5/31/2008

カート=ローゼンウィンケルを聴く

もつ料理に意識が傾いた状態が続いている。今週も仕事関係でこじんまりと呑みに行く機会が2度あって、いずれも僕の希望もつ系のお店を会場に据えて開催してもらうことにした。

1回目は水曜日の夜、会社近くのオフィスビル地下に入っている「もつ兵衛」というお店。少し期待していったのだが、実体はモツ料理をおいている居酒屋だった。先週行った恵比寿のお店よりは値段はリーズナブルだが、雰囲気は「ダイニングなんとか」を意識した最近の居酒屋そのもので、興ざめだった。確かにもつ系のお刺身など味は悪くなかったけど、また行きたいかといわれれば答えはノーである。

金曜日の夜、以前同じ職場だった先輩と呑みに行くことになり、また僕の希望を聞いていただいて、今度は東京一円にチェーンで展開するもつ飲み屋の「加賀屋」に行くことにした。今回行ったのは目黒店。佇まいからして「え、ここ?」というじ。お店の中も小汚い(失礼)感じでいい雰囲気である。

別に雰囲気で味覚が研ぎすまされるということはないと思うのだが、このお店は僕の望んでいたものに近いところでとても満足だった。お店のお勧めホルモン串焼き(3本300円)に始まりもつ煮込みやハツなどの焼き物など、どれを食べてもとても旨い。こういうお店につきもののホッピーは飲まなかったがビールが進んだ。

先輩がもう一軒というので、雨の目黒を歩いて目黒駅北側にある有名店「丸冨水産」へ。いつも混んでいてなかなかお店に入れないらしいのだが、今回は雨だったことと行った時間が遅かったのとで、なんとか座ることができた。お刺身をお任せにしてあとはビールやらサワーやら熱燗やらを頼んで、いろいろなお話をした。

営業スタッフとしていろいろな経験をしている先輩で、話題も豊富で愚痴っぽさもなく一緒にいさせてもらって楽しい人である。これまでもそれほど呑みに行くこともなかったのだけど、こういう人と呑みにいける機会があるのは幸せなことだと思った。今回はっきりしたのはやはり愚痴はほどほどにということ。愚痴の原因はよくよく考えれば、その半分はそれを言っている本人にあるのだから。

この1週間はずっと同じ作品を聴き続けた。若手ジャズギタリスト、カート=ローゼンウィンケルの新作"The Remedy-Live at the Village Vanguard"がそれ。カートは1970年生まれでバークリー音楽院出身。パット=メセニーやジョン=スコフィールドといった、最近のトレンドを受継ぐアーチストとして注目されているらしい。

僕が彼のことを知ったのは最近のこと。ディスクユニオンのサイトでそのアルバムが紹介されていた。これを入手するのにちょっとひと騒動あった。本来なら紹介してくれたユニオンで買うべきなのだが、そこはネット時代の合理性も忘れてはならない要素である。いろいろと調べた挙句に僕は発売元のウェブサイトからダウンロードで購入することにした。値段が安く、出かけたり送料を払ったり品物が届くのに1、2週間首を長くして待つということもない。

発売元のArtistShareはその名の通りアーチストに様々な与えてインターネットによる音楽ビジネスのあり方を追求するユニークなレーベル。CD販売の一方でダウンロードや映像配信などいろいろな試みに取り組んでいる。今回も購入特典としてカートや競演ミュージシャンのインタビューや解説、ライブなどの映像配信プログラムがついてくる。そうした体系をプロジェクトと称してアーチストと聴き手の共同作業と位置づけている。

"The Remedy"は2006年のライヴパフォーマンスを2枚組CDにまとめた作品。といってもダウンロードではそういう言い方はあまり意味がなく、正味2時間分の全8曲の音楽が楽しめる内容になっている。初めて耳にする彼の音楽は、表面的には奇抜な特徴があるわけではないのだが、何度か聴き込んでいるうちにじわじわとその魅力が伝わってくる。これは素晴らしいものである。

カートのギターワークは、パット=メセニーやジョン=スコフィールドを感じさせるものはあるが、早弾きなどのテクニックが凄まじいというわけでは決してない。それでもそこに彼自身の独自のスタイルが存在するのは明白である。他のアルバムを聴いてみたいと思うだけでなく、是非とも一度生の演奏に接してみたいと思った。久しぶりにジャズギターの新しい展開を感じることができたと同時に、音楽を買って聴くというスタイルについても、その方法は確実に変りつつあることを改めて実感することができた。


The Remedy-Live at the Village Vanguard

こちらはArtistshareのサイトからの直販か、ディスクユニオンの通販で購入可能です









Deep Song

こちらはアマゾンで購入できます

5/25/2008

セグメント

今週はコルトレーンをよく聴いた。最近になって演奏された2つの「至上の愛」(ブランフォード=マルサリス、森山威男)を聴き比べ、僕にはやっぱりブランフォードの方がいいなあなどと思いながらいると、急に本当のコルトレーンの音が聴きたくなったのである。

幸いにも、時折中身が入れ替わる僕のiPodだが、いつも彼の音楽は何かしら入っている。最近になってiTunes Storeでダウンロードしたニューポートのライヴ(写真下)に始まり、インパルスのアルバムを中心にいろいろと聴いてみた。でもやっぱりアレが聴きたくなるんだよな、と結局はいったんiPodから外してあった「ライヴ・イン・ジャパン」にたどり着いてしまった。

今週はその中の"Afro Blue"を通勤の途中で2回程聴いたのだが、やはりこの録音は何度聴いてもいいものである。僕にとってはファラオもアリスもなくてはならない存在。この素晴らしさを時折こうして確かめながら、これから歳をとっていくのかなあなどと考えた。もちろんそれはそれで悪くない。

アランの店"Jazz Loft.com"で、アンソニー=ブラクストンとギターのジョー=モリスによる、CD4枚組のライヴインプロヴィゼーションを購入してあったのだが、いざ届いてみると4枚すべてのディスクの盤面に著しい傷があることがわかり、店主にメールするとものの30分で返信が来て返送して交換ということになってしまった。

一応ディスクは再生はできたので1枚目だけを聴いてみたところ、これがもうやたらといいのである。面倒だからこのまま交換せずにおこうかなという気にもなりかけたのだが、やはりこういうことはきっちりしておかないとと気を取り直し、月曜日には郵便局から航空便で4枚のディスクを送り返した。送料を着払いにする手だてがないので、僕が立替えた送料(670円)はどうなるのか気になるところだ。この作品と交換の顛末についてはまた後日取りあげようと思う。

火曜日に以前職場の同僚だった男と恵比寿のモツ料理「黄金屋」で一杯やった。モツ焼きが食べたい一心でネットで検索してお店の予約をしたのだが、実はテレビなどでもよく紹介される人気店らしく、当日場所を確認しようとウェブサイトを見ていると芸能人もよく出入りしているのだという。実際に行ってみると僕らが座ったカウンター席のすぐとなりのテーブル席に、ジャ○ーズ事務所の若手大物タレントを含む一団がいて、ちょっとびっくりしてしまった。

お店の料理については、最初に変な子供だましの料理を注文してしまったおかげで、結局もつ焼きは「しまちょう」を食べただけで、最後にもつ鍋とチャンポン麺はしっかり食べたのだが、肝心の焼き物があまり食べられずやや不本意な結果に終わった。料理はうまいがいかんせんもつ料理とは思えない程の値段でちょっと興ざめな気もした。ビールのグラスは小さいしねえ。

この週末は雨だったこともあって何もたいしたことをしないまま過ぎてしまった感じだ。衛星放送で撮りためてあった映画を土日で1本ずつ妻と一緒に視た。「酒井家のしあわせ」という日本の作品と、「君とボクの虹色の世界」というアメリカの映画の2本。どちらも面白かった。映画を家で楽しむなら大きなスクリーンとプロジェクターがあってもいいなと思ったが、その前にそれを置くための部屋がいるなと思った。

少し前から気になっていたあるアルバムを、迷ったあげくに発売元からダウンロードで購入することにした。ドル建てで送料も要らないしすぐに聴くことができる。10年前にCDNowやアマゾンで海外からネットでCDを購入し始めていたことを思っても、ここまで便利になるとは到底考えられなかったものだ。この作品についてもまた次回以降で紹介したいと思う。

ということで、こうしてみるといろいろな刺激があった1週間だったのだが、それでも何か満たされない気持ちをひいたまま、再びこのろぐを書くことになった。贅沢な無為とはこういうことか、それともごく普通の人生というのはこういうものなのだろうか。

5/17/2008

五月の病

物事が上手く進んでいる実感がなく、不安や心配が先行する一週間だった。電車の中で放映されているテレビ(映像と字幕だけでも情報は伝わるものだが、画面でキャスターが話す顔を映す必要はあるのだろうか)で、五月病について解説するのが目に入った。僕は以前からこの病気には馴染みがある。といっても、毎年5月になると必ずというわけではなく、発現頻度はそう多いわけではない。いまから考えたら、それが何かの転機か、あるいはその後に続く自分の生き方に対する何かのサインだったように思える。

僕は入学してすぐに大学に対する興味を失った。もともと興味を持っていたのは大学の名前や学科のお題目だけで、そこで実際に何が行われるかについては、それはきっと立派な何かがあるに違いないと漠然と考えていただけだった。それがそうではないということがわかり、僕はそのまま五月病みたいになって大学に行かなくなってしまった。それ以降、大学は僕にとっては学び舎ではなく、家庭教師のアルバイトをするために自分の肩書きを提供するだけのものになった。

それでも大学を出て行くわけでもなく、留年しても卒業だけはしたいと思った。いまにして思えばなんと呆れた考えかと思うばかりだが、その考えや行動原理がいまも自分の中に引き継がれているのはほぼ間違いない。ああ自分は何につけても一貫性はないし、独自性もない、ホントにダメなやつだなと思い始めると、これが自分の中を埋め尽くそうとどこまでも広がってゆくように思えて、大きな空洞になって心の中に居座るのである。

自分を変えたいのか、自分の周囲の環境なり状況を変えたいのか、それもはっきりしない。ただ自分はもう変らないだろうという思いについては、ある種の確信に似たものがあるから、周りを変えようという気持ちが一時的に強くなる。しかし周りを変えることはすぐに自分にまた跳ね返ってくることになるから、ことは「気分転換」と簡単にいう程には進まないのである。だからこれはしばらく続く病気なのだ。

水曜日には翻訳会社に勤める幼なじみと自宅近くの新丸子で酒を飲んだ。不登校で中学卒業が危ぶまれた娘さんは、その後なんとか高校に通っているらしい。これには彼も一安心しているようだ。その夜は特に目新しい話題を交わすわけでもなく、新しいお店に行くわけでもなく、それでも僕らにとってはちょうどほどよい時間が過ぎて行った。

初夏の気候が戻った土曜日。以前、兄がやってきたときに鎌倉の街で偶然見つけた彼の御用達の鞄屋「土屋鞄製造所」で、カタログをもらっていた。妻がちょうど財布を買い替えたいと思っていてその店の品物が気になるというので、足立区西新井にある工房と店舗をかねたところに出かけることにした。

日暮里駅から舎人ライナーを乗り継いで西新井大師西駅で下車すると、すぐのところにそのお店はある。広々とした店内に同店の商品がきれいに展示されてある。お目当ての財布はたまたま店頭に展示された現品1点を残すのみとなっていて彼女はめずらしく早い決断でそれを買った。他にもいい鞄がいくつかあった。この商品についても僕の関心はやはり男性ものより女性ものに向いてしまう。

その後、西新井大師に行く途中、腹がへったので大師の裏にある小さな中華料理屋「餃子王」に入った。狭い店内の半分が座敷で半分がテーブルというやや不思議な空間、僕らは迷わず座敷に陣取った。メニューは驚く程たくさんある。お店の名物ということで担々麺、焼餃子、そしてエビチャーハンを注文した。料理はどれもうまかったがやはり店名の餃子はさすがの味だった。店内に張られた中国の地図をみると、お店の人はおそらく中国から来られた人なのだろう。四川のご出身なのかなあなどと震災のことが少しなった。

西新井大師を少し散策して、そこからはいつものように少し歩いてみることにした。結局、荒川を渡って王子駅までの約4キロ程を歩いて、あとは電車に乗って川崎まで帰った。途中の景色や街並にはひかれるものは何もなかった。北東京の何ともいえない雑然としたコンクリートのイメージが続いただけだったように思う。

週末は少し原稿書きをしなければならない。本当はもう少し早く出さないと行けないものなのだが、なかなか手を付けられないのと編集者との連絡が不通にになってしまったことも手伝って延び延びになってしまっている。もう今回でおしまい、といわれても仕方ないかなとも思っているが、やはり気持ちのスランプというのは恐ろしいものである。書く内容はだいたい決めているので、明日は頑張って仕上げたいと思う。

少し前に注文したCDのうち、先月の終わりに取りあげたJasper Leylandの2枚が郵送されてきた。素朴な音をさりげなく緻密に組み上げる感じで、彼が持つ才能を改めて感じさせるものだった。いまの僕の気持ちがここに現れている、聴いていてふとそんな気がした。

土屋鞄製作所
Jasper Leyland

5/11/2008

ジュウェル イン ザ ロータス

連休明けの3日間は意外にもすんなりと仕事モードに戻ることができた。大した仕事があったわけではなかったし、3日間勤めればまた週末というのも気分的に楽だった。外出して、セミナーなど人の話を聞くことも多かった。なかでも、マーケティングの業界団体が主催したインドの消費市場に関するセミナーは非常に興味深いものだった。

インド市場の急成長と将来性についてはいまさらながらの話題かもしれないが、では彼等の現代社会がどのようなものでライフスタイルがどうなっているのか、ということについてまとまった話を聞くことができる機会はこれまでなかった。現在のインドは自国の将来に世界で最もポジティブな国なのだそうだ。

今後数十年間で最も大きく変貌する国であるといわれているインドや中国であるが、大きな流れとして日本が戦後数十年でたどったのと同じ様な道を、あわせて20億の人口がいる2つの大国がたどるのかと思うと、地球の将来は明るいのか暗いのかますますわからなくなってくる。成長とはそういうものなのかもしれない。

その翌日の木曜日、別のセミナーというか研究会の様なものに参加するために地下鉄に乗った。車両に乗り込むと、優先席付近の一角だけ妙に人がまばらになって席が空いている。何かあるなと思ったのだが、別に異臭などもしないので空いている席に座ることにした。その空間の原因は僕の真向かいに座っているヘッドホンをした初老の男性にあるらしいことはすぐわかった。

この男性、よく通る声で次の3つの言葉をランダムに繰り返す。「おいコラァ」「バカやろう」「オマ○コ」。語調がちょっとヤクザっぽくて威圧感があるのとその内容に対する一般的な嫌悪感、この2つを気にしなければそこに座っていることはさほど苦痛ではない様なので、僕はこの男と5、6分間ほど向かい合って地下鉄の道中をともにすることにした。

こういう人の多くがそうであるように、彼は誰とも目を合わせようとしない。目に見えぬ誰かに語りかけているというよりは、人と目を合わせることができないのだ。3つのワードはひたすらランダムにいろいろな方向を向きながら発せられ続けたが、芸術性のかけらを感じることもなく僕は目的の駅に着いた。車両を降りたあとでも背後でそのパフォーマンスは続いていた。

週末はこれまでとはうってかわって急に冷え込んだ。あいにくの雨模様となった日曜日は特に寒かった。我が家でも仕舞いかけていたオイルヒーターを久々につけて部屋を暖めた過ごした。少し前に衛星放送で放映されて録画してあった映画「砂と霧の家」を視た。内容も何も知らずに録画してあったものだが、とてもいい作品だった。いわゆる9.11の直後にこのような作品が発表されているあたり、一見すると単純な娯楽ものばかりで嫌気がさしていたアメリカ映画も、まだまだ捨てたものではないと思い直させてくれた。

今回は少し前に購入したECMの復刻CDを紹介しておく。ベニー=モウピンといえば、マイルスの「ビッチズ ブリュー」でバスクラを吹いている人であり、リー=モーガンの「ライヴ アット ザ ライトハウス」でサックスを吹いている人でもある。その彼が1970年代半ばにECMに録音した作品がCD化された。

共演がハービー=ハンコックやバスター=ウィリアムスというのも意外な感じであるが、内容はこのメンバーから想像されるビートに溢れた音楽ではなく、非常にECM的な空間や音響の世界に仕上がっている。タイトルに表わされるように収録された作品はいずれも神秘的な輝きに満ちていて、じっくり耳を傾けると何か精神的なインスピレーションを与えてくれそうな気がする。

ジャズにエレクトリックの嵐が吹き荒れたこの時代に、ヨーロッパ人によるプロデュースでこのような作品が残されているというのは驚きであり喜びでもある。


Bennie Maupin ベニー=モウピン公式サイト

5/06/2008

連休の終わり〜横浜とFMラジオ

連休最終日。久々に横浜に出かけて、元町から山下公園、関内、野毛、みなとみらい、と一通りを歩いてみた。いろいろな思い出がある場所だ。少しずつ姿を変えているとこともあるが、そこにある雰囲気は相変わらず横浜だった。天気がよくて長袖のパーカーでは少し汗ばんでしまうほどの陽気で、さすがに後半は少し疲れが出て眠くなってしまった。

お昼は野毛の洋食屋さん「センターグリル」でランチセット。店主の「食べたい時間がランチタイム」という考えの下、いつ行ってもお腹いっぱいに食べることができる。妻はスパゲッティランチ(ナポリタン、トンカツ、サラダ、ライス)、僕は浜ランチ(オムライス、トンカツ、サラダ)でともに満腹である。

自宅に帰って休日恒例の昼寝。週末のいずれかは大抵、夕方4時過ぎから6時頃まで軽く眠るのが僕の習慣になっている。今日は疲れていてかなりぐっすり眠ってしまい、目覚めはあまりよくなかった。

そもそも休日なのに朝起きるのが早いからこうなるのだと思うのだが、僕はあまり遅くまで寝てお日様の光を無駄にするのが好きではない。元々は、独身のころに週末通ていたスポーツクラブから帰って、夕食までの間に少し昼寝をしたのが始まりだと思う。おかげで夜寝付きが悪くなることもあるが、その時はお酒を楽しめるからそれでいいと思っている。

午後7時前、妻が夕食の準備をする音で目覚めた。僕はテレビが嫌いなので、何か面白いラジオ番組はないのかなとネットで番組表を眺めてみると、NHKのFM放送欄に「ギター三昧」という特番を見つけた。DJにチャー、ゲストに石田長生、山崎まさよしを迎えて12時間生放送とある。惜しくも前半は聴き逃したが、後半は食事をしたりあと片付けをしたり、そしていまもお酒を飲みながら番組を聴いている。

1960〜80年代を中心とする代表的なギターミュージックが次々と流れる楽しい展開。フリー、ディープパープル、ロリーギャラガー、ボストン、ヴァンヘイレン等々。。。こういう番組はやっぱりラジオならではのものだ。僕もFM放送のDJを一度はやってみたいものだ。このろぐをそのままラジオにできたらいいなあ。そう考えれば、これが僕にとってもラジオみたいなものだ。

いまちょうど午後11時、ここからは「取りこぼし編」なのだそうだ。最初のアーチストはジョー=ウォルッシュとトミー=ボーリンのようだ。またしばらくウィスキーを飲みながらラジオに耳を傾けてみたい。

「明日からまた仕事だ」という改まった気持ちはいまのところない。

5/04/2008

連休と形見分け

ここ10年間ほどは5月の連休といえば9連休はあるのが当たり前だったような気がする。会社がそうなるようにうまく振替休日などを工夫してくれたり、自分で休みを1日増やしてそうしたこともあったかもしれない。今年は祝祭日の並びがどうにも意地悪な形になっていて、僕の勤める会社では、5月1日から6日までの6連休ということになっている。

それでも工場の操業を考慮した連休を設定する兄の勤める自動車会社の様に、飛び石連休の間にも休みを入れて11連休にしているところもあるようだ。その話を担当してくれている美容師の女性に話すと、半ば信じられないという表情で「私は11連休なんてとっちゃったらもう仕事には戻れないでしょうね」と言った。彼女のような仕事は、長くても4連休程度しか休みがとれないのだそうだ。

同じく本来ならカレンダー通りの4連休しかない妻と一緒に、30日の夜から新幹線と在来線を乗り継いで和歌山の実家に帰った。同じ時期に兄にも来てもらい、家の片付けやまだ残っている手続きなどを進めた。手続き関係は今回でほとんどのことをやり終え、遺された品々の片付もまだまだモノはたくさんあるが、どうやら先が見えたように思う。

今回は母親の品物を集中的に整理して、父や母の親戚(兄弟姉妹)たちに分け届けるということをした。洋服やアクセサリーなどを一通り整理し、分けられそうなものをより集め、それらをレンタカーを借りてそれぞれの実家に運ぶのだ。遺品の形見分けは財産の分与とは少し意味合いが違うはずなのだが、そこにはどうしても人の性分が少なからず姿をちらつかせるものでもある。

両家それぞれの親戚に別々に集まってもらい、あらかじめこちらでセレクトした品物を渡して、あとは自分たちで話し合ってくださいという形をとることにした。結果的には心配した揉め事などもなく形見分けは完了した(と思う)。後日、母の妹にあたる人からメールをもらったのだが、やはり品物を受け取った嬉しさというか安堵感が先立つも、やがて故人の不在に伴う寂しさが微妙に入り交じった感覚になり、涙があふれてきたのだという。

兄や僕そして僕の妻も、それぞれ少しずつ品物をもらうことにしたが、それにしてもまだ品物の一部に過ぎない。すべての品物の整理にはまだあと少し時間と労力を要するようだ。連休でそれらを一気にやってしまうという考えもあるのだが、とりあえず何かに追い立てられているわけではないので、父の一周忌なども含めもう少し時間をかけてやることにした。片付けばかりを続けるのは実際かなり疲れるものだ。

短い期間だったがいつもの和歌山グルメはしっかり楽しんだ。まだ少し気になるお店もあるので、次回からは少し趣向を変えて楽しみたいと思う。

和歌山から帰った翌日の今日は、まだ疲れも残っていた。それでも家でじっとしている気にもなれないので、目黒線の西小山まで電車に乗り、少し前に友達に教えてもらったイタリア料理店「コージー」でお昼を食べ、そこからまた武蔵小山や目黒不動尊、林試の森公園などを散策した。雨の降りそうな空模様だったがなんとかお天気は持った。ちょっとした散歩に身体にも適度な運動をしつつ、のんびりした気分を味わうことができた。

音楽は帰りの新幹線で先に紹介したエレクトロニカを聴いたりしただけだった。この手の音楽はお店でCDを買うのは難しいが、ECやダウンロードでは手軽に入手できる。ただまだ自分の知識や情報が十分ではないので、ネット上の専門店でいろいろと試聴したりしている段階である。十分に試聴ができるのはやはり嬉しい。実際に作品に触れてみると、こういう音楽の世界が非常に層の厚いものになっていることに驚かされる。

そんなことを言いながら、先ほどこのろぐを書く直前にダウンロードでアルバムを2枚購入した。合計で約13ポンド(2700円程度)になる。タワーレコードでCDを買うよりもかなり安いし送料も要らない。そしてなによりも自宅ですぐに作品を耳にできるメリットはやはり大きい。もしかしたらしばらく病み付きになるかもしれない。

実家に帰って親戚にあったり、自宅で少しのんびりしたり、どこかノスタルジックな音楽を聴きながら家でウィスキーを飲んだりしているうちに、また久しぶりにいろいろな友達と会って酒を酌み交わして語り合いたい、そんな気分がわき上がってきた。