12/30/2018

ジャンカルロ・シモナッチ「ジョン・ケージ ピアノ作品集」

仕事納めの日はとても慌ただしかった。幸い朝のオフィスの窓からはきれいな富士山を望むことができた。


4月まで一緒に仕事をしていてその後ロンドンに出向していた同僚がある事情でこの年末年始に一時帰国してきた。

仕事納めの金曜日の午後にお偉いさんとの年内最後の打ち合わせとご挨拶を終えてから、彼女とお互いの近況交換を兼ねて、白金高輪のサイゼリヤで安いワインを飲みながら2時間ほど楽しく過ごした。

その際、イギリスのお土産だとメイソン・ジンを使ったマーマレードをいただいた。

マフィンに少し多めにつけて食べてみると、なるほどジンの風味も感じられてとても美味しかった(日本ではちょっと入手は難しいようである)。



金曜日午前の慌ただしさで体調を崩しそうになったけど、幸い持ち直して土曜日からは冬休みに入ってのんびり横浜で過ごしている。

初日の夜は家にあったロベティアというスペインのシャルドネを僕のお手製のパスタとともに楽しんだ。手頃な値段でなかなかスモーキーなフレーバーが楽しめる。



今年も音楽はいろいろと巡りに巡った。その意味でもとてもいい一年だったと思う。

年越しに向けてはピアノ音楽に聴欲が向かってきたようで、いま気に入っているのはジャンカルロ・シモナッチによるジョン・ケージのピアノ作品集である。

ケージは極めて多種多様な作品を遺しているが、ここに収録されているのはなかでもある意味オーソドックスでストレートに記譜されたピアノ作品が多く、耳慣れない人には敬遠されがちなプリペアード作品やチャンスオペレーションに基づいた作品は、最後の3分の1を占める"Etudes Boreales"(北のエチュード)だけである。

人気の"In a Landscape"や"Dream"も収録されているし、僕が好きな"Seven Haiku"も入ってる。前半40曲まででケージのピアノ音楽の世界を楽しむことができる。

後半の「北のエチュード」は、ピアノ版、チェロ版、ピアノとチェロのデュオ版を網羅しており、録音が少ないこの作品の貴重な完全版。僕も初めて聴いたけど、じっくり聴いてみるとなかなかのものである。

全52曲で4時間近い作品集は、これまでケージを聴いたことがないという人にもおすすめの作品集だと思う。


お正月というのは必ずしものんびりできるわけではないのだけど、このお休みの間はこれを中心にピアノをしっかり楽しむことになりそうだ。


ということで、今年のろぐもこれが納めになります。いつもお読みいただいてありがとうございます。

来年も引き続きよろしくお願いします!


12/24/2018

クリスマスイヴの夕方に

年の瀬。いつの間にか、本格的な寒さがやってくるとインフルエンザやいろいろな風邪に対して敏感になるようになった。

予防接種やマスクよりは日常的な予防洗いが有効というのが、ここ数年で僕の身についたモットーである。小まめな手洗い、喉うがい、そして鼻うがい。鼻うがいはやりすぎると鼻によくないらしいので、基本的には通勤電車に乗った後と決めている。

あとはやっぱり日頃からの心身の健康だけど、心の健康はやはり厄介なものだ。趣味というか自分から楽しむことで気分がスッキリできるものがあることは大切だ。そういう事や時間が持てない人は本当に気の毒である。

仕事が趣味だと言って憚らない人もいるが、その場合はやはり総じてその仕事は当然うまく運んで世の中のためになっているはずなので、いまの日本の状況を考えればそう言える人はかなり稀有な存在に違いない。


クリスマスイヴまでの3連休を前に、子どもが木曜日の夜から突然発熱してしまい、年に一度の大繁忙期を迎えるケーキ屋のバイトで首が回らない妻に代わって、一段落ついたのかよくわからないまま大きな予定がなかった僕が、金曜日に子どもを近くのクリニックに連れて行った。

根岸台の閑静な住宅をそのまま病院にした診察室で、鼻に綿棒を突っ込んでもらったインフルエンザの検査結果は幸いにも陰性だった。風邪の飲み薬をもらって家に帰り、子どもを寝かせて僕は家のリビングから職場に置いてるPCを通して仕事に参加する。

ちょっとした想定外の出来事への対応もあったけど、そうした仕事の多くは関係する人たちとのコミュニケーションで解決できる。テキストのチャット画面で3,4人同時並行で会話ができるので、職場でバタバタするよりもよほど効率的に思える。

実はその夜、どうしても仕事関係の飲み会に参加せざるを得なくて、会社の近くまで出かけたのだがはっきり言って後悔した。2時間飲み放題で4800円...ひどい料理でどう考えてもお得ではないコースだった。交わされたやりとりも...。

3連休で子どもは順調に回復し、塾の冬期講習(といっても家ではろくに勉強もしないだろうから塾に行かせてプリントをやらせるようなものなのだが)に行ったりする間、僕がそれを迎えに行ったり、帰った子どもとリヴィングのクリスマスの飾り付けをしたりした。

わが家のクリスマスは日曜日の夜にチキンとスパークリングワインと妻のお店のケーキでお祝いをした。サンタさんはその日の夜中に子どもが欲しがったゲームではないプレゼントを持ってやってきた。

さすがに子どもももう気づいてはいると思うのだが、今年まではそうすることにした。来年からはリヴィングに大きなツリーを飾って、その下で家族でプレゼントの交換をしたいのだそうだ。


クリスマスイヴも妻はバイトに出かけ、子どもは冬季講習の後、野球チーム恒例の親子大会に興じ、夕方からは妻と子どもは野球チームの納会に出かけて行った。

僕はようやく自分の時間ができた感じで、昼に子どもを送り出した後は北風が吹く横浜を10キロほど歩いた。

いまは自宅で独りでろぐを書きながら、菊地雅晃の「・・・15分なら過去へも未来へも行けるよ・・・」をスピーカーで大きめの音量で聴いている。

ウッドベースから出せるいろいろな音の断片がリングモジュレータやフィルターを通して奏でられるのを聴いていると、解き放たれた音の感覚とそれらが織りなす中で瞬間的に表出する驚きや美しさに感覚が弄ばれるのが心地よく感じられる。これが僕の趣味。


明日から4日間で仕事納めになるわけだが、最終日は仕事をしないつもりなので実質的には3日である。片付けないといけないことは何だっけ...。

どれも大事な仕事なのかどうでもいい仕事なのかよくわからないけど仕事は仕事である。まあ3日もあればどうにでもなるだろう。


12/16/2018

ジョー・モリス「アット ザ コーネリアス ストリート カフェ」

クラシック音楽をしばらく聴き込むと、少しだけ耳が肥えたような気持ちになる。

実際この歳になるとそうそう変わるものではないと諦めてはいるのだけど、日頃混沌とした音楽に慣れている耳の機能が、整然とした音の流れで癒されるのだろうか。

ちょっとだけリセットされた気になって、また何かをきっかけに混濁の音のうねりに飛び込んでしまうのはやはり性なのだろう。

今月初日に、ジョー・モリスがデズロン・ダグラス、ジェラルド・クリーヴァー等と組んだトリオで、ニューヨークのレストラン&ライヴスポットであるコーネリア ストリート カフェに出演した際の模様が、KjrellyさんのYouTubeチャンネルで公開されている。

演奏されてからまだわずか2週間しか経ていない地球の裏側の演奏が、こうしてほとんど何の編集もない形で視聴できるというのは、技術の進化に負うところが大きい一方で、演奏家たちの考え方も大きく変わっているが故というところも大きいように思えるし、これこそが即興音楽というジャンルの真骨頂と言えるのかもしれない。

公開されているのはおよそ45分間のノンストップの即興セッションが2セット。いずれも僕にとっては久しぶりに聴くジョーの奔放なパフォーマンスだった。

以下がそのライヴ映像である。

セット1



セット2



ジョーはほとんどセットの一部始終をひたすらピッキングで弾きまくっている。本当にご機嫌な演奏。いつかこういうのを生で存分に楽しみたいものである。


(おまけ)寒くなると空気が澄んで朝日が濃くなる。上が12月13日木曜日の朝6時30分頃、東京港区にある会社から見た西側の都市、下が同じく東側の東京湾である。



今年もあと2週間。なんとか年内の納めは見えてきたけど、年明けからのいままでとはまた少し違う景色がいまから脳裏の水晶玉にほのかに浮かび上がるのが見え始めている。

日本酒の美味しい季節になった。皆様も心と身体の健康を大切に年の瀬を乗り切っていただきたい。

12/09/2018

ガブリエル・フォーレ「ヴァイオリン ソナタ第1番」

仕事の忙しさとかそれ以上にある種のやりきれなさが限界を超え始めたこともあって、なんとなく落ち着かない週末を過ごすうちに、本格的な冷込みが気配を現す。

日曜日は子どもの行事がダブルであってそれで1日が終わった。自分がやりたいと思うことはあまりできなかったけど、いい週末でもあった。

朝9時からあった野球の試合では、相変わらずバッティングの課題はあるものの、いろいろ自分の未熟さを悔しく思う一方で得意のバントを活かしてチームのいい流れに貢献できたりと、なかなかの活躍はできた。

試合の反省会も失礼して初めて使った配車アプリで来てもらったタクシーで自宅に戻り、午後は慌ただしくピアノ教室の発表会に参加した。

100名程度のこじんまりとしたホールで、グレンダ・オースチンの「ブルームードワルツ」という小品をソロで弾き、その後、レオポルド・モーツアルトの「おもちゃのシンフォニー」を妻と子の連弾で披露した。

練習し始めた頃はしばらくは一体どうなることかの家庭的な修羅場?が続いたが、何とか人様に聴いてもらえるだけの演奏にはなった。

野球や塾通いの一方で、細々と続けている程度なのだが、ロクに練習もしないくせに自分からはヤメたいとも言わない。

野球にも塾にもピアノにもそれぞれにすごい子はたくさんいる。ではいずれでもそれほどでもないけどそこそこできるというのは、どんな価値があるのだろうか。考えても答は出ないが、子どものいろいろな様を見ることができるのは豊かである。

音楽については、今みたいな状況は必ずしもよいことではないとは思うけど、できることなら自分で聴いて気に入った音楽をピアノに向かって音を探りながら演奏してみるとか、そうなってくれればいい展開になるのではと願うのだけど、考えてみればそこまで音楽を聴ける環境にあるわけでもない。

親からすれば当然のことのように考えてしまいがちな音楽というものの普遍性が、実はいろいろな前提が大きく違って来ていることを見逃してしまっているのだろうか。

昨年の発表会でも立派な演奏を聴かせてくれた中学生のお姉さんが、今年はショパンの「幻想即興曲」を弾いてくれた。

実はプログラムをもらってから、我が子のことはさておいて楽しみにしていたのが彼女の演奏であって、実際に聴いてみるとこれが他の演奏者とは抜きん出た内容で感銘を受けた。

聞けばご両親はともにさほど音楽には興味がないけども、その子は本当にピアノが大好きで毎日何時間も自分の部屋で電子ピアノにヘッドフォンをつないで弾いて、今の先生の教室に通いながらそのレベルに達しているのだと言うから驚きである。

同じ年代でも上をみればきりがないのだろうけど、そうして身近なところで音楽の才能を感じることがきできるというのは、実に貴重で嬉しい体験に違いない。


そんな状況に誘われてなのか、先週なぜか急に聴いてみたくなって久しぶりにガブリエル・フォーレのヴァイオリンソナタを聴いている。

初めて聴いたのは社会人になって間もない頃、ある縁があって当時話題だった若手女性ヴァイオリニスト アンアキコ・マイヤーズの演奏だった。

クラシックのことはほとんど知らなかった僕が室内楽という形式に興味を持ったのもこの曲がきっかけだった。楽曲についてはウィキペディアに驚くほど詳細な解説があるので、興味がある方は参照されたい。

全体を通して素晴らしい作品だと思うのだが、このソナタはピアノパートがとても魅力的でとりわけ僕が大好きなのが第1楽章である。この素晴らしさをうまく表現できる言葉が見つからない。美しさ、躍動感、情緒、雄弁...。

ヴァイオリニストもさることながら、あまりすごいピアニストが伴奏についてしまうと、ヴァイオリンが食われてしまうのではと思えるほどだ。

以下は韓国のヴァイオリニスト キム・ボンソリによる2016年のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでの演奏。この曲は彼女のお気に入りのレパートリーらしく、キムの力強いヴァイオリンが聴ける素晴らしい演奏と思う。



他には日本人ヴァイオリニスト木嶋真優の素晴らしい演奏がアマゾンプライムで聴くことができるので、そちらもお試しあれ。

今日は疲れてしまったのでこの辺で。

12/02/2018

ルー・ゲア「ノー ストリングス アタッチド」

ろぐを書こうとサイトを開いて日付を確認したら、早いものでもう12月である。そう思うと、つい振り返ってしまいたくなるのだが、まあ概して嫌なことはなかったはずだと開き直って向き直る。

今回は溜まっていた音楽ネタの大物として、イギリスのサックス奏者ルー・ゲアについて書いておこうと思う。

僕が彼のことを知ったのは数ヶ月前。ウィスキーを呑みながらApple TVを使ってYouTubeで気ままに映像や音楽を流し視していた時に、たまたま彼の演奏に巡り逢った。





僕もフリー系を含め幅広い意味でのジャズという音楽を聴いてきたけど、今に至るまで彼の名前にはまったく馴染みがなかった。何かの記事で見かけたとか、誰かの話の中で耳に挟んだとか、そう言う記憶も一切ない。単にまだ経験が浅いということか。

サックスの世界でルーと言えば、間違いなく最初に名前が挙がるのはルー・ドナルドソン、次いで出るのはおそらくルー・タバキンだろう(カタカナでは同じルーでも綴りは異なるのだが)。3番目のルーについては、ゲアのことを知るまでの僕の頭のなかには名前のストックがなかった。

興味を持って調べたところ、ルーはヨーロッパ即興演奏の草分け的グループ"AMM"の初代メンバーとのこと。僕自身はその頃のAMMの音は聴いたことがなかったので、知らなかったのも仕方ない。

そういう経歴なので彼についてはフリー系の演奏家という記述が目立つが、実際に手に入れることができるいくつかの演奏を聴いてみると、ロリンズやコルトレーンをベースにサックスの腕を磨いた堅実なジャズプレーヤーであることがわかる。

"No Strings Attached"はルーが2005年に発表したテナーサックス1本のソロアルバムである。この時彼は66歳。先のYouTube動画にある演奏に近い内容で、彼の豊かな音色とフレーズにどっぷり浸ることができる。これを作品として遺してくれたことに大きく感謝である。

ルー・ゲアについて一番まとまった記述があるのは、おそらくジャズオーケストラの主催者であるマイク・ウェストブルックのサイトにあるこのページだろう。

マイクがルーとの共演のなかから選んだ彼のベストテイクで構成されたアルバム"In Memory of Lou Gare"も、聴き応えのある素晴らしい作品である。サイトには彼のオーケストラで演奏するルーの貴重な映像も視ることができる。

なお、今回の"No Strings Attached"を含むAMM時代のルーのいくつかの作品は、イギリスの音楽サイトCafe OTOからダウンロードで購入できる。

ルーは昨年の10月に78歳で他界したが、音楽人生においてはいろいろな遍歴があったようで、時には対立や袂を分かつこともあったようだ。晩年はイギリスで日本の柔術を教えたりして暮らしていたそうだ。

54年目の師走にふと振り返りかけた人生。いろいろと思うことはあるけれど結局は生きて行く限りは時の流れる方向をしっかり見ながら運転を続けるしかない。

高村光太郎の有名な詩の一節が浮かんだりもしたが、とてもそこまで誇れるものはまだ残せていない。

11/25/2018

鈴木秀美「J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全集」

3連休は冷え込みも強まったけど秋晴れの過ごしやすい3日間だった。

子どもの野球で試合が2戦あり、応援に行きがてら歩いたり、家で音楽を聴いたり少し本を読んだりベースを弾いたりして過ごした。

日曜日は近所のチーム同士の因縁?の一戦があって、監督やコーチ、子どもたちも意気込んで臨んだのだけれど、こちらのチームにはよいところがなく、力の差を実感させられる形で終わってしまった。子どもも頑張ったとは思うけど悔しさは忘れないでほしい。

勤労感謝の日の夕方に試合があった産業振興センター野球場での1枚。秋の空独特の青である。


土曜日の夕方にウォーキングに出かけた本牧山頂公園からの夕暮れ。時間に余裕があるならこの時間に歩くのもいい。



さて音楽の方は3週続けてこうなってしまった(先週のろぐタイトルを変更しました)。ヴィオラ、コントラバスと続いたのでやはり締めはオリジナルにということで、前回のろぐで紹介した鈴木秀美のバロックチェロによる2004年の全曲演奏。

これ、冒頭の第1番プレリュードの弾き出しを聴いただけで、もう「かぁぁぁぁ!」と極上のノックアウト。演奏はもちろん音色が本当に素晴らしい。ハイレゾとかである必要はない。

聴き進めていくうちにやっぱり気になったのが第3番。冒頭のプレリュードはバッハのメカニカルなアルペジオが独特の拡がりを響かせるのが魅力なんだけど、どうしてこんなに速く弾くのかなあ...。やっぱり僕も歳とったのかなあとか想いながら、ちょっと残念な気持ちがした。

まあそれでも全編通して極めて素晴らしい演奏。今回のバッハ祭りで巡り会えた一生の宝物である。

本来なら年明け早々に横浜でこのバッハの無伴奏チェロ組曲の演奏会を予定されていたらしいのだが、体調の不良で公演がキャンセルになったのだそう。今61歳とのことなのだが、なんとか生で鑑賞できる機会があることを望んでいる。

芸術の秋。バッハのこの作品をどれか1セットということならば、迷わずお勧めしたい作品である。

11/18/2018

ゲイリー・カー「J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全集(コントラバス版)」

寒さが少しずつ増してきているけど、この土日は横浜で過ごしたおだやかな週末だった。

土曜日は12キロのウォーキングの後、野球から帰った子どもに合流する形で近所のお友だちがやってきて、家でゲームに興ずるのを見守る午後だった。

無邪気ながらもこれから大人になっていく個性の片鱗を感じさせる年頃の男の子2人が部屋で遊んでいる空気の中で過ごすのは、懐かしさと緊張が入り混じった不思議な感じがした。

日曜日は久しぶりに子どもの野球の試合を応援に、歩いて30分ほどの小学校へ。

今後に行われる他の大会への出場権もかけた大切な一戦ということで、新しいコーチのもと、ある程度の準備と戦略を立てて臨んだ試合だったが、結果は見事9対0で勝利を納めた。

子どもも不得手なバッティングはともかく、スクイズやベースカバーなどで地味ながらもそれなりに活躍し、家に帰って褒めてあげた。

夜のお楽しみは、先週訪ねてきてくれた知人が、お土産代わりにと贈ってくれた、ケンタッキーウィスキーのジェントルマンジャック。

若い頃ならならストレートで飲まないと勿体無いと思ったものだが、さすがに身体への負担も厳しいので、ジンですっかりお馴染みのソーダ割りで楽しませてもらっている。

このところの世の中のハイボールブームで出回っている居酒屋とか缶入りで飲むものは、あくまでもハイボールであって、要するに種になっているウィスキーはある意味でどうでもいい、言わばウィスキー味の酎ハイである。ウィスキーの味はするけど当然のことながら薄い。

僕がソーダ割りと言っているのは、食堂などで水を飲むのに出てくるものと同じくらいの大きさのグラスに、氷を数個入れてウィスキーをワンショット注いで、そこに同量か少し多い程度のソーダを注ぐもの。

ダブルの水割り程度の濃さがあるのでウィスキー本来の味はしっかり残り、それにソーダの清涼感が醸し出すかすかな甘みがプラスされることで、少しお高い酒でも本来の風味を豊かな味わいで楽しめる。

お酒はいいんだけど、最近はちょっと飲み過ぎかなと思わないでもない。禁酒日を思い切ってあと1日増やしてみようかななどとも思っている。


さて、溜まった音楽ネタをと思ったのも束の間、いつものことではあるのだけど、現在、僕の中では「バッハ無伴奏チェロ組曲祭り」が絶賛開催中である。

今回はそのお祭りの最中に出会った、ちょっと変わった同曲の作品を2点ご紹介しておきたい。

最初は、オランダのNetherlands Bach Societyの企画による、6人のチェロ奏者が1人1曲で6つの組曲それぞれに取り組んだ超個性的な作品集。全編がYouTubeで公開されている。

曲の個性と演奏家の個性が、全曲集に比べて際立って濃く出ていて面白く、6曲まとめて聴いてみると、こういう楽しみ方もあるんだなと気付かされる。

例えるなら、バーで同じウィスキーで杯を重ねるのではなく、1杯ずつ品を変えて6杯楽しむようなものだろうか。ちょっと違うか…。

以下にその中から2つの演奏をご紹介。

日本人バロックチェリスト鈴木秀美による第5番。



めっちゃ重厚!これ観てやっぱり彼の全集が欲しくなった。

それと、ヴァイオリン奏者セルゲイ・マロフが、”violoncello da spalla”と呼ばれる5弦の肩掛け型チェロを使って取り組む第6番。アムステルダム郊外の古い巨大なガスタンクを元にしたホールで演奏されている。



こちらはもう痛快!ヨーヨー・マの演奏を初めて聴いて以来、この6番に関しては彼の演奏に迫るものがなかなかないと思っていたけど、このマロフの演奏はなかなかのものである。

しかし、バッハが作曲した当時はこれらの作品はもっとゆっくりした演奏だったのだろうね。それとこんなにも抑揚やら強弱は付いていなかったのではとも思う。

1番から4番も含めて、かなり個性的な演奏のオンパレードであり、かつまた映像作品としても優れていて楽しめる。


もう一つは、コントラバス奏者ゲイリー・カーによる全曲集。以前から気にはなっていたのだけど、今回の祭りを機にとうとうCDに手を出してしまった。

ジャズのベースで聞かれるアルコ(弓弾き)演奏が、多くの場合、音がズレていてそれほど魅力的でもないのが多く、ベースの弓弾きはクラシック出身であるミロスラフ・ヴィトウスを聴くまで好きになれなかった。だからカーのことを知ったときもCDにはあまり触手が動いてこなかった。

実際に聴いてみると、さすがにクラシックの大御所。高音で速さを求められる6番のプレリュードなど苦しいところもあるけど、ときにはチェロかと思わせるくらいの雄弁でしっかりとした演奏が繰り広げられている。

前半と後半で録音年が異なるのでかなり演奏の印象が異なる。

一応、僕もエレキベースでちょこっと第1番の第1曲を演奏してみたことがあるのだけど、同じ4弦楽器でも、バイオリン、チェロ、ヴィオラとコントラバス(ベース)は、調弦が5度と4度で全く異なるので、チェロ曲をベースでやろうとするとたとえ練習曲でも運指がエラく大変なことになる。

ベースの調弦に合わせて一部の曲の調をずらして演奏しているのだけど、それ以外はほとんど原曲そのまま弾ききってしまう実力は大変なものである。

ベースに興味がさほどない人にはおすすめしないけど、低音がしっかり出るスピーカーで聴くと、また一層魅力が増すのだろう。

僕もまた少しチャレンジしてみたくなった。もちろんこんなレベルは毛頭不可能だけど、即興演奏の対極にあるものとして何かに取り組むなら、この作品はとても魅力的であることを再認識した次第である。



11/11/2018

キム・カシュカシャン「J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全集(ヴィオラ版)」

週末、大学来の付き合いである音楽仲間が神戸から来訪。付き合いの長さや深さを考えると、ほとんど幼馴染と言って差し支えない人である。

土曜日の夜に石川町の料理屋で僕の家族と会食したり、翌日曜日には横浜のスタジオで久しぶりの音合わせをしたりして楽しんだ。

お互い仕事だ家庭だ趣味だといろいろあって、なかなかこうした機会を持つことができずないままかなりの年月が過ぎてしまったけど、今回こうして時間を持つことができたのは、僕にとっても本当によい機会となった。あらためてお礼を申し上げたい。

久しぶりの音合わせは、関内にあるレンタルスタジオで日曜の朝から2時間。僕にとってはほぼ十数年ぶりのスタジオとなった。愛用のTUNE WBをアンプにつないで大きな音で鳴らしたのは考えてみれば今回が初めてかもしれない。

家で独りで弾くのとは違って、やっぱりいろいろと思い知らされることしきりである。指は動かない、音程もリズムも不安定で、フレーズは弾くたびに「またこれか」と自分で呆れることの連続であった。やっぱり客観性を一人で保つのはほぼ不可能ということだろう。

スタジオを終えた後は関内から観光客で賑わう山下公園を回って2kmほど散歩を楽しんで、横浜の港を見物しながら遅いランチに僕がいつも行っているピースフラワーマーケットのハンバーガーを食べさせてあげた。

いつもだったらコーヒーかティーをセットにするのだけど、彼がビールをリクエストしたのでお店のお勧めでグースのIPAをやることに。


初めて飲んだけどキレとクリアな味わいは、スタジオ疲れで空いたお腹と頭にグッとキました。まあこんな機会がなければここでビールを飲むこともなかったかもね。ちょっとお高いけど。

そのまま彼とは山下公園の氷川丸でお別れして、僕はベースを背負ってバスに乗って家までフラフラと帰ってきた。

空いていたバスの中では音楽のことやら過ぎ去った時間のことやら妻や子どものことやら、いろいろな憶がIPAのフレーバに乗って頭の中を巡った。

おかげでとても思い出深い週末を過ごすことができた。



さて、ネタが溜まりに溜まっている音楽のことを少し書いておかねば。まずは新しいところから。

世界を代表するヴィオラ奏者のキム・カシュカシャンがECMからなんとバッハの無伴奏チェロ組曲全曲集をリリースした。付け加える必要もないだろうけどもちろん全編ヴィオラによる独奏である。

僕はこれをYouTubeのおすすめに現れたECMチャンネルの新作プロモで知った。



このたった1分間の映像で流れるのは、今回のアルバムの冒頭に収められた第2番の第1曲プレリュードの出だしの部分なのだけど、僕はこれだけでノックアウトというか何かとてつもない魅力を感じて、ダウンロードサイトで320kbpsのAACファイルを2600円で購入した。

記憶に間違いがなければ、ジャズ映画「真夏の夜のジャズ」のなかで、ジミー・ジュフリー トリオのベーシストが両切りのタバコを吸いながら上半身裸で練習するシーンでこれを演奏するのを観たのが、僕とバッハのこの作品の出会いだったと思う。まだ大学生の頃だ。

初めて全曲版に触れたのがヨーヨー・マの1983年録音の処女作。その後も元祖カザルスを含めていろいろな演奏作品を聴いてきた。楽譜も持っている。

彼女にとってはこの作品に取り組むことはライフワークであった様だが、今回それをレコーディング作品として発表したことは、やはり演奏家としての一つの節目となる何かがあったからに違いない。

ECMのサイトにある紹介のなかで、キムはビオラについてこんなことを語っている。
“The viola is still in a state of flux, of experimentation… It is an absolutely flexible tool that can respond to the player’s imagination perhaps more than any other."
ビオラという楽器についてここまで言い切るのもスゴイと思うし、そのうえで今回の作品を聴いて、僕はそのことにとても説得されてしまったと感じている。要するに彼女のファンになってしまったのだ。

この全集を収録した作品は、演奏者の意図なのか単に収録時間との関係なのかはわからないけど、必ずしも1番から6番までが順番に収められているわけではない。

しかし全集の中で重い短調の作品である2番を冒頭に置いたところに、彼女のこの作品に対する自信を感じる。それがあのビデオにもはっきり表れていて、僕はそれにまんまとヤラレてしまったのだろう。

全集で発表するには、どの演奏家も当然のことながらすべての作品の表現に一定の自信を持って臨んでいることと思うのだけど、ある種技巧的な観点で自信をみなぎらせてこれらを弾ききった作品という意味では、やはりヨーヨー・マの右に出るものはないと思う。

バロック作品して驚異の難曲である第6番の素晴らしさは、最初にヨーヨー・マの演奏を聴いてしまった耳には、他の演奏はどうしても一歩劣って聴こえてしまう。

しかし、このキムのヴィオラ作品はそうした技巧云々の問題を超えてしまって、先ほど彼女自身が語っているヴィオラの魅力をこの作品を通じて存分に発揮して表現しているという点で、従来僕が聴いてきた同曲の演奏とは全く異なる体験が素晴らしい。

少し前にヴィオラの魅力について書いたが、今回の作品でそれが僕の中で一気に確信に変わった。素晴らしいです!イチ推し!

11/04/2018

TOKYO DRIFT 2018

文化の日の週末は、以前から子どもと楽しみにしていたモータースポーツイヴェント"TOKYO DRIFT 2018"を、お台場特設会場に2日間かけて観戦に行ってきました。

11月3日の国内大会D1グランプリシリーズ最終戦の開会式。ゆりかもめ船の科学館駅とZEPPダイバーシティの間にある駐車場に作られた特設会場に出走する国内24台が集結です。


11月4日の国際大会FIA IDC 2018の開会式セレモニーの一環として行われた、D1選手によるデモンストレーションラン。さすがに巻き上がる煙の量も半端なかったです。


スマホで撮るのはかなり厳しい状況でしたが2日間に渡る熱戦をほぼ最初から最後までしっかりと楽しみました。

初日は子どもと2人で楽しみ、2日目は午後から妻も合流しての観戦でした。2日目ま冷たい小雨模様の時間帯もありましたが僕はさほど気にはならなかったです。


子どもがここで何を感じて学んだのか、いちいち確認はしませんが、日本と世界という社会の拡がりとそれをつなぐ人間の文化の存在を、様々な音や匂い、普段見ぬ人々の生き方を通じて感じてもらえたと思います。

遊びとか勉強には境目はないです。子どもの好奇心を遮ったり否定してはいけません。これは僕にとっても素晴らしい体験でした。来年また開催されるのであれば是非また観に行きたいです。

今度観るとしたら気になるのは国際大会FIA IDCの方かな。日本が発祥だと言っても世界の文化になってしまえばそこには何も奢ることはないのですね。

今回も非常に不本意な内容になってしまいました。音楽の話が自分の中でどんどん進んでいるのですが、なかなかここには書けませんね。



10/28/2018

鳥芳 横浜

会社の後輩で、このところちょっとご無沙汰していた知人からラインが入って、金曜日にほぼ1年かそれ以上ぶりに野毛に呑みに行きました。

彼に2,3回ほど連れて行ってもらっていた鳥芳さんのご主人が年内で引退するとのことで、忘れないうちにあの雰囲気をもう一度味わっておこうというのが今回の主旨です。

午後6時過ぎに桜木町で待ち合わせて即向かったのですが、10席のカウンターはちょうど満席。

しばし野毛の風を感じながら、互いの近況などを交換しながら外で待つこと30分で座ることができました。

赤星のサッポロをコップに注いで乾杯した後は、早速本日のケースを物色。

まずはお刺身でアジと赤貝をいただきました。肉厚のアジにヒモ入りの赤貝。いずれも満足の味です。海産ものはこのお店の看板商品であります。


串焼きはイカとカキにしました。ご主人の確かな感覚でそれぞれの火の通り加減が絶妙であります。


串焼きでもいただいた名物牛なんばんのお肉を奥さんにフライにしてもらいました。これもうめえ。


他にもたらこの炙りとかいただいて中瓶ビール4本で1時間。お会計は合わせて3500円だったかな。

お店はご主人の引退後もいまお手伝いしている人ができるだけありのままの形で続けてくれるのだそうです。



週末はいい天気でしたね。日曜日は横浜マラソンで歩きにくそうだったので、土曜日にしっかり歩きました。

ワシン坂に至る高台から南本牧埠頭方面の眺望。


同じ付近から磯子方面の眺め。風も吹いてススキがきれいでした。


なかなか音楽の話ができませんね。少しまとまった時間がとれるときにします。

一方でいつもながら僕の音楽体験は目まぐるしいので、お話したいことがどんどんたまっては過ぎていきます。

10/21/2018

プリマス ジン

お偉いさんが海外出張でいなかった1週間。気候はどんどん秋めいて行く。

ご不在とはいえ、海外からの賓客との会合への出席依頼だの、以前に参加したシンポジウムの発言録のチェックだの、新聞コラムの原稿の推敲だのと、細かなことがいろいろ。まあ何とかこなしたよ。

在宅勤務をした火曜日、午後5時前にはその日の仕事が片付いたので、1時間ほど薄暗くなりゆくなか港の見える丘公園までウォーキング。

あまり観ることがなかった夕方の横浜港を観ることができた。コンテナクレーンの照明をバックに夕暮れのライトアップにはためくUW旗もまたよし。


金曜日は午後、千葉県の幕張メッセで開催されていたCEATECを見学。久しぶりの幕張、やっぱり最近の記憶からは数年前のももクロのいくつかのイベントがよみがえった。

思っていた以上の人混みで観たいものも十分に観ることができず、帰りは疲れてしまったので幕張からYCAT直通の高速バスでちょっぴり贅沢な家路に。約1時間で着いてしまった。

そのまま子どもをスイミング教室にお迎えに行くことにしたのだけど、時間が少し早かったので鶴屋町のHubでジントニックを一杯。


目の奥の疲れはまだ溜まったままだったけど気分はだいぶん落ちついた。Hubのハッピーアワーは女性客が目立つ。いいことである。

土曜日は本当に気持ちのよい秋の気候だった。午前中は子どもと近くの森林公園で久しぶりに軽くキャッチボールを楽しみ、昼に子どもにチャーハンを食べさせて野球練習に送り出してからはいつものコースをウォーキング。

打越坂を下って勝鬨家でラーメン食べてハマスタ横を通って山下公園を抜けてピースフラワーでコーヒー飲んでワシン坂から本牧通りを通ってKYリカーでジンを買って家に帰る約10キロのコース。スマホ内蔵の万歩計によればだいたい1万2千歩である。

ワシン坂に至る高台からのベイブリッジとつばさ橋の上空には秋の鰯雲。


目の奥の疲れはお風呂で顔をお湯につけて温めてみると、ずいぶんと楽になった。

今回は同じイギリスでもいつものビフィーターではなくて、プリマスジンを初めて買ってみた。1280円。まだ少ししか飲んでないけどビフィーターよりももっとクセが少ない落ち着いたジンの味がした。


これを買う前に桜木町で安く買えたスコッチのホワイトホースを飲んだけど、面白みが全然なくて水割りで飲んでもなんだかなあという感じだった。同じ値段ならティーチャーズかせめてバランタインの方がまだ僕には合ってるかな。

やっぱりいまはジンがいい。割るのはセブンイレブンで80円で買える強炭酸が気に入っている。レモンとか変に味や香りをつけてない方がジン本来のネズの実とアルコールの風味が損なわれない。

トニックウォーターも悪くないんだけど、ジンの個性が画一化されてしまってやっぱり飽きるんだよねあの味は。かと言って水割りは美味しくない。不思議な酒だなあジンは。

せっかく美味しいジンがあるので、日曜の夜はしばしのリラックスタイムと行きたいのですが、なかなか思い通りにはなりません。

先週書いた音楽の話はまた次回にでも。

10/14/2018

アンドリュー・ヒル「ストレンジ・セレナーデ」

涼しさをやや通りこして肌寒くなってきました。この週末は戸外で昼間に作業してもほとんど蚊に刺されることもなかったです。このところの台風で荒れていた庭の草木を整えて少し早いですが冬に備えました。

音楽ではまた素晴らしい演奏家の作品に出会え、いまはゆっくりと吸収しているところです。ご紹介はまたいずれ。おかげでベース演奏にもいい刺激になりそうです。

土曜日は子どもの通う学校の公開日でした。4時間目の社会の授業とその後の給食を見学させてもらいました。社会の授業のテーマは「宮ヶ瀬ダムを作った国の判断は正しかったのか?」について、クラスの皆で話し合って互いの意見を聞いて考えを深めるというものでした。

日曜日には子どもを野球練習に送り出してから、妻とランチがてら散歩に出かけ、自宅からそう遠くないところでまたいいお店を見つけました。夜もぶらっと立ち寄ってよいお酒を楽しめそうです。こちらもまたいつかご紹介したいと思ってます。

ちょっと勿体ぶったようなやる気がないような内容ですが早秋の中弛みということでご了承ください。

土曜日が公開授業だったので明日の月曜日は学校はお休みなのだそうです。いいなぁ。

先ほど書いた音楽ではありませんが、いま聴いているのはアンドリュー・ヒルのピアノトリオ作品"Strange Serenade"。なんとも不思議でやさしい音楽です。



10/08/2018

バール・フィリップス「コール ミー ホェン ユー ゲット ゼア」

前回ご紹介したバール・フィリップスのラストソロを何度も聴いた。素晴らしい。家でヘッドフォンで聴くのが残念ながらいまの僕には最善の鑑賞法である。

同時に彼の過去の作品も持っているものを聴き漁っているんだけど、あまりこういう音楽に馴染みのない人にも是非オススメしたいのが、多重録音による作品"Call Me When You Get There"である。

一種のアンビエント系音楽とも言える内容だけど、これを聴くにつけ彼の(あるいはこうした即興音楽家達すべてがそうなのだが)演奏がいかに深く考えられているものかがよくわかる。たとえそれが一瞬の閃きであっても、考えることの深さと時間は関係ない。

「着いたら知らせてくれ」というタイトルの意味は、ジャケットに綴られた散文からゆるりと推測されたい。

この作品はCD化されることはなかったけど、最近ではアップルの音楽ストアやいわゆるハイレゾ音源のお店でも高音質のものを手に入れることができるようだ。ちょっと高いのだが...。

ある程度しっかりした低音が楽しめる道具と十分な静寂、それと空っぽにした感覚を用意して楽しんでいただきたい。


(おまけ)

3連休初日、子どもの野球の試合を応援がてら、車を借りて横須賀方面に出かけました。試合後にチームのみんなと別れて家族で観音崎周辺を散策した際に、馬堀海岸にある「かねよ食堂」さんにおじゃましました。

地魚を中心としたカルパッチョ。つけ合わせの野菜が凝ってます。


昆布の佃煮を使ったピザ。


僕は初めての訪問でしたがとても居心地がよいお店でした。今度は夕暮れから夜にかけてゆっくりお酒を楽しみたいです


食事のあとは観音崎でしばし磯遊びをしましたが、なんか最近の海ってあんまり生き物がいないんですよねぇ。僕だけかなそんなこと感じているのは。

子どもの頃よく遊んだ和歌山の名もない磯には、ちょっと覗いたら海藻やらイソギンチャクやら貝類やカニや、ときにはウニやお魚もたくさんいたのですがねぇ。人が大勢来るからなのかなあ。

それでも駐車場から少し離れた磯で岩の裏にカニがたくさん群れているのを発見し、拾った釣り針を枝につけて釣ってみました。針を外すのが難儀して反省しましたが、ちゃんと元気に海に帰ってくれました。


日曜日は市内をお散歩。大さん橋に大きな客船が入ってました。初入港のコーラルプリンセス号だそうです。それにしてもデカイ!手前にあるロイヤルウィングがカワイく見えます。



9/30/2018

バール・フィリップス「エンド トゥ エンド」

ベーシストのバール・フィリップスが自身で「最後のベースソロアルバム」として収録した作品「エンド トゥ エンド」が届いた。

アルバムのライナーによると、彼がこれを決断したのは81歳だった一昨年のことだそうだ。

告白されたECMの創設者でありプロデューサのマンフレッド・アイヒャーはすぐに準備に取り掛かり、ECM作品としては早めの段取りの2年越しで発表された。

彼のソロ作品は、持っているもので多重録音の作品を含めて6枚だったと思うけど、実際には全部で何枚あるのか僕は知らない。

最初のECMレーベル作品は意外にも45年前のデイヴ・ホランドとのベースデュオである"Music of Two Basses"だ。

聴いてすぐにぶったまげる様な音楽ではないけど、若い2人のベーシストが熱く通い合いベースという楽器の雄弁さが楽しめる作品である。



今回のソロ作品の予告編に相当するECM製作の映像がこれだ。



実際の演奏とその周辺の経緯を交えて作品の世界観がとてもよく表されている映像だと思う。

アルバムは多重なしで収録したソロ演奏を"Quest", "Inner Door", "Outer Window"という3つの組曲にまとめてある。

彼がこれらの演奏を事前にどの程度まで構想していたのかはわからない。

即興であるには違いないのだけど、「最後のソロアルバム」と決意したことがアルバム全体にただならぬ雰囲気を醸し出していることは明らかだ。

そのことを(しないという選択肢もあったはずだろうが)わざわざリスナーに伝えたことに商業上の意図はおそらくないだろう。

部屋でこのろぐを書きながら、台風の影響が及んで来て外で風が吹き荒れているのをいいことに、いつもより大きめの音でスピーカーでこれを聴いている。

限りなく静寂な環境で聴けることが理想だけど、自然の音だけはかろうじて作品に重なることを許される。

この豊かな音色とフレーズをいつまでも聴かせてもらいたいものだが、その時計を自ら永遠に封じるが如くアルバムの幕切れはとりわけ深い。


9/24/2018

ガーナの伝統音楽と舞踊を楽しむ

先週に続いて3連休です。お天気もまずまずで家なかのちょっとした整理や庭の掃除などが捗りました。

土曜日に妻が何を見て知ったのか、近くの久良岐公園にある久良岐能舞台でガーナの音楽舞踊のコンサートがあるというので、家族で観に行って来ました。

久良岐公園は以前にも何度か行ったことはあったのですが、こんなところにそんな施設があるとは知りませんでした。こじんまりとしてますが立派な能の舞台に、5,60人ほどが座れるスペースがあります。

出演したのは、パーカッションのニ・テテ・ボーイさん、ヴォーカルのロビ・エボウ・チプアさん、そしてダンスのジョー・メンサーさんの3人です。皆さんガーナ政府の文化芸術に関わるお仕事をされているという本物のプロです。

2部構成で約2時間の楽しいステージでした。ニ・テテとロビは日本語がペラペラで、興味深いお話と楽しいおとぼけ?を交えながら、代表的なガーナの音楽とダンスを楽しませてくれました。

こういう即興性の大きい音楽はいいですね。僕にとっては退屈しません。皆さん素晴らしい芸をお持ちですが、僕が一番すごいと思ったのはジョーさんのダンスでした。やはりアフリカ舞踊の即興性は、ヒップホップやブレイクダンスなど現代のダンスに大きな影響を与えてるのですね。

話の中でニ・テテさんが、日本の人と話しているとアフリカにとても関心や好意を持ってくれているのは嬉しいけど、ひとつ残念なのは十把一絡げに「アフリカ」と捉えている人がほとんどだということ。

「アフリカで戦争があったね」とか言われても、彼らは全然ピンとこない。せめてどこの国のことなのかもっと認識して欲しいと言ってました。それは「アジアで大きな地震があったね」というのと同じようなことなのでしょう。

本当は54の国があり、大陸の中にも数百の部族がいるとても多様性に満ちた国。彼らの国ガーナでも、大きく分けて4つの言語族がいて、それらの間ではほとんど言葉による意思疎通はできないのだそう。だから「公用語」は英語になってしまっているけど、それは母国語ではないと教えてくれました。

目の前で繰り広げられるガーナの音楽舞踊の迫力に、やっぱりパフォーマンスというものは素晴らしいなと実感した1日でした。

久良岐公園の能楽舞台に通じる道。根岸森林公園よりも大きな高低差がある森林にはカブトムシなんかもたくさんいるのだそうです。



先週、自転車を久しぶりに掃除しました。日曜日に10km離れたシンボルタワーまでひとっ走り。空気が澄んでいて気持ちよかったです。


音楽聴きながらのウォーキングが楽しくて、この夏はほとんど乗らなかったなあ。さすがにヘッドフォンで自転車には乗れない。たまに見かけますがダメですよ!

(おまけ)
秋分の日の振替休日の月曜日、散歩に出かけようとしたら近所の家の壁にこの子がいました。白い壁に色鮮やかですね。(虫が苦手な方ごめんなさい)


9/16/2018

自動飯で納豆丼

オフィスに出勤する日は毎朝職場に着いてから朝ごはんを食べています。6時30分を少し過ぎた頃なので人はほとんどいません。

ずっとコンビニのパンを食べていたんだけど、食べ飽きた(どのコンビニでも結局は同じようなものです)のと、もう少し身体にいいものを食べなきゃという想いから、家でサーモスにコメや豆類で簡単なものを用意したりもしてました。

でも、それも最近はあまりやらなくなってしまって、ここ半年ほどはシリアルと豆乳の組み合わせが中心です。クェーカーのグラノーラかカルビーのフルグラを食べていたのですが、フルグラも成分をよく見ると結構添加物が入ってるんですよね。うーん。

シリアル買うようになってから、アマゾンの関連商品でクェーカーのオートミールがおすすめでこちらに合図を送っていたのを、ずっと無視してました。どうしてもチープなイメージが先行していたので。

その理由は大学の時に教養の語学授業でグレアム・グリーンの小説"Doctor Fischer of Geneva or the bomb party"を購読したことが関係しています。

グレアム・グリーンっていまどういう評価なんでしょうね。「第三の男」「情事の終わり」などなど、やっぱりいま読む人は少ないんでしょうか。

そういえばフレデリック・フォーサイスとかアーサー・ヘイリーとかも、やっぱり長い目で見れば時局に基づくある種の流行だったのかなあ。いまでも時折、作品のなかのシーンが脳裏を過ぎることがあります。

この小説の中に"porrige"という料理が出てくるのですが、僕は初めて見る単語で、それが「お粥」のことだと学びました。先生が、この"porrige"をインスタント食品にしたのが「オートミール」ですね、と言ったのをよく覚えています。

「オートミール」と聞いて僕が即座に思い浮かべた綴りが"auto-meal"つまり「自動飯」でした。なんかよくわかんないけどインスタントな感じなんだろうなあと(笑)。もちろん本当は"oatmeal"でオーツという麦を加工した食品という意味なのですが。

小説で"porrige"が登場する場面は、言ってみれば「見すぼらしい料理の代表格」みたいな扱いで、非常に印象に残るものでした。詳しくは書きませんので、気になる方は小説読んでみてください。ハヤカワ文庫にありましたがまだ買えるのかな?英文でもKindle等デジタル化はされていないようです。

なので、オートミールは「貧素で惨めな食べ物」というイメージが勝手にできてしまって、なんとなく避けて来たというわけです。最近フルグラにも飽きたし、いろいろな情報をみてようやく誤解も解けたので(笑)クェーカーのオートミールを試し始めたところです。

しかし...フルグラとかはまだ見た目はそれなりに食べ物の感じはありますが(この感覚が実は曲者なんでしょうね)、初めてオートミールの袋を開けた時は、やっぱり「マジでこりゃ鳥の餌だ」とまた一瞬小説の世界に引き戻されそうになりました。


この金曜日は在宅で仕事。お昼ごはんはケーキ屋さんのアルバイトに出かけた妻が、帰りに何か買って来てくれると言ってたのですが、少々帰りが遅いので少し小腹を満たそうと、以前ウェブで見かけて気になっていたオートミールの納豆丼を作ってみることにしました。

オートミール1袋(28グラム)をお茶碗に。やっぱり鳥の餌ですかね(笑)。


お水を100cc加えてレンジで1分半チンするとこうなります。少しかさが増えて美味しそうな色になりました。


冷蔵庫にあった「おかめ納豆」をよーくかき混ぜて、タレと辛子を加えてオートミールのうえに乗せ、万能ネギがなかったので冷蔵庫にあった水菜を少し料理ハサミで刻んであしらって出来上がりー。


スプーンで混ぜていただきました。オートミールは牛乳と合わせる洋風でお菓子的なイメージがありますが、それ自体はただの麦なのでお米のご飯感覚で捉えると、塩味やダシを効かせた和風などいろいろと使えますよ。お手軽です、自動ではありませんが(笑)。

結構腹持ちはしますがこれだけを食べても小腹が満たされる程度なので、結局、妻の買って帰ったケーキを早いおやつに食べてしまいました。


さて、この週末でまた一つ歳をとってしまいました。いよいよ無理無理にアラフィフとか言えるのも最後です。家族で僕が好きなアメリカンダイニング「L.A.S.T」さんでお祝いしてもらいました。


まだまだ呑みますよ〜。頑張らなきゃ。


9/09/2018

ジョン・アバークロンビー初期の2作

先週は大型台風の西日本上陸に続いて、北海道では大地震があった。自然災害がこれほど続いた夏は歴史的にもなかったのではないだろうか。

地震が人間社会の営みと何らかの因果関係があるのかはわからないけど、酷暑やゲリラ豪雨、大型台風の頻発は、やはり温暖化と何らかの関係はあるのだろう。

被害に遭われた方々にお見舞い申し上げつつ、災害への覚悟と備えについての認識をあらためる機会にしたいと思う。


昨年亡くなったギタリスト、ジョン・アバークロンビーの初期の作品をいくつか聴き込んでみた。

ルー・タバキンのプロデュースで日本での企画による1979年のギタートリオ作品"Straight Flight"と、ジョン・スコフィールドとのギターデュオに、ジョージ・ムラーツとピーター・ドナルドのリズムセクションを迎えた、1984年の作品"Solar"。

いずれもスタンダード中心の作品だが、後のECMでの一連のプログレッシブな作品にはない、彼のストレートな素晴らしさが味わえる。本当にウマい人だなぁとの認識を新たにした。

"Straight Flight"はCD含めてデジタル化はされていないようで、僕はYouTubeにあったもので初めて聴くことができた。なかなかの名盤でありデジタル化が切望される。

一方の"Solar"はデジタル化されているものの、なぜかあの印象的なジャケットは別の無味なものに差し替えられており、音楽そのもののことではないのだけどちょっと残念な気分である。

しかし最近はこんなふうに盤を所有している人しか楽しめないということがすっかり過去のことになりつつある。

著作権のことはもちろん大切だけど、素晴らしい作品は多くの人に楽しまれるべきであることもまた然りだろう。法律とは異なる次元で新しい仕組みが定着するのは、必ずしも悪いことではないと思う。


水曜日の会社帰りに桜木町のHubでいただく一杯のジントニック。とうとう会員になってしまった。少しずつポイント貯めます。


暑さはまだまだだけど、朝夕の気候には確実に秋の気配を感じる。横浜の港はありがたいことにいつも通りである。


9/02/2018

岩手・ピタゴラ・南極しらせ

先週末はある理由で日曜日の夜中までバタバタしてしまい、ろぐはお休みしてしまいました。ごめんなさい。。。

いったい何をバタバタしていたのかというと...これです。


子どもの夏休みの宿題を手伝っていたのであります。いわゆる「ピタゴラ装置」ですね。相当大変でした、これ。

えーと、これは3つの装置からできてまして、向かって左側にある木でできた装置がスタート。細長いお箸入れみたいな箱の中をビー玉が転がると、それがガタンゴトンとシーソーのような動きをしながら、箱ごと落ちていきます。

箱が一番下まで落ちるとそれが右の方にズレていき、その先に待機して固定してある別のビー玉を転がします。一番下のスロープを下ったビー玉が終点に釘とストローで固定されたスプーンを押すと、テコの原理でその上のスロープに待機しているビー玉がスタート。

同じことを繰り返して4つ目のスロープを下ったビー玉が、最後に真ん中にあるレールを急降下。そのままペットボトルの口を逆さまにした最後の装置に飛び込むと、ブラックホールのような回転を続けながら徐々に出口に吸い込まれます。

回転が最高速に達した最後に口から下に落ちて、終了の合図のベルを「チーン」と鳴らして、楽しい夏休みの思い出が散りばめられた現実の世界に戻って夏休みが終わります(笑)。

子どもが「夏休みの工作はピタゴラ装置」と言い出した時から、パパは完全に腹をくくりました(笑)。これ物理と論理と大工仕事の世界ですから、申し訳ないけど今回はママの手には余るだろうなと直感しました。

まあ子どもにとっては、事実上初めてノコギリ、カナヅチ、クギを使って木材に本格的に取り組むいい機会になったと思います。最初のガタゴトの装置が、僕も予想できなかった簡単な物理の法則によりゼロから採寸して作り直しとなった時は、本当に夏休み中にできるのかと焦りました。

最終日に工作の追い込みに入ると、ママも参戦して木材の切り出しや意外に時間のロスになるボンド付け作業を手伝ってくれました。ママの秘密兵器グルーガンも大活躍。

最後の細かいところの調整(実はこれが一番大変!)は僕の出番。それから装置を並べて台に固定するところは、もう夜遅くなっていてクギを打つ作業ができなかったのと、さすがにこれを学校に持っていくことを考えると、ボンドだけではちょっと厳しいかなと判断して、深夜にパパの秘密兵器電動ドライバーが出動してしまいました。

でも子どもはよく頑張りました。まるで僕も長い夏休みも終わったような気分になりました、もうとっくに終わってるんだけど。


このバタバタの前に、仕事で会社のお偉いさんと一緒に岩手県盛岡に出張して来ました。実はこの出張のおかげで工作の作業計画が予想通りの(笑)行き詰まりモードになったのでありました。

岩手のことをいろいろ調べたりしているうちにとても興味が湧いて来て、出張は盛岡駅とイベント会場のホテルの往復だけで終わってしまったのですが、次は絶対に家族も連れて旅行で訪れてみたいと思いました。

25年前にバイクで東北を訪れた時も、夕暮れで高速を降りて盛岡で一泊して翌朝すぐに出かけてしまったのですが、その時に観た岩木山の姿はしっかり自分の脳裏に焼きついていたことを実感しました。

あの頃はまだ東北新幹線も開通しておらず、盛岡駅の周辺ももっとこじんまりしていた記憶だったけど、行き帰りの送迎車から眺める街は魅力的に映りました。旅行で訪れたら遠野と大船渡にぜひとも行ってみたいです。

この日もバタバタでまともなお土産も買えませんでしたが、子どもの工作で徹夜になりかけた翌朝、出張でお世話になった岩手の支店長さんがたまたま来京していて、お礼にと大船渡の銘菓「かもめの玉子」をくださいました。ありがとうございました!



この週末は先週とは打って変わって横浜でのんびりと過ごしました。日曜日は午前中に予定されていた子どもの野球練習が明け方の雨で中止になり、家の片付けを終えたあと、お昼を食べがてら家族で大さん橋まで出かけ、寄港して公開中の南極観測船しらせを見学して来ました。


独特のまあるい大きな船首が印象的な船です。見ての通り横幅がとっても広〜い艦橋からは大さん橋と山下公園の見慣れた景色がいつもとは異なるアングルで楽しめました。貴重な機会であります。


と、まとまりはありませんがこの2週間のできごとを簡単に記しておきます。

とうとうまた9月が巡ってきちゃったなあ。この時期になると自分のやりたいことなかなか進んでないなあと身につまされますです。

8/17/2018

広島 似島〜安芸小富士を登る

子どもが植えた朝顔が見事に花を咲かせた。身近に朝顔の花を見るのはずいぶん久しぶりで、懐かしい気がした。




夏休み中盤は、恒例の妻の実家がある広島への帰省で過ごした。

妻と子どもが前日に野球の合宿から帰ってきて、翌日昼には新幹線で家族3人、新横浜から広島へ向かった。

子どものリクエストで通信教育で使うiPadに、子どものお気に入りの音楽を中心に数十曲を僕のライブラリから入れてやり、ベースの練習で使う安いヘッドフォンを貸してあげた。

すぐ飽きるかと思いきや、結局のぞみ号が広島に着くまでほとんどiPadをいじっては音楽を取っ替え引っ替え聴いていた。僕が子どもの頃で言えば、初めて自分のラジカセを買ってもらったようなものだろう。



僕は3泊4日間の滞在。妻の実家周辺の再開発が進んで様子が大きく変わるとともに、借家だったのを買い受けてリフォームを施した家の中もキレイになっていて、いままでよりもさらに寛いで過ごすことができた。

朝から普段とは比較にならないボリュームの朝食が出され、夜ご飯はこれも毎晩義母が作ってくれるご馳走をビールとともに楽しんだ。

配偶者の実家というのは至れり尽くせりで快適ではあるのだけど、自分の好きなことをやるのがなかなかし難い側面があることも事実である。

だけど今回は、僕が妻と結婚して初めてその家を訪れた時からずっと気になっていたある場所に行ってみようと心に決めていた。

妻の実家は広島市西区の己斐峠という山に面した住宅地にあり、いつも最寄りの西広島駅から義父が車で送り迎えをしてくれる。

駅から家に向かう途中、高台から広島市街と瀬戸内海が見渡せる場所を通過するのだが、狭い海に小さな島々が浮かぶ瀬戸内海の景色は一瞬ではあるが、海の眺めが好きな僕のお楽しみになっていた。

その眺めの一番手前に綺麗な三角形をした大小2つの島が見えていて、これがこの素晴らしい景観の大きなアクセントになっている。

今回、広島に行くことを考えた時にふと「あの島はいったい...」と急にその島のことが気になって調べてみたところ、それが似島(にのしま)という島で、綺麗な小山は「安芸小富士(あきのこふじ)」と呼ばれて親しまれていることがわかった。

それを知った瞬間(たぶん会社の昼休み時間だったと思う)、僕は今度広島に行くときは似島を訪れて安芸小富士を登ってみようと決め、交通手段などについて調べ始めていた。



広島に到着した翌日、朝ごはんを済ませるとさっと着替えて、ちょっと市街に用事があると妻と義理の両親に伝えて出かけた。出がけに義母が市バスと広島電鉄で使えるIC乗車券と、冷蔵庫にあったポカリスウェットを手持ちのペットボトルに注いでくれた。

最寄駅の西広島駅までバスに乗り、そこから広島電鉄で広島港がある宇品に向かう。宇品まで直通の電車があり52分かかるのだが、料金は市内均一料金の180円である。


のんびり単車(一両編成)の広電に50分間ほど揺られて宇品に到着。

島しょ行きのフェリー等が発着する左側の桟橋の第5桟橋(写真右端)が似島専用である。チケット売り場で聞くと、似島行きは都度船に乗る際に現金で支払うのだと教えられた。

目指す似島はもう真正面に見えていた。海に近い港から観ても、その姿の様に変わりはない。


今回は似島汽船さんのフェリー「第十こふじ」号の11時発の便に乗ることになった。島までは大人一人480円。約20分の船旅である。


宇品の入り口にある灯台と似島。すでに気温は35度近かったけど、海上の潮風が心地よかった。


似島が近づいてくるに連れて心がワクワクするのが新鮮な感覚であった。安芸小富士...本当にきれいな島だなあ。どうしてこんな山が島としてここに残ったのかなあ。


島に到着。乗客のほとんどが島に関係のある皆さんだったようで、乗り降りする人同士で何やら挨拶めいた声を掛け合っているのが微笑ましかった。僕の会社では見かけない光景である。


着いてすぐに猛暑が少しでもひどくならないうちに登山口から山を目指すことに。

似島港からの登山口は港を降りてすぐ左に進むんで、家々の間の細い道を標識に従って進んで行くとすぐたどり着くことができる。


ところが登山口から登り始めたすぐのところで、先月の豪雨の被害か、いきなり大きな木が2カ所で倒れて登山道を塞いでいた。

これは2本目の倒木を乗り越えてから撮ったものだけど、結構大きな木で小さい子は乗り越えるのはちょっと無理な感じだった。大人でもこの道をこのまま進んでいいのかなと不安に駆られる状況であった。


ここからは酷暑との戦いにもなり、実は後から思えばちょっと危険な独りプチ登山となった。なにせ片道45分程度とは聞いていたものの初めての知らない道であり、しかも結局山を降りるまで誰にも会うこともなかった。

持っていたのは、出かける時に義母からもらったポカリスウェット600mlと船内で買い足したミネラルウォーター600ml、あと塩分ミネラル補給用のタブレットが5粒という状況。

ポカリは山頂を目指すなかで容赦無く照りつける日差しに堪えてどんどんなくなっていった。

途中、標識などはちゃんとついてはいたけど低いとはいえそれなりの山道であり、山頂直前はちょっと岩面(歩いて登れる程度のものなのだが)を登る感じにもなるので、その手前で暑さと不安でポカリがほぼなくなりそうになったときは、一瞬「引き返す勇気」みたいな言葉も頭をよぎった。

山頂は諦めてこの景色撮って登ったことにしようかとか考えながら眼下に見えた似島港の景観をパチリ。200m位からの眺めなんだけどとても美しい。撮ったときはあまり余裕がなくなっていたんだけど(笑)。


船内でもらった島の観光パンフレットにある地図を見ながら考えて、帰りは登ったのと逆側で楽そうな似島臨海公園に降りることを決めてとりあえず山頂を目指そうと歩き出した。

幸い岩場もさほど大したことはなく、若干ふらつきながらも航空燈施設のある山頂に12時30分ごろ無事に到着。

妻と結婚して19年目にして、毎年夏か冬に妻の実家付近から一瞬眺めていた似島の景色とは逆に、似島の安芸小富士の山頂から広島市の中心部を望むことができて、まだ帰りの不安は抱きつつも、酷暑(たぶん既に38度近くあった)のなか不思議な感動が身体を走った。


280メートルの標高だけど素晴らしい眺望である。しかし熱射が照りつける狭い山頂でのんびりしていても、貴重な体力と水が減るだけなのですぐさま下山。

岩場を経てしばらく来た途を降りてあった臨海公園方面への分岐点をためらうことなく左(東側)へ。

20分も経たないうちに無事に展望台登山口に到着した。似島の隣に見えたもう一つの美しい小富士「峠島」が見えた。


展望台にはすぐ下の公園につながる滑り台が。これを降りれば一気に下へ...と思いましたが滑る勇気はなかった(笑)


ようやく臨海公園に到着。海水プールからの歓声も聞こえ、遊びに来ている人々の姿をみてやっとひと安心することができた。


牡蠣の養殖場に面した漁港からフェリー乗り場がある似島学園を歩いて目指した。

途中あった養老院には原爆の被災者を慰霊する石像があったんだけど、妻の実家に帰って義父から教えてもらった似島の歴史にその意味を知った。


臨海公園から似島学園までは徒歩15分とのことだった、知らない山道とはうってかわって余裕のお散歩でした。港の近くからみる峠島。海も綺麗である。


桟橋に着いて程なくして宇品に戻る13:30発のフェリーがやってきた。


たった2時間半の滞在ではあったが、とても中身の濃いひと時だった。20年近く想い続けた似島との短い対面もひとまずこれでおしまいである。


さようなら似島。今度は家族も連れてきっとまた来るよ。その美しい姿をどうかいつまでも!




宇品に着いたらどっと疲れと空腹が。Googleマップで近所のお好み焼き屋さんをサーチして、一番地元感溢れる評判の良さそうなお店「しんちゃん」に入って見ることに。


気さくな奥さんとそのお母さんに迎えられて、冷たいおしぼりとお水をもらって注文したのは肉玉そば入りお好み焼き550円也。

ご覧の通り、焼いた麺の上にかぶせたお好み焼きを全部混ぜてしまうスタイルだった。この方が食べやすいかな。


ボリュームもあって味もしっかりしていてとても美味しかった。広島お好み焼きのイメージがまた拡がった。いやあ、ありがたい。

ということで再び宇品から広電に乗って、市の中心部にある土橋で下車して当初の目的であった「ある用件」を済ませ、紙屋町からバスに乗って妻の実家がある己斐峠に帰ったのが午後4時半だった。

途中、万一に備えて妻にはメールで逐一実況してあったものの、帰って早々義理の両親には半ば狂人扱いされたが(笑)、僕の似島愛については理解を示してくれて、無事に訪問することができたことを素直に喜んでくれた。

似島の安芸小富士と、宇品の「しんちゃん」。とても充実したひと時であった。