12/04/2004

マイルス=デイヴィス「ビッチズ ブリュー」

  前回取り上げたマイルスのDVDを観て以降、いわゆるエレキマイルスを聴きたいという気持ちが止まらない。この1週間というもの、僕の耳はその関連の音源で見事に埋め尽くされた。おかげで気分的にもとても調子がいい。というわけで、今回もマイルスをとりあげる。

 この作品のことは随分以前から知っていた。音楽にまだそれほど興味はなかった小学生の頃、兄の買ったオーディオ雑誌を見ていたら「音の良いレコードベスト○○」なる企画があって、そこにこの作品が紹介されていた。本だからもちろん音が聞こえるわけではないのに、僕の印象に強く残ったのはそのジャケットである。なんとも異様なそのジャケットを一目見たくて、田舎のレコード屋さんに行ってみた。もちろん僕がジャズのコーナーを見たのはその時がはじめてである。当時はもちろんLPレコードの時代だから、このジャケットの迫力は相当なものだった。一体どんな音楽が入っているのか。僕が実際に中身を耳にしたのは、それから10年近く経った大学生になってからのことだった。

 音楽の演奏仲間でコレクター仲間でもあった友人が、これを買ったというので感想を訊ねてみると返ってきた答えが「異様!異様!僕にはわからん。とにかく気持ち悪い」というものだった。さっそく彼に頼み込んでレコードを貸してもらい聴いてみた。子供の頃どきどきしたあのジャケットを手に、僕はそのとき初めて耳にしたこの音楽に素直に感動してしまったのを憶えている。「異様っておまえ、全然ちゃうやん、めっちゃええやんか〜!」と、僕はもう夜中だというのに彼にすぐ電話したものである。

 この作品はジャズトランペットの帝王といわれたマイルス=デイヴィスが、1969年に長い音楽キャリアのなかで最も大きな転換を宣言した作品である。前回のろぐで紹介したように、それは「電化」つまりエレキギターやエレキピアノなどの電子楽器の本格的に導入したことと、ロックやアフリカ民族音楽のリズムを導入していわゆる「4ビート」とは決裂したことである。ジャズの帝王マイルスが示したこの大変貌はさまざまな議論を巻き起こしたが、結果的にこの作品は1970年代以降の音楽の方向性を示すことになった。別の言い方をすれば、この作品を境に音楽の中でジャンルを云々することの意味が徐々になくなりはじめ、30年以上経た現代においてもそれは変わっていない。

 ただそうしたクリエイティブの側面で音楽が高度になる一方で、音楽の世界にももたらされた商業主義がその内容を均質的画一的なものにすることで、ある種の中和的作用が働いているといってもいいかもしれない。その意味ではこの作品などは、かなりクリエイティブの最前線から生まれたエキスが一杯の内容だけに、いまこれを聴いても何ら古さや陳腐さを感じさせないところが凄いところである。

 LPまたはCD2枚に全6曲、比較的長い演奏の曲が中心だが、やはり1曲目の「ファラオズ ダンス」から最後の「サンクチュアリ」までを順番に通して聴くことで、その魅力が存分に堪能できる。一言でいってしまえば、音楽の中心がリズムに移ったことをはっきりと示していると思う。それまでのジャズに聴かれた、トランペットやサックス、ピアノなどのリード楽器によるソロ演奏は影をひそめ、誰が主役ともわからぬ混然とした演奏のなかで、リズムが聴くものをどんどん音楽のなかにひき込んでいく。最後の「サンクチュアリ(聖域)」では、荒れ狂うジャック=ディジョネットを中心とするリズム世界の中心で、ジャングル大帝のように帝王のトランペットがウェイン=ショーターのサックスを従えて遠吠えの様なテーマを、高らかに歌い上げる。ここは圧巻でもう鳥肌ものである。

 CDショップでマイルスのコーナーを眺めてみると、この作品が製作された前後の未発表音源を含めたCD4枚組のボックスセットの存在が目に入る。実は僕もこのセットを持っていて(これは僕が1998年に米アマゾンで一番最初に購入した商品でああった)、それまで持っていた2枚組のCDは中古屋に売ってしまった。マイルスの関連では、最近コロンビアレコードがこの手の企画を推進中で、他にも同様のボックスセットが数種類発売されている。

 しかし、僕の経験から言わせてもらうと、こうしたセットにはあまり手を出さない方がいい。ライブの未発表音源などは、まだそれなりの価値があるとは思うのだが、スタジオセッションの未発表テイクというものについては、やはり未発表になったそれなりの理由があるのだから。当時のプロデューサの意図を安易に乱すものではない。はっきり言って他に収録されている演奏は、ちょうど死んだ作家の全集などで、遺された小説のためのメモやスケッチといった類いと同じもので、グリコのおまけ程度のものである。もちろんレベルは高いのだが、別に「貴重な」とか言って恩着せがましく売りつけるものではないだろう。

 やはりクリエイティブとビジネスの結びつきがお互いを高めるのは難しい。これまではビジネスが社会を引っ張ってきたが、その状況は変わりつつある。いまの時代にこの作品が放つものをあらためて聴いてみて、僕はやはり強くそう感じた。

 ともかくまだ聴いたことのないという人には、ぜひとも聴いていただきたい作品である。もちろんある程度気持ちの余裕がないと受け入れるのは困難ではあるが。それは文学や映画の大作と同じことだ。そのための1時間半は決して無駄ではないと思う。

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