今回はある日付が近づいてきたので、それにちなんで以前から考えていたネタを書くことにする。実のところ最近、少し音楽から遠ざかってしまっている。何か新しいものはないかと冒険心で購入したソフトがあまりぱっとしなかったり、仕事やらその他のことでいろいろ考えるところがあってやや悶々としたり、月の初めに暑くてふとんをまくり上げて寝たら風邪をひいてしまい、それが意外に長引いてしまって体調がもうひとつすぐれなかったり、まあ他にも理由はあるのだが、いままでもたまにこういうことがあったので、あまり気にはしていない。
最近買ったCDでは、ジャズリード奏者のエリック=ドルフィーが1963年に遺したいくつかのセッションをCD2枚に収めて1480円というお買い得商品に、タワーレコードで巡り会った。Jazz Worldというおそらくは著作権期限切れの音源を格安セットにして販売するレーベルからのもので、タイトルは"Eric Dolphy Sound"となっている。これは「アイアンマン」と「メモリアル アルバム」という名称で発売されていたインディーズ盤をベースにしたもので、僕はどちらもCDでは持っていなかったので、安いし他に良さそうなものもないしちょうどええわと、購入したのだった。まあドルフィーに駄作はないのだが、これがなかなかツボにハマってしまい、ちょくちょくお酒や通勤のお供になっている(お酒が先かい!)。
今年はドルフィーが亡くなって40年目にあたる。彼は1964年6月29日にドイツのベルリンで死んだ。その独特の演奏スタイルから、玄人には受けが良かったものの、ようやくジャズが商業音楽として定着し始めた本場米国でのウケはイマイチであったらしい。アメリカが新しいものに冷ややかであることを嘆いたドルフィーのコメントも実際に遺されているようだ。音楽活動はかなり精力的でリーダー作以外に、多くの大物とのセッション記録が遺されている。
なかでも、ジョン=コルトレーンのグループと、ジャズベース奏者チャールス=ミンガスのグループでの活躍が特に有名である。そしてそれらのグループでのヨーロッパツアーにも度々同行していた。ジャズが音楽芸術として評価されていた同地での、彼に対する評価はなかなかのものであったようで、そうしたこともあってか、彼はミンガスグループの1964年4月の欧州ツアー終了後、メンバーから離れてそのまましばらく残る決心をする。その後、ドイツやストックホルムなどで現地のミュージシャン達の熱烈歓迎を受けて共演したいくつかのセッションの記録が遺されおり、いよいよ本格的なリーダー活動のスタートかと思われた矢先に、ベルリンで病死してしまったのだ。
先に紹介した格安盤は彼の様々な魅力がいっぱい詰まったものなのでぜひお勧めしたいのだが、今日のメインタイトルは彼の異色作「アザー アスペクツ」である。この作品はドルフィーの死後およそ20年を経た1985年に発表されたもので、タイトルにもある通り、それまでに知られていた一連の演奏作品とはかなり音楽的に異なる内容になっている。ドルフィー好きの間でも好みが分かれる作品だと思うが、別の意味ではこの作品で彼の考えていた音楽がとんでもなく奥深いものであったことが明らかになったのはまぎれもない事実である。実は生きていたドルフィーが20年後に突然この作品を発表して復活したのだとしても不思議ではない。作品の発表にいたるまでのエピソードもなかなか面白いので、興味のある方は是非ともライナーノートを参照されたい。まさに「縁は奇なもの」である。
僕自身、この作品が発表されたころは大学生で、ドルフィーの未発表作品が出るというのでわくわくしてこれを聴いた。オーディオから流れてきた音楽に最初一瞬「?」となったが、不思議なことに数分後には、僕はこの作品の虜になったのを憶えている。いま振り返ってみれば、僕の音楽への興味はこの作品を聴いたあたりから急に拡張をはじめたように思う。その意味ではあの扉が急に開いた様な感覚がなぜ起こったのかはよくわからないが、この作品にきっかけがあったことは否定できない。その意味で、僕にとっては何か特別な想いがある作品なのである。
ベルリンで病に倒れたドルフィーの最後の言葉は「家に帰りたい」だったそうだ。ジャズミュージシャンの死に関するエピソードはいろいろあるが、僕が最も印象に遺っているのはこれだ。「アザーアスペクト」を聴きながらこのことを考えると、僕の心はいっそう強く作品に引き寄せられる。
Eric Dolphy Discography "Jazz Discography Project"によるドルフィーの演奏記録集
エルビン=ジョーンズ(左)とエリック=ドルフィー(右)(コルトレーンのグループで共演していた頃のものと思われます。ドルフィーの気さくな人柄が感じられるようで、僕が好きな写真です)
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