10/30/2011

ハロウィンとアンソニー祭り

今日はハロウィン。朝から近所の子供達がドアチャイムを鳴らしては、「トリック オア トリート〜」と呪文を唱えてやってくる。

うちの子どもにもどうぞといって、キレイに袋詰めされたお菓子を持ってきてくれる。出迎えた妻はいろいろなお菓子をお盆に盛って差し出して、好きなものを持っていってもらう。

お菓子は楽しいものだが、いざ親になってそうやってやり取りされるのを見ていると、何かありがたみのないものに見えてしまう。子どもたちはあれを楽しみにとっておいて、大事に大事に計画的に食べるようなことはしなさそうだ。豊かさ・・・ということではないだろう。


さて、半年ほど前にJazzloftのアランがブログで、アンソニー=ブラクストンの新作"Quartet (mestre) 2008"を褒めていたので、僕もつられて買っていた。ただ、その頃はどうしてもそれが耳から心には入ってこず、あ、これはやっぱり失敗したかなと思っていた。

ところが、最近になってそれをもう一度聴いてみたところ、これがズトンとストライクゾーンに突き刺さり、僕の心にある音楽堂はすっかりブラクストン祭りになってしまった。

"Diamond Curtain Wall Quartet"と名付けられたこのユニットは、アンソニーの他に、コルネット、エレクトリックギター、バスーンからなるもの。メンバーは男女2名ずつでそれぞれが卓を囲むように向かい合わせに配される。

各自の前には譜面台が置かれ、台上には異なる色で描かれた図形というより絵画のようなものが置かれている。おそらくはこれを見てインスパイアされたイメージを音にしてゆくということなのだろう。

そして4人の中央には大きな砂時計が置かれる。たぶん1時間計なのだろう。演奏はフリーテンポであり、ただ時間だけが決められているというわけで、いわばこれがこのユニットにおけるリズム楽器や指揮者の代わりなのである。

収録内容は"Composition 367c"と題された1時間超の集団即興演奏と、短いアンコール。これが何とも言えないスリリングな音楽なのである。といっても先ほども書いたように、僕の場合はこれが入ってくるのに少し時間がかかった。

参考までに僕の場合は、Mary Halvorsonのギターにフォーカスを当てて聴いた瞬間からスイッチが入ってしまい、この音楽への扉が開かれたように思う。

なお、このユニットによる同時期にモスクワで行われた演奏の模様がYoutubeにアップされているので、そちらを参考までに貼っておく。(こちらはステージの関係で配置が向かい合わせではないが、砂時計はちゃんと鎮座しております)


この演奏もCD化されているようで、さっそくアランの店で注文。届くのがいまから楽しみである。ちなみに円高メリット享受ということで、他にも全部で6枚ほどアメリカからお取り寄せすることに。

Happy Halloween.

10/23/2011

水曜日のマディ

水曜日に仕事の大先輩と横浜で食事。僕が会社に入ったばかりの頃の上司で、いまはもう退職して、僕がいまやっている仕事でも関係がある団体の手伝いを週に2日ほどしている。

退職後も時折お目にかかっては、いろいろなお話を聞かせてもらっている。ご自宅が桜木町駅の近くで、僕らが山手に移り住んでからは、半年に1回くらいのペースで市内のお店で会っている。

今回は桜木町の寿司バーの様なお店で、僕の家族も交えて会食をさせてもらった。彼と会う時はいつもお互いに手土産を交換するのが習慣になっている。今回僕が差し上げたのは文明堂の秋のお菓子詰め合わせだった。

当初は家族は早々に退散するつもりが、日中はずっと手を焼いたらしい子どがこの時はいい子にしていたことと、それですっかり疲れた妻が好物のお寿司ということもあって、結局お開きになる9時ごろまで長居してしまった。

寿司屋を出てから妻と子を先に帰して、駅前のコーヒーショップで少し仕事の話をした。今回もいいアドバイスをしてもらえた。こういうお付き合いは大切なものである。

大先輩と別れた時間は午後9時半を少し過ぎていた。僕は少し呑み足りない気分だったので、山手で「マディ」に立ち寄ることにした。ひとりで入るのは初めてだった。

ドアを開けるとお客はおらず、マスターはいつもの様にグラスを磨いていた。相変わらず店内にはマスターの好きなブルースがながれていた。とりあえず呑み直し気分でバスペールを注文。

以前、友人等と来た時にライの新作について話をしたら、彼が聴いてみたいと言ったので、後日それを貸してあげたのだが、その日は仕事帰りにCDを渡しただけだった。

マスターはあらためてCDのお礼と感想を少し言って、しばらくしてからおもむろにそれをお店で聴かせてくれた。

もう一杯何かウィスキーをいただこうかなと言うと、ちょうど仕入れたばかりのボウモアの樽出し「テンペスト」を勧めてくれた。度数は55度とかなり高めだが味と香りは落ち着いたないもの。これをストレートで1時間程かけてゆっくりやった。

結局、僕がいた2時間弱ほどは他にお客は現れず、2人でライを聴きながら、酒の話やらこの界隈の話なんかをゆっくりとした。結論めいたものとしては、ウィスキーや山手の将来は、特に明るいわけではないが、それほど悲観するものでもないということだった。

駅のすぐ近くということもあって時折間近に通りかかる電車の音もゆっくりと心地よかった。お店の独り呑みでこんなにリラックスしたのは初めてだった。

これからもいろいろな人とこのお店でグラスを傾けたい。そしてそうした合間に時折こうして独りで呑むのもいい。

それにしても「テンペスト」はあとから結構キマしたわ(^^;)

10/16/2011

オクトーバーフェスト@横浜赤レンガ倉庫

金曜日の夜、仕事関係で知り合った人たちから誘われて、横浜赤レンガ倉庫の広場で開催中だった「オクトーバーフェスト」に行った。いわゆるドイツビールの祭典である。

ビール気分に浮き足立って仕事を早々に終えて関内駅で下車し、赤レンガ目指しててくてく歩いた。早朝のウォーキングや休日昼間に家族での散歩など、朝昼の横浜港は何度もみて来たが、夜の港にくる機会はあまりなかったように思う。

海岸通りから見える、明かりの灯ったみなとみらいのビル群や、ライトアップされた氷川丸や大さん橋といった景色が綺麗で新鮮だった。

会場に一番早く着いたのは僕だったのだが、いまいち要領がわからないので、約束の入り口付近で他の人たちを待つことにした。

外から見てもびっくりするほどの盛況ぶりで、入り口にはタクシーや徒歩で次々に人がやって来て、その流れに合わせて行列が長くなったり短くなったりした。

途中から細かい雨が降り始めたのだが、人々は一向に構わずビールの会場に吸い込まれて行く。会場の中央に設置された大きなテントのなかでは、バンド演奏も始まり雨のせいもあって人はますますそちらに集まってゆく。

旅行会社に勤める2人が到着し、もう1人くる予定のお役所勤めの人は遅れるということなので、3人で会場へ。入場料がひとりにつき200円必要になる。

雨が強まって来たので最初のビールを買ったら、グラスの口を手で押さえながら(果たしてその必要があったのかわからなかったが、一緒だった人がそうしているので思わず僕も・・・)すぐにテントに入った。

バンド演奏がアンコールに応えたところで場内の熱気と興奮は最高潮である。ふと目をやると「乾杯の際にはグラスの破損に十分ご注意ください」という看板があちらこちらに掲げてある。なるほど(笑)。

立ち飲みのまま最後の演奏を楽しみ、ようやくほろ酔い加減になったところでもう一杯行きましょうとなって、デポジットがついたグラスを返して、テント内でそれぞれ好きなビールを買って再びステージ付近で合流。

僕はフルーツフレーバーでコクがあるというビール(名前は忘れた)にした。ビールはどれも美味しそうで、ゆっくりしてたら5、6杯は軽く行ってしまいそうな雰囲気である。

奇跡的に目の前の席が空いたのでそこに座れた。向かい側は大学生の男の子3人のグループ。いいね〜若者よ、そんな若いうちからこんなに美味しいビールなんて。

旅行会社の2人は女子なので一瞬微妙な雰囲気になるが、すぐ後ろのかなりデキあがった集団が巻き起こす乾杯の嵐に巻き込まれて、何がなんやらわからぬ楽しい渦に呑まれて行く。

ビール独特のゆっくりまわってくる酔いには、そうした喧騒が妙に気持ちいいのだから不思議だ。

とそこに、4人目のメンバーから到着の知らせが届いたのだが、なんと入場制限がかかってしまって会場に入れないのだという。それは大変というわけで、ソーセージの盛り合わせもそこそこに会場を出ることにした。

とまあわずか数十分の祭典ではあったが、雰囲気は十分に楽しむことができた。来年また来よう。

4人になってからはタクシーで中華街に向かい、まあるい焼きそばで有名な「梅蘭」に入って、中華料理と紹興酒をたっぷり。みんなよく食べるなあ。

そのあとさらに近くの「バー・マリーン」でジントニックを2杯ほど。もはや何を話したのかあまり記憶にはない、ことにしておく。

日頃あまりないスタイルの飲み会で楽しかったです。しかし疲れたのか、翌日はちょっと体調くずしかけたね。幸い大事には至らずだったが、週末ウォーキングはお休みでした。。。

港横浜の10月はまだ秋の気配からは少し遠いよう。オクトーバーフェストの夢よもう一度ということで、日曜日にコンビニで買った「琥珀エビス」はなかなかイケました。こうなりゃ音楽のおつまみはライの例のやつで決まり。ハレルーヤー!

Pull Up Some Dust and Sit Down - ライ・クーダー

10/10/2011

ライヒの"WTC 9/11"

これまでにもいろいろな音楽を聴いてきた。時折思うのは「音楽」という言葉はいつ生まれたのかなあ、ということ。訳語なのかそれとも古くからある言葉なのか、中国から伝わった漢語なのか。僕はそのことを知らない。

ウィキペディアで調べてみると、中国の古い文書に音楽という表現が見られると書いてはいるが、それが今日の日本語の音楽の語源なのかはわからなかった。

いろいろな音楽を聴くなかで、それについては人々のいろいろな了見のあることがわかる。ある人にとっては素晴らしいと思える音楽でも、別の人には何も訴えかけるものがないということはよくあるし、時に激しい嫌悪を催させることもある。

何のものであれそこにある音が耳障りだというのが、その多くの理由であり、他にはそこで表現されている概念が相容れないものである場合もある。

そういうときに言われることとして「やっぱり音楽は音を楽しむと書くのだから、楽しくなければダメだよ」という類いのものがある。ずいぶん若い頃にはじめてそういう表現を耳にしたとき(目にした時だったのかもしれないが、どちらだったのかはもう覚えていない)、僕は単純になるほどうまいことを言うものだなあと思った。

しかし、いろいろな音楽を受け入れながら自分の音楽に対するポリシーとして、できる限り耳に入ってきた音楽を拒絶や無視をしない、ということができ始めてからは、そのフレーズはやはり納得しがたいものとなった。

音を楽しむというのは間違っていないと思うが、楽しくなければという表現に、どうしても寛大さを感じることができず、とても狭い意味での「楽しい」を言っている様に思えてならないのだ。


スティーヴ=ライヒの新作"WTC 9/11"を買った。アルバムタイトルになっている組曲を含む3つの作品が収録されている。タイトルの意味は言わずもがなだと思う。

このタイミングで発表されるのはあの事件から10周年が経過したことを契機にしており、数々の機関から共同で、作曲者であるライヒと演奏者であるクロノス・クァルテットに委嘱された作品である。

(ご注意:ここから先ではスティーヴ=ライヒの楽曲"WTC 9/11"の内容について具体的な表現が含まれます。この作品に興味をお持ちの方で、まだ作品をお聴きになられていない方にとっては、ある種ネタバレ的な記述が多く存在します)

作品は3つの楽章からなり、1988年の作品"Different Trains"と同じ手法を用いて作られている。簡単に言うと作品のテーマに縁のあるいろいろな人の肉声によるフレーズを切り出し、そのイントネーションをそのまま楽譜上の音程とリズムに置き換えてフレーズにしてしまうのである。

それをそのままヴァイオリンやチェロが旋律としてなぞり、それらのフレーズの羅列にあわせた伴奏を加えることで、一連のメッセージ性を持った楽曲に仕上がるという仕掛けである。まあ聴いた方が理解が早いと思う。

第1楽章は"9/11"。事件当時に交わされた実際の無線交信記録から、NORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)とFDNY(ニューヨーク市消防局)に保管されている職員の肉声を使ってある。そして事件そのものを象徴する音として、電話の受話器をあげたままの状態を続けた際に出る警告音("F"つまり"ファ"なのだそうだ)を使用しており、楽曲はその音で幕を開ける。

第2楽章は"2010"。2010年になって作品を委嘱されたライヒ自身によって行われた、事件を現場として体験した3人の人物(WTCの4ブロック北の学校に子どもを送った母親、消防局の指揮官、そして現場に最初に到着した救急車のドライバー)へのインタビューから、象徴的なフレーズが引用される。

第3楽章は"WTC"。ここでは事件後から一定期間、遺体や遺体の一部をDNA鑑定などでの判別のために保管し続けた場所にいた、数名の人物の声が使用されており、その一部として聖書の詩編の一節が原語で詠われる。

この作品は聴く限りただただ痛痛しいばかりの15分間である。「楽しい」ということのかけらもない。第3楽章で出てくる賛美歌も残念ながら「安楽」というものを生み出すには力及ばずという具合なのである。

僕はこれを何度も聴いた。途中からは"Differenet Trains"とかわりばんこにして聴いた。

あの作品もホロコーストを扱っているという意味では同じ悲惨なテーマではあるが、敢えてそれだけにフォーカスするのではなく、同じ時代の別の場所で起こっていたことと対比させ、40年以上を経過した時点から当時を振り返るやりかたが、悲劇を柔らかく表現する役割を果たしていた。

しかし、"WTC 9/11"では、10年の時を経たいまも悲劇はほとんどそのままの形で、人々の心に刻み付けられていることを表現している。

"2010"と題された第2楽章でも語られている内容は当時の現場の描写そのものであり、彼らのなかでそのことに関する時計はとまったままなのである。

第3楽章でも、タイトル"WTC"に込められたもう一つの意味(これについてはライヒ自身によるライナーノートをご参照ください、僕は唸ってしまいました)とともに、楽曲の締めくくりでこのテーマを象徴する心象がひたすら癒えない「恐怖」であることが強く提示される(これも具体的に何であるかは書きません)。

そして、冒頭の第1楽章はあまりにも衝撃的だ。これに関しては芸術の表現手法としての賛否を問う声があがったとしてもおかしくはないと思う。僕にとっては、英語に対する感性がネイティブの人よりはるかに低いことが、まだ相当に刺激を減じていると思うのだが。

悲しい記憶や想いを表した歌や演奏はいろいろ聴いたが、正直こんなに辛い音楽を聴いたのは初めてである。

ライヒ自身がこの楽曲についてに解説の最後にこう語っている「WTC "9/11"はわずか15分半ほどの作品だ。作曲の間、随所で私は時間を引き延ばそうと試みたが、いずれの場合もそれによってインパクトが弱くなると感じてやめた。この作品は簡潔であることを望んでいる。」(ライヒの試みとは、おそらくは印象的なフレーズを何度か繰り返して表現することが中心だったと思う)

これは重く辛い音楽です。でもとても素晴らしい音楽です。もしかしたら聴いて後悔されるかもしれません。ただ、それも音楽なのだと思います。何事も楽しいこと心地よいことばかりではありません。音楽も人生も世の中も。

Reich: WTC 9/11, Mallet Quartet, Dance Patterns - Edmund Niemann, Frank Cassara, Garry Kvistad, James Preiss, Nurit Tilles & Thad Wheeler
Different Trains - Steve Reich

10/02/2011

トイレのれんしゅう

子どもが2歳半になり、どこの幼稚園に入れようかと心を悩ます毎日である。体験入園やら人々の評判などをして、直に悶々としているのはもっぱら妻の方で、僕はその話を聞きながら(確かに悩ましいのではあるが)、「そうだねえ、うーむ」とか言っているだけの様なものかもしれない。

3年保育の幼稚園であれば入るのは今度の4月ということになり、あと半年である。幼稚園に入るまでにやっておかなくてはいけないことに、オムツをはずすということがある。おしっこやうんちをちゃんとトイレでできる様にならないといけないわけだ。

僕自身の記憶にはそういう練習をしたという覚えはないし、寝小便などの記憶もない。ただ、うんちだけは4歳くらいまで終わったあとで紙でお尻を拭いたりするのを、母親にお願いしていたような記憶はある。まあお恥ずかしい話だが、うんちをトイレで一人でちゃんとできるようになるまで、それなりの紆余曲折があった。

さて、北海道の旅行から帰った次の日曜日から、うちの子もいよいよそのトレーニングを始めることになった。

トレーニングパンツなどを履かせて、漏れを防ぎつつ本人にオムツ排便の不快感を学習させる方法もあるようだが、うちは妻の一存でいきなり普通のパンツを履かせることにした。ご近所の先輩ママも大抵はそうしてきたらしい。

子どもがトイレに興味を持つようにエンターテイメント気分を盛り上げようと、2階の狭いトイレを当面子ども専用にして、妻が画用紙やらを使ってショーアップ。

トイレでできたら、ニコニコマークをつけてあげるという約束でスコアボード(?)を目の前に置く。ちなみに黄色はおしっこ、青はうんちである。こちらも、子どもの好きなカーズのキャラクター(紙製のすごろくゲームか何かのカバーをとってあった)で雰囲気を盛り上げた。


さて、初日は予想通りまったくトイレを嫌がって床上浸水3連発だった。ところが、意外にも翌日からトイレでおしっこを出すことを始め、その頻度はすぐに増え始めたようだ。もちろん何かで泣いた拍子に力が入って漏らすということもあったが、少なくとも家でパンツを履いているときに漏らす頻度は2週間でほぼゼロになった。

いまでも外出の時と夜寝る時はオムツである。それでも3週目に入る頃には、朝起きてもオムツは濡れておらず、トイレに座らせるとそこでおしっこをするようになった。出かけている時も、時間を見ながら(ほぼ2時間が目安)「おしっこどう?」と声をかけると、「でないよお」を繰り返すも、お店のトイレに連れて行ってまたがらせると、大抵そこでするようになった。

うんちについては、これまでにトイレにまたがってできたのはまだ2回。パンツの中にすることもあったし、シャワーを浴びている時に風呂場で突然やったこともあった。オムツをしている時はそういうことはなかったので、もう明らかに何らかの意識はできているのだとは思うが、まだコントロール以前の状況ということか。まあこちらはしばらく時間がかかりそうだ。


気がつけば、表情や仕種もどんどん豊かになっているし、言葉もかなり増えた。勝手に歌を歌っていることもあるし、人見知りも少しずつだが和らいできている様に思う。性格的な特徴はいろいろあるが、少なくとも僕自身のことを考えれば、なんとなくわかるようなことばかりである。

幼稚園は確かに悩ましいが、どんな方針のところに預けるにせよ、そこにはない(と思われる)部分は何らかの方法で補っていかねばならないのだろう。のびのび型とか、しつけ重視とか、身体作り重視とか、勉強重視とか。。。幼稚園にお任せするということではダメなのだろう。

人生に意味はない。それを意味あるものにしようとすることが人生であって、それは本人のものだ。親はそのお手伝いを少しできるだけ。