10/26/2014

ジョー・モリス「シンギュラリティ」

言いようのないままほとんど 無為に過ごさざるを得なかった5日間とお別れしてようやく迎えた週末は、自ら求めて待ち望んでたとばかりに早起きしてまた東神奈川駅から惹かれるままに瑞穂埠頭に向かった。
まだ薄暗い瑞穂橋の古い鉄道橋から眺める東の空はとても美しく自分の中のいろいろなものを落ち着かせてくれるようだった。
この日は東側の鈴繁埠頭に何かの運搬船だろうか大きめの船が入っているのが見えた。もうゲートのある所までは行かなかった。
瑞穂大橋を渡ったところから振り返って見る三井倉庫の壁の色が、朝の空の色にとけ込んでいて清々しい。
いまの自分にとってこの時間はいろいろな意味で本当に大切なひと時だ。

この日は空気がよく澄んでいて、みなとみらい大橋から初めて横浜港の水平線から昇る太陽を見ることができた。
いったん雲に隠れた朝日は、臨港パークを歩く間に再びベイブリッジの上に昇って港の水面に最初の光を注ぎ込んだ。
ぷかり桟橋から新港埠頭を臨む眺め。ハンマーヘッドクレーンが朝日を捕まえた。
日曜日に、妻が幼稚園のママ友と用事で都内にお出かけして、僕と同じくやや風邪気味の子どもが家のお外で近所のお友だちと愉しく遊んでいる。

その時間を利用して、ずっと前からやりたかったことで、でも決してその時間がないわけではなかったのけど悶々として行動できなかった、ある準備の様なことにようやく少し手を付けることができた。

そのこともまた僕の気持ちを前に向けさせてくれたのだけど、やったらやったでまた十分に見えていなかった険しさが少し垣間見えることにもなった。やはり時間はないのだ。

このところジョー・モリスの音楽にのめり込んで行っている。いまの僕には彼の音楽が自分にとってかけるべき最初の大きな足場になっている様に感じて、音楽作品にとどまらないいろいろな彼の記録を集めているところだ。

詳しくはいずれまた書こうと思う。いまの僕が目指したいと思う素晴らしい音楽家である。


10/19/2014

有安杏果プレゼンツ チビッ子祭り2014熊本大会 ライヴビューイング

夏の日産スタジアム以来、3ヶ月ぶりのももクロイベントとして、熊本で開催されたももクロのコンサートイベント「チビッ子祭り」のライヴビューイングを観に、川崎のシネコン「チネチッタ」に行った。

今回は同じ会社の若い同僚と一緒に参戦。キャパは480名ほどのスクリーンで、ライヴハウスとは違って客席の傾斜もしっかりとついているので、とても快適に鑑賞することができた。

ライヴビューイングは一昨年秋の「男祭り2012」以来2度目だったけど、こういうアイドルのイベントを楽しむには、いい仕組みだなとあらためて実感した次第。

今回のイベントは、身長148cmでメンバーの中で一番背の低い、僕の推しメン有安杏果ちゃんが全面プロデュースで、その名の通り身長の低い人限定のコンサート。入場するには男女それぞれに厳格な身長制限がある。

会場となった熊本のホールは、スタンディングでのキャパが650名という小さなハコ。オープニング前の会場内には、「ちいさい秋見つけた」とか、JUDY AND MARYの「小さな頃から」が流れるところから、ライブビューイングがスタート。

独身の頃ファンクラブにも入っていたジュディマリの曲が懐かしかったなあ、もう20年も前だなんて、杏果ちゃんが生まれた年の曲だよ、これ!

と思っていたら、有安のソロ曲「ありがとうのプレゼント」のイントロが突然流れて、ステージに杏果ちゃんが登場。自分の名前がクレジットされた今回のイベントの成功を祈る様に、この曲をしっかりと歌い上げて、めでたくコンサートは幕を開けた。

その後、先ずは杏果ちゃん自ら今回のコンサートの主旨を説明してくれた。そして「さあこれからは、残りのメンバーも一緒になって、いよいよももクロのライヴが始まるよ!」と言うと、お馴染みの「Overture」が流れ、会場全体でコールがわき起こるなか、4人のメンバーひとりひとりが有安に呼ばれてステージに登場。

「Overture」が終わって、メンバーが整列すると、 杏果ちゃんの「たとえ小ちゃくても大っきな夢を咲かせられる」という主旨の(正確なご発言忘れてしまいました)感動的なお言葉(注:後ほどファインクラブサイトのレポで「みんな、小さいことは恥ずかしいことじゃないんだよ!」とおっしゃったことが分りました)に続いて「猛烈宇宙交響曲・第七楽章『無限の愛』」が始まり、コンサートは一気に白熱!

最近の大きなスタジアムなんかでのイベントとは違って、派手なステージセットや衣装替えもない、歌とダンスとトークに凝縮した、これぞももクロの真骨頂と思えるライヴを存分に楽しむことができた。やっぱりこういうライヴの方が絶対にいい。これを生で見られた人は幸せであるが、LVでもその感動は十分に楽しむことができたと思う。

イベントの詳細については、こちらの記事などをご覧ください。

途中、会場の観客に素敵なプレゼントが当たるという「ロト・マキノ」という抽選コーナーがあり、ここでもいつもの楽しいトークが楽しめたのだが、これで時間がかなり押してしまい、さらに(正直これがちょっと余計だったのだが)テレビの収録がステージの途中で入るという乱暴な展開があって、コンサートの勢いがやや間延びしてしまった感があったのがちょっともったいないところだった。

あと、エンディング前の「灰とダイヤモンド」から最後まで、少なくとも僕がいた場内の音声が乱れたのもちょっと残念だったかな。あれは今回の劇場だけの問題だったようにも思えたが、どうだったのだろうか。

それでも、エンディングからアンコールへと再び勢いと流れを取り戻して、 本当に素晴らしいクライマックスを見せて2時間半に及ぶ「チビッ子祭り」は見事に幕を閉じた。

子どもと一緒に観た夏の「桃神祭」も素晴らしかったが、今回のイベントもそれを上回る素晴らしい内容だったと思う。有安さん、メンバーの皆さん本当にお疲れさまでした。

終演後、同僚と川崎市内のイタリアンでパスタをつまみにビールとワインをやりながら、2時間ばかり話をした。

最初はライブの感想を話したりしていたのだが、そこからお互いの趣味である楽器演奏の話やら、仕事とか結婚とかいろいろな人生話になった。僕よりもひと回り以上年下の彼だが、自分がいま考えたり悩んだりしていることにも、いろいろな示唆をもらったりもした。

それも含めて、今回のライブビューイングはいい機会になったと思う。これを与えてくれたいろいろな人にあらためて感謝したい。いい週末でした。


(おまけ)
前回のろぐで触れた瑞穂埠頭について、この土曜日の朝にもまた同じコースを歩いてみました。

この日は埠頭内を廻る港湾道路にある横浜倉庫前のゲートが開いていたのだけど、そこに向かって行くと警備の人が近づいてきて、この先は立入禁止なのでここで引き返すようにと、丁重に追い返された。

まあ残念ではありますが、これでこの埠頭にどこまで入ることができるのかについてはハッキリしたわけで、いくぶんスッキリした気持ちで引返すことに。

その際、瑞穂橋を渡ってから左に折れてコットンハーバーの方を回って行ったのだが、マンションの周辺は綺麗に整備されてはいるものの、やはりこの周辺の雰囲気には勝てず、この先時間とともに寂れていきそうな雰囲気を感じざるを得なかった。まあそこがこの辺りの魅力でもあるのだけど。

コットンハーバー近くの三井倉庫周辺。ひと昔前の横浜の雰囲気をいまに残しています。
この日の朝日とベイブリッジと横浜港


10/13/2014

瑞穂埠頭

日曜日の朝、また新子安から自宅までのウォーキングをやったのだが、途中で以前から気になっていた場所にちょっと寄り道してみた。瑞穂埠頭、東神奈川駅から南に国道1号線を横切った先にある横浜港の埠頭である。

新子安から東神奈川駅近くの神奈川二丁目の交差点までは約20分。いつもは直進するところだか、今回はここを左折する。

運河に掛かる村雨橋から横浜駅方面を臨む。曇り空の静かな朝である。

村雨橋を渡るとすぐに大きなゴルフ練習場があって、すぐにまた運河の橋を渡る。そこから見たコットンハーバーのタワー。

橋を渡ると今度は貨物線の踏切を渡る。いまも頻繁に使われている路線だが、やはり旅客沿線の雰囲気とは大きく違う。

千若町2丁目の交差点を超えたところから見るコットンハーバー。

そしてようやく現れるのが瑞穂橋。瑞穂埠頭への入口である。

瑞穂埠頭は敗戦後に連合軍に接収され、現在も埠頭の西側に 在日米軍の施設「横浜ノースドック」がある。かつては埠頭全体が事実上米軍の施設であり、一般人の立ち入りは厳重に禁止されていた。

埠頭内を周回する港湾道路が返還されたのは5年前のこと。それでもこの埠頭への立入りに関しては、噂話も含め不明なところが多い。

瑞穂橋の手前すぐのところにある2軒のバー、ポールスター(奥)とスターダスト(手前)。占領の時代をいまに伝えるたたずまいだが、いずれも現役で営業しており、スターダストは映画やドラマにも度々登場する名所である。

橋の手前に引かれたイエローラインがかつての事実上の「国境線」だった。ここを超えると自動小銃を抱えた米兵がやってきて注意されたのだという。

現在も米軍施設の方にカメラを向けるとすぐさま警告を受けるとの噂だが、僕が通った朝6時前には米軍施設の門にはっきりした人影は認められなかった。ここで埠頭から追い返されたら困るので、米軍施設の撮影はしなかった。
橋を渡って埠頭に入り、すぐに左折(せざるをえないのだが)して港湾道路へ入る。かつて使われていた貨物線とその鉄橋がいまも残っている。

埠頭の北側はまだ米軍の管理下にある。当たり前だが埠頭にも道路にも人っ子ひとり歩いていない。

埠頭の東側まではさほど時間はかからない。ここで港湾道路は右に折れる。左側が横浜倉庫の施設。

対岸には出田町埠頭が見える。

さて、ここを埠頭の南側まで直進すれば、と胸ふくらませたのだが、この日は、横浜倉庫の正面にあるゲートが閉じられていた。日曜日だからだろうか。うーん残念だけど、ここで引き返さざるをえない。

ということで、瑞穂埠頭の冒険はあっけなく途中で終わってしまった。帰りに瑞穂橋の上からみなとみらい方面をパチリ。左手前にあるのが米軍の施設と小型船である。

三井倉庫の古い倉庫。たぶん木材関係のものだと思われる独特の臭いが漂ってくる。

再び村雨橋を渡って左折して裏通りから横浜中央市場を目指す。運河沿いにある古い鉄工所と、その向こうにコットンハーバー。

アパートに住んでた頃に売り出されたマンションエリアだが、港の眺めは素晴らしいマンションだと思うけど、やっぱりそれなりの立地である。

臨港パークから瑞穂埠頭を眺めながら、今回の寄り道探検はちょっと中途半端に終わってしまったなあという気持ちが込みあげてくる。

ゲートが開いてたらもう少し先の埠頭の南岸まで行って、あの風車の近くまで行けたのかなあ。
またいつか寄り道して確かめてみようと思う。

(2014年10月19日追記)
この翌週の土曜日のウォーキングで再び瑞穂埠頭に行った際、この埠頭への立入り限度について、ある程度明確な答えが得られた。詳しくはこの次の週のろぐを参照されたい。