12/29/2013

天使とジャンプ!

事実上のクリスマス3連休だった先週末はろぐをさぼってしまい、すいませんでした。最初の2日間は家族で南房総まで旅行に出かけ、きれいな冬の海をいろいろな角度から味わうことができて、とても楽しい旅行だった。

この時期の南房総は、はっきり言って閑古です。妻が南房総に行くと言ったら、ママ友から「ええ?あれは夏に行くところだよ」と言われたらしい。夏に行っても混んでるからねえ。なのでこの時期は宿はどこでもそれなりに空きがある。

今回は久里浜からフェリーで東京湾を渡り、金谷で鋸山にロープウェイで昇って山頂付近を散策し、そこから電車で富浦まで行って観光ホテルに1泊した。内房線は1時間に1本。うーん東京からそんなに離れていないんだけど、ちょっと寂しいなあ。

あとから考えれば富浦はちょっと中途半端で、いっそのこと館山とか白浜とかまで行って泊まった方がいろいろと楽しめたと思う。車のない家族旅行で南房総はどうかなと思ったが、確かに公共交通事情は予想してたより不便だった。

それでもバスの時刻をちゃんと調べたりしたので、なんとか館山からフラワーラインを通って、人のほとんどいない「南房パラダイス」で動物と触れ合ったり、人がまるでいない冬の海岸をお散歩したりと、わが家なりに楽しめた。以下に写真を少し。

富浦のホテルの裏にある海岸。
南房パラダイスにあった蝶の温室にて。
同じく南房パラダイスで出会った南国の鳥。
誰もいない相の浜における妻のジャンプ。

3日目の23日はクリスマスのお祝いをわが家でやろうと、元町まで買い出しに出かけて、鶏肉やらスパークリングやらケーキの材料やらを買い込んで、夜は妻のお手製のクリスマスケーキとチキンでクリスマスを祝った。

翌朝からは年内最後のお仕事の週。これがまたいろいろとドタバタがあって、考えさせられる年末であった。会社の1年を振り返り、新しい年への期待を語る文章を書いた。それが僕の仕事だから。

僕なりに頑張って書いたつもりだが、まあ結局は多くの人にとってはどうでもいいことなのかもしれない。そういうことを感じざるを得なかった。

仕事のなりゆきから、久しぶりに「納会」なる行事に参加してみたのだが、やはり20年前のことを思うと、これが同じ会社の同じ職場かと思えるほど、隔世の感があった。

少し考え見て、それが時代や世代が違うとか言うことではなく、やはり会社という集団に勢いがないということなのだなと、残念ながら納得せざるを得なかった。

あの頃に比べ人の数も、笑顔も、声の大きさも、光の量も、フロアの温度も、すべてがそのことを表していて、それが先週行った冬の南房の雰囲気と通じるところを感じた。

南房にはそれでも自然が醸し出す十分な居心地のよさがあるが、人が作った企業という場所には、そんなものがあるはずもない。人為で火を燃やし続けなければ、そういう雰囲気は失われてしまい、それをそういうものでいいといくら納得しようと努力しても、人の本能はそれには従わない。

それを元に戻すのは容易なことではないとあらためて実感する。本末転倒と思われるかもしれないが、結局は立て直すとはそう言うことなのだと思う。するとまた気持ちが沈む。そんな思いで年内最後のお勤めからわが家に帰った。

ももクロがクリスマスの深夜にNHKで主演したドラマ「天使とジャンプ」を録画してあったものを視てみると、これが結構いい出来だった。

最後の歌のシーンがこの物語のすべてなのだが、実はそれが生撮りなのだと知って、あらためて彼女達の実力とその素晴らしさの本質を実感した次第。このジャンプの素晴らしさ、やっぱりいいなあ、ももクロ。

おかげで沈んだ気持ちも持ち直し、シーンの現場となった銭湯に行きたくなって、家族3人で近所の「いなり湯」に出かけた。

子どもはママと女湯に入ったのだが、やはりお湯が熱くて「あちっ!あち!」とやっていると、見かねたおばあちゃん達が「こっちにおいで!」と水でぬるくしたところを作ってくださったらしい。こういうのがあたたまるよねえ。いつまでも続いて欲しい。

その後は同じ商店街にある「ほうちゃん」で年内最後の乾杯!やっぱりいつ来ても安くて美味しい。昨年はちょっとおなかをこわしたけどもう忘れちゃったよ。

それにしても、子どもの頃から年末のこの雰囲気がとても苦手である。その時代時代に何かと気に障ることがある。どういうことなのかと考えてみて、せっかくのお休みなのに、いつも何かが普段の生活をのんびりと過ごさせてくれないのだということを理解した。

おそらくはお年玉をもらわなくなった頃から、自分は自分で生活をしているという感覚が根付き、その生活を楽しみたいのにそれができない状況が生まれるということなのだろう。

昨年はおなかをこわしたがために、大晦日を独り横浜で過ごすはめになったわけだが、食中毒は願い下げだけど、横浜で正月を迎えるというのは、やはりいまの自分に取ってはささやかな本望なのだろうと思う。

今年もお付き合いいただいてありがとうございました。
えぬろぐは、まだ・・・続けますよ。

来年は、来年こそは、僕もジャンプしたい。こんなふうに。

「あっ、パパがジャンプしてあかるくひかってる!」
「まったく、どこまでいっちゃうのかねえ...パパは。」
「ちゃんとばんごはんまでにはかえってくるよお」
「海に落っこちないで帰って来てねえ、晩ご飯はお刺身だよぉ」

12/15/2013

世代

テレビに接続している録画用ハードディスクの調子が悪くなって来て、数少ないお気に入りの番組がちゃんと録れていないという事態が続き、とうとうブルーレイレコーダーを購入することに。

そうすると、今度は長年使って来たアナログアンプがいよいよ機能的にデジタル時代のマイノリティであることが決定的となり、これも今日妻に断ったうえで安いデジタル型のアンプに買い替えるべく、潔く購入ボタンを押してしまった。ちなみにお値段はおよそ25,000円也。

これでわが家からアナログでの音声入出力ケーブルで接続する機器はなくなり、スピーカー以外はすべてデジタル入出力ということになる。結婚のために転居した際に買ったマランツのアナログアンプは、15年を経てとうとうその役割を終えようとしている。

最近でこそ、ちょっと内部の接触不良が気になり始めたものの、まだまだ現役でと考えていた一方で、滅多にCDなど聴かない妻から、デジタル入出力しかないブルーレイプレーヤでCDを聴こうとしたら、どうしてスピーカーから音が出せないのかと問い詰められて、かすかな焦りを感じていたのも事実である。

新しいアンプもまたマランツ。これで大学時代から30年間3台続けて同社の製品にお世話になる。別に試聴するわけでもなく、音などはそこそこでいいという割り切りと、この企業に対するある種の信頼があるが故こういう買い方ができるのだろう。

しかしこういう機器の接続配線のやり方はやはり複雑であることには変わりないようで、HDMIとか光デジタルケーブルとかの意味が分からない人には、アナログ時代よりも難しいものになっているのは間違いない。

妻がこうした機器を最低限使いこなせるようになるまでは、しばらく付き添ってあげなければならないだろう。もちろん彼女がやりたいことは以前と何ら変わらない。DVDがブルーレイになっていようがそんなことは一向に意に介さずで、ただ映画やドラマが視たいというだけなのだから。

そして次にこれらの機器が何か問題になるとすれば、十年かそこら経過した後に、子どもから「チッ、おやじ、いつまでこんな古くさいの使ってんだよ」とか言われることだろうか。その頃僕は何枚のCDを手元に残してあるのだろうか。

子どもはスイミング教室の進級テストを無事にクリア。気がつけば5mくらいをバタ足とクロールもどきで泳いでいる。家のなかでは大量のセロテープを使ってなにやら工作をしたり、家の外にお友だちが遊んでいると見るや、ボールやらでお兄ちゃん達とも遊ぶ様になっている。

少しずつではあるが着実に自分の世界ができつつある。いろいろな知識や経験を積んで自分の道を選んで開いていけるようになって欲しい。そんなことは心配することでもないのだろうけど。

ウォーキングに行って午前6時に着いた大さん橋から眺めた横浜港はまだ暗かった。ベイブリッジの彼方でオレンジ色の空がゆっくりと拡がってゆく様は、どんな時に眺めても不思議と僕の心を前向きにさせてくれる。単にその日は仕事がお休みだからというだけなのかもしれないけど。

また音楽の話が書けなかったけど、そちらの方面では、いま僕の中でそれなりのエネルギーでいろいろなことが動いています。


12/08/2013

森山威男を観た夜

横浜ドルフィーに森山威男さんが来てくれたので、みなとみらいに住む友人と鑑賞に出かけた。

以前に同じ店で森山を体験している妻も彼の演奏には一目置いていて、今回も子どもを連れて聴きに来たがったが、さすがにお店のルールも分からないし、そんなところに子どもを連れて行っていいものかどうかわからなかったので、今回はやめておくことにした。

峰厚介、板橋文夫、本多俊之、金澤英明という豪華メンバーのクインテット。本多俊之は実は僕にとって初めての生での体験。森山とはちょうど12才年が違う56歳とのこと。

開演前に店の前で待っていると、階上からリハを終えた森山さんが降りてきたのだが、「いやあ足と腰をやっちゃってねえ」と足を引きずっておられてちょっと辛そう。そう言えば森山さんも峰さんも70歳間近だが見た目もさらにまたお年を重ねられた印象。

メンバーもそういう状況なら、狭い店内を埋め尽くした観客もまた然りで、たぶん僕の友人が最年少(いま37歳だそうです)で、それ以外はみんな40歳以上、半分は50歳以上だっただろう。こういう音楽の継承はどうなるのかないうことが一瞬頭をよぎったけど、まあ心配しても仕方ないことだなと割り切る。

しかしひとたび演奏が始まるといつもの森山ミュージックをしっかり楽しませてくれて、まだ当分は楽しませてくれそうだとひと安心。セカンドセットはちょっと辛そうだったけど、最後まで気合いの入ったドラムを叩き続けてくれた。やっぱりこのグループはもはや人間国宝か文化遺産ですよ。

そう言えば、最近はちょっと演奏活動が盛んなようで、新年早々新宿で4日連続とか、そのあとまたドルフィーでピアノトリオで出演するらしい。もしかしたらご自身も何か思うところがあるのかな。今度は是非とも子どもを連れて行ってみようかなと思った次第。

初めて目の前で聴いた本多さんは確かにウマい。けどねえ、やっぱりなんかちょっと浮いてるというか引いてる感じがするんだよね。セカンドセットで演ってくれた"My One and Only Love"もスゴいんだけど、なんかアイデアとテクニックに任せてやっちゃいましたって感じ。その後に続いた"Sunrise"がそんな空気を吹き飛ばしてくれたのでありますが。

音楽に向かうという意味でいいタイミングでいい刺激をもらうことができたと思う。やっぱり音楽って演ってなんぼのもんだよね。

午後10時半に大満足でお店を出て、おでんが食べたいねと向かったのは「いわき」。あやうくのれんを仕舞うところだったのだが、お母さんが快く僕らを店内に入れてくださった。おいしいおでんと珍しい「茄子そうめん」などを堪能いたしました。いいお店だなあ。

それに先立つこと数時間前のその日の午後、幼稚園の担任の先生との保護者面談なるものがあるというので、仕事を半日休んで参加してみたんだけど、日頃の子どもの様子などをしっかり見守ってくださる姿勢には、ひたすら感謝であります。

最近のパパはどうしてもちょっと怒り過ぎかなあと反省はしているんだけど、どうしてなのかなあ。でも、どうしてもモノを大事にしないのと、食べものを粗末にするのは許せないんだよなあ。まだ子どもだからとかいうことじゃない気がするんだよねえ。

そう省みる時に決まって思い出すのが父のこと。彼もきっとあの時代に同じような境遇で同じような気持ちだったんだろうかなあとか、自然とそういうこと考えてしまう。父にも母にも、そう言う話を聞いてみたかったねえ、もういまさら遅いしどうにもならない仕方のないことなんだけど...。

ああ、またこんな風になっちゃったなあ。寒くなっても来たし、堪えるよなあこういう気持ち。明日はまた仕事だなあ...。

12/01/2013

すべては薄明のなかで

12月...

時の流れは早いは時候の句みたいなもので、振り返れば何もしていないと感じつつ、一方ではいろいろなことがあったなあと想うのが常。

ウォーキングを再開。

準備運動で前屈みになるのは心理的に慎重になってしまう(その心構えがずっと続けばいいのかもしれないが)。

久しぶりだったので今回は港の見える丘公園まで行って帰ってくるだけの1時間コース。

午前6時前の横浜港はまだ日も昇らず、薄明の中できれいな海が輝いていた。

このところ音楽の関係で出会いや考えなどいろいろなことがあって、いまはまだ十分整理できていない。

ここ数ヶ月悶々としてきたことの出口を年の変わり目というきっかけに求めようとしている。

いつものパターンなのか、何度目かの正直なのか。

久しぶりにCDを取り寄せて届くのを楽しみにしている。

この季節特有の伝染病がまたはやり始めているようなので、皆さんも体調管理にはお気をつけ下さい。