11/26/2005

ホレス=パーラン「ハッピー フレイム オヴ マインド」

 先週末に出勤したり家で仕事をして追い込みをした甲斐あって、遅れていた仕事を無事に片付けることができた。この一週間は、いろいろと愉しいことがあって、気分が随分と軽くなった。しばらくぶりの友人たちと食事とお話を楽しんだり、いろいろといい音楽を聴くことができた。

最近、通勤時にもまたジャズをよく聴くようになった。いつもの気まぐれなマイブームのひとつだろうと思う。特に1960〜70年代のブルーノートレーベルの作品をよく聴いている。アメリカのジャズが一番面白かった時代といっても間違いではないだろう。

大学生の頃、中古レコード屋を毎日のように巡っていたことは、これまでに何度か書いた。当時はCDがようやく本格的に普及し始めた頃で、少しマニアックなものとなると、まだCDになっていないものがたくさんあった。だんだんとジャズの深みにハマるにつれて、僕がレコードプレーヤを購入して、アナログの中古盤を物色し始めたのは当然の成り行きである。そうして、一時期は数百枚のアナログレコードを集めたものだったが、それらはごく一部を残して売り払ってしまった。

音楽とは直接関係はないのだけど、LPレコードの魅力の一つにジャケットのアートワークがある。CDのジャケットはコンパクトなブロマイド的な感覚であるのに対して、LPのジャケットはいわば見開きのグラビアみたいな迫力がある。1960年代、日本でモダンジャズが流行った頃、好きなLPレコードをそのまま鞄のように持ち歩くのが流行ったのだそうだ。その気持ちはよくわかる。

中古売り場で棚に詰められたレコードのジャケットを、丹念に一枚一枚物色するのは愉しい作業だ。本来音楽を捜しているはずなのに、次々と現れるグラビアの絵や写真にワクワクさせられる。ジャズ全盛期の名門レーベルにおける一連の作品は、特にジャケットデザインが印象的なものが多い。ジャケットの好みは音楽同様、人それぞれだろうと思う。

今回の作品は僕自身がそうした意味で、特に印象に残っているものだ。実は白状すると、僕はこれまで中身を聴いたことがなかった。今週になって川崎駅前の中古レコード屋「トップス」で、ようやくこれをCDで購入してはじめてその音に触れたのだった。以下を読む前に、先ずこちらをクリックしてジャケットを表示しましょう。

昔、手を真っ黒に汚しながら売り場のレコードを物色している最中に、何度かこのジャケットに遭遇したことがあった。その度に僕は、トランプゲームで手札の中にジョーカーを引き当てた時のような感覚にとらわれた。もちろん悪い印象ではない。ポーカーでも七並べでも、ジョーカーは強い味方であり、それを手札に発見した人は、心の中でほくそ笑む。僕にはこのジャケットのアートワークが、そんなふうに他の作品のものとは、何か次元の違うもののように見えて仕方がなかった。

当時のブルーノートのジャケットにもいくつかのパターンがあった。この作品のように、ミュージシャンの写真や絵などをメインに扱わずに、おそらくは当時流行しつつあった、幾何学的なパターンを駆使したグラフィックデザイン風のものも珍しいわけではない。この作品もその類いのものかもしれないが、やはり少し特異な点もある。

先ず、グラフィックデザインの特徴の一つである、原色を中心とした色彩をほとんど使用していないこと。リーダーであるホレスの名前が赤くなっているだけで、あとは白地に黒、グレーというモノクロ基調である。そして何よりも印象的なのが、ジャケットの約7割を占有する、作品のタイトルとホレスの名を記した特異なタイポグラフィである。これが圧倒的な強さでこの作品をアピールしている。

このタイポグラフィをよく見てみると、これが実に細かく計算されたものであることがわかる。すべて小文字が使われているが、小文字の特長である"f"や"d"、"h"などの高さのバラツキを逆手に取って、単語がまるでテトリスのようにきれいに積み重ねられている。唯一収まりきらなかった"mind"の"i"の点が、反転した白点になってジャケットの真ん中に位置するようになっているあたり、実に心憎いのである。

僕はデザインの専門的知識はわからない。当時既にフォントというものはあったのだろうが、この文字がそういう意味で、フォントデザインとしてその筋の人には認められたものなのかどうかもわからない。しかし、今日の様なデジタルフォントもツールもない当時、デザイナーのリード=マイルスが、この原画を雲形定規等の製図用具を駆使して描いたのは事実だろう。("frame"の"r"に彼のサインがさり気なく添えられている)

このジャケットに惹かれながら、僕がこのLPを買わなかったのには理由が2つある。一つは、巡り会う中古盤がみな高価であったこと。僕は中古のLPに2000円以上払ったことがない。この作品は、国内盤のプレスもあまりなかったのか、なぜかオリジナル盤だったりそれに近い時代のものが多く、僕が見かけた中古盤は大抵3000円以上もした。

もう一つの理由は、ジャケットに記されているメンバー。リーダーを含め正直言って地味である。誰一人として、それぞれのパートの人気投票第一位になるようなミュージシャンではない、いわゆる中堅どころの人たちである。収録された1963年という時代からもなんとなく中途半端さが感じられ、比較的高めの値段ということも手伝って、ジャケットデザインのインパクトとは裏腹に、僕の気持ちを購入の方向にグイグイと引っ張っていってくれる要素がなかったのだと思う。

あの頃から20年を経て、僕はようやくこの作品をCDで買った。タイトルの意味は「しあわせのかたち」とでも訳せばいいのだろうか。どことなくささやかな印象すら感じられる。はじめて耳にしたその中身は、まさにそのタイトルの意味を音にして運んできてくれるものだった。これを聴いてハッピーな気分になれるというのは、ジャズを聴いていてよかったいうのと同じだろう。

あの当時の僕には、たぶんこの作品は少々物足りなかっただろうと思う。でもこの作品は、あの時からじっと僕を待ってくれていた、そんな気がしてしまった。

11/19/2005

マーク=ジョンソン「シェイズ オブ ジェイド」

 久しぶりに銀座のクラブに行った。もちろん連れて行ってもらったのだ。そういうことになったいきさつは、ここには書かない。いままでこうしたところに連れて行ってもらったことは、何度かあるけど、どうもまだ楽しいと思ったことがない。

クラブで相手をしてくれる女性達は、確かに皆さん素敵である。しかし、お店の雰囲気というか空間の背後に、なにか凄まじい勢いの力というか流れの様なものを感じる。それは一言でいうと「お金を吸い取る力」ということだと思う。どうも落ち着いて座っていられない。

その夜の自分たちの支払いがいくらだったのかなど、僕には知る由もない。たまたま隣のグループの人が、帰り際にお店のママさんから受け取っていた領収書には「8万6千円」と書いてあった。人数は僕らより1人少ない4人、カラオケも歌っていなかったし、ボトルを1本飲んだかどうかぐらいだと思う。たぶん銀座のなかでは、そんなに高級なお店ではないと思うのだけど。不思議な財布があるものだ。

お店の人達も、皆そのカネの出所を不思議に思いながら仕事をされているのだと思う。そういう意味では、こうしたお店で一番たちが悪い客は、泥酔した客よりむしろ僕の様に覚めた客だろうと思う。僕はどうしてもこういうところで酔っぱらえない。だからお店の人も気を遣うようになり、ますます居心地が悪くなる。たぶん僕が貧乏でケチだからそうなのだろう。

ご多分に漏れず、帰りはタクシー。運転手さんに最近の景気を尋ねたら、一頃に比べればまあまあだという。だけどクルマ(タクシー)の数がここ最近急に増えて、同業者としては競争が激しくなること以外にもいろいろと困ったものらしい。道を知らないクルマが客とトラブルを起こすケースがやはりかなりあるのだそうだ。あと、残業で遅くなって会社からチケットをもらって帰る、そんなお客はあまりいなくなったのだとか。

銀座も決して潤っているわけではないという。お店も優秀なドライバーを囲うようになり、実力がない人には長距離の仕事はなかなか入ってこないのだそうだ。その意味でタクシー無線より携帯電話が必須なのだと、その運転手さんは笑っていた。「まあお客さんの前でこんなこと言っちゃあ怒られるでしょうけど、私らの感覚からすりゃあ、やっぱりタクシー代ってのは高いですわ、そう思いますでしょ?」

僕が自分が車を所有していないこととか、月に数回しか乗らないのであればレンタカーの方が安くつくとか、それでも滅多に乗らない人が、こうして一台の運転手つきの車を借りられるわけだから、まあ多少高くついてもいいんじゃないですか、などと話すと、彼はちょっと意外な笑みを浮かべたけど、まんざらでもなさそうだった。僕がチケットを渡して降りるとき、その運転手さんは「またどこかでお会いしましょう」と言った。タクシーの運転手にそんなことを言われたのははじめてだと思った。

今回の作品は、少し前にもとりあげたジャズベーシストのマーク=ジョンソンがECMから発表した新作である。タイトルは直訳すると「翡翠の影」ということになる。光の具合は銀座のそれに似ているかもしれないが、この作品の世界には理不尽な力はない。メンバーはやや意外性のある豪華な顔ぶれである。テナーサックスがジョー=ロヴァーノ、ギターにはジョン=スコフィールド、ドラムにジョーイ=バロン、そしてピアノにはあのエリアーヌ=エライアスが参加している。

このメンバーでどんな音が出るのかなと思ったのだけど、あくまでもECMらしさをメインに、それぞれの持ち味と言うか、これまでの経歴を彷彿とさせるエッセンスが程よく出ていて、これが実に良いのである。最近、北欧や東欧系のちょっと冷たい感じのECMサウンドが多くなってきたかなと思っていただけに、この作品がいっそう嬉しく気持ちよく聴くことが出来た。

上品でもあり怪しげな光を放つECMらしいタイトル曲をはじめ、意味深なタイトルの「ブルー ネフェルティティ」(もちろん元ネタはアレです)、1曲だけゲスト参加のアレン=マレットのオルガンが小気味よい「レイズ」、そしてマークのアルコがチェロの様な美しさをたたえる「ドント アスク ミー」まで、本当に多彩な作品が収められているのだが、よくまとまった、さながらこのユニットでのライヴを聴いている様な感覚で1時間の収録時間をたっぷり楽しませてくれる。ハマると意外に何度も聴き返したくなる作品である(既にハマった感がある)。

またいつか、銀座に行くことがあるだろうか。その時には、あの力がもう少し大人しくなっていてくれればいいのだけど。

11/13/2005

エルヴィン=ジョーンズ「ザ トゥルース」

 テナーサックスの巨匠、ソニー=ロリンズが来日した。現在75歳。今回を「最後の長旅」とし、事実上最後の来日公演になるという。アサヒコムに掲載されたインタビューを読むと、2年前の来日公演の際に、奥さんとそういうふうに話合ったのだそうだ。彼女はその時既に車いす生活だった。そして昨年に他界。その約束を守るというのが、最後の理由だ。残念ながら僕は聴きにいくことが出来なかったが、内容はいつも通り素晴らしいものだったようだ。

別にロリンズが逝ったわけではない。でもやはり寂しかった。熱いジャズが聴きたくなった。それもサックスが思いっきりブローするヤツがいい。手持ちの名作をいろいろと聴いているうちに、以前このろぐでもとりあげたエルヴィン=ジョーンズの「ライトハウス」にも手が伸びた。聴いているうちに、そういえば彼の遺作となったライヴ盤が発売されていたなあと思い出し、買ってみることにした。

この作品は、エルヴィン=ジョーンズの72歳の誕生日を祝って、1999年の9月にニューヨークのブルーノートで行われた2日間の演奏から、ベストテイクを収録したものである。収録時間の関係からだろうが、各メンバーのベストソロを中心に収録曲をセレクトし、曲によっては他のメンバーのソロを編集することでコンパクトにまとめて、60分でステージの全体に近い内容を楽しめるようになっている。

商品が届いた先の金曜日、会社から帰ってポストに入れられたCDを手にした僕は、部屋に入ってすぐにステレオの電源を入れ、これを大きな音量でならした。のっけから彼の名前を冠した「EJブルース」が鳴り響く。熱いものが僕の身体のなかを流れた。そのまま食事もとらずに60分間全7曲を一気に聴いた。

ロビン=ユーバンクスをはじめとする、若手メンバー達の演奏はどれも素晴らしい。もともと若手を育成することを目的にしたのが、このジャズマシーンというグループであり、常に若手とベテランをバランスよく配して刺激的なインタラクションを起こしてきたわけだが、それはこの演奏でも見事な効果を生んだようだ。(編集によりその辺の醍醐味が味わいにくくなっているのがやや残念である)

嬉しいのは、若手中心のフロントを支えるベースに「ライトハウス」のジーン=パーラが参加していること。そしてなんといっても、スペシャルゲストとして参加しているマイケル=ブレッカーの存在が圧巻である。マイケルは「ボディ アンド ソウル」と「五木の子守唄」で圧倒的なソロパフォーマンスを展開。彼は現在もMDS(骨髄異形成症候群)という血液の癌で療養中、ドナーを募集している状況が続いており、一日でも早い完治と復帰が待ち望まれているだけに、少し前のものとはいえ、こうした演奏が聴けるのはうれしいことだ。(彼の演奏は他に「トゥルース」のエンディングなどでも少し聴くことができる)

そしてもちろんエルヴィンのドラムも秀逸だ。確かに1972年の「ライトハウス」や1984年の「ピットイン」などに比較して、ドラムのパワーは多少の衰えを感じないわけではない。でも全体の内容は、僕の予想を超えたものだった。どの曲での演奏も素晴らしいが、なかでもピアノトリオで演奏されるコルトレーンの「ワイズ ワン」でのドラム演奏はまさに鬼気迫るものがあり、一聴の価値がある。

最後に収録された、メンバー紹介をするエルヴィンの肉声には、この演奏の4年後に彼が76歳でこの世を去ったことを考えると思わず胸が熱くなる。編集が気になるところはあるものの、演奏のクオリティが高いだけに、ライトハウス同様、是非とも完全版での発売を期待したい作品である。

久しぶりに熱いジャズが聴けた。やっぱりこういうものが演奏できたら最高だろうなあ。

Elvin Jones Drummerworldによるエルヴィンのページ。写真、試聴、動画など多数あります。
Michael Brecker マイケルの公式サイト 近況報告とともに、彼の病気を治療するのに必要なドナー募集に関する情報があります。

11/06/2005

アンドレ=メーマリ/ナー=オゼッチ「ピアノ エ ヴォズ」

 どんどん秋が深まる。最高気温が20℃に届かない日も珍しくなくなった。こんな時期は、いろいろな人の装いが入り混じる。ハイネックセーターの人がいるかと思うと、ノースリーヴ姿の女性がいたりする。トレンチコートにブーツという人がいたり、ミニスカートにサンダルという人もいる。先取りして楽しむ人、名残惜し気に引っ張る人、そのどちらもが新鮮に映ったりする。

最近は、CDだけでなく、衣類をネットで買うことが多くなった。最初の頃は、サイズやイメージが違うということで返品することもしばしばだったけど、面白いもので最近ではほとんど慣れてしまいそういうことは少なくなった。過去1年間に買った衣料のうち、ネットで買ったものを考えてみると、全体の7割ほどになるのではないだろうか。

買う側の姿勢の問題もあるが、売る側の進歩もとても大きいと思う。写真の載せ方、色やサイズに関する表現、顧客へのDM、返品のしやすさなど、実際のお店とは異なる、ネットならではやり方が追求され確立されつつある。この先、いろいろな技術が進歩するにつれ、さらに便利な買物が楽しめるようになるのだろう。意外に落ち着く先は、実際のお店と変わらぬサービスということになるのかもしれない。

さて、昨日、神楽坂に住む知人宅に招待をいただいた。妻の職場の知り合い関係が縁で、その夫妻と交流するようになった。ご自宅にお邪魔するのは今回が2回目である。僕は今年で上京17年になるが、この街を知るようになったのはここ半年ほどのこと。2ヶ月ほど前にそのご主人と男二人で飲んだときも、この神楽坂で飲み屋のハシゴだった。

2ヶ月前のその日、待ち合わせの時間より随分と早く着いてしまった僕は、神楽坂をゆっくり登りながらぶらぶらしていた。すると途中で「大洋レコード」という小さな看板が目に入った。まだ時間もあったし、何となく興味をそそられて入ってみることにした。

そのお店はビルの4階、そこまでは階段で上がるしかない。ドアを開けると小さな売り場にきれいにCDが並べられていて、いまでは珍しくなったフォステクス社のむき出しの同軸ユニットを使ったスピーカセットから、品のいいラテン音楽が聴こえてくる。このお店は南米を中心にした音楽を専門に扱うお店なのである。最近、こういうある種の音楽を専門に扱うCD屋さんというのは珍しくなった。

僕はいろいろ音楽を聴くけど、この領域はそれほど詳しいわけではない。並べられているCDを見ても、先ずそこに書かれている名前が頭に入ってこない。音楽マニアとしてやや居心地の悪い一瞬である。少し困惑していると、お店の女性がコーヒーを出してくれた。そして、試聴機にないものでも試聴できますからどうぞご遠慮なく、と声をかけてくれる。

いろいろなジャケットを手に取り、そこにつけられている解説を読んだりしているうちに、店主の男性が近づいてきて、いろいろと説明をしてくれる。内容はそのアーチストの経歴とその作品の背景を中心にした、かなり体系的な知識に基づいたもの。しかし、そこに出てくる固有名詞もほとんどを知らない僕には、やはりいまひとつピンと来ないので、まずます気まずくなってしまう。

結局その日は、僕が名前を知っていた数少ないアーチストだったマリア=ベターニアのCDを聴かせてもらって、それがとても素晴らしかったのでそれを買って帰った。その作品についてと、僕がなぜ彼女を知っていたのかについては、またいずれ書こうと思う。

実はその日、僕はもう1枚お店の試聴機に入っていたある作品に心を惹かれたのだけれど、時間がなかったのでお店を出た。昨日、2ヶ月ぶりに神楽坂を訪れることになった僕は、再びそのお店を訪れその作品を確かめてみようと思ったのである。それが今回の作品である。

「ピアノと歌声」と題されたこの作品は、ブラジルの実力派シンガー、ナー=オゼッチと、注目の若手ピアニスト、アンドレ=メーマリが組んだデュオコラボレーション。幅広い作風から選ばれた15の歌を、すべてこの二人だけで演じた力作である。

ラテン音楽の魂はリズムにあるという考えは間違いではないと思うけど、この作品ではあえてリズム楽器を外し、テンポを意識させないゆっくりとした調子の演奏でまとめることで、ラテン音楽が持つメロディーとハーモニーの奥行きを、いわばジャズやクラシック音楽など外からの光で浮かび上がらせたような作品に仕上がっている。

2ヶ月ぶりに訪れたお店は健在だった(当たり前だが)。お店の人の振る舞いも相変わらずだった。試聴機の作品はすっかり入れ替わっていたけど、この作品はすぐに見つけることができた。改めてお店のスピーカで試聴させてもらって、最初少し地味かなとも感じたけど、お店で聴いた他の作品と比べても、やはりこのユニット独特の深く透き通った魅力は捨てがたかったので、結局これを買うことにした。

僕は小さな編成の音楽が好きだ。理由はよくわからないけど、音楽が人の心に生まれたり刻まれたりするときの姿は、きっと単純なものに違いないと思うから。僕は演奏を記録された形のCDをたくさん集めているが、集めることが目的なのではない。上手く言えないが、本当は音楽を少しでも多く自分のなかに身につけたいと思っている。最終的にはそれを自分で表現できるかたちにしておきたい。

表現の可能性は演奏者が1人でも無限にある。それが2人なら無限は2倍になるかというと、逆に制約される面も出てくる。3人以上になってくると、明らかにその枠組みが前提になってしまうようなところがある。その広がりと制限のバランスが音楽演奏の魅力に対する一つの考えの基準になっていると思う。それが僕の場合は、制約より広がりを重んじるということなのだろう。

自宅で聴いてみると、このユニットが広がりと緊張感を自在に操りながら奏でる音楽は、本当に素晴らしいと感じた。心地よいというより圧倒的と感じられてひき込まれてしまう場面もあって、永く楽しめる音楽という僕の予感は当たったようだ。時折、お店を訪れてみるとこういう出会いがあるのは、やはり楽しいもの。秋らしい出来事だった。

André Mehmari-Site Oficial アンドレ=メーマリ公式サイト 今回の作品を含め試聴やスコアを見ることができます。
Ná Ozzetti::site oficial ナー=オゼッチ公式サイト
大洋レコード