9/13/2004

ヤニス=クセナキス「シナファイ」

  日中はまだ暑いこともあるが、朝晩はかなりすごしやすくなって来た。この2週間ほどの間に、はじめて出かけたところが2カ所ある。ひとつは六本木ヒルズ、そしてディズニーシーである。どちらも予想外に空いていて、なかなか楽しめた。そろそろ半袖シャツで通勤したりするのも終わりそうな、夏の終わりの体験だった。もう秋だ。暑くてなかなか手が伸びなかった音楽が、急に思い出されて聴きたくなってきたりする。

 今回のろぐは前回つながりで、またピアノの作品を取り上げようと思う。断っておくが、今回の作品は、前回書いた僕がピアノの扉を開くきっかけになったもう1枚の作品ではない。今回はいわゆる「現代音楽」の作品を取り上げてみようと思う。「現代音楽」はもちろん狭義の表現であって、いわゆるクラシック音楽の流れにおける「現代の音楽」という意味である。一般には20世紀以降の音楽をさすが、もう21世紀になっているし、そろそろ別の表現が必要だろう。やはり「20世紀の音楽」というのが一番適当だろう。それより細かいジャンル分けは、やりたい人がやれば良い。

 現代音楽を知らない人は「へえ、そんなもんまだあんの?」と思うかもしれないし、少し聴いたりしたことがある人は「ああ、あのわけのわからんやつでしょ」というのを耳にすることが多い。僕が以前にお会いしたあるポピュラーミュージック演奏家のマネージャは、類する表現としてそれを「自己満足の世界ですね」と言った。まあ感じ方は人それぞれだから仕方ないと思うが、僕にとっては非常に重要な音楽がそこには多く含まれているのだ。このろぐでも、少しずつその一部を紹介していきたいと考えている。

 ヤニス=クセナキスはギリシャの作曲家で、1922年に生まれ2001年に死んだ。彼の功績を簡単にまとめると、1950年代半ばに行き詰まりかけた現代音楽を再び解放し面白いものにしたことと、音楽の作曲や演奏に空間や数学的考え方を積極的に導入してこれまた面白いものにしたこと、などがあげられる。彼は、建築家でもあり数学者でもあった。いかにもギリシャ人らしい多才である。

 今回ご紹介する「シナファイ」は、クセナキスが1969年に書いたピアノとオーケストラのための作品である。まあ言ってしまえばピアノ協奏曲の一種である。この作品は1,2年前に日本でもちょっと有名になった。というのも、朝のテレビ番組か何かで「弾くのが一番難しい音楽」という触れ込みで紹介されたかららしい。

 この作品の何がそんなに話題になるのかといえば、ピアノパートの楽譜が10段あるとか(楽譜の一部をこちらで見ることができます)、日本での初演時、あまりに過激な演奏にピアニストの爪が割れて流血のリサイタルになったとか、ともかくそういうことで「すごい音楽!」というイメージが先行したようで、おかげであるCD販売サイトでは、それに乗っかったサイトプロモーションの効果も相まって、この手のものとしては異例の400枚近い受注が入ったというから、驚きである。まあ話題になるきっかけとしては悪くないが、それ自体は音楽の本質とはあまり関係がないだろう。

 僕は現代音楽は好きだし、なかでもクセナキスの音楽はかなり好きである。現代音楽について「あんな不安定な音楽の一体どこがいいのか」ということを聞かれることもあるが、不安定かどうかはあくまでも主観的な問題だし、それが音楽の良し悪しと関係するとも思わない。もっと極端には「そんなの普通の人は誰も聴いていないじゃないか」という意見もよく耳にするが、決してそんなことはないと思うし、大体、普通の人ということ自体が僕にとってはあまり意味がないのだ。

 この「シナファイ」は、そのなかでも彼の作品の性格を非常によく表しているものだと思う。とにかくこれが人の手により作曲され、それがピアノとオーケストラを含めすべて人の手により演奏されているということ自体が、もはや芸術なのである。同じ音階付近で行われるピアノの高速連打が、緻密な構築物を思わせる。そしてその背後で様々な曲線で空間を描くオーケストラ。弦楽器、管楽器、打楽器そしてピアノがとても効果的に混じり合う様が見事である。これが一番演奏が難しい曲かどうかとは無関係に、この作品は20世紀を代表するピアノ音楽であることは間違いない。

 僕の愛読書で、作曲家の武満徹が現代における音楽の世界の偉人たちと行った対談を収めた著作「すべての因襲から逃れるために」(音楽の友社)の中に、クセナキスとの対談がある。その末尾で武満がクセナキスについて書いている一文が素晴らしいので引用させていただく。
ヤニス・クセナキスは作曲家であると同時に、建築家でもあり、また数学者としても著名である。かれの音楽は実に知的に組みたてられているのだが、それはけっして冷たい印象を与えない。かれの方法は、かれの内実と深く関わるものであり、たんなる数的操作として自己完結してしまうものではない。でなければ、あのように激しい火のように燃える感情を、私たちは、かれの音楽から聴くことは無い筈だ。

 前回のろぐでは僕のピアノに対するイメージについて少し書いた。実はキース=ジャレットについて書く以上に、ピアノに対するああいった考えを果たして書いてしまっていいものかどうか、少し迷っていた。アップしてしまった後で、珍しく自分で何度かアクセスして読み返してしまった。結局、ろぐを修正することはなかったが、書いておきながら妙に後々気になった文章だった。

評論家木下健一氏による本盤に関連情報 ピアノ演奏家大井浩明氏のインタビュー等があります
本番発売時の国内各誌掲載のCD評一覧
Score Galleryに掲載のシナファイ楽譜(一部)
Timpani Records

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