8/29/2011

六十谷にお別れ

8月最後の暑い月曜日。会社から休みをもらって、単身和歌山に日帰りで行った。父の亡き後、長らく空き家になっていた実家が、人手に渡ることになり、その最終手続きに立ち会う必要があったから。

手続きは、共同所有者の兄と僕、買い手の方、仲介役をしてくれた伯父、そして行政書士の人の5人が集まり、市内の銀行で執り行われた。

契約書の読み合わせなど、時間のかかる手続きは既に終了しており、今日は決済の書類にサインなどをするだけの簡単な内容ばかりだった。

手続きの前に兄と実家に行った。既に家の中にたまっていた家財や周囲の庭木、生垣などはきれいに掃除されていて、部屋の中に長年こびりついた汚ればかりが目立った。

僕がこの家で寝起きしたのは、受験勉強に明け暮れた高校3年生の1年間だけだった。あとは時折帰る実家として25年間お世話になった。

そうは言っても学生時代を中心にいろいろな思い出があるし、何よりも両親の記憶とは切ってもきれない場所だ。

幸いにも付近の分譲地の中では立地的に条件がいいおかげで、中と外を掃除してもらって売物件の看板を出したところ、程なくして複数の買い手が挙がった。

金額含めた交渉ごとはプロである伯父に委ね、ほとんどトントン拍子にことが進んだ。幸いにして、建物を含めた状態での買取を希望いただき、家を壊さずに済んだ。

家が売れたといっても田舎の話であるから、そんな大層な金額にはならないが、建物を壊して更地にせずに済んだおかげで、手続き上の諸費用を差し引いてもいくらかのお金が手元に残った。

それも父なりにこだわってこの土地を手に入れ、しっかりとした家を立ててくれたおかげだろう。感謝しなければならない。

手続きが終わって、兄と2人で駅前の居酒屋「丸万」で昼間から一杯やった。お客は僕らしかいなかった。老舗らしいしっかりした料理が本当に美味しかった。

考えて見れば下宿なども含め、これまで何度も引越しをして来たが、いまも形をとどめている建物は意外に少ないことに気づいた。人の棲家とはそういうものなのだろう。

和歌山にはお墓もあるし両親の兄弟や旧友もいるから、これからも訪れることはあるだろう。しかし、実家があった六十谷で降りることは、おそらくもうないかもしれないなと思った。

同時に、以前から感じていたことではあるが、和歌山が自分にとってもはや「帰る場所」ではなくなったことが、はっきりとした日になった。寂しさもあるが、むしろこれが区切りというものだ。

8/21/2011

干反る音

暑い毎日が続いていると思ったら、金曜日から天気が雨模様になり、気温が大きく下がった。週末は半袖半パンではちょっと涼しいのを通り越すぐらいの涼気。クソ暑いよりはいいのだが、なんとなく寂しい感じもする。そういえば日も少し短くなって来たのを感じる。

少し前から高柳昌行の音楽をいくつか聴いているうちに、彼がベーシストの井野信義といろいろな活動をしていたことを知った。僕が気になったのは彼らがデュオでいろいろなところで演奏活動をしていたこと。残念ながらスタジオ録音の作品はない。

2人のデュオ演奏の模様を収録したDVD"The Complete Works of Jojo ; Jazz 1"を、版元のJINYA DISCから買い求めた。名古屋のラブリーでのライヴを収録した8mmビデオ(もはや過去のフォーマットになってしまったようだ)の映像と音声なのだが、そこで初めて映像で見た井野さんのベースには強く惹かれた。

フリーありタンゴありスタンダードありとバライティに富んだ内容は、2人の豊かな音楽性あってのもの。「激しい個性のぶつかり合い」とかいわれるようなものではなく、「息のあった名人芸」という方がしっくり来る。同日の演奏の一部に、別の日の新宿ピットインの演奏を加えたアルバム「リーズン・フォー・ビーイング」も気になるなあ。

もう一つ、2005年に収録されたソロ作品「干反る音」は、井野さんのベースの魅力が詰まった素晴らしい作品だった。正確な技術や深い音楽性の一方で、とても親近感がわく気持ちがいいベースだ。(作品の内容はリンク先でmp3ファイルの試聴ができます)

冒頭、グレゴリア聖歌を題材にアルコで多重録音された「ひせきにこもりて」には、思わず聴き惚れてしまう。以後、高柳に捧げられたタンゴの「忘却」やら「ロータスブロッサム」等々全12曲は、井野さんの豊かなキャリアに裏付けられたベースによる回顧録とでもいう内容。

こういうものを聴いていると、ついついリヴィングに立てかけてあるベースに手が伸びてしまう。井野さんの域には到底達するものではないが、ずっと以前から思っている自分がベースで表現したいものに、少なからずの刺激を受けたことは間違いない。

いつになることかわからないが、その日が来ることに備えて、せめて楽器の感覚だけは忘れないようにしたいものだ。



8/14/2011

コクリコ坂から

夏休み最終日の日曜日、みなとみらいの横浜ブルク13に独りで映画「コクリコ坂から」を観に行った。海を見下ろす丘と港、戦争と平和、青春と希望・・・そんなテーマが爽やかにまとまった素晴らしい作品だった。

原作のまんがのことは何も知らない。僕が生まれた頃の横浜が物語の舞台になっていて、当時の街の様子がとても鮮やかに描かれている。当時はいまよりももっと港の存在が大きかったんだな。商業施設や中華街もいいけど、やっぱり横浜の本質は「港」だ。これからもっとこれを大切にしていかなければならないなと、ひとりの市民として強く感じた。

先日、NHKでこの作品の監督と脚本を担当した、宮崎吾朗・駿親子のドキュメンタリー番組をみていた。特に印象的だったのが駿さんの言った二つのこと。

一つは、「いまはファンタジーが作りにくい。いろいろなことがうまく行っている時代は、滅亡や終末を描くとそれがファンタジーになる。だけども、みんながダメだと思っている時にそれを描いてもファンタジーにならない。だから次回作のことは悩ましい。」という主旨のこと。

もう一つは、震災で作品の製作を数日間休止することを決めたスタフに対して、「いったい何が問題なんだ。何が心配なんだ。生産の現場は絶対に止めてはいけない。公開日を決めたのだからそれは守らないといけない。こんな状況だからこそ作り続けることが重要なんだ。」という主旨のこと。

この作品の内容に直接的に関係するものではないかもしれないが、観るに際してこれらの言葉が頭をよぎり、結果的に作品をより深く受け止めることができたのではと思っている。

しかし・・・映画館内で上映中にポップコーンを食べたりするのって、僕は開演前に流れるいろいろな注意事項と同様のマナー違反だと思っている。そういうことは各自の家でやってほしいなあ。

妻と子が妻の実家に遊びに行ったので、夏休み最後の3日間は横浜で独り過ごした。日中の日射しは確かに強いが、自宅のある場所は適度に風も吹きなんとかエアコンなしでもいられた。

昼間はホームセンターで掃除道具や植物の苗などを買って、日頃なかなかできないでいたウッドデッキの掃除や植栽の手入れなどをやった。夜はエアコンをいれた部屋でたんまり酒を飲んだ。そして朝は港の見える丘公園まで歩いた。

横浜はいいところ。