6/25/2006

「プージェー」そして「コルトレーン ライヴ イン ジャパン」再び

 妻に誘われて、東中野にあるミニシアター「ポレポレ東中野」に出かけた。上映作品は「プージェー」というドキュメンタリーだった。映画を観に行くのは、たぶん昨夏の「タッチ」以来だと思う。DVDや放送録画ではちょこちょこ観ているが、劇場は久しぶりだ。昨日の土曜日に、川崎に出かけた際、シネコンの前を通りかかったら、チケット売り場はそれなりの賑わいではあった。でも僕が観たいと思う作品は、そこには何一つなかった。

東中野には上京して間もない頃だか、「まだ見ぬジャズの中古盤を求めて」とかなんとかで、一度行った記憶があった。新宿から吉祥寺の中央線沿線は、横浜や神戸とはまた違う意味での「ジャズの街」というイメージが、いまでもある。しかし、実際に駅を降りてみると何も思い出せなかった。いま考えてみると、僕が行ったのは中野だったように思う。駅の周辺は想像していた以上に、賑わいのない街だった。

劇場は100席ちょっとの小さな場所で、朝から各上映時間帯別に、番号のついた入場券を販売する仕組みだった。今回の作品は、10時半からの最初の上映のみ日本語の吹替え版だったので、僕らはその次の午後1時からの回の券を買った。時間は午前10時20分だった。いま考えれば、昼頃に行ってもその回のチケットは問題なく買えたのだが、そこは用心深い性分が許さなかった。

日曜日の割には早起きして(それでも洗濯は済ませた)東中野に向かい、チケットを買ってから1時迄の間は、周囲の街をぶらぶらしてお昼ご飯でも食べて、ゆっくり映画鑑賞のつもりだった。まあ実際、そういう時間の過ごし方をしたのであるが、先に書いた様に(日曜日ということもあったと思うのだが)なかなか地味な街並だったので、新参者としてはひたすらうろうろするに終始した感があった。

まだ11時にもなっていないので、飲食店のほとんどは開店しておらず、野ざらしになっている看板やらを眺めては、ここなんかいいんじゃないかなどといくつかあたりをつけてみたりしたものの、結局日曜は休みだったり、あるいは夜だけの営業だったりするところがほとんどだった。

いまにも雨が降りそうな空模様の下、東中野駅から近所の落合駅周辺迄を1時間ばかりうろうろした。それでも何も食べないわけにもいかず、たまたま前を通りかかった「大盛軒」という中華定食屋に入ることにした。僕はお店の名物「鉄板麺」を、妻はその日の日替わりメニュー「エビ玉」セットを注文した。

家に帰ってから知ったのだが、東中野ではそこそこ有名なお店だったらしい。興味のある方は検索エンジンで「東中野 大盛」と入れてみてください。いろいろなレビューが出てきます。大抵はお店の名物「鉄板麺」のことが書いてあります。お店の名の通り、どのメニューもそれなりの量があるが、味はとても美味しくて満足できる内容だった。満腹でふらふらになりながら、いざ劇場へ。冒頭、今回の作品を監督した山田監督本人の短いトークがあった。

作品の内容については、関連サイトを見ていただきたい。ここには内容は一切書かない。少し前に、テレビで放映されたシリーズ「グレート ジャーニー」の冒険家、関野吉晴氏が旅の途中、モンゴルの草原で出会った少女プージェーとの交流を描いたドキュメンタリー作品である。人類として大切なこと、そして人間として大切なこと、そんなメッセージが伝わって、激しく心を揺さぶられる作品である。上映期間が7月7日迄延長されたらしいので、都合が許す方には、ご覧になることをお薦めしたい。

僕にとっては映画表現とはミニシアターのことである。そのことを改めて実感した。

さて、仕事が一段落したこの一週間、僕がひたすら耳を預けた音楽は、久々にコルトレーンだった。「ライヴ イン ジャパン」。CD4枚に遺された2夜のコンサート4時間の記録を、僕はひたすら求めた。これについては、このろぐで既に一度とりあげている。もう2年前のことだ。いま読み返してみて、何も異論はない。この頃の方が、文章がちゃんとしている様にも思える。

2年前に書いたものを読み返してみて、僕がこの壮大な記録に耳を傾けるのはどういう時なのかなと、客観的に考えてみたりもした。それなりの考えはあるのだが、あまりに個人的なことでもあるので、それはここには書かない。ただ僕にとってコルトレーンは引き続き最も重要な音楽家であるし、その作品の中で一番大切に想うのはやはりこの作品かなと思う。

John Coltrane: 現代という時代観において、あるいはコルトレーンの音楽作品として、音楽の鑑賞対象とするにはいろいろと問題のある作品であることは認識しないわけではない。だけど、一度この作品に心を奪われてしまえば、そんなことはまったく些末なことだ。自分が求めるものがそこにある、これ以上わかりやすい説得はあり得ない。

一夜のコンサートが2時間超でたった3曲という、ジャズのコンサートとしては異例の内容のそのものが、そっくり2夜分記録として遺されたという奇跡。その奇跡そのものだけでなく、その中味を十分に知らずに、今日の情報社会の様に事前に実体の片鱗に触れる準備などほとんどなく、それに晒された当時の聴衆達の反応も含め、生々しく蘇るドキュメンタリーを前に、僕はそれを受け入れいまの時代におけるその意味に置き換え、この先何度でも感動し唸ったり、笑ったり、涙したりすることが出来るだろうと思う。

今年はこの記録が行われてから、来月でちょうど40年目にあたる。残念ながら、現在は廃盤となっているようだが、大きなCD屋の店頭や中古店などでは比較的容易に見つけることができると思う。またいつの日か再発されることも疑いない。僕は自分の好きなものが、他の人にどう感じられるかはさほど興味はないが、僕が重要に思う音楽作品に、なんらかの理由で興味を持つ人がいるとすれば、僕はこの作品をお薦めしたい。

前回にも書いたが、苦労しながら自身の音楽を真摯に追求し続けた偉大な魂が、その短い生涯のなかで起こした奇跡の頂点のなかで、偶然にも最後の頂点を記録した作品である。

6/17/2006

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」

 人をあてにするというのは、一種の賭けだ。いつも信頼をおいている人だから、決して裏切られることはない、などということはあるはずがない。だからといって、全然頼りにしていない人が、時に思いがけない役割を果たしてくれる、ということも決してあり得ない話ではないが、滅多にあることではないし、それこそあてにするという性格のものではないだろう。

しかし、身近に存在するのは、いまあげたようなある意味両極端のものについては、実際には極めてレアなケースなのだと思う。大抵の人間関係は、多かれ少なかれ信頼と疑念が混在しているものだ。これを期待と不安としても構わないだろう。組織は信頼で成り立っているというのは、どんな組織についても一応、共通して言えることだとは思うが、別にこれを、組織は疑念で成り立っているとしても(逆説的ではあるのだが)間違ってはいない。

ついでに、「組織」というのも狭い言葉かもしれない。集団あるいは社会と言い換えてもいいだろう。信頼にはポジティブな響きがあり、疑念にはネガティブな響きがある。だからといって集団を形成する力が、前者にはあって後者にはないというのは、いささか安易ではないかと思ったりする。世の中でネガティブと思われる概念に耐えられない(耐えようとしない、我慢しない)、そういう人は増えているように思える。

2ヶ月ぶりに髪を切ってもらった。数年前から通っている美容院で、初めて前回と同じ人を指名した。いままで、美容師さんにいろいろアドバイスをもらうのだが、僕の髪は硬くてくせ毛で、おまけに白髪と来ているから、人によって微妙に言うことが違っていたりして、本当はこうしたいと思っているのだが、自分としても自信がないから、どうも話があるいは意識がすれ違うような(まあこちらが具体的に求めて来なかったのがいけないのだが)状況が続いて来た。それが前回担当してもらった人は、僕を望んでいる方向に導いてくれるというか、押してくれるような示唆をくれる人だった。

実は前回は髪を染めたものの、ほとんど切らなかった。それは僕が自分の希望を打ち明けた結果、その美容師さんが判断した結果だった。それで2ヶ月放っておいたので、髪は相当伸びた。確かに外見上はひどかったと思うが、僕にとっては新鮮な経験ではあった。四十過ぎの男が髪型で何を考え得るものかと、世の無関心をもよおしそうだが、別に構わない。今回はさすがに少し短くしてもらったが、基本的な僕の希望というか願いには沿っている。

さて、以前このろぐでも映画をとりあげて以降、4月頃から少しずつ読み進めていた小説「カラマーゾフの兄弟」を、先週早々についに読み終えることとなった。そんなにかかるなんて、どういう読み方をしているのか、と呆れる方もいらっしゃるかもしれないが、これが僕の読書である。でも1日につきひとつの章を読み進めるというやり方で、これだけの期間こつこつと読めたのは、やはり作品自体がもつ魅力に引っ張ってもらったところが大きい。

内容は映画よりもはるかに緻密で、深遠なものだった。僕は、時代や文化の差異を感じると同時に、現代という僕ら時代について、簡単に言葉にはできそうにないいろいろな想いを抱いた。それは信頼よりは疑念の色がやや勝っているものだった。劇作の舞台となった19世紀後半のロシアに想いを寄せることはほとんどなく、ひたすら現代社会とは何か、情報社会とは何か、そして人間とは何か、そういうことばかりが感想として残った。それは衝撃的というより圧倒的な感動だった。

西洋文明との根本的な違い(特に宗教観)故に、深く理解し難い部分がかなりあるのは事実だと思う。それでもこの小説が世界文学の金字塔といわれるのは、決して大げさな表現ではないと思う。一生に一度、これを読む機会を持てたことは感謝しなければいけないし、誇らしいことだと思う。

家族や兄弟、金、信条(宗教や伝統)、そういったものに悩む人は、悩みの渦中から少し離れた頃に、これを読んでみるのはいいと思う。言い換えれば、ほぼすべての人は、これからの時代においてもまだ当分の間は、この作品を一生に一度読むのがいい経験になるだろうと思う。ただしそれで何かお導きが得られると期待するのは、当たり前だが甘い考えだ。

僕にとってはどちらかというと、習慣的でないのが読書だ。今回は先に映像を観てしまっていたのだが、そのことは作品を読み進めるうえでのデメリットになることはなかった。といっても、多くの人は、いまや映像を観ることはかなり困難だと思う。僕の身近におられる方で興味のある方は、お声がけいただければ、よろこんで映像作品(DVD)をお貸しいたします。

こういう体験を音楽でというのは、もちろんあり得ないことではない。これを読んだ人の中で、音楽が好きな人のなかには、この作品のイメージに近い音楽作品をといわれれば、それなりの答えは用意できるかもしれない。いまの僕はそういうことは考えられないし、この先もないだろうと思う。

今日、美容院で髪を染めてもらっている間に眺めた雑誌で、読書の特集をしていて、様々なジャンルの書籍について、様々な人が紹介し語るという無謀な企画を見かけた。しかし、無謀なりにもある種のまとまりを感じたのは、それをそのような形でまとめてみる価値のあるテーマだったからに他ならないからだと思う。そして事実、その仕事はその意味ではかなりいい線をいっていたのだ。

この世界における人間の能力は、明らかに「退化」に向かっている。断っておくのはくどいかもしれないが、退化は進化と裏腹の現象であり、いずれも相対的な判断に基づくものに過ぎない。

6/13/2006

エリック=リード「ヒア」

 週末、仕事とPCを家に持ち帰り、土曜の夜遅くまで根を詰めて頑張った(実は昼間はあまり捗らなかったのだ)。画面上で図や表の位置合わせをしたりする細かい作業が続いて、気がついたら日付が変わっていた。まだ少しやり残したことはあったけど、頭でまとめ方を考えてからでないと取りかかれそうにない作業だったので、その日はそこまでとした。

シャワーは翌朝浴びることにして、ウィスキーを持ち出して少しオン・ザ・ロックでやることにした。もう1時を過ぎている。風はほとんどなかったが、開けた窓からすーっと冷たい空気が流れ込んでくるのがわかった。

渋谷のディスクユニオンでお奨めCDになっていた、エリック=リードの新作"HERE"を(ユニオンで買わずに)アマゾンのカイマンで取り寄せてあった(モダンショッピングである)。気付いてみると、僕がCDを買う店は"n"で終わるところばかりだな。ウィスキーを口に馴染ませながら、僕はこのCDを聴いた。

エリックはウィントンのグループなどで演奏していたジャズピアニスト。その彼が率いるピアノトリオの最新作がこれだ。内容はとてもしっかりした聴きごたえのある演奏。1曲目に"Stablemates"を持ってくるあたり、ハンコックの名作に挑戦するかのごとくである。しかし、これがまたカッコいい。ミドルテンポでカッコいい演奏を耳にすると、僕はところかまわず深い唸り声をあげてしまう。

アルバムは彼のオリジナル中心に構成されているが、冒頭の曲の他、全部で3曲のスタンダードが入っている。その一つ"It's easy to remember"も見事な美しさ。キースの演奏にテンポやテーマのとり方が似ているのだが、エリックのはもう少し重みのある音色が、雰囲気に深みを増している様に思う。

そしてもう一つは、コルトレーンの"26-2"である。先のブラクストンのスタンダード演奏集に収録されていた。この曲はもともとLPには未収録だったもの。CD時代になってボーナストラックとして初めて知られる様になった曲だが、玄人の演奏意欲を惹き付けずにはいられない曲のようだ。他にもサックスのジョー=ロヴァーノなどもこれを演奏している。エリックの演奏もアグレッシブだが、あくまでも個人芸だけが突っ走るのではなく、トリオの枠でしっかりと演じきるところがよい。

さらに夜が更け、ウィスキーも3、4杯目になった。空気がいっそう冷たく感じられてきたので、窓を閉めてそのままソファーで寝ることにした。いま考えればこれがいけなかった。4時間後、目を覚ました僕は39度を超える熱を出していた。

昔から扁桃腺が腫れやすく、それも大抵は肩の疲れからやってくる。仕事をする様になってからの、僕の発熱パターンはいつもこれだ。このところ歳のせいか予防に敏感になり、少しでも異変を感じたらすぐに何らかの対処をしてきたので、ほとんどは発熱を水際で防いで来たのだが、今回ばかりは酔った隙にあっさりと上陸されてしまい、陥落である。

おかげで日曜日は仕事の続きも出来ず、一日ベッドで寝ていた。40歳を過ぎて39度はかなり身体に堪える。その状態は月曜日の朝まで続いて、結局会社を一日休んでしまった。それでもその日が報告書の入稿日だったので、僕は必要最低限のディテールを家で仕上げて会社に送り、部下にまとめてもらってなんとか締め切りに間に合わせた。

ここ2、3ヶ月間かけて取組んでいたものだけに、入稿の一区切りに伴う解放感をこんな形で味わうのは不本意だった。まあそれでもよく頑張ったものだ。

おかげで熱は月曜日の夜までには下がった。日本の多くの人がテレビで観戦したというスポーツ中継も、さして興味がないので、ひとり寝室で裏番組のヴァラエティを観ていたら、これがツボにハマってしまい、放映中に日本が劇的な逆転で破れたことなど知らずに、独り声をあげて笑いまくっていた。何故かわからないが、テレビを観てあんなに笑ったのは久しぶりだったように思う。

居間でサッカーを観ながら、寝室からの僕の笑い声を聞いていた妻からは、後で「薬か熱でおかしくなったのかと思ったよ」と言われてしまった。だったら心配して看に来てくれてもいいのに。周囲が日本の敗戦に呆れ悲しんでいる間、アパートの僕の寝室からは素頓狂な笑い声がわき上がっていたというわけだ。まあ、しょうがないだろう。僕には笑う理由があったのだから。

というわけで、今週は変則的な更新になってしまった。まあ風邪も大事には至らず、報告書も入稿し(これからが大変なのだが)、とりあえずメデタシである。関東も梅雨に入った。僕は早くも短い半袖シャツや、ハーフパンツやらを買って、夏を心待ちにし始めた。

6/03/2006

ポール=ブレイ「フラグメンツ」

 前回は2年半前にえぬろぐを始めて以来、初めてのサボりモードで大変失礼をしました。別に仕事が忙しいからというのが理由ではなく、ちょっと間がさして、気が重くなってしまったのだ。その気分にマッチする音楽が見つからなかったというわけだ。

別に忙しさは変わらない。むしろこれからの一週間の方が大変だろうと思う。土曜日の今日も会社に出かけて、少しだけ情報の整理をしていた。

僕の会社は休日に出勤する人などほとんどない。静かなオフィスは悪くないが、ただでさえ重苦しい雰囲気のオフィスが、少し蒸した空気に満ちていてさらに重い感じだった。おかげでどっと疲れて、結果的にあまり作業ははかどらなかった。それでも先週の異様な重さよりははるかにマシである。ろぐを書きたいと思える気分にはなっている。

今日の帰り道、会社がある田町駅からいつもの様に京浜東北線に乗った。さすがに土曜日の夕方は空いている。iPodで音楽〜今週届いたアンソニー=ブラクストンのスタンダード集の続編〜を聴きながら空席の一つに座った僕は、すぐさまどこからともなく美味しそうな焼きたてのパンの香りがしてくるのに気がついた。ほのかに漂ってくるというよりは、「さあ召し上がれ」と言わんばかりに匂いがしてくる。

その出所はすぐにわかった。僕のすぐ隣の席に座っていた女性が、大事そうにというよりも、どちらかと言えば無造作に膝の上に抱えた紙バッグの中から、袋に包まれていないそのままの姿で、大きなパンが顔をのぞかせていたのだ。おそらくは本当の焼きたてだったので、お店の人が袋に入れなかったのだろう。その匂いには、手で触れると思わず「あちっち」となるくらいのパンの温度まで感じられたほどだ。

電車が動き始める。満員電車で通路に人がぎっしり詰まった状態ではわからないが、今日の様に立っている人などほとんどいない電車の中では、走り始めると進行方向から車両の後ろに向かって、かすかだがはっきりとした風が吹き抜けるのが感じられる。

パンを抱えた女性は僕の進行方向側の席にいた。その人は紙バッグに左手をかけたまま、右手に握りしめた携帯電話で一生懸命何かに興じている様子だった。焼きたてのパンは、買ってくれた主人の関心が薄れたことを知ってか、緊張が解けてボーッとしているようだった。

焼きたての身体から立ち上る熱気は、そう簡単には冷めないものである。パンが自身から立ち上る匂いを少しでも抑えようと努力するとは思えないのだが、緊張感の抜けた様なそのパンからは、もう出任せ状態で匂いがわき出している様に思えた。

立ち上るパンの香りは、がらんとした車内を吹き抜ける風にのって、電車の中に広がって行った。煙突のすぐ風下にいるのが僕だった。その状態は、田町駅から僕が降りる川崎駅までのおよそ20分間にわたって続いたのである。

僕はパン屋さんで働いたことはないし、パン屋さんに20分間居続けたこともない。焼きたてのパンを20分間食べ続けたこともないし、パンの風に20分間晒されのも今日が初めてだった。おいしそうなパンの匂いなのでもちろん不愉快な思いはしない。しかし、ミントとか柑橘の爽やかな風とは明らかに異なるその風の匂いを、なんと表現したらいいか。「美味しそう」に感じられた状態を、過ぎてしまった以降の感覚はとにかく不思議なものだった。

電車が川崎に着いて立ち上がった僕は、かすかだったがはっきりとした満腹感を抱きながら電車を降りた。晩ご飯がパンだったらどうしようかと思ったが、確か今夜はタイカレーにすることになっていたはず。アパートのドアを開けると、あのエスニックなスパイスとココナツミルクの甘い香りが漂って来て、そこで僕はようやくパンの風から解き放たれた様な気持ちがした。

さて、今回の作品は僕が大好きなピアニストの一人である、ポール=ブレイの作品を選んだ。先週からの重い気分に合う音楽がないなあと思っていたところに、突然ひらめいたのがブレイの音楽だった。それは見事に僕の気持ちのバランスをとってくれたのだ。

ブレイのピアノを言葉にするなら、平凡かもしれないが「透明な空間の広がり」と「刺激的に輝く音色」だと思う。どちらかというとフリー系の人とみなされているようだが、彼はフリー界のビル=エヴァンスである。偶然にも今回の作品でドラムを担当するのはポール=モチアンである。もちろん彼のスタイルも1950〜60年代のエヴァンスの頃からすると、かなり大きく変わっている。

今回の作品は1986年の作品。おそらく僕が数十枚目に買ったCDだと思う。ブレイの音楽を初めて聴いたのがこの作品だった。これがなかなか衝撃的だったのをよく憶えている。タイトルの言葉は、収録されている音楽の本質を巧く表現している。

他の共演者は、ジョン=サーマンのサックス(ソプラノ、バリトン)とバスクラリネット、そしてビル=フリーゼルのギター、そこにモチアンとブレイという4人編成。そう、このクァルテットにはベースがいないのである。そうしたユニットの特性が、実に見事な音楽表現に活かされているのがこの作品だと思う。

演奏されているのは、各メンバーが持ち寄ったコンポジションである。しかし、いずれもテーマをモチーフ的に奏でて、それを時間と空間のなかに浮き上がる様に放って、全員でそれに向かって風を送る様に音を出し合い、テーマを支えながら音楽が組み立てられて行く、そんな演奏だ。

収録された曲はどれも、その弾き放たれるテーマが比類のない美しさである。聴き所は、2曲目からの"Monica Jane"、"Line Down"、"Seven"そして"Closer"と続く4曲。このシーケンスが持つ美しさと透明感そして緊張感は、決してこのメンバーでなければ生み出せなかったであろう、見事で素晴らしい音楽的瞬間の記録である。20年たったいま聴いても、その輝きは少しも失われることはない。

ある程度懐の深さを持って聴き臨む必要のある音楽かもしれないが、それだけに聴くものの心に響いた瞬間にもたらされる感動は、尋常なものではない。相対的ではなく絶対的な意味で間違いのない銘盤である。

Paul Bley Home Page 公式サイト。相変わらず活発にご活動のようです。