ということもあって、結局お開きになる9時ごろまで長居してしまった。

寿司屋を出てから妻と子を先に帰して、駅前のコーヒーショップで少し仕事の話をした。今回もいいアドバイスをしてもらえた。こういうお付き合いは大切なものである。

大先輩と別れた時間は午後9時半を少し過ぎていた。僕は少し呑み足りない気分だったので、山手で「マディ」に立ち寄ることにした。ひとりで入るのは初めてだった。

ドアを開けるとお客はおらず、マスターはいつもの様にグラスを磨いていた。相変わらず店内にはマスターの好きなブルースがながれていた。とりあえず呑み直し気分でバスペールを注文。

以前、友人等と来た時にライの新作について話をしたら、彼が聴いてみたいと言ったので、後日それを貸してあげたのだが、その日は仕事帰りにCDを渡しただけだった。

マスターはあらためてCDのお礼と感想を少し言って、しばらくしてからおもむろにそれをお店で聴かせてくれた。

もう一杯何かウィスキーをいただこうかなと言うと、ちょうど仕入れたばかりのボウモアの樽出し「テンペスト」を勧めてくれた。度数は55度とかなり高めだが味と香りは落ち着いたないもの。これをストレートで1時間程かけてゆっくりやった。

結局、僕がいた2時間弱ほどは他にお客は現れず、2人でライを聴きながら、酒の話やらこの界隈の話なんかをゆっくりとした。結論めいたものとしては、ウィスキーや山手の将来は、特に明るいわけではないが、それほど悲観するものでもないということだった。

駅のすぐ近くということもあって時折間近に通りかかる電車の音もゆっくりと心地よかった。お店の独り呑みでこんなにリラックスしたのは初めてだった。

これからもいろいろな人とこのお店でグラスを傾けたい。そしてそうした合間に時折こうして独りで呑むのもいい。

それにしても「テンペスト」はあとから結構キマしたわ(^^;)

10/16/2011

オクトーバーフェスト@横浜赤レンガ倉庫

金曜日の夜、仕事関係で知り合った人たちから誘われて、横浜赤レンガ倉庫の広場で開催中だった「オクトーバーフェスト」に行った。いわゆるドイツビールの祭典である。

ビール気分に浮き足立って仕事を早々に終えて関内駅で下車し、赤レンガ目指しててくてく歩いた。早朝のウォーキングや休日昼間に家族での散歩など、朝昼の横浜港は何度もみて来たが、夜の港にくる機会はあまりなかったように思う。

海岸通りから見える、明かりの灯ったみなとみらいのビル群や、ライトアップされた氷川丸や大さん橋といった景色が綺麗で新鮮だった。

会場に一番早く着いたのは僕だったのだが、いまいち要領がわからないので、約束の入り口付近で他の人たちを待つことにした。

外から見てもびっくりするほどの盛況ぶりで、入り口にはタクシーや徒歩で次々に人がやって来て、その流れに合わせて行列が長くなったり短くなったりした。

途中から細かい雨が降り始めたのだが、人々は一向に構わずビールの会場に吸い込まれて行く。会場の中央に設置された大きなテントのなかでは、バンド演奏も始まり雨のせいもあって人はますますそちらに集まってゆく。

旅行会社に勤める2人が到着し、もう1人くる予定のお役所勤めの人は遅れるということなので、3人で会場へ。入場料がひとりにつき200円必要になる。

雨が強まって来たので最初のビールを買ったら、グラスの口を手で押さえながら(果たしてその必要があったのかわからなかったが、一緒だった人がそうしているので思わず僕も・・・)すぐにテントに入った。

バンド演奏がアンコールに応えたところで場内の熱気と興奮は最高潮である。ふと目をやると「乾杯の際にはグラスの破損に十分ご注意ください」という看板があちらこちらに掲げてある。なるほど(笑)。

立ち飲みのまま最後の演奏を楽しみ、ようやくほろ酔い加減になったところでもう一杯行きましょうとなって、デポジットがついたグラスを返して、テント内でそれぞれ好きなビールを買って再びステージ付近で合流。

僕はフルーツフレーバーでコクがあるというビール(名前は忘れた)にした。ビールはどれも美味しそうで、ゆっくりしてたら5、6杯は軽く行ってしまいそうな雰囲気である。

奇跡的に目の前の席が空いたのでそこに座れた。向かい側は大学生の男の子3人のグループ。いいね〜若者よ、そんな若いうちからこんなに美味しいビールなんて。

旅行会社の2人は女子なので一瞬微妙な雰囲気になるが、すぐ後ろのかなりデキあがった集団が巻き起こす乾杯の嵐に巻き込まれて、何がなんやらわからぬ楽しい渦に呑まれて行く。

ビール独特のゆっくりまわってくる酔いには、そうした喧騒が妙に気持ちいいのだから不思議だ。

とそこに、4人目のメンバーから到着の知らせが届いたのだが、なんと入場制限がかかってしまって会場に入れないのだという。それは大変というわけで、ソーセージの盛り合わせもそこそこに会場を出ることにした。

とまあわずか数十分の祭典ではあったが、雰囲気は十分に楽しむことができた。来年また来よう。

4人になってからはタクシーで中華街に向かい、まあるい焼きそばで有名な「梅蘭」に入って、中華料理と紹興酒をたっぷり。みんなよく食べるなあ。

そのあとさらに近くの「バー・マリーン」でジントニックを2杯ほど。もはや何を話したのかあまり記憶にはない、ことにしておく。

日頃あまりないスタイルの飲み会で楽しかったです。しかし疲れたのか、翌日はちょっと体調くずしかけたね。幸い大事には至らずだったが、週末ウォーキングはお休みでした。。。

港横浜の10月はまだ秋の気配からは少し遠いよう。オクトーバーフェストの夢よもう一度ということで、日曜日にコンビニで買った「琥珀エビス」はなかなかイケました。こうなりゃ音楽のおつまみはライの例のやつで決まり。ハレルーヤー!

Pull Up Some Dust and Sit Down - ライ・クーダー

10/10/2011

ライヒの"WTC 9/11"

これまでにもいろいろな音楽を聴いてきた。時折思うのは「音楽」という言葉はいつ生まれたのかなあ、ということ。訳語なのかそれとも古くからある言葉なのか、中国から伝わった漢語なのか。僕はそのことを知らない。

ウィキペディアで調べてみると、中国の古い文書に音楽という表現が見られると書いてはいるが、それが今日の日本語の音楽の語源なのかはわからなかった。

いろいろな音楽を聴くなかで、それについては人々のいろいろな了見のあることがわかる。ある人にとっては素晴らしいと思える音楽でも、別の人には何も訴えかけるものがないということはよくあるし、時に激しい嫌悪を催させることもある。

何のものであれそこにある音が耳障りだというのが、その多くの理由であり、他にはそこで表現されている概念が相容れないものである場合もある。

そういうときに言われることとして「やっぱり音楽は音を楽しむと書くのだから、楽しくなければダメだよ」という類いのものがある。ずいぶん若い頃にはじめてそういう表現を耳にしたとき(目にした時だったのかもしれないが、どちらだったのかはもう覚えていない)、僕は単純になるほどうまいことを言うものだなあと思った。

しかし、いろいろな音楽を受け入れながら自分の音楽に対するポリシーとして、できる限り耳に入ってきた音楽を拒絶や無視をしない、ということができ始めてからは、そのフレーズはやはり納得しがたいものとなった。

音を楽しむというのは間違っていないと思うが、楽しくなければという表現に、どうしても寛大さを感じることができず、とても狭い意味での「楽しい」を言っている様に思えてならないのだ。


スティーヴ=ライヒの新作"WTC 9/11"を買った。アルバムタイトルになっている組曲を含む3つの作品が収録されている。タイトルの意味は言わずもがなだと思う。

このタイミングで発表されるのはあの事件から10周年が経過したことを契機にしており、数々の機関から共同で、作曲者であるライヒと演奏者であるクロノス・クァルテットに委嘱された作品である。

(ご注意:ここから先ではスティーヴ=ライヒの楽曲"WTC 9/11"の内容について具体的な表現が含まれます。この作品に興味をお持ちの方で、まだ作品をお聴きになられていない方にとっては、ある種ネタバレ的な記述が多く存在します)

作品は3つの楽章からなり、1988年の作品"Different Trains"と同じ手法を用いて作られている。簡単に言うと作品のテーマに縁のあるいろいろな人の肉声によるフレーズを切り出し、そのイントネーションをそのまま楽譜上の音程とリズムに置き換えてフレーズにしてしまうのである。

それをそのままヴァイオリンやチェロが旋律としてなぞり、それらのフレーズの羅列にあわせた伴奏を加えることで、一連のメッセージ性を持った楽曲に仕上がるという仕掛けである。まあ聴いた方が理解が早いと思う。

第1楽章は"9/11"。事件当時に交わされた実際の無線交信記録から、NORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)とFDNY(ニューヨーク市消防局)に保管されている職員の肉声を使ってある。そして事件そのものを象徴する音として、電話の受話器をあげたままの状態を続けた際に出る警告音("F"つまり"ファ"なのだそうだ)を使用しており、楽曲はその音で幕を開ける。

第2楽章は"2010"。2010年になって作品を委嘱されたライヒ自身によって行われた、事件を現場として体験した3人の人物(WTCの4ブロック北の学校に子どもを送った母親、消防局の指揮官、そして現場に最初に到着した救急車のドライバー)へのインタビューから、象徴的なフレーズが引用される。

第3楽章は"WTC"。ここでは事件後から一定期間、遺体や遺体の一部をDNA鑑定などでの判別のために保管し続けた場所にいた、数名の人物の声が使用されており、その一部として聖書の詩編の一節が原語で詠われる。

この作品は聴く限りただただ痛痛しいばかりの15分間である。「楽しい」ということのかけらもない。第3楽章で出てくる賛美歌も残念ながら「安楽」というものを生み出すには力及ばずという具合なのである。

僕はこれを何度も聴いた。途中からは"Differenet Trains"とかわりばんこにして聴いた。

あの作品もホロコーストを扱っているという意味では同じ悲惨なテーマではあるが、敢えてそれだけにフォーカスするのではなく、同じ時代の別の場所で起こっていたことと対比させ、40年以上を経過した時点から当時を振り返るやりかたが、悲劇を柔らかく表現する役割を果たしていた。

しかし、"WTC 9/11"では、10年の時を経たいまも悲劇はほとんどそのままの形で、人々の心に刻み付けられていることを表現している。

"2010"と題された第2楽章でも語られている内容は当時の現場の描写そのものであり、彼らのなかでそのことに関する時計はとまったままなのである。

第3楽章でも、タイトル"WTC"に込められたもう一つの意味(これについてはライヒ自身によるライナーノートをご参照ください、僕は唸ってしまいました)とともに、楽曲の締めくくりでこのテーマを象徴する心象がひたすら癒えない「恐怖」であることが強く提示される(これも具体的に何であるかは書きません)。

そして、冒頭の第1楽章はあまりにも衝撃的だ。これに関しては芸術の表現手法としての賛否を問う声があがったとしてもおかしくはないと思う。僕にとっては、英語に対する感性がネイティブの人よりはるかに低いことが、まだ相当に刺激を減じていると思うのだが。

悲しい記憶や想いを表した歌や演奏はいろいろ聴いたが、正直こんなに辛い音楽を聴いたのは初めてである。

ライヒ自身がこの楽曲についてに解説の最後にこう語っている「WTC "9/11"はわずか15分半ほどの作品だ。作曲の間、随所で私は時間を引き延ばそうと試みたが、いずれの場合もそれによってインパクトが弱くなると感じてやめた。この作品は簡潔であることを望んでいる。」(ライヒの試みとは、おそらくは印象的なフレーズを何度か繰り返して表現することが中心だったと思う)

これは重く辛い音楽です。でもとても素晴らしい音楽です。もしかしたら聴いて後悔されるかもしれません。ただ、それも音楽なのだと思います。何事も楽しいこと心地よいことばかりではありません。音楽も人生も世の中も。

Reich: WTC 9/11, Mallet Quartet, Dance Patterns - Edmund Niemann, Frank Cassara, Garry Kvistad, James Preiss, Nurit Tilles & Thad Wheeler
Different Trains - Steve Reich

10/02/2011

トイレのれんしゅう

子どもが2歳半になり、どこの幼稚園に入れようかと心を悩ます毎日である。体験入園やら人々の評判などをして、直に悶々としているのはもっぱら妻の方で、僕はその話を聞きながら(確かに悩ましいのではあるが)、「そうだねえ、うーむ」とか言っているだけの様なものかもしれない。

3年保育の幼稚園であれば入るのは今度の4月ということになり、あと半年である。幼稚園に入るまでにやっておかなくてはいけないことに、オムツをはずすということがある。おしっこやうんちをちゃんとトイレでできる様にならないといけないわけだ。

僕自身の記憶にはそういう練習をしたという覚えはないし、寝小便などの記憶もない。ただ、うんちだけは4歳くらいまで終わったあとで紙でお尻を拭いたりするのを、母親にお願いしていたような記憶はある。まあお恥ずかしい話だが、うんちをトイレで一人でちゃんとできるようになるまで、それなりの紆余曲折があった。

さて、北海道の旅行から帰った次の日曜日から、うちの子もいよいよそのトレーニングを始めることになった。

トレーニングパンツなどを履かせて、漏れを防ぎつつ本人にオムツ排便の不快感を学習させる方法もあるようだが、うちは妻の一存でいきなり普通のパンツを履かせることにした。ご近所の先輩ママも大抵はそうしてきたらしい。

子どもがトイレに興味を持つようにエンターテイメント気分を盛り上げようと、2階の狭いトイレを当面子ども専用にして、妻が画用紙やらを使ってショーアップ。

トイレでできたら、ニコニコマークをつけてあげるという約束でスコアボード(?)を目の前に置く。ちなみに黄色はおしっこ、青はうんちである。こちらも、子どもの好きなカーズのキャラクター(紙製のすごろくゲームか何かのカバーをとってあった)で雰囲気を盛り上げた。


さて、初日は予想通りまったくトイレを嫌がって床上浸水3連発だった。ところが、意外にも翌日からトイレでおしっこを出すことを始め、その頻度はすぐに増え始めたようだ。もちろん何かで泣いた拍子に力が入って漏らすということもあったが、少なくとも家でパンツを履いているときに漏らす頻度は2週間でほぼゼロになった。

いまでも外出の時と夜寝る時はオムツである。それでも3週目に入る頃には、朝起きてもオムツは濡れておらず、トイレに座らせるとそこでおしっこをするようになった。出かけている時も、時間を見ながら(ほぼ2時間が目安)「おしっこどう?」と声をかけると、「でないよお」を繰り返すも、お店のトイレに連れて行ってまたがらせると、大抵そこでするようになった。

うんちについては、これまでにトイレにまたがってできたのはまだ2回。パンツの中にすることもあったし、シャワーを浴びている時に風呂場で突然やったこともあった。オムツをしている時はそういうことはなかったので、もう明らかに何らかの意識はできているのだとは思うが、まだコントロール以前の状況ということか。まあこちらはしばらく時間がかかりそうだ。


気がつけば、表情や仕種もどんどん豊かになっているし、言葉もかなり増えた。勝手に歌を歌っていることもあるし、人見知りも少しずつだが和らいできている様に思う。性格的な特徴はいろいろあるが、少なくとも僕自身のことを考えれば、なんとなくわかるようなことばかりである。

幼稚園は確かに悩ましいが、どんな方針のところに預けるにせよ、そこにはない(と思われる)部分は何らかの方法で補っていかねばならないのだろう。のびのび型とか、しつけ重視とか、身体作り重視とか、勉強重視とか。。。幼稚園にお任せするということではダメなのだろう。

人生に意味はない。それを意味あるものにしようとすることが人生であって、それは本人のものだ。親はそのお手伝いを少しできるだけ。

9/25/2011

埃を祓って座りたまえ

来たきたキターッ!ライ=クーダの新作"Pull Up Some Dust And Sit Down"、やっと買いましたよ。こりゃあ素晴らしい!さすがは"The Great Master of Americas' Music"であります。バンザーイ!

すでに、ネット上の至る所で称賛の嵐になっていますが、僕もこの耳で聴いて、噂が間違いでないことを実感しました。

この一週間はもうコレばかり。台風の大雨で帰宅難民になった夜でも、これを聴いていれば、ひたすらご機嫌でありました。

個人的には、これまで聴いたライのアルバムのなかでベストだった"Show Time"を超える素晴らしさでしたよ。パチパチパチ〜。

ヨアヒムとの親子セッションによる"No Banker Left Behind"とか、"Quick Sand"なんてもう最高!"Quick Sand"でコードを刻むディストーションギター、ケータイの着信音にさせて欲しいです。

あと、ライのソロトラック"Baby Joined the Army"と"John Lee Hooker for President"のシブサも、これまたチキンスキンものであります。"Baby..."のあの低くて野太いギターは、どうやって出してるんでしょうねぇ。

もちろん、フラーコ=ヒメネス先生のアコーディオンも健在であります。この幸せな音色にはいつもうっとり&にんまりさせられます。ああ至福。。。

気温の変化でちょっと体調を崩しかけましたが、なんとか大事には至らず、週末はこの音楽の様な気持ちのいい陽気を、たっぷりと楽しめました。

Copastatic!

9/18/2011

ピアノ・デュオ2作

このところまた気温の高い日が続いている。この1週間は、連日最高気温が32度前後まであがり、毎日半袖のポロシャツで職場まで通った。

楽しかったオホーツクの思い出が強く、月曜日の朝に会社近くの駅を降りて遭遇した人混みを前に、いったい自分はここで何をやっているのかという感覚にとらわれた。

今週は休暇の直前に発覚した緊急案件への対応にほとんどの時間を費やし、おかげで当初予定していた作業にはほとんど着手できなかった。まあ何とかなるさでやっていくしかない。仕事とはそんなものだ。

毎日が暑くて慌ただしくとも音楽への興味は尽きるものではなく、またいくつかのご機嫌な音楽作品に巡り会えているので、今回はそのなかから2つをご紹介。いずれもピアノと他の楽器によるデュオである。

一つ目は、前作"Concertos"の驚異的な素晴らしさで一気に大ファンになってしまったマイケル=マントラーの新作。タイトルはずばり"For Two"。内容は前作でも登場したエレクトリックギターのBjarne Roupに、Per Saloというピアニストの組み合わせで、マイケルは作曲とプロデュースを担当している。

Duet OneからDuet Eighteenまで18曲の小品からなり、かなりの部分がNotated(一音一音が楽譜に記されている)で、ところところにImprovisation(即興演奏、アドリブ)が含まれるというマントラー流儀の作品になっている。一つ一つの音楽は非常に繊細で美しく、組曲としても多様性に富んでいて楽しめる。スコアは彼のウェブサイトで入手できる。

個人的には前作の室内楽版という印象。あの世界がこの編成でもしっかりと表現されている。素晴らしい。クレジットを見て驚いたのは、ピアノとギターのパートが別々に録音されているということ。

マントラーの音楽は、いろいろなジャンルの境界にありながら、中途半端さとは真逆の孤高ともいえるしっかりとした存在感を示す。これはこの人が持って生まれた並外れた才能の体現だろう。前作に続いてこの作品でも、ジャズでもクラシックでもない独自かつ自然な音楽世界が魅力的である。前作に引き続きかなりのお奨めといえるだろう。

二つ目は、やはり以前にご紹介した"The Art of Improviser"で虜になってしまったマシュー=シップの最新作"Broken Partials"。今回は即興ベーシストの巨匠Joe Morrisとのデュオだ。

この作品もアルバムタイトルを冠した1から8までの演奏からなり、こちらはかなりの部分を即興演奏が占める内容。しかしそこはやはり即興の神様達による競演であるからして、驚くべきまとまり感を保ちながらスリリングにかつ着実な展開でまったく気が抜けない1時間である。

モリスは以前、ブラクストンとの4枚組即興ライヴを聴いてあまりピンとこなかったのだが、今回はそれはそれは素晴らしい演奏。結構堅実な人なんだなあと印象を新たにした。1曲目で堅実なベースランニングを聴かせたかと思えば、2曲目の冒頭では超絶アルコでこれまた雄弁に語りまくる。うーん、やっぱりすごい人です。

マシューのピアノはここでも冴えまくっていて、あの個性的な音色で音空間のキャンバスをのびのびと埋め尽くしてゆく。ますます気に入ってしまった。この人を深く知るにはやはりホーンが絡まない作品を一度じっくり聴くべきだと思う。これからほかの作品も聴いてみたいと強く感じた。

やっぱり音楽はいいねえ。ホント飽きませんわ。こんな調子で楽しんでいるうちに、僕はまた一つ歳をとった。



(追伸:一部の読者の方へご連絡)
Facebookのアカウントは昨日で利用を終了いたしました。

9/09/2011

Okhotskの旅

先週の日曜日からの1週間は僕が勤める職場は輪番休業で2回目の特別夏期休暇。台風の影響を気にしつつ3泊4日で家族3人旅行に出かけた。行き先は北海道のオホーツク海沿岸を巡る旅。今回はその様子を写真で皆さんにお届けしようと思う。(写真はすべてクリックすると少し大きく表示されます)

朝の女満別空港に降り立った初日は、今回の旅の大きな目的の一つで美幌町で歯科医を営む僕の一番古い幼なじみが、彼の車で周辺をいろいろと案内してくれた。

まずは空港近くの道の駅「メルヘンの丘めまんべつ」の隣にある野菜の直売所にあった朝採り茹でトウキビ(とうもろこしのこと)で腹ごしらえ。子どもは本当にこれが好きだ。本場のとれたては甘くて柔らかくとても美味しい。一人一本食べちゃいました。



美幌峠から眺める屈斜路湖。お昼近くになってお天気がよくなってきた。



美幌峠にある道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」の売店名物のいも揚げ団子。じゃがいもをアメリカンドッグのようにパンケーキの生地でまるまる揚げたもの、これが2〜3個で一串になっている(!)。友人の「さあ食べて食べて」の勧めで3人の大人は1本ずつ食べた。さきほどのトウキビと合わせてこれでもう昼飯は十分であった。続いて能取湖から能取岬へ。20年前にバイクで訪れた記憶が鮮やかに蘇った。



夕食前に幼なじみの歯科医院にお邪魔して休憩がてら簡単な歯科検診。「おまえの歯を診るなんてことは、もうないだろうなあ」とかいいながら、歯の汚れを取ってくれ、こちらもなんとなくじーんときた。



外に出ると近くで夕立があったのか虹が見えた。



夕食はホテルの食事をキャンセルして、彼の推薦で地元の居酒屋「いころ」さんでごちそうになった。

最初にお造りや、チャンチャン焼き、海鮮サラダなどが出て来て、ビールをやりながらそこそこ腹が満たされたかなと思ったら、ここからオホーツク海のダイナミックな焼き物が4連発。ホッケ、キンキ、タラバガニ、ホタテ。そのデカイことウマいこと。

出てくるたびにお店のご主人が「先生、どう?これ。」と嬉しそうに作品を持って登場。この4連発で完全ノックアウトとなった。写真はキンキとタラバガニ。それをほおばるフリをさせられる子ども(笑)わかりづらいかもしれないが、これホントにデカイのよ。よくこんなデカイお皿があるなあと思いました(お皿は推定で横50cm×縦30cm)。





ごちそうさまでした、お勘定は・・・彼持ちでした(いくらだったのか)。



最初の宿は美幌から車で20分程走った網走にある「北天の丘あばしり湖鶴雅リゾート」に2泊した。網走湖が一望できる落ち着いたところだった。



2日目はあいにく日中はずっと雨がしとしとと降り続き、予定していた行動は取りやめてホテル内とその周辺で過ごすことに。

ホテルから2kmのところにある「オホーツクシマリス公園」までホテルの車で送ってもらった。小さな園内にはシマリス数十匹が放し飼いにされていて、これがとても人に慣れていてカワイイ。えさを持っていると囲まれてしまい、まだちょっとコワガリさんの子どもはビビっていたが、僕はもう癒されてしまいました。シマリス飼いたい。



雨のなか網走湖畔を歩いて帰る。子どもが後半で「もう、あるけないのオ」とぐずったがなんとか頑張ってくれた。ホテルの駐車場に停めてあった雪かき用のホイールローダーを間近で見てご満悦。



結局、ホテルに戻って1階の土産物屋でドーナツとアイスを買って食べ、それがお昼ご飯になった。子どもは歩き疲れたのか夕方近くにぐっすりお昼寝(この間、妻はエステに行ってプチ贅沢)。



「北天の丘」はとても立派な共用施設があり、食堂のとなりにはいろいろな椅子を並べたリラクゼーションスペースがあった。そこにはオーディオ設備としてJBLのパラゴンが置いてあった。アンプはマッキントッシュ、びっくり。



3日目は北海道の西側半分が大雨で大変なことになっていたが、オホーツク沿岸はなぜか晴れた。ホテルの前にあったヒマワリ畑でパチり。



ホテルをチェックアウトして車で網走駅まで送ってもらい、長年のあこがれだった北海道のローカル線に乗った。列車はディーゼルカー1両編成で、懐かしいエンジン音とともにオホーツクの海岸を眺めながら快走!



途中、昨日予定して行けなかった「網走原生牧場観光センター」(ご注意:リンク先は音が出ます)へ立ち寄るために、藻琴駅で下車。



ここは牧場というよりも、広い土地に肉料理のレストランがあって、余ったところに動物たちや古い(笑)遊具が所広しと点在しているという場所。レストランはそこそこ有名なようでダイナミックで美味しいステーキ定食(200gでご飯とコーヒーがついて1,380円)をいただいた。



施設の入り口付近で馴れ馴れしく近寄ってくるラマさんに興奮する子ども(お母さんが抱っこしてくれてると多少はしゃぐ余裕があるらしい)



やはりこういう「特殊車両」には目がない・・・。



2時間ほどこの奇特な施設で楽しませていただき、施設の車で藻琴駅まで送ってもらって、さっき乗って来た列車の2時間40分後にやって来た次の列車に乗り込む。これが観光客で満員だったのはちょっと驚いた(お年寄りが多い、当たり前か・・・)。



知床斜里駅で下車してそこからバスに乗り換えて一路ウトロ温泉へ。途中、斜里岳や海別岳にかかる雲から降る雨のせいだと思うのだが、知床半島にはいくつもの虹がかかり、それを次々にくぐりながらウトロに近づいてゆく(虹ってくぐれるんですね)。この辺りならではの景観。



こうして午後3時にはウトロの宿「知床グランドホテル北こぶし」に無事チェックイン。修学旅行の団体客が入ったとのことで、部屋が貴賓室に変更されていてラッキーであった。大きな和室が二間にバストイレもエラい立派だった。バルコニーからはウトロ漁港が一望。手前に見えるのが知床観光船オーロラ、向こうにプユニ岬が見える。



4日目も好天に恵まれた。ホテルをチェックアウトして観光船に乗り込む。青空の下、オホーツクの海を進んでゆく。船上は半袖でも十分な陽気だった。



90分コースの折返し地点である硫黄山ふもとの滝。硫黄を含んだ水の影響で黄色とエメラルドグリーンのグラデーションが幻想的。



観光船を降りて、今度はバスで25分のところにある知床五湖をちょっとだけ見学。バスの揺れで子どもが眠ってしまい妻が抱っこしながら高架木道を少しだけ歩いた。羅臼の山々と静かに水をたたえた一湖は本当に美しかった。




途中で、ようやく子どもも目を覚まし元気に木道を歩いて戻った。



慌ただしく五湖を後にして先ほどのホテルに戻る。実はこの日は午前のみの診療だった友人が、わざわざ知床まで100kmを車で飛ばして迎えに来てくれたのである。彼の計らいで空港に向かう前にもう少しだけ知床観光ということで知床峠に立ち寄ってくれた。

間近に見る羅臼岳は格別(子どもは「おやまのぼるのオ」と張り切っていたが立ち入りは禁止である)。



羅臼側に目をやると海の向こうに国後島が。初めて目にした北方領土である。



最後に立ち寄ってくれたオシンコシンの滝の前で。子どももこの友人にはよく懐いていた。本当にお世話になりました、ありがとう。



とまあ、僕らの旅はこのように順調そのものだったのだけど、一方で紀伊半島を中心に大雨で大変な被害がもたらされてしまった。現地はまだいろいろな意味で警戒態勢にあるらしい。お見舞い申し上げます。