3/28/2010

リセンヌ小路のゾウリカフェ

先日、和歌山に住む幼馴染みが仕事の出張で横浜にやってきた。水曜日の夜なら時間が取れるというので、少し遅い時間からだったが元町で一杯やることにした。実のところ、横浜に越してきて以降、元町で夜を過ごしたことがほとんどない。日頃歩き慣れた通り沿いで、行き当たりばったりによさげなお店に入ればいいだろう程度に考えていた。

元町で面白いのは元町商店街ではなく、その1本裏にある通りだと思う。とりわけ石川町から山手方面にのびる「リセンヌ小路」は魅力的な通りだ。子供の誕生日のケーキでお世話になったH.B.Cafeもこの通りにある。

夜の8時に駅の改札で待ち合わせ、そのままリセンヌ小路をぶらぶらして入るお店を物色した。僕はどこでもそれなりに魅力的だと思ったけど、最終的には彼の好みで欧州系の料理を出すZouli Cafe(ゾウリ・カフェ)に入ることにした。

こじんまりとした店内は若い女性の姿が目立つ。僕らは奥の低いソファー席に座った。テーブルカバーのガラスの下は細かく仕切られてアクセサリーが売られている。中年男2人にはやや場違いか。

アンティパストの盛り合わせに始まり、自慢の鮮魚や肉料理からパスタに至るまでいろいろな料理を堪能し、その美味しさにビール(なぜかドイツビールである)が次々に空いていった。最後にバーボンをロックで1杯ずつ飲んだところでお店を移ることにした。これで1万1000円である。まあリーズナブルなのではないだろうか。

次に入ったキャラクターズはその名の通りのかなりポップなカフェ。連れは完全に居心地が悪そうだったが、ここでもバーボン2杯ずつとお店自慢のスペアリブをおつまみでいただいた。しめて4000円は安い。平日の夜に久しぶりに結構飲んだが、家から一駅という近さは有難いことこのうえない。

ゾウリカフェはお昼もランチを営業しているようだったので、昨日妻と子を連れて行ってあげた。ランチメニューはパスタ、リゾット、魚料理、肉料理の4種があり、値段はそれぞれ単品で800円から1100円である。

何と言ってもおすすめは、それにプラス300円でつけることのできるランチセットで、前菜3点盛に、やわらかくて美味しい自家製パンが食べ放題、さらにデザートとコーヒーor紅茶までつく。僕はパスタを妻は肉料理を注文し、2人ともためらわずランチセットを追加した。

前回と同じソファー席で子供もゆっくりすることができた。といっても途中から店内のあちこちが気になり始め、お店のお姉さんに愛想は振りまくは、厨房に入っていこうとするはで結構大変だったが、厨房の人たち含めお店の人はみんな親切にしてくれた。料理の味も素晴らしく妻もここをとても気に入ってくれたようだ。

リセンヌ小路とそれにつながる「ひらがな商店街」には、まだまだ他にもいろいろと楽しそうなお店があるようだ。これから少しずつ探検していきたい。

3/22/2010

満1才になりました

3連休は子供の満1才のお誕生日をお祝いした3日間だった。

プレゼントは横浜ベイクォーターに新しくオープンしたアネックスで購入。ベビー用品や子供服を扱うお店が揃っている。いろいろなオモチャがあるなか、車輪付きの木製のカエルから柄がのびていて、手で押して転がすとカエルの手足を模したひも付きの玉がくるくると回転するフランス製のものがあった。何気に妻がそれを動かしてみせると子供が妙にいい反応をするので、すぐにこれを買ってあげることに決まった。


誕生日当日の夕食には、妻が子供用にカップケーキとヨーグルトとイチゴで特製ミニケーキを作ってくれて、僕のお手製パスタ(塩を入れ忘れた)と白ワインなどで乾杯。子供もいつになくご機嫌なディナーとなった。

大人用のバースデーケーキ(?)として、元町リセンヌ小路にある「H.B.Cafe」で18cmのホールケーキを注文。フルーツやクリームが満載のホームメイドケーキは食べ応えがあってとても美味しかった。これで3000円はお買い得である。考えてみれば自宅用にホールケーキを買うのは初めてのことだった。来年は一緒に同じケーキを食べられるだろうか。

いろいろな意味ですっかり子供中心の生活になった1年間。子供と妻には毎日楽しい想い出をありがとうと言いたい。これからもいろいろなことがあるだろうけど、3人で頑張っていこうと思う。

3/14/2010

ハードロックカフェ

久しぶりにいい天気の週末になった。

土曜日は朝早く起きて港の見える丘公園までウォーキング。ずいぶん朝が明るくなった。少し前までは午前6時はまだ真っ暗だったのに、いまはもう日が昇りかけている。時間は同じなのだが周囲が明るいので、ちらほらと人の姿が目に入る。実際に出くわす人の数は、たぶんそれほど変わりはないと思うのだが、あまり朝早いという感じがせず、ちょっぴり残念なような気分である。

横浜駅に最近新しくできた商業施設「横浜ベイクォーター」に家族3人で出かけて、お昼ご飯を食べた。このところ横浜のベイエリアは再び新しい商業施設がいろいろできている。来週末にはベイクォーターの別館や桜木町駅間にも新しい大型施設が開業するらしい。ますます便利に楽しい街になるのはいいが、どこかにゆとりというものをしっかり持っていてもらいたい。

明日はホワイトデーなのでこの日は僕のおごりということに(といってもひとり1000円のハワイアンランチだった)。そこここでちょっとした買い物をしながら、ジャックモールを経てみなとみらい方面まで歩いた。子供もかなり長い時間、ベビーカーにおとなしく乗ってくれるようになったものだ。

さすがに少し疲れたので、どこかでお茶を飲んで帰ろうということになった。パンパシフィックホテルのカフェは満席で入れなかった。どこかいいところはないかなと考えて思いついたのが、ハードロックカフェ横浜だった。

みなとみらいにはもう何度も足を運んでいるが、クィーンズスクェア開業当初からあるこのお店にはいままで一度も足を踏み入れたことはなかった。それどころか六本木や上野などにあるどのお店にも行ったことがない。僕にとっては初めてのハードロックカフェだった。

店内は往年のロックの名曲がPVとともに大きな音量で流れている。僕らが席に案内してもらった時には、キム=カーンズの"Betty Davis Eyes"だった。この歌は僕も好きだった。外国人の姿が目につく。午後2時を過ぎていたので空いた席もあったが、おおむね繁盛しているようだ。黒いユニフォームをたくさんのピンバッジで奇麗に飾り付けたウェイトレスさんが印象的だった。

コーヒーと何かスィーツを食べようということになり、妻のセレクトでアップルコブラーを注文した。出てきたのは大きなシナモンアップルのケーキにアイスクリームがどかんと乗っかり、さらにキャラメルソースがたっぷりかかったアメリカンスタイルのものだった。甘さも半端なものではない。でも甘いだけではなくてとてもしっかりした美味しさがある。2人で1つにしておいてよかった。

ハンバーガーなど他の食べ物も同じアメリカンスタイルで出てくる。外国人、おそらくはアメリカ人だろう、が多く訪れるのもそのあたりが大きな理由になっているのだろう。ここでロック好きの友人達と飲むのも悪くなさそうだ。

聴く音楽は、案の定ブランフォード一色になっている。気がつけば彼も50歳になる。僕は彼がデビューした頃から聴いているので、どうしても「若手」というイメージがつきまとうのだが、いまやジャズ界ではれっきとした大御所と呼んで差し支えないだろう。これまでの作品を振り返って聴いてみて、あらためてこの人の偉大さを見直した思いがした。

「古き良き」だけではない、これからも続いていくアメリカの素晴らしさを身近で感じた1週間だった。

3/09/2010

ブランフォード!

いや〜観てきました!ブランフォード=マルサリス・クァルテット@ブルーノート東京。最終日の1stステージでした。職場で知り合った音楽仲間と2人でしっかり拝ませていただきました。

陣取った席は、彼の真ん前約3メートルの位置という絶好のポジション。ピアノのカルデラッツオもほぼ真ん前で両手が丸見え。ベースのレヴィスはブランフォードの後ろにしっかり陣取り、楽器を横向きに構えるというピックアップならではのスタイル。そしてジェフ=ワッツに代わって新加入のジャスティン=フォークナーは、なんとまだ19歳という若手。

彼のことを知った時は、ワッツが見られないことが残念に思えたのですが、演奏が始まってみると、これがもうスゴい!の一言でした。ジェフにまったく引けを取らないド迫力ドラミング。確かにまだ個性的とは言えないかもしれないけど、今日日の優れた若手はこんなところからスタートするんですね。恐ろしい!

ブルーノートは各テーブルにこれまでやってきた演奏家のサインが埋め込まれているのですが、今回僕らが座ったのは、なんとあのトニー=ウィリアムスの名前が刻まれたテーブルでした。トニーがブルーノートからデビューしたのが、確かいまのジャスティンと同じ位の歳だったというのも、何か奇遇な感じがしました。

演奏曲はアンコール含め全6曲。うち3曲が最新作"Metamorphosen"からのもの。ステージに上がったメンバーは非常に和やかな雰囲気。ブランフォードはニコニコしながらアルトを手にすると、その笑顔のまんま1曲目の"Jabberwocky"がスタート。アルバムのなかでも非常に印象的なテーマなので、「おっ今回はあのアルバムの曲中心かな」と楽しみになってきました。

そして待望のテナーに持ち替えて、さあて緊張のまま2曲目へ!と待ち構えると、「ヴォ!・・ヴォ!」とテナーの低音でリズムを出したと思うと、始まったのはなんと"Stompin' at the Savoy"でした。リラックスした雰囲気のなかにも、ロリンズの様な楽しく鋭い演奏でした。カルデラッツオのピアノもダンスパーティー風で軽やか。

しかし。。。ここまでは単なるウォーミングアップの様なものでした。続いてテナーのまんまで3曲目の"The Return of the Jitney Man"へ。アルバム冒頭の印象的な曲ですが、ここでクァルテットは突然アクセル全開レッドゾーンへ突入。ブランフォード狂気の咆哮に絡み付くリズム隊、特にジャスティンがついにその本性をむき出しに、そしてそのままカルデラッツオの壮絶連射ソロへ!!! とても言葉ではお伝えできません。とにかくステージの光景すべてが真っ赤に燃え上がった20分間でした。あれを聴いてしまうとCDでの演奏のなんともの足りないことか。「あれ、もう終わり?」って感じです。

4曲目はソプラノで美しく神妙なバラード"The Blossom of Parting"。ベースの単音のイントロを聴いた時は、「おっ"Sumo"か!」と思いましたが、ちょっと期待し過ぎでした。もはやクァルテットが超真剣モードに入っているので、音数の少ないなかでいやでも緊張感の高まる演奏でした。美!

そして5曲目はアルバム"Contemporary Jazz"から"Cheek to Cheek"。テーマはやや和やかな雰囲気に戻りましたが、ああいう曲ですからやっぱりまたどエラい展開に。最後のラテンループのところで、ブランフォードがジャスティンの顔にかがみ込んで「さあ坊やソロをやってみるかい?」と言わんばかりの挑発に、ジャスティンは最初はエド=ブラックウェルみたいな連打で応えていましたが、そうそう長く続けられるわけもなく、途中でタガが外れて、あとはもう・・・ご想像ください(笑)。その場で聴けなかった皆さん、残念でした、ごめんなさい。

ここまで70分間、メンバー紹介以外のMCもない堂々たるステージでありました。最前列の端の方で聴かれていたご夫人がご気分を悪くされて退場するというハプニングの後、アンコールとしてソプラノを使った短いブルースが演奏され、見事にクールダウンさせていただきました。

この興奮を少し冷まして帰らないとなあ、ということで、冷たい細雪が積もるなか足早に表参道を後にし、2人で横浜駅を降りて西口の安い居酒屋で刺身や串焼きをつまみにラップアップ、のつもりがついつい呑んでしまいました。この夜の外は横浜もとても寒かったのですが、我々の楽しく熱い一夜は深けていったのでありました。

家族には申し訳なかったですが、これを聴きに行かせてもらって本当によかったです。パパは幸せです!

3/07/2010

軽い風邪のなかの「夜想曲集」

金曜日の朝早くに目覚めてみるとやたらと喉が痛い。痰がかなり喉に溜まっている感じで肩も張っている。熱はあまりなさそうだったが、このまま放っておくといつもの発熱パターンに発展するのはほぼ確実の様子だった。

トイレに起き上がってみると、会社に行けなくはない具合かなとも思った。だけど、前回のおなかの風邪—というか医者からは違うと言われたものの、あれはほぼ間違いなくノロウィルスだろう—の時は、隣の席に座っている同僚に感染させてしまったので、それは避けたかった。インフルエンザではないという確証もまだなかったし、やはり咳や痰や鼻水を出しながら出かけるのはよくないことだ。

しばらく布団の中で体調を感じて様子を見守り、結局仕事を休むことにした。本当はいけないのだが、部下2名に携帯メールで連絡をしただけで済ませてしまった。幸い熱が上がるなどの事態には至らず、家でじっとしているとさほど悪くはならずに済んだ。

地区センターでケルアックを返却した後に借りていた本を読むことにした。カズオ=イシグロの「夜想曲集—音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」。ケルアックに比べれば非常に読みやすく、時間も十分にあったので2日で読み終えてしまった。内容は悪くないと思った。同時に最近評判の小説だということもよくわかった。酒に例えるなら口当たりの良さといったことだろうか。

人が生きるうえでの意識は複雑になる一方、それを表現する手段はシンプルであることが求められる。文学のたどる路はいまそういう状況なのかなと思う。音楽も一時はそうなるかもしれなかった状況にあったのだろうが、僕が知る限りでは、現在はそうはならずに着実にその世界を深めていると思う。ただそのことを知るにはその様を自身の耳で確かめることが必要なのだが。

もしかしたら文学についても、僕が同じことを出来ないでいるからわからないだけなのかもしれない。ただひとつ言えることは音楽は容易に国境を越えて伝えられるが、文学はそうはいかないということ。この違いがそれぞれの現在の状況に少なからず影響しているのは事実だろう。

文学もこれからしばらくして(おそらくは電子書籍が普及するにつれて)急激に同じ方向に進むのかもしれない。だがもう一方で世界の言語が表現上の共通項を奥行きを同時に拡げるというのは、なかなか容易なことではないかもしれない。そしておそらくはそれを補うものとして、音楽や映像といった普遍性を持つ表現があるのだろう。だとすれば小説というものの将来はやはり厳しいということになるのだろうか。

僕も小説を書いてみたいと思ったことがこれまでにも何度かある。誰でも一生に1つは優れた小説を書くことができると誰かが言ったそうだが、それはわかる様な気がする。ベースのソロ演奏もまとめてみたいけど、何か書くのも悪くない。もちろんこのろぐもそのひとつではあるが。