11/27/2011

たま・おもちゃ・いちご

今回は、2週間前に家族で和歌山を訪れた際の写真をいくつかご紹介したいと思う。

子どもが電車好きなので、以前から気になっていた和歌山電鐵を楽しんだ。この鉄道は、以前は南海電鉄貴志川線と呼ばれていたローカル線だったのが、廃線になりかけたのを機に岡山の鉄道会社が買い取り、今日の状況になっている。

僕は高校時代に、貴志川線沿線に住んでいた同級生の家に泊まりに行くのに乗ったことがあったが、その他はほとんど記憶がない。

いまこの鉄道が有名なのは、終着の貴志駅で駅長を務める猫の「たま」と、それをモデルにした「たま電車」をはじめとするユニークなデザイン電車のおかげである。2007年からはじめられたこの試みは、そこそこの話題になっており、僕もその存在は知りつつもなかなか訪れる機会がないままになっていた。

この鉄道を楽しむには、必ず「1日乗車券」を購入のうえ、あらかじめ電車の時刻を調べてある程度計画を立てておく方がいいと思う。もう一つ、始点の和歌山駅と途中車庫がある伊太祈曽駅、そして終点の貴志駅以外は、すべての駅が事実上無人駅である。途中駅で下車して近くでランチを、などという都会的な考え方は通用しないと思っておこう。

これが「たま電車」。猫の顔をイメージしたフロントと、側面にはかわいいたまのイラストがいっぱいである。


一歩なかに足を踏み入れると、まさにこれがたまワールドである。座席のシートはいろいろな形をしたものがあり、すべてにたまのロゴが描かれてたカバーがつけられている。


猫にちなんだ絵本を集めた本棚(!)は、運行中でも自由に空けてなかの本を楽しむことができる(電車の車両のなかですよ、これ)。


車内の照明にもたまの形をあしらったかわいいランプ。


時々、たまが車掌を勤めるための専用ケージまで備えられている。この日は残念ながらたまはお休みでした。窓にもイラスト(^^)。


続いては、おもちゃ箱をイメージした「おもちゃ電車」に乗車。


なんとなかには、鉄道模型やらフィギュアなどいろいろなおもちゃを展示したショーケースが所狭しと並べられている(これらのおもちゃは見るだけ)。おもちゃ販売機の代表「ガチャガチャ」も8機設置(!)されており、これらはもちろん運行中でも買うことができる。


貴志駅にある、駅長たまのオブジェの前でパチり(いつからこんなポーズをとれるようになったのかね、君は)。


この日は時間の関係で残念ながらもう一つのデザイン車両「いちご電車」には乗ることができなかったが、伊太祈曽駅の車庫で待機する姿を見ることができた。乗れないのを残念がる子ども。


伊太祈曽駅近くの伊太祈曽神社を訪れてみた。なかなか立派な神社で静かないいところだった。この日は七五三参りで何組かの家族連れの姿があった。


3つのデザイン車両以外にも、プレーンな(?)普通車両があり、それらも混じって交代で運行される。これがまた対照的にとてもシンプルできもちがいいほどプレーンなので、少し感動してしまう。やっぱり広告がないのっていいよねえ。会社は大変なんだろうけど。


と、ここまでが和歌山電鐵のご紹介です。僕も子どももいっぺんにファンになってしまいました。また乗りに来たいなあ。今度はぜひともいちご電車に。それまでがんばって続けていてほしい。


和歌山の旅の最終日、小さな頃に父母に連れて来てもらった遊園地「みさき公園」を、自分の子どもを連れて訪れてみた。

小学校に上がる前のことだと思うのだが、母と初めてジェットコースターに乗った思い出や、父と兄とで「木下大サーカス」を見に来たことなど、かなり昔の記憶を、この灯台をみて鮮やかに思い出しました。


子どもが真っ先に乗ったのは機関車トーマスの乗り物。月曜日なので訪れる人は少なく、ほとんどの施設や乗り物は待ち時間ゼロ&貸し切り状態でありました。


母と乗ったジェットコースターは車両は別のものに変わっていたが、レールコースはそのまんまだったのにはビックリ。

子どもはまだ乗れないので代わりに「チャイルドコースター」というのに初挑戦。妻は「無理無理、絶対に泣くよ」と消極的だったが、走っているのを見せて「乗ってみる?」と聞くと「ノッテミル」と怖いもの知らずな返事が(笑)。途中、ふわりふわりとなるところで泣きかかったが、なんとか完走した。

今回の旅では、初日に親戚達との交流をした。実家を処分してしまったことの報告をして、子どもには初めてとなるお墓参りもすることができた。

父母の兄弟姉妹たちは皆元気で何よりだったし、それぞれに子どもを見ながら僕の小さい頃の話を妻に聞かせてくれたことがうれしかった。

子どもはいまのところ和歌山のことを「ワヤカマ」と言っている(^^;)。また来年には法事で訪れることになるだろう。その時にはまた子どもも少し成長しているだろう。今度はいちご電車に乗れるだろうか。

11/19/2011

アセンション プリーズ!

先週は和歌山への家族旅行のため、ろぐはお休みとさせていただいた。その時の模様はまた後ほど写真でご紹介したいと思っている。

さて、ブラクストン祭に始まったフリー祭は現在もなお延焼中である。実は旅行をはさんだこの2週間というものは、それがすっかり「アセンション祭」となってしまっており、炎の勢いは容易に収まりそうにない。

「アセンション」はサックス奏者ジョン=コルトレーンが1965年に収録した作品。これを境に以後の演奏がフリージャズに傾斜したことから、コルトレーンのフリージャズ宣言などと言われたりする。

ことの発端は2週間前の4連休のある日、独りで横浜市街をウロウロしていた際に入ったディスクユニオンで、ローヴァ(サキソフォンクァルテット)による"Electric Ascension"という中古CDを見つけてしまったことにはじまる。

既にアランの店などで円高差益還元と称して買った、8枚のCDが到着するのを心待ちにしていたのだが、この発見物はどうしても気になった。

ローヴァのアセンションといえば、以前このろぐでもご紹介した1995年の作品があるが、この"Electric Ascension"はその8年後の2003年に収録されたもの。

95年版が編成や構成の面で原作に極めて忠実な内容であったのに対して、本作はそのタイトルにある通り、ホーンはローヴァの4人だけで、あとはニルス=クラインにフレッド=フリス、クリス=ブラウン、イクエ=モリ、大友良英等々という超豪華メンバーによる、エレキギター・ベース、ヴァイオリン、ターンテーブル、サンプラー、コンピュータといった電気屋が集結した「アセンション電化版」という内容になっている。

中古盤かと思いきや実は新古品で、しかもたった900円という値付けに、到着待ちの8枚のことも忘れて、思わず買ってしまった。

演奏時間は63分。オリジナルに忠実だった前作からは一聴してかなり趣の異なる演奏かもしれないが、それでもこれは紛れもないコルトレーンのアセンションであり、時代の流れを加味して進化させた素晴らしいインタープリテーションだ。

95年の演奏後に再びこれを演奏し、さらにCDとして発表するまでに至った経緯を、ローヴァのリーダーであるラリー=オッシュがじっくりと正直に綴ったライナーノートも、一読の価値がある。

そこにも書かれているが、いま現在でもアセンションをフルに演奏した記録は、コルトレーン自身による2つのテイクと、ローヴァによるこれら2つのバージョンの4つしかない。

最新電化版のあまりの素晴らしさに、僕はそれら4つの演奏をiPodに入れて、この2週間というもの朝夕の通勤時間を中心に繰り返し聴き続けた。これがアセンション祭の真相である。

今回、アセンションをじっくりと聴いてみて、作品について少しだけ書いておきたいと思ったことがある。

アセンションがフリージャズの曲であることはもちろんだが、その構成については世の中に少し誤解があるように思う(そしてその誤解はご多分に漏れず、ちゃんと聴いていない人が作り出したものだと思う)。

この音楽は2つのテーマを持っている。ひとつは最初と最後に出てくる有名なテーマ、そしてもうひとつは最初のテーマの後にソロ演奏への受け渡しの役割を兼ねて現れる長めのテーマである。

アセンションの構成について「集団即興とソロ演奏が交互に繰り返される」という表現をよく目にするのだが、集団即興と言われている部分は、2つ目のテーマを全員で演奏する中でその変奏として行われているということは、予め知っておいた方がよいと思う。

そしてこの2つ目のテーマこそ紛れもないコルトレーンメロディとハーモニーであり、この録音の少し前に発表された傑作「クレセント」に収録されたコルトレーン3大バラード、すなわち"Crescent", "Wise One", "Lonnies' Lament"のハーモニーと極めて共通性を持つ美しい音楽なのである。

今回、こんなに何度も(20回以上になるか)繰り返してアセンションを聴くことになるとは思ってもみなかったわけだが、もちろんそれぞれの版で展開されるソロ演奏の素晴らしさもさることながら、それを楽しむ一方で、曲が展開するたびに繰り返されるこの2つ目のテーマの再現を心待ちにするようになる自分がいることを理解した次第である。まさにあのテーマこそが「降臨」の瞬間を現したものだと言ってもいいだろう。

話のついでに脱線すると、コルトレーンのバラード演奏は素晴らしいものだが、僕自身それは彼のオリジナル曲においてのことだと思っている。スタンダード集として有名なアルバム「バラード」は、僕にとっては平凡な作品だ。あれはコルトレーンのアルバムというよりは、(プロデューサの)ボブ=シールのアルバムだ。

先の3大バラードに、"Dear Load", "Welcome", "Peace On Earth"を加えた内容でアルバムを作れば、それが本当の「バラード」と言えるものになるだろう。

さて、話を"Electric Ascension"に戻すと、ここではソロ演奏という形態ではなく、メンバー数名による即興演奏という形になっている。その組み合わせ方については事前に慎重な検討がなされたことがライナーには記述されている。

その甲斐あって、各パートは従来の演奏ではあり得なかった面白さに満ちている。クリスとモリによるエレクトロニカセッションや、ジョーのバリトンと大友のターンテーブルが激突する場面は特に印象的だ。この手の音を聴き慣れない人には、ちょっとしたハードルになるかもしれないが、是非ともトライしてみていただきたい。

この作品に巡り合えたことで、僕にとってのアセンションはすっかりスタンダードになってしまった。本当にヨカッた!雨が激しく降る今夜は、自宅のスピーカーでじっくりと聴いてみたいと思っている。

アセンション プリーズ!

追伸:AmazonのMP3ダウンロードで、Rovaの1995年版アセンションがなんと200円で買えますよ!

11/06/2011

フリーにワンカップ

文化の日で始まる飛び石連休の真ん中を有給休暇で埋めて長い休みにさせてもらった。職場のボスが海外出張ということもあって、そうする同僚も多かったようだ。概ね好天に恵まれ、横浜で子どもと一緒に過ごすことが多かった。

前回に書いた通り、音楽は何度目かわからないブラクストンブームに始まるフリー祭りが続いている。アランの店で買った4枚もまだ届いていないというのに、さらにアマゾンのマーケットプレースを利用して数枚のCDを取り寄せることにした。

製造業に勤めるものとして円高は困ったものだが、こうしてCDを買い集めるには、インターネットの恩恵と合間って、以前ではとても考えられないような相乗効果がある。

国内の関係者の方々にはまったくもって申し訳ないのだが、いまや中古CD1枚を購入するにも海外から取り寄せた方が安く確実に欲しいものが手に入る。もちろん送料を含めての話だ。

職場では円高は困るという主旨の資料を作っておきながら、自宅では大喜びでCDを買い漁る。家と会社の二面生活はなかなか解消しそうにない。

もっとも円高は決して恒久的なものではないから、これがあるうちにせめて個人で享受できるメリットは楽しんでおくべきだろうと思う。次に「円安」という言葉がメディアにあふれることがあるとすれば、それはかなりヤバイくらいに困った状況になるかもしれないのだから。

円高とともに世間を賑わせているTPPにしても、国内の事情どころか関係国の事情も正直よくわからないところはある。しかしいまの状況が、中途半端な「開国」では、国の経済システムが持たないということを示唆しているのは明らかだ。もちろん農業に限ったことではない。

ただそれを考えるにも、日本にとって海外とはアメリカのことだけではない、ということも少し知っておく必要がある。そのアメリカの立場も少しずつ変わってきている・・・新しい頭の中ではもう少し深く考えているつもりなのだが、この程度にしておく。

さすがに朝晩はかなり冷えるようになり、ビールやハイボールのような炭酸系の冷たいお酒が持つ清涼感も有難味がなくなってきた。5日ぶりの仕事を前にブルーな夜だが、昨夜同様にフリーなサックスを聴きながらワンカップで残された休日をくつろぐことにする。コンビニで売っていた「ワンカップ大関上撰季節限定秋あがり」はなかなかイケますよ。