5/23/2004

エルビン=ジョーンズ「ライブ アット ザ ライトハウス」

前回のろぐでジョン=コルトレーンについて書いてしまい、おそらくそうなるだろうなと予感はしてはいたが、やはりしばらくの間は聴く音楽がコルトレーンばかりになった。これは僕にとってはいつものことで、2回続けてコルトレーンを取り上げることになるかなと思っていたところに、何の因果か、哀しいニュースがやってきてしまった。ジャズ・ドラム奏者の、エルビン=ジョーンズ氏が、2004年5月18日に亡くなられた。この訃報は日本国内の一般紙やスポーツ紙でも「ジャズ・ドラムの神様、逝く」などと報じられ、改めて底堅い人気ぶりが伺えた。

エルビンはジョン=コルトレーンのグループでその音楽の重要な時期を共に創りあげた人で、前回のろぐで書いたところの、第2の頂点「ジャイアント・ステップス」の直後から、「至上の愛」に至る第3の頂点の直後までのおよそ5年間を共にした人物である。この間に録音された作品は駄作なしと言われる程の名盤揃いで、非公式なライブ録音含めCDにして実に30枚近い演奏が世に出ている。コンサートではコルトレーンとエルビンが激しく競り合うように演奏する場面が話題になった。僕も最初にコルトレーンに熱狂したのはこの時期の演奏だった。

というわけで、今回はそのエルビン=ジョーンズの作品を紹介することにします。

たくさんのお魚が灯台を目指して方々から集まってくると言う、ユニークなジャケットのこの作品は、コルトレーンのグループを離れ、彼の死にも遭遇したエルビンが、いろいろな精神的、音楽的模索を続けた後に、ようやくそれをはっきりと受け止め、音楽スタイルとして確立することができた作品と言っていいと思う。

詳しくは書けないが、エルビンがコルトレーンのもとを去るに至った経緯は、いろいろな意味での芸術家の道の厳しさそのものを現した出来事であった。僕は、先にも書いたように、その後のコルトレーンが後退したり、失敗したとは全く思っていない。逆に、エルビン等優秀なパートナーの脱退を乗り越えて、また別の意味での新たな頂点を極めたのは、やはり彼の凄さだと思っている。対照的に、その後のエルビンは、いくつかの作品を発表してはいるが、内容はあまりぱっとせず、この作品に至るまで苦悩と模索の時代が続いたのである。まあ変な例えだが、異動や転職などの人生の転機と、それにまつわる様々な人間ドラマの一つと考えればわかりやすいのではないだろうか。

前回のろぐで紹介した、「ジャズ批評」誌のコルトレーン特集号に、エルビンへのインタビューが収録されている。昔の思い出をいろいろと語っていたエルビンが、話がコルトレーンの死のことになると、途端におかしくなってしまう様子が描かれている。彼の妻で日本人のケイコさんがフォローして、「エルビンはジョン(コルトレーン)のことを語るのがなによりも辛いのです。あの日(コルトレーンが死んだ日)、エルビンは私の前からも姿を消して、何日も家に帰って来ませんでした。その間、彼はきっと狂ったようになってしまって、どこかを彷徨っていたに違いないのです」というような言葉を語っている。

エルビンはこの作品以降、「ジャズ・マシーン」という名のグループでの活動をスタートさせ、自分が共に創り上げたコルトレーンの音楽を継承しつつ、それをベースにジャズを発展させることに注力し続けた。コルトレーン派と言われるサックス奏者2名メインに据え、若手を登用して育てることも怠らなかった。この作品がある意味でジャズ・マシーンの出発点になっていることは明らかだが、結局、僕の個人的な意見だが、この作品の内容を超えるものは出なかったと思う。それほど、この作品での演奏内容は凄まじく激しいのである。エルビンの快演はいうまでもなく、それを導き出す2人のサックス奏者(デイブ=リーブマンとスティーブ=グロスマン)の激しい演奏は、まさにコルトレーンが2人いるようなもので、僕は先のコルトレーンの「ライブ・イン・ジャパン」と対をなす、エルビンの総決算的作品であると思う。

この作品は当初LP2枚で発表さていたが、1990年にはじめてCDでリリースされた際には、未発表になっていたすべての音源を復活させ、当夜に実際に演奏された順番に並べられ、CD2枚に150分の演奏を詰め込んだ超お得盤として発表された。僕は移転前の渋谷のタワーレコードでこのCDを発見し、買うつもりで手にしていた3枚のCDをすぐに返してこれを買って帰ったのをよく覚えている。残念ながら、現在はこのCDは廃盤で、その後日本で再発売された際も、もとのLPと同じ内容でしかなかった。現在は、ブルーノートの作品を中心にした全集企画で有名なモザイクレコードから、エルビンのブルーノート時代のすべての音源を収録した全集が5000セット限定で発売されており、その中でこれらの演奏を楽しむことができる。

僕は、1991年頃だったと思うのだが、東京青山にあるブルーノート東京(現在の場所に移転する前のお店)で、彼のグループを聴きにいき、間近で彼のドラミングを感じることができた。この時の演奏は後にNHKの衛星放送でオンエアされ、僕はそのテープをいまでも大切にもっている。まあともかく、ドラムやシンバルを叩けばそれが風になって感じられる位の距離だったので、なにか変な言い方だが、彼のドラムを肌の感覚で覚えているという感じである。楽器に振り下ろされる彼のスティックを見ながら「あれが頭のうえに振り下ろされたら俺は死ぬ」と正直思った。

よくピアノやサックスがリーダー格になっているグループについて、ドラムやベースは「サイドメン(脇役)」と表現される。この演奏におけるエルビンは明らかにそうではないし、コルトレーンのグループにおいてもそうではないと思う。僕の友人のサックス奏者は、彼のそうしたドラム演奏について、「リーダーとしてひとつの音楽の場を提供している」というような表現をしたが、まさにそうだと思う。曲によっては先にドラムソロをやってしまうのもそういうことの現れと思う。そうして提示された場に、サックスを持って乗っかってしまったら最後、恐ろしいまでのリーダーシップで煽り立てられ、簡単には降ろしてくれない。それがこの演奏の醍醐味である。もちろん彼がサイドメンとして参加した録音はたくさんあるし、そこでの彼の演奏はまた別ものである。

この作品が収録された日はエルビンの誕生日で、Vol.2の冒頭、メンバーと観客による「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー」の和やかな合唱が収録されている。ジャケットにある灯台がエルビンなのかコルトレーンなのか、それはどちらでもいいかもしれないが、まさにこの作品にある音楽を拠り所に、多くの若い演奏家達が引き寄せられ、その後のジャズの方向性に光を灯した。こうして演奏が遺されている限りその光が弱まることは永遠にないと思うが、やはりそれを演出した当人が世を去ったことは、ジャズという音楽にとっては大きな出来事だと思うし、それは明らかに一つの時代の終わりだと思う。残念なことだが。

彼の訃報を知って、僕は自分の(休眠状態であるが)演奏仲間にメールでそのことを知らせた。たまたま翌日にそのなかの一人と川崎市内で飲む約束をしており、酒席の前半はさながらエルビンのお通夜となってしまった。店に音楽はなかったが、下手にジャズがかかっていたりしなかったのが却って幸いだった。それにしても、先にとりあげたリー=モーガンのライブ盤といい、この「ライトハウス」というジャズ・レストランの近所に当時住んでいた人のことを思うと、本当に幸せものだなと思う。あまり過去を羨んでばかりではいけないのだけれど。

Drummerworld Picture Gallary of Elvin Jones エルビンの写真が多数あります
Washington Post紙による訃報
Mosaic Records


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