9/28/2014

ワダダ=レオスミス「グレート・レイクス・スィート」

先週末に家族揃って風邪をひいてしまい、おまけに僕は風邪でご機嫌ななめの子どもを叱った拍子に、また少し腰に痛みが走り、体調不良はこの1週間続いてしまった。

そんなことで先週のろぐはお休みにさせていただいた。腰は気をつけないと、こんなこと繰り返しているうちに慢性化するんだろうなあ。

体調が悪化する前後にあたる先週土曜日とこの土曜日、ウォーキングの方はしっかりできた。起点を新子安からにして、R1沿いに中央市場入口まで歩いて、中央市場、臨港パーク、赤レンガ、大さん橋、山下公園を通って山手通りを自宅まで歩くみなとみらいウォーキングを2週続けて歩いた。

電車で新丸子に降りるのが朝5時で、自宅に着くのは7時少し前。臨港パークからベイブリッジ越しに眺める横浜港の日の出は美しかった。水面に反射する空の光が遠くまで続く。やっぱり海はいい。
最近とても気に入って聴いている音楽が、ワダダ=レオスミスが2012年に録った"The Great Lakes Suite"という作品。

(ジャック)ディジョネットがドラムで参加しているというところに惹かれて、チラッとネットで試聴しただけで2枚組のCDを買ってしまったのだが、実際に通して聴いてみると、これがとんでもない名作だった。

ジャックのドラムは言うに及ばず、各メンバーの演奏に加えて素晴らしいのが、スミスがアメリカの6つの湖(いわゆる5大湖にワダダの想いでセントクレア湖が加えられている)をテーマに書き上げた音楽だ。

僕はこれらの湖については具体的なイメージはほとんど持っていない。20年近く前にアメリカに出張した際に訪問したシカゴの上空から見たミシガン湖をかすかに覚えているだけだ。

ライナーを読むと、作曲に当たってワダダがこれらの湖に馳せていた想いは、湖が形成された氷河期に遡るというのだから、それはそれは壮大な曲想に基づいているわけで、なるほど音楽はそれをしっかりと体現している。

主題に相応しい雄大で粗暴なテーマの咆哮で1曲目の「ミシガン湖」は幕を開け、人類の文明とは無関係な原始と神秘の世界を描いたテーマと即興が立ち替わり登場しながら6つの湖のパノラマが展開する。

調性に基づいた明暗や喜怒哀楽あるいは起承転結といった、よくある音楽的な展開があるわけではなく、各主題と曲の構造以外の部分はメンバーの即興に基づくところが大きいと思われる。

その意味では一聴すると6つの音楽は均質的な印象を受けるのだが、そこがこの90分を超える演奏が一つのジャムセッションのなかで完結しているというジャズらしい素晴らしさの特質なのかもしれない(驚くことにこれらの音楽はたった1日で録音されているのだから)。

そしてその世界が神秘的ななかで静かに落ち着いたところで、ジャックのいかにもアメリカを彷彿とさせるビートを叩き出すと湖は現代の情景となりつつ、そのまま彼のドラムで音のパノラマは幕を閉じるという具合だ。

少し大袈裟に思われるかもしれないが、僕にとってこの作品はコルトレーンの「至上の愛」にも匹敵する組曲だと感じられた。それほどの名作だと思います。本当に素晴らしい作品!

9/16/2014

50回目の誕生日

50才になった。ここまで半世紀を生きた。ありがとうございます。

ちょっと前までは、多少は身構えてはいたものの、意外にあっさりとその日が来るのかなと思っていた。

だけど、いろいろと考えたり身の回りで起こることもあって、ひと月程前からこの日がくることを妙に意識するようになっていった。

最初の25年間は両親に養ってもらいながら、様々な生きる術をイチから順に習得する毎日。ご飯の食べ方や、数のかぞえ方、字の書き方、自転車の乗り方、お金の使い方、掃除のやり方、言い訳の仕方、興味の持ち方...。

次の25年はそれをちょっとずつ活かして自分なりの生き方を模索する日々だった。この間に、僕は妻と巡り会い、両親がこの世を去り、子どもを授かった。素晴らしくもあり哀しさもある四半世紀だった。

前回のろぐで「ひとつの区切り」と書いたのはこのことだった。いろいろ心配してくれた人、ありがとう。

妻が企画して連休中の2日間を、山梨県北杜市にある八ヶ岳の麓のコテージで過ごすことになった。

小淵沢から小海線(八ヶ岳高原線)に乗って清里へ。ディーゼル2両編成のこじんまりした鉄道。高原の森のなかをくねくねと走る具合は、保線が行き届いているのか驚くほど乗り心地がよかった。
コテージがある甲斐小泉駅で。
清里は以前に訪れたときから20年以上経つと思うが、駅前の街はずいぶんと荒びれた印象だった。

「おしゃれな山のリゾート」の先駆けだったと思うが所詮そういうものは長続きはしない。いまとなっては見苦しい余計な建物の残骸は早く取り壊して、八ヶ岳の素晴らしさという原点でしっかりやっていって欲しいと思う。

サンメドウズ清里からの眺め。
ゲレンデをちょっと横にそれて草花が生い茂る野原を散策。秋の虫がいっぱいいました。
滞在中お天気にはめぐまれた。2日目には東沢大橋から下を流れる川俣川の渓谷に降りて、下流にある吐竜の滝を目指すトレッキングに挑戦。
途中、道が崩れて通行止めになっていて、いったん清泉寮まで登って再び渓谷に降りるという行程になった。
この清泉寮から吐竜の滝を目指す後半のコースが思いのほか険しく一部危険な場所もあったのだが、子どもは自分の腰よりも高い段差をいくつも乗り越え、時には石づたいに急流を渡りしながら、よく頑張った。
急流に洗われる石づたいに川を渡るところでは、ママが冷たい流れに足を浸かりながら子どもの手を握ってしっかりリード。
約10キロの距離に100メートル以上の高低差を何度も登り降りした長いトレッキングだったけど、達成感は十分だった。ようやくたどり着いた吐竜の滝の素晴らしさは格別だった。
コテージでは夕食後にサプライズでお部屋にバースデーケーキが届けられ、子どもからは嬉しいお手紙も。いっしょに5本のローソクを吹き消した。ありがとう。

この日が来ることを意識して以来、自分がどう生きて行くかについて急にいろいろと考えることになった。

もちろん納得できる切りのいい答えなどはない。だけどこれについてもう少し深く取り組んで生きてみようという軸はいくつかまとめることができた様に思う。

これを機会に、ろぐのデザインなんかを少し新しくしてみた。えぬろぐは一つの区切りを超え、新しいステージでまだ続きます。

9/12/2014

今日海をながめること

今日は会社をお休みした。期限の督促がきたので、二俣川の運転免許試験場に自動車免許の更新手続きに行った。

近所の警察署でもできるんだけど、即日交付と写真の準備が不要なのがメリット。早起きして(といってもいつもよりは遅めである)開門時間の7時30分より少し前には現地に入った。

さすがに更新手続きの中では一番乗り。最後の講習の開始時間が少し遅かったので、新しい免許証をもらったのは9時45分だった。

それからが、今日わざわざ仕事でお休みをもらったことのメインイベント。単に平日に独りで海を見に行く、それだけのことである。でもずっと前からこれをやりたかった。

本当は南伊豆の弓ヶ浜に行きたかったんだけど、腰のこともあるので、予定を変えて三浦半島の劔崎に行くことにした。

久しぶりに暑い一日だった。京急で三浦海岸駅まで行き、バスの時間を調べて、駅前の居酒屋「あやとり」さんでしらす丼のお昼をいただいた。酒はガマンした。

劔崎には、子どもが生まれる前に妻と2人で灯台を訪れたことはあるが、今回はその下に広がる海岸が目当てだった。

三浦海岸駅前から乗って劔崎のバス停を降り、15分ほど歩くと海岸に出る。晩夏の陽光に照らされたきれいな岩場に、本当に穏やかな波が打ち寄せていた。

これまで何度か、仕事に行くのがどうしても嫌で、職場と反対向きの電車に飛び乗っていっそ海にでも行ってしまおう、と思ったことがある。だけどやっぱりできなかった。

だから平日に海を見に行きたかった。ただそれだけのことなんだけど、それをやるのはそういう思いを持ったのと同じ時代で一つの区切りを前にした今日でなければならなかった。

初めて降りた劔崎の海岸。今日は本当に穏やかだったけど、荒れた日の迫力も是非見てみたいと思った。豊かな海岸である。
劔崎の海岸に立つ灯台。
帰りに、この前子どもと泳ぎにきた三浦海岸を津久井浜まで歩いて帰った。誰もいなくなった砂浜。いい表情だ。やっぱり海を見にきてよかった、今日。
いいお休みを過ごさせてもらった。三浦の海はいい。僕はやっぱり一所でじっとしているという質ではないみたいだ。

9/07/2014

腰痛のお告げ

もうあと一週間ほどで...と思いながら、何とか無事に週末を迎え様としていた金曜日の昼、会社の食堂でムセせしまった拍子に、左の腰にピキッと痛みが走った。やってしまった。昨年秋に患ったときに比べればまだ軽めだが、油断は禁物である。

そろそろと食事の残りを平らげて、お盆を持ってゆっくりと立ち上がる。右手に力をいれて持ち上げようとすると腰が痛む。何とか立って歩けたが、これからどう展開するかを楽観してはいけない。やらなければいけないこともあったが、ここは即座に午後休暇で自宅に戻ることに決めた。

真昼間の電車は空いていたが、座って揺られるうちに、どんどん悪くなるのを感じざるを得ない。このまま立って歩くのが難しくなるのだけは避けなければならないと思い、横浜からは思い切って立ち上げってドアに寄りかかった。

幸い妻が自宅にいて、予めメールで連絡してあったので布団を敷いて、貼り薬もスタンバイしてくれていた。「続く痛みは最初に叩くのが肝心。」以前、ヘルニアを患った際に世話になったペインクリニックの先生の言葉が思い出され、すぐに痛み止め藥と貼り薬を処置。床に転がって眠った。

幸い、今回は現在のところそれ以上は悪化せず、少しずつ快方に向かっている。週末のウォーキングができなかったのは寂しかったが仕方ない。土曜日には妻と子どもが早起きして大さん橋まで歩いた。パパも行きたかったよお。

タイミングが一週間遅れていたら、とんでもなく落ち込んでいたところだっただろう(もちろんまだまだ油断は禁物だが)。これも何かのお告げかな。自身だけでなく、週末を楽しみにしてくれていた妻や子どもには迷惑もかけた。一方それでも思いがけずに運命的なこともあった。

やることがなかったので、書棚にいれてあったデレク・ベイリーの著作を、パラパラと返し読みしてみたところ、このところ自分が音楽について考えたり悩んだりしてきたことに、何かつっかえが取れるような気持ちになれることが、次々に書いてあるのを知った。

一度読んだはずなんだけどなあ。勉強は大切なことだけど、難しいことでもあるとあらためて知った次第。本当の意味での勉強って一期一会なものだし、運命的なものかもしれない。だけどやっぱり日頃、何がしかそのことを考え続けるっていうのが一番大事何だろうな。本当に好きなことってそういうこと。

来週は大きな節目。しばらくは大事にしないといけないけど、この腰痛はそれを前にいくつかの大事なことを教えてくれたと思う。