1/31/2004

スティーブ=ライヒ/ベリル=コロット「スリー テイルズ」

Steve Reich / Beryl Korot:  今日のアサヒ.コムに掲載された記事によると、日本では最近の音楽は何かの「おまけ」ということで商売が成り立っているらしい。

 テレビの出現で映像がメディアの主役となり、音楽は映像の脇役としての仕事が多くなった。凶悪犯罪の始終を報じるテレビ番組で、映像の背後で決まって現代音楽を真似たような音楽が(最悪の場合には著名な作曲家による実際の作品が)流されるのは、現代音楽ファンとしてはなんとも不愉快である。90年代に流行ったテクノのゴキゲンなCDも、友達からは「テレビ番組のBGMみたいな感じ」といわれた時はちょっとショック。音楽は映像のおまけというわけである。

 以前、テレビの歌番組に出演した歌手の松山千春氏が、「俺はTVドラマやCMの仕事は基本的に断る。俺の歌はBGMには向かない。なぜなら俺の歌が絵に勝ってしまうからだ」と言っていた。頼もしい言葉だ。彼の名を一躍有名にした「季節のなかで」が、チョコレートのTVCMで有名になったという事実がなければ、もっとカッコよかったのだが。同じく、サザンオールスターズの代表曲「いとしのエリー」が、テレビドラマのメインテーマに使われ番組とともにヒットしたことに関して、桑田佳佑氏が番組のなかで「ああいう使われ方されるとチョットねぇー」と、暗に曲のイメージに傷がついたとでも言いたげな表情を見せていた。

 最近では、クィーン最後の名曲"I was born to love you"がテレビドラマの主題歌に使われ話題を呼んでいるらしい。フレディ最後の歌声に重なる木村拓哉の映像。確かにサマになっていると思うのだが、どうしても音楽の肩を持ちたい自分としては、いったい主役は誰なのかと、なんとも不思議な気分になってしまう。興味のある人はこの曲が録音されてから世に発表されるに至った経緯を調べてみると感慨深いと思う。

 さて、スティーブ=ライヒのこの作品は、CDとDVDのセットで発売されている。映像作家のベリル=コロットとのコラボレーションで完成した本作を、彼らは「デジタルオペラ」と称しているらしい。内容は観ていただいてのお楽しみであるが、科学と人間と言う難しいテーマを、「ヒンデンブルグ」「ビキニ」「ドリー」という3つのシンボリックな事件(わかりますか?)を題材に、いかにも音楽らしいやり方で描き出している。もちろん鑑賞するならDVDだ、CDだけを聴くよりも映像があった方がメッセージは強い。しかし音楽と映像はあくまでも対等な関係を保ち続け、テーマを表現していくのは実に見事だ。見終わって「う—ん」と考え込んでしまうことウケ合いである。

Nonesuch Records
The Steve Reich Website
Queen Official Website (日本語サイトの異様さに注目)

1/25/2004

川本真琴「ゴブルディーグーク」

「えぬさんは毎日あんな変な音楽ばっかり聴いてるんですかあ?」何人かの友達からいわれたことがある。まだエントリー数も少ないので、このサイトをご覧いただいている方々には、あまりそう思われる方は少ないかもしれないが、別にわざと変なものばかり選んで聴いているわけではないのだ、決して。これからどんな作品をとりあげていくかまだ未知だけれども、「これは面白いかな」とか「これをネタにこういうことを書こう」とか考えてみたものはいくつかある。確かに、変な音楽ばかりだな。

 もちろん、日本の音楽だってちゃんと聴いているのですよ。その証拠に(というわけではないのだが)今回はいわゆるJ-Popの作品をとりあげる。そもそも、「歌謡曲」ではなくて「J-Pop」とはいつ頃からそう呼ぶようになったのか、というような話題ははてなさんにお任せするとして、たぶんCD屋さんとかの売り場の名称にも使われる程一般的になったのは、1990年代半ば頃のことだと思う。

 1990年代空前のJ-Popブームを作り上げたのは、他でもない、かの小室哲哉氏であろう。全盛期にはミリオンアルバムが何タイトルも出現した。彼のことを悪く言う人も多いが、僕は彼はやっぱり卓越したメロディーメイカーだと思う。僕が初めて気に入って聴いた彼の作品は、1980年代半ばに荻野目洋子がアニメ映画のサウンドトラックで歌った「Non Stop Dancer」という曲だった。個性的な歌手の持ち味を見事に引き出した歌を早くから作っていた。ただ全盛期において、不況期に学ぶべきビジネスマン向けの講師などを務めるうちにうっかり出てしまった(のだと信じているのだが)「音楽はビジネスだ。売れるためにどういう風に作ればいいかはすべて計算できるんだ」みたいな言葉はいただけなかった。

 僕が気に入っている日本のアーチストはもちろんたくさんいるのだが、J-Pop系の人ということになると、まっさきにあげたいのが川本真琴である。この作品は彼女の2枚目のアルバムだ。タイトルの言葉はれっきとした英語である。意味が知りたい人は辞書を引きましょう。

 信じられないほど名曲揃いだった1997年発表のファーストアルバム「川本真琴」から、なんと4年半ものブランクの後に発表された。事実、僕はこのアルバムが発売されていることを知らず、現代音楽に入り浸りながら、時折「マコちゃん引退したんかなあ」とか考えていたころである。実際、手に入れたのは昨年の終わり頃だった。聴き終えてみてとてもうれしかったのを覚えている。彼女のオリジナリティは健在どころかとっても成長していたから。やっぱりこれが手作りの音楽だと、感じさせてくれる人だと思う。ファーストアルバム発売後のツアーを、横浜の関内ホールで観たとき、アルバムのサウンドがそのままバンドメンバーの生演奏で細かいところまで再現されているのに、久しぶりにいいコンサートだったなと実感したものだ。やっぱり音楽はビジネスや金ありきではないのだヨ。

 ファースト収録のまさにgobbledygookだった名曲「stone」を思わせるロックナンバー「ギミーシェルター」(ストーンズの作品とは別物です)、川本バラードの進化系「ピカピカ」、10分超の大作「FRAGILE」、意表を付いたイントロに導かれたどこか懐かしいメロディーの「微熱」、ファーストアルバムからの卒業となった「桜」、どんちゃん騒ぎの「TOKYO EXPLOSION JP」でいったん幕が下りて、アンコール前になぜかチンドン屋さんが出てきて、最後の「雨に唄えば」まで、全15曲。これは楽しいよ!

 追伸:3月に川崎のライブハウスイベントに川本さんが出演するらしく、楽しみである。またそのときのレポートは追ってここに書き込みたいと思う。

salon-kawamoto

1/04/2004

アンリ=テキシェ「ストリング スピリッツ」

Henri Texier Azur Quintet: ”Strings’ Spirits” (Labelbleu) 年明け早々、渋谷のディスクユニオンに赴いた。宇田川町交番のすぐ近くにある狭いジャズ館の階段をおりてすぐのところに置いてあったこの作品に目が留まった。お店の人の書いたほんの短いコメントに惹かれて購入してしまった。ジャズ・クインテットとストリングオーケストラの共演と聞いて、へぇ~と素直に興味を持てる自分が嬉しい。内容はとてもスリリングで洗練されたもの。綿密に作り込まれたストリグスがカッコ良い。
 
 CDショップのバイヤーさんは本当によく音楽を聴いていると思う。また(仕事だからあたりまえなのだが)お客にその音楽に興味を持たせるのが上手いと思う。お店に行って「今月のおすすめ」みたいなコーナーで、添えられている一言にそのお店の腕前が伺える。近頃は視聴機が普及しているけど、数行の言葉だけで中身も聴かずに買ってしまうマニアは、お店にとってはありがたい存在かも知れない。大手のオンラインショップでは、客に音楽や書籍の評価を書かせるのも流行しているが、やっぱり専門店でプロのバイヤーさんが添える一言には勝てない。なにせこっちは実物の品物が目の前にあるのだから。
 
 Labelbleuは最近注目しているフランスのレーベルだ。最近気づいたらヨーロッパのCDばかり買っている。ジャズが終わったとかなんとか、別に最近に始まった言葉ではない。でもジャズの舞台はどうやらヨーロッパに移ってしまったようだ。これには少なからずの人がうなづいていただけるのではないか。70年代からか80年代からかそれとも21世紀からか、人によって意見は違うだろう。だが、最近発売されるかつてのスタープレイヤー達の作品の多くが、なんともどこかに迷い込んでしまったように聴こえてしまうのは私だけではないだろう。特にアメリカからはすばらしいジャズミュージシャンの便りが少なくなった。私が知らないだけなのか。
 
 一方、ヨーロッパからは新鮮なジャズが毎日のように届く。ドイツ、フランス、イタリア、イギリス、そして北欧。また注意深く見ていると、芸術を中心にヨーロッパに学んだ日本の才能が開花しつつある時代だとも感じている。アメリカに出たビジネスマンは成功しているのかどうかイマイチ判然としないが、こちらはかなりはっきりした傾向であるように見える。日本には工業以外には何もないとか悲観する向きがあるけど、そんなことはない。最近、いろいろな人がいろいろなことに自分の存在価値を求めようとする話を聞くにつけ、それが嬉しく頼もしく感じられる。

Label Bleu: Henri Texier
ディスクユニオン