7/26/2009

ECMの新作を3枚

最近手に入れたECMの新作3枚について。

1枚はピアニスト、スティーヴ=キューンによるコルトレーントリビュート作品。テナーにジョー=ロヴァーノを迎え、コルトレーンバラードを中心に落ち着いたECMらしい仕上がりが心地よい。現時点でECMのウェブサイトにアクセスすると本作品のジャケットが出迎えてくれる。

キューン氏による短いライナーには、彼が1960年に少しの期間だけコルトレーングループのピアニストとして仕事をしたことが記されていて、それがこの作品の動機になっている。ピアノトリオで演奏される"I Want To Talk About You"、テナーとのデュオによる"Central Park West"など本当に美しい音楽で、非常におすすめの作品である。

次はベーシスト、ミロスラフ=ヴィトウスがウェザーリポート時代を回想した作品。先の作品とは異なり、即興性を全面に出した内容になっていて、個人的には今回の3枚の中では一番聴き応えのある作品だと思う。

冒頭の"Variations On W.Shorter"はショーターの"Nefertity"をモチーフにした集団即興演奏。ヴィトウスの正確なアルコ(弓弾き)によるインプロヴィゼーションが冴え渡る。続く"Variations On Lonely Woman"もその題名の通りの内容。こちらはコールマンの名がクレジットされているだけに原曲にかなり忠実な構成になっている。5人が織りなすインタープレイは相当にスリリングである。ラストの"Blues Report"は、おそらくマイルスの"Kind of Blue"に収録されている"Freddie Freeloader"をベースにした即興ブルース。それまでの張りつめた緊張感をクールダウンするような雰囲気になるが、それでもヴィトウスのプレイは強力過ぎて最後まで手に汗してしまう。

万人ウケはしないと思うが、個人的には最近の話題作"Universal Syncopations"よりは優れた内容だと思う(あれは僕にはちょっと散漫な印象だった)。

最後は、フリー系サックス奏者エヴァン=パーカー率いる「エレクトローアコースティック アンサンブル」の最新作。前作もなかなかよかったが、今回は編成がさらに大きくなっている分、内容も濃くなりスケールアップしていると思う。

この作品はかなり好みが分かれる、というか一般にはあまり人気のないものだと思う。ECMのドル箱であるキースのトリオ作品は、おそらく数十万枚のセールスがあると思うが、これなどはその数パーセント程度のセールスではないだろうか。それでも極めてクオリティの高い演奏にハマれば、思わず唸ってしまうことは間違いない。だからECMは素晴らしいのだ!

今日はよく晴れた夏の日曜日だった。

暑い中、ベビーカーに子供を乗せて妻と3人で、昼食と買い物を兼ねた少し長い散歩に出かけた。安い中華レストランでエアコンとドリンクバーを堪能し、その近くのホームセンターで買い物をして、図書館や子供プラザがある市の施設でまた涼み、赤ちゃん用品を揃えたお店があるショッピングセンターに行って子供のミルクを買ってクレープを食べ、そのまま歩いて帰宅。全部で6〜7kmの道のりを5時間かけて楽しんだ。結果的に両腕はすっかり赤く日焼けしてしまったが、いい運動といい気分転換になった。

子供もとても楽しんでくれたようでよく笑ってくれた。大切なひと時だ。

7/19/2009

イノウエさん

わが家では人様からいただいた品物を呼ぶに際して、品物の名前にいただいた人の名前を冠して呼称とすることがある。大抵の場合はその品物が僕らのフィーリングによくマッチして、度々用いられることになった結果として、そのように命名されるようだ。

いくつかの例をあげるなら「ニシモトカップ」「トジマグラス」「ケイコちゃん皿」などといった具合である。もちろんこれら以外にも愛用の日用品はあるし、それらの中には単に「青いお皿」とか「三日月皿」で済んでしまう様なものも多いし、頻繁に使う道具でも、いただいたものなのに贈り主の名を冠せずに使っているものも多い。

なぜそれらがそう呼ばれる様になったのかを考えてみるのは興味深いことではあるが、一定の規則があるわけではなく、多少運命的な側面もある様だ。ここではそれを深く追求しないことにしたい。

このところ、子供が生まれたり家を新築したりで、親しくさせていただいている方々からいろいろなお祝いの品物をいただいた。ありがたいことである。この場を借りてあらためてお礼を伝えたい。

やはり子供が生まれたことで彼に関する品物を贈られることが多い。今日も古くからの知人がわざわざ車で訪ねて来てくれたのだが、祝いだと言って264枚の紙おむつをどさりと持って来てくれた。因みに十数年前に彼のご長女が誕生した際には、僕はお米5キロを持って彼の家にお邪魔したのをおぼえている。男が選ぶ出産祝いは単純明快である。

さて、比較的最近、大学時代からの友人がやはり子供の誕生祝いを宅配便で届けてくれた。かわいい子供服といっしょに、いろいろな原色パーツでできた像さんのオモチャも入れられていた。手足や鼻の先には直径5センチほどのプラスチック製のカラフルなリングがつけられていて、なんとも言えない愛嬌がある。

妻によると、うちの子供はこのオモチャを見るなりいたく気に入った様子で、ようやくものをつかめる様になった両手でたぐり寄せると、さっそくうれしそうにオモチャの手足をナメナメし始めたのだそうだ。

それ以来、このオモチャは贈り主の名を冠して「イノウエさん」と呼ばれる様になった。今回の呼称ケースでは品名が省略されるといういままでに類を見ないスタイルが斬新である。


「イノウエさん」と遊ぶ子供を見ていると、自分の幼い頃にもたいそうお気に入りの犬のぬいぐるみがあったのを思い出した。おそらくは誰かのお手製のもので元々は2歳上の兄のものだったと記憶している。名前は確か「ピッポちゃん」だった。果たしてあれはどこへ行ってしまったのか、両親がいなくなってしまったいまとなっては知る由もない。

うちの子供がいつまでこのオモチャを、お気に入りでいつづけてくれるのかはわからないが、彼がそれに飽きてしまったり壊してしまったりしても、こういうものは長く大切にとっておいてあげるのがいいのだろうなと思った。

子供はいま「イノウエさん」を頭の脇に置いて眠っている。今日も蒸し暑い一日だった。

7/12/2009

お宮参り

子供が生まれて1ヶ月くらい経った頃に「お宮参り」という習慣があるらしい。というからには僕は知らなかったわけである。先の「お食い初め」同様、自分の体験で記憶にないのは当たり前なのだが、周囲の人の動向やら話題からもそのことを知ることはなかった。ちなみに僕自身には「七五三参り」の記憶もない。父はそれなりにかなり信心深い人ではあったのだが。

だとすると自分がいままで折に触れて来たいろいろな人の話は、よほどある方向に偏った内容だったのかと言えば、(根拠は十分とは言えないまでも)そういうことではないと思う。おそらくは自分に対して、あるいは自分の前でその種の話題が展開されたことは幾度もあったのだろうが、僕自身がそれに対してほとんど何の興味も示さなかった結果、それは知識としての自分の中にとどまるということなしに、僕の人生の時間のどこかに消えてしまったのだろう。

まあともかく子供を連れて一度近所の神社に出かけてみるのも悪くないということで、今日は3人で本牧神社にお参りに出かけた。ここは元来はかなり立派な神社だったらしいのだが、本牧一体が占領下の米軍に居住地として接収されていたため、その期間は神社としての役割を失い、最近になって返還された後に再び活動を再開したというところらしい。

行ってみると、閑静な住宅街のなかに比較的新しいなかなか立派なお社が建っている。この日はお参りに来る人はほとんどいなかったので、とても静かだった。結果的に僕らはそこを気に入り、地元の神社としてこれからも初詣とか七五三といった折に触れお参りに来る場所とすることにした。

数週間前にアマゾンで予約注文していたECMレーベルの新作が相次いで到着している。もちろんすぐにでも聴きたいのだが、最初からiPodに落としてヘッドフォンで聴くのは、せっかくCDを買っているのにもったいないという気がどうしてもしてしまう。かといって新居のリヴィングでいつでも自由に音楽が聴ける状況ではなく、結果的に泣く泣く開封してすぐのディスクをMacに入れるというのが最近のパターンである。

今回ひとつ考え方を変えて、iPodに入れる音楽を極端に減らしてみることにした。最近買った数枚の新譜と、ごく最近のろぐで取り上げた数枚のアルバムの合計20枚程度に抑えるようにしてみた。実際にこれを持って出かけるのは明日からなのだが、数十枚のアルバムを携えていたこれまでに比べて何か不自由が出るとは思えない。そこのところはかなり確信を持っている。

さて、そこで余ったメモリーに何を入れるなのだが、何でもいいからそこを埋めてしまうのではなく、あまり欲張らずに空けておけばそのうち何かいいことがそこを埋めてくれるに違いないと気長に空けて待つことにした。それが子供の写真や動画ということになるのかもしれないし、思いもかけない何かが僕に新しい夢を見させてくれるのかもしれない。もちろん、結果的にそれらはまた新しい音楽であっても構わない。

少し気持ちにゆとりができたように思う。ECMの新作についてはまた今度。

7/05/2009

スキゾブルー

父の3回忌(亡くなって2回目の命日に行うものらしい)と祖父の23回忌を兼ねた法事を行うため、和歌山の父の実家に向かった。日帰りの帰郷で慌ただしかったのだが、いまの僕にとっては、休日でもそういうふうに日常とは異なる何かに意識を向けることがあったことは、ある意味で救いではあった。法事は父方の親戚だけで簡素に行い無事に済ませることができた。

父が亡くなる前後に和歌山との間を何度も往復してたまった新幹線予約サービスのポイント有効期限が切れるというので、往復の新幹線はグリーン車に乗ることができた。新横浜と新大阪の間は2時間と少しの時間だがやはり乗り心地はいいものである。通常なら倍近い特急料金を払うことになるわけだが、その価値はあるなと感じた。

本当なら和歌山で下車して一杯やりたかったのだが、やはり家には早く帰りたかった。

翌日は子供が生まれて100日あたりを目処に執り行う(らしい)「お食い初め」という儀式を自宅で行った。

実際には離乳食にもまだ早いのだが、鯛や煮物、なます、赤飯などの料理をかわいい食器に盛りつけて、子供に食べさせる真似をする。こうすれば一生食べ物には困らないのだそうだ。自分も親にやってもらったのだと思うのだが僕には記憶はないし(当たり前か)、僕自身自分がこうして親になるまでこの行事の存在を知らなかった。

こちらについても妻が事前に食材やら食器を準備しておいてくれたので、無事に済ませることができた。まだ食べ物を口の中に入れることはできないが、興味深げに目の前の料理を見つめている子供を見てると、早く一緒に食事ができればいいなと思った。

音楽の方は先週から引き続いてクリムゾン週間が継続。和歌山への道中もiPodでこれらを聴きまくった。やはり何度聴いても素晴らしい後期3枚のアルバムと、同時期のライヴを収録したCDボックス。これらはいまの僕にとってはいい安定剤になっている。

少し気持ちが疲れてしまっている。今日はここまで。