4/24/2005

ケニー=ホイーラ「ヌー ハイ」

  先の金曜日の夜、久しぶりにバーでウィスキーをたくさん飲んだ。サントリーが東京近辺で展開するウィスキーショップ日比谷Barの一つで、銀座にある「WHISKY-S」というお店。49席とわりと広めのバーだったが、あっという間に満席になってしまい、ウィスキー人気は根強いなあと思うと、なぜか嬉しくなった。

 今回は音楽の話の前に、最近はじめて体験したある出来事について書いてみようと思う。本当はその週のろぐにすぐ書いておこうと思ったのだけど、やや忙しかった時期に仕事を休んで何やってんだという、関係者からのヒンシュクを和らげる必要がありそうだったので、しばらく時間が経過した今日あたり書くのがいいかなと思った。

 ずっと以前から一度経験してみたいと思っていたことがあった。それは映画の仕事、いわゆる撮影現場である。東京近辺に住んでいると、テレビや映画のロケーションらしき現場に遭遇することは珍しいことではない。僕が経験したかったのはそういうことではなく、いわゆるエキストラというもの、それもできれば映画のそれに参加してみたかったのである。

 先月のある夜、映画「世界の中心で愛を叫ぶ」を観てすっかりファンになってしまった女優、長澤まさみのサイトを眺めていると、彼女が主演するこの秋公開予定の映画「タッチ」の撮影で、エキストラを募集していることを知った。「タッチ」といえば30〜40歳代の人ならほとんどの方はご存知だと思う、あだち充氏原作の人気漫画である。僕は熱心な漫画読者ではなかったが、この漫画は好きだった。コミック等関連の書籍はこれまでに1億冊以上が販売され、TVアニメ化もされてかなりの成功を収めている。

 「タッチ」に関しては、これまでに何度も実写化の話があったそうなのだが、原作者が頑なに断り続けていたらしい。昨今、映画や音楽は30〜40歳代をターゲットにしたものが多い。今回、東宝が長澤まさみを浅倉南の役として映画化の企画をたてたところ、あだち氏からOKが出たらしく、もう一方の主役である双子の野球少年、上杉達也・和也の役には、テレビ等で最近活躍している双子のタレント斉藤祥太・慶太が出演することになった。

 今回募集していたのは、高校野球の地方大会のシーンにおける観客役のエキストラだった。撮影は4月の某日(平日)の朝から夕方まで、もし当選したら仕事を休まなければならないわけだが、僕は思わず申し込んでしまった、それも2名参加ということで。今月の初旬に参加証がはがきで届けられ、めでたく当選となった。はがきを見た妻の反応はというと、こちらは半ば呆れモードだった。撮影内容は春と夏の高校野球地方大会という設定で、半袖等夏服を持参のことと指示があった。

 その頃は2人ともあまり体調がすぐれず、おまけに当日は花冷えで急激に気温が下がった日で、天候も曇り時々雨というコンディションだった。撮影は雨天決行とのことで、結局、僕たちはそれぞれ仕事のスケジュールを調整して、当日は朝の5時に起き、電車とバスを乗り継いで2時間かけて指定された集合場所に出かけていったのである。

 地方にある野球場での観客役ということなので、自分たちがスクリーン上で確認できるような映り方はしないにしても、以前から体験してみたかった映画の現場に少しでも参加できることと、遠目にでも憧れの長澤まさみさんはじめ、有名な役者さんを眺められればというミーハな気持ち半分だった。まあこんな機会はめったにないわけだから。

 現場に着いてみると、集められた素人エキストラは老若男女100名弱ぐらいいた。そこに専門のプロダクションから派遣されたエキストラの人が十数名いて、その人たちがもっぱらセリフをしゃべる役者さんの周辺に配されるようになっている。僕たちは助監督さん等の指示に従って、スタンドの一角に適当に散らばって座り、野球の観戦をしているふりを求められる。

 撮影はすぐに始まった。エキストラは役者さんが演技している方をじろじろ見たりすることは、もちろん禁じられているのだが、それでも撮影の合間に、セリフが聞こえてきた15メートルぐらい離れた方向に目をやると、明青学園の制服を着た長澤まさみと、野球部マネージャその子役の若槻千夏の姿が目に入ってきて、「おおっ、いるぞいるぞ」と思わず喜んでしまう始末である。グランドには野球のユニフォーム姿の斉藤兄弟もいて、ファンと思われるエキストラの女性達がざわざわしていた。

 曇り空で最高気温は12度と寒かったが、カットの撮影は淡々と進めらていく。春、夏それぞれのシーンでは、本番撮影時にそれにあった服装になることが求められ、それ以外は上着を着用していればよいのだが、それでもずっと外にいるわけだからかなり冷えてくる。僕らもカイロを持参していたくらいだ。

 数カットの撮影が終わって次のカットの準備で待ち状態になっていたある時、トランシーバを持った現場のアシスタントが急に僕らに近づいてきて「すいません、ちょっとお二人でこちらに来ていただけますか」と言った。指示に従ってみると、さっき役者さんが座っていたあたりに連れていかれ(いつのまにか役者さん達はいなくなっていた)、空いている席の後ろに制服姿のエキストラの女の子数人が座っていて、そのすぐ後ろの席に2人で座ってくれと言われた。あとでわかったことだが、この日プロダクションから派遣されたエキストラは女子学生役の女の子と数名と、あとは大人の男性が数名だけで、カップルで座っている観客を画面の中に求めた監督の指示に、僕らが抜擢されたということらしい。

 座るなり、僕には麦わら帽子、妻にはうちわとカルピスのペットボトル(スポンサーの小道具)が手渡され、これから撮影するシーンについて簡単な説明を受けた。カメラはすぐ目の前でこちらを向いている。「え〜これってもしかして〜」と2人でやや興奮していると、長澤さん若槻さんが手前の席に戻ってこられ、あっけにとられる間もなくすぐにテスト撮影が始まった。

 撮影されたシーンは内緒だが、とにかく2人で精一杯カップルの観客役をやりました。手を伸ばせば頭に届くくらい間近な距離で見た、長澤まさみさんはやはりメチャかわいかったです。もうこれだけで今日は来てよかったと思った。映画というのは撮影しても使われないカットはたくさんあるし、実際僕らがどの程度映っているのかはわからないが、こんな経験をさせてもらった以上、実際に観に行かないわけにはいかなくなったわけである。

 その後も様々なシーンの撮影が夕方近くまで続いた。映画の現場というのは本当にたくさんの人が働いている。役者さんエキストラ含め、みんながそれぞれの役割をこなすわけだが、それがすべて同時に同じ現場で行われ、そこで演じられることがそのまま作品になって、人々に夢や感動を伝えるというところに、仕事としては比類のない魅力があるのだなと感じた。これはやはり実際に体験してみないとなかなかわからないことだ。それができて、おまけにちょっとラッキーなこともあり、本当にいい経験をした1日になった。

 さて、今日ご紹介する1枚は、トランペット奏者ケニー=ホイーラが、現在も籍をおくECMレコードに初めて録音した作品。1975年の録音というからもう30年も前の作品だ。共演するのが、キース=ジャレット、デイヴ=ホランド、ジャック=ディジョネットというから何とも豪華なクァルテットである。これはもう音が悪かろうはずがない。先日仕事で出かけた外出先の街角で、たまたま入った小さな中古CDショップで見つけて手に入れた。

 「ケニー=ホイーラってフリージャズだろ」とおっしゃる方は、よくご存知でと申し上げたいところだが違いますよ。1960年代後半のデビューからこの作品までの彼の活動は確かにヨーロピアンフリーの人たちとの共演が中心だが、彼のトランペットは本来クリフォード=ブラウンからフレディー=ハバード等の流れを汲む、高らかに歌いあげるメロディアスな演奏が持ち味なのである。

 演奏内容はすべてホイーラの作品で、いずれも抜けるような青空を思わせる爽やかな音楽である。このメンバーであるからして、全員のソロがしっかりとフィーチャーされるのも聴きどころ。キースの美しく軽快でさりげない凄腕ピアノはもちろん全開、ディジョネットもシンバルなど金物だけのソロを聴かせるなど、十分に天才ぶりを発揮している。

 念願だった映画の撮影を体験し、久しぶりにウィスキーもたくさん飲め、いろいろな音楽との巡り会いもあったいい4月だった。このままの気持ちでゴールデンウィークを迎えられたら最高だ。長くなってしまったが、今回はここまで。

タッチ 映画「タッチ」公式サイト
東宝ラインナップ

4/16/2005

ミシェル=ンデゲオチェロ「ザ スピリット ミュージック ジャミア」

  一時期「21世紀のジャズ」ということを書いたと思うが、その部類に属するものとしては超強力な作品が発表された。発売前から前評判の様なものは耳に入っていたのだけど、実際に聴いてみて正直これほどの完成度と魅力を備えた作品であるとは、ある意味よい裏切りであった。

 ミシェルの経歴については、下記にリンクをつけた彼女の公式サイト等をご覧いただきたい。簡単に紹介すると、1993年にデビューしたベーシスト/シンガーソングライター(古いか)であり、ヒップホップやジャズ、ブルース等々ブラックミュージックを包括的に取り入れたアーチストである。女性でありシングルマザーでありゲイでありムスリムでもある。彼女の立ち位置としての音楽の存在を考えてみるに、いまや人間にとってここまで大きな基盤になったのだなということが実感できる。

 今回の作品は、彼女が組んだジャズプロジェクトとして最初のCDであるが、彼女の呼びかけに対して、それはそれは蒼々たるジャズミュージシャンが集結したのである。全8曲のうち、同じメンバー編成によるものはひとつもなく、インストありヴォーカルあり、2分弱のものから12分近いものまでと様々な形式の作品が収められているのだが、全体的には一貫したコンセプトがはっきりと感じられ、展開されるミシェルの音楽表現は見事に現時点でのジャズである。

 ここにすべてを掲載することはできないが、内ジャケットに記載された彼女自身による以下の序文は見事である。
My intention was to create music that allows for free interpretation and self-expression.(中略)May whoever needs it, find it, and all praise is for the creator. I am grateful.
 僕が思うに、現時点において「ジャズ」というジャンルの流れを汲む音楽については、その受け止め方は、「過去を振り返る」という姿勢と、「これからを見据える」というものに分かれるところが、人によってあるいは作品によってあるのだと思う。この作品に関しては、先にとりあげたスティーヴ=コールマン等と同様、伝統的ジャズをベースにコンテンポラリーミュージックを視野に入れつつ、そのこれからを見据えた作品のなかで特に優れたものとして、素直に捉えられると思う。

 ジャズは死んだとかそういう議論にはなんの興味もない。この作品は僕にとっては完璧なまでに素晴らしいコンテンポラリージャズ作品である。過去のジャズ作品で余生を過ごそうと決めた方には、あまり価値が認められない作品かもしれないが、ともすれば目線が後ろを向きがちだった最近のこのジャンルの作品のなかで、これからの行く道をしっかりと照らすヘッドライトの様な役割を果たす作品だと思う。

 すべての「前向きな人」、機会あれば是非聴いてみてください。これからの進化が楽しみになりますよ。

Comfort Woman ミシェルの公式サイト

4/10/2005

オーネット=コールマン「イン オール ランゲージズ」

  以前にいた職場の同僚で、僕と音楽の好みが少し似ている人物がいる。彼は僕よりも10歳若く、ここ2,3年でジャズに興味をもっていろいろ聴いているようだ。先日その彼とメールをやり取りしていると、最近興味を持ってCDを買ってみたアーチストとして、エリック=ドルフィーとオーネット=コールマンの名をあげていた。

 この2人のジャズミュージシャンについては、僕もかなり好きな方で、それなりにCDも持っているわけだけど、以前このろぐでもとりあげたドルフィーはともかく、オーネット=コールマンの名前を身近な人から聞いたのは、本当に久しぶりのことだなと思った。相手の方からその話題が出たという意味では、もしかしたら初めてのことかもしれないとさえ思った。そういえば僕自身もこのところあまり聴いていなかったなあ、と思うと急に聴きたくなり、これがまた満開の桜の季節に実によくマッチしてすっかりハマりこんでしまった。というわけで、今回はオーネット=コールマンの作品をとりあげます。

 オーネットについては、ずっと以前から少し気の毒に感じていたことがある。それは彼に貼られた「フリージャズ」というレッテルである。この話をするうえでは、先ず彼の経歴に少し触れておく必要があると思う。以下に、僕の独断でオーネット=コールマンの歴史を語るアルバム10作品を挙げてみた。

1959年「ジャズ来るべきもの」:オーネット流ジャズ事実上のデビュー作
1960年「ディス イズ アワ ミュージック」:早くも完成したスタイル
1960年「フリー ジャズ」:さらなる自由を求めた実験
1962年「タウンホール 1962」:トリオ編成による新たな旅立ち
1965年「クロイドン コンサート」:トリオスタイルの黄金期
1972年「スカイズ オヴ アメリカ」:シンフォニーオーケストラへの挑戦
1976年「ダンシング イン ユア ヘッド」:プライムタイム〜ハーモロディック原点
1983年「オープニング ザ キャラヴァン オヴ ドリームズ」:プライムタイム完成
1985年「ソングX」:コマーシャル音楽への付き合い
1987年「イン オール ランゲージズ」:音楽生活30周年記念作品〜集大成

 まあこれで何がわかるというわけでもないのだが、オーネットの音楽には明確な方法論があり、それはすでに1960年までには完成されていた。その方法論はあくまでも音楽理論の世界に属するものであって、黒人運動やアフリカの神様を拠り所にした精神的とか宗教的なものとは無縁のものなのである。

 オーネットの代表作といわれ、その後のジャズムーヴメントの呼称になった1960年の「フリージャズ」については、既にある程度の完成を見た自分の音楽に、さらに新しいスタイルを追求するために行った編成上の実験にすぎなかったと、僕は考えている。

 オーネットがここで考えた自由とは、あくまでも音楽的な自由のことであり、政治思想とか既存のイディオムの破壊を提唱していたわけではない。この作品の副題になっている「集団即興(=collective improvization)」の方法論は、その後のフリーインプロヴィゼーションミュージックにはなくてはならないものとなったが、当のオーネット自身はその方法論の面白さを認識しつつも、それによって音楽演奏の調和が希薄になることを、必ずしもよしとはしなかったのである。それは、彼がその後の作品においても、引き続き一定の編成を重視し続けていることからも明らかだと思う。

 その後、フリージャズという言葉は政治や民族の問題にもまれ、それが亡命する形でヨーロッパにわたり、今度は楽器の自由な技法を追求する芸術のスタイルへと形を変えて、今日も息づいているわけであるが、オーネットがその最初の一石を投じたのは事実としても、今日のその姿は彼がやりたいと考えた音楽とはかなり異なるものなのである。

 オーネットに貼られた「フリージャズ」のレッテルについて、僕が気の毒だと書いたのは、それが故に彼の音楽が敬遠されたり、十分に聴かれもせずに「難解」と片付けられてしまうことが多いのではないかと思うからだ。僕自身の経験からすれば、ジャズを聴いているという人の中でも、実は彼の音楽をまともに聴いたことがないという人は結構多いはずだ。

 今回の作品は、オーネットの音楽生活30周年を記念して作られたもので、発売当初はLP2枚組のいわゆるダブルアルバムだった。このアイデアがなかなか優れもので、1950年代後半に完成された彼の最初のクァルテットをオリジナルメンバー(ドン=チェリー、チャーリー=ヘイデン、ビリー=ヒギンズ)で再結成すると同時に、一方でその30年後である1987年当時に完成されていた彼のユニット「プライムタイム」(オーネットを中心に、ギター・ベース・ドラムのトリオを2組配したダブルクァルテット)を用いて、同じ楽曲を1枚ずつのLPに収録するというものである。

 収録されている作品はすべてこのアルバムのために新たに書き下ろされた作品で、いずれも親しみのあるメロディーテーマに続いてコンパクトなアドリブパートを挟んで再びテーマという3,4分程度の作品にまとめられている。このコンパクトさが実に見事であって、この2枚(CDでは1枚に収録されている)でオーネットの音楽を、実に気軽に楽しむことができるようになっている。

 これからオーネットを聴いてみよう、あるいはもう一度ちゃんと聴いてみようと思われる方には、一番お勧めしたい作品がこれである。この作品で、オリジナルクァルテットの演奏に興味を持たれた方は、上記の10枚を最初から聴いていけばいいし、プライムタイムに興味を持った人は逆順に聴いていけばいい。彼の音楽は自由であり快活なのだ。何も難解なところはない。

 1986年だったと思うが、当時日本で開催されていた「セレクト ライヴ アンダー ザ スカイ」というジャズフェスティバルに、オーネットのプライムタイムが来日し、僕も大阪の万博公園でその生演奏に触れる幸運に恵まれた。会場の反応は概ね9対1の割合で無関心と関心が分かれたが、オーネットの自由で快活な音楽は僕を魅了してしまった。それ以前にも彼のレコードは持っていたが、僕が彼の音楽をはじめて自分で感じることができたのはあの瞬間だった。ステージを終えて笑顔で去るオーネットの歯の輝きが印象的だった。

 このところ新作のリリースがないが、公式サイトによると、昨年も数回の演奏活動を行っている様なので、機会があれば是非ともまた元気な姿を拝みたいものである。

 桜が満開に咲くこの時期に、久しぶりにオーネットの音楽を聴き返すことができて本当によかった。

Ornettte Coleman Harmolodic Inc.の公式サイト
Ornette Coleman Masumaさんによるオーネット作品の編年体解説。充実です。

4/03/2005

ポール=モチアン トリオ「アイ ハヴ ザ ルーム アバヴ ハー」

  テレビドラマ「優しい時間」が終わり、ほのかな暖かみのある優しい感想とともに、わが家に小さなコーヒーミルが残った。ドラマを見ている途中でどうしても欲しくなって、楽天で注文して購入したものだ。相変わらずミーハである。学生時代に住んでいた寮の先輩がミルを持っていて、手挽きの豆でコーヒーを飲んだのはそれ以来かもしれない。コーヒーは大好きなので、以前から心のどこかで欲しいなとは思っていたのだと思う。

 コーヒーを「挽く」という表現がいい。コーヒー通は「煎る」「挽く」「入れる」の3つにこだわらねばならないのだそうだが、まあ僕は(いまのところ)通ではないので、「挽く」ところを少し自前でやってみたというにすぎない。それでもおかげでとても美味しいコーヒーが飲めることがわかった。自家焙煎は個人でやるのはちょっと大変そうなので、僕のコーヒーへのこだわりは当面はここまでだろう。豆の種類にうんちくをするなら、いろいろな音楽を探しまわる方がいいと(いまは)思っている。

 以前、音楽仲間の友人と2人でセッションをした後、いつものように中華料理とビールを楽しんで、じゃあコーヒーでも飲んで行くかとなった時に、彼は「スターバックスとかのコーヒーじゃないコーヒーが飲みたいよ」と言った。この発言の意味するところは、僕にもなんとなく共感できた。ここでコーヒー談義をするつもりはさらさらないが、それはコーヒーの豆や、煎る挽く入れるの問題が半分、あとはお店の雰囲気とかシステムとでも言おうか、そういう問題なのだと思う。

 街並みがチェーン店の看板に占領されて行くのが残念である。どこの駅を降りてもおなじみの看板がある。確かに入りやすいのかもしれないが、知らない店に入るという冒険をしない(もしくはできない)というのは、コミュニケーション能力という意味ではやや問題ではないかと思うのだが、どうだろうか。はじめての街でガイドブックにも載っていないお店に入る、面白くない。それは音楽でも他のことでも同じだと思う。

 ポール=モチアンは1958年のビル=エヴァンスの黄金トリオでドラムを務めた。あのメンバーでいま生き残っているのは彼だけである。今年で74歳になるモチアンは、エヴァンスとの活動以降もキース=ジャレットをはじめとする様々なジャズクリエイター達と新しい音楽を創り続けている。

 今回の作品は、1980年代からの付き合いになるギタリスト、ビル=フリーゼルとサックス奏者ジョー=ロヴァーノとのトリオによるポールの最新作である。いささか変わった編成だが、「叩く」「弾く」「吹く」という人間が発明した楽器の基本的な演奏方法を代表した構成になっている。彼等が出会ってからもう25年が経過した。

 内容は25年ものにふさわしい、とてもジェントルで奥深い「優しい音楽」である。限りなく引き延ばされた時間に、濃密な緊張感が同居しているような、不思議な時空間が再現される。独りでコーヒーやウィスキーを飲みながらじっくり聴くのもいいし、ピークを越えてまったり感の漂い始めたホーム=パーティのBGMにもいいだろう。照明は暗めでどうぞ。時折、この音楽が存分に楽しめるような時間がある、そんな人生は素敵だ。

 来週は東京でもようやく桜が開き始めるそうだ。

Drummer World:Paul Motian