4/27/2008

2つのエレクトロニカ

体調の方は、先週ひいた風邪がまだ少し尾を引いていて、咳と痰が続いている。これは今回の風邪の特徴の様で、職場でも同じ症状の人がいる。こうなったらもう市販の薬など飲んでも何の効果もない。あとはひたすら無理をせず沈静化するのをじっと待つだけだ。

酒を呑むのは、炎症を深めるのと体内の水分を奪うという意味でよくないのはわかっているが、こちらは家で少しずつやっている。先週、兄がやってきた際に安いスコッチウィスキーを2本買ってあった。今回は僕がほとんど呑まなかったので、最初に開けたジョニーウォーカーの赤が4分の1程度を残しただけで、もう1本のホワイトホースはいまだ封が解かれないままでいる。

残り物のジョニ赤を少しずつ飲んでみた。正直なところ旨くないと思った。こんな味だったっけ?日頃、角瓶を飲みつけている兄は「スモーキーやね」と言っていたが、僕には甘いシロップのような味わいにしか思えなかった。このところウィスキーはすっかりご無沙汰になっている。久しぶりに少し高めのシングルモルトかバーボンでも買ってみようか。

仕事は本業的なことではなく、管理仕事とその周辺雑務みたいなことばかりに手がかかってしまっている。ここでぼやいても仕方ないのかもしれないが、出来の悪い管理職(そもそもなぜその職に就けるのかが不思議なのだが)がまき散らす疫病とは恐ろしいものである。その役職が高ければ高いほど被害は広がるというものだ。僕もいままでいろいろな管理職を見てきたが、素晴らしい人というのは結局のところ、非常に珍しい存在であるということは認めないわけにはいかない。下手な役職なら置かない方がマシだろう。マネジメントに対するニーズは働く人ありきなのであり、マネージャーありきではないからだ。

久々にのんびりできた土曜日、髪を切ってもらい色を入れた。いつも担当してくれる女性はそのお店でとても人気のようで忙しそうだった。彼女は人の話を聞いているようで聞いていないのがはっきりわかるのだが、それが天性のものなのか演出によるものなのかは、いまひとつわからないところがある。ただ一つ言えることはそれが彼女の才能の一つであるということだろう。仕上がりは満足だった。残念だが僕の場合髪はある程度短い方がいいようだ。

その後、渋谷に出かけてみた。北海道ラーメンの「壱源」でみそラーメンを食べる。やはりここのラーメンはうまい。ニンニク少々と一味唐辛子をたっぷり振りかける。さっと炒めて水分を抜いたもやしと、メンマとわかめがトッピングとして乗っかっている。僕は大抵そうしたものを前菜としてあらかた先に食べてしまい、麺とスープとチャーシューを交互にゆっくり楽しむ。この日もスープまで完食だった。

その後、ディスクユニオンにいって棚を眺めてみて思った。僕のCDに対する購入意欲は明らかに消極的で慎重なものになったということ。以前から書いていることだが、音楽配信で手に入りそうなものはもはや買わない。CDが普及し始めた頃、これはCD化されないだろうと思っていたものが、結局のところどんどんそうなていった。それと同じことがまた起ころうとしている。配信の音質はいまよりもさらに向上するだろう。

だが忘れてはいけないのは、音質の善し悪しを決めるのはあくまでも録音である。これは時代的なもので決まるとは限らない。一番重要なのは、作者の徹底した音の存在感に対するこだわりだ。これが録音が出現して以降の音楽で重要な要素であり、音楽が人の心に深く印象づけられるのに大切な要素なのである。その価値の存在はいまひとつ地味なものだが、そのわかりにくさや曖昧さこそがこの要素のよさでもあると思う。

結局、僕が向かったのはタワーレコードだった。現代音楽のコーナーを少しチェックして、ジャズのコーナーをさっと見て、特に重要なものがないのを確認すると、まっすぐにエレクトロニカのコーナーに向かった。僕が最近CDを買うことに興味をそそられる数少ない音楽分野かもしれない。

ユーロ圏のアーチストが多くほとんどがインディーズレーベルなので、昨今のユーロ高の影響もあって1枚2500円くらいする。僕にとってはちょっとした高価な買い物になる。それでも今回も厳選してというか、バイヤーのお勧めに従って非常にいい作品2枚を購入することになった。イギリスで活動するJasper Laylandなる人物の最新作"Wake (carbon series volume 5)"と、ポーランドで活動するJacaszekの"Treny"というのがそれ。

エレクトロニカというジャンルがいつ頃から明確なものとなって来たのかはわからないが、僕がその言葉を耳や目にするようになったのは、少なくとも今世紀に入ってからである。テクノや現代音楽、プログレなどのジャンルが交錯してできているように思えるが、それぞれの領域では収まりが悪くなっているのも事実で、そういう意味ではいいネーミングでありいいジャンルであると思う。

ほとんどのアーチストが個人でウェブサイトを持っているので、作品の試聴などは気軽にできるのもこのジャンルの特徴だろう。今回の作品に関しても、上記のアーチスト名にそれぞれのウェブサイトへのリンクを貼ってあるので、興味のある方はそちらでサンプルを試聴してみて欲しい。

ただし断っておきたいのは、こうした音楽は、時間や気分のうえである程度余裕を持って対峙する必要があるということと、別名「音響派」とも呼ばれる通り、ある程度まともな再生装置を通して耳にすることをお勧めしておきたい。別に高級オーディオというわけではない。CDラジカセやパソコンの内蔵スピーカのようなもので聴くのであれば、できればヘッドフォンでじっくり聴いてもらいたい。先にも書いた音へのこだわりが彼等の音楽で最も重要な要素なのだから。


4/22/2008

風邪と訪問者

先の週末は本格的に風邪をひいてしまった。木曜日の午後あたりから調子がおかしくなり、のどが腫れて熱が出てしまった。運悪く、金曜日の夜から広島の兄が泊まりがけで遊びにくることになっていた。これはまずいなあと思い、金曜日は結局仕事を休んで昼の間中眠っていたのだが、それでも状況は少しマシになっただけで、根本的には治らなかった。

せっかく来てくれたのだからと、金曜日の夜は近所のお店で焼き肉を食べ、普段2人ではしないような贅沢を3人でした。といっても会計は8900円だった。以前から、川崎に来たら是非といってあったので、本人も楽しみにしていたようで、飲み物や料理の値段の安さと、絶品のハラミの味を絶賛しながら家に帰った。

夜は例によってウィスキーを飲む。僕は水割りでチビチビごまかしながら飲んだ。まだ喉が痛い。兄はおかまいなしに(それでも遠慮していたのだと思うが)ロックをウマそうに飲んでいたが、終盤ストレートでグイっと飲むのを見てストップをかけ、布団に寝てもらった。

最近、NHKの番組で睡眠時無呼吸症候群に関するものを視たのだが、兄は少しその兆候があり、本人も昼間にすごく眠くなることがたまにあるなど自覚があるようだ。僕が眠っている兄を見るのはたいてい呑んだ夜なので、それとの関係もあるのだろうが、やはりあのイビキは異常という他はない。ちなみに妻によると僕も飲んで眠ると大きなイビキをかくらしい。

土曜日は天気もなんとかもちそうなので、横須賀と鎌倉に連れて行った。横須賀はこの前僕らが行ったのとほぼ同じコース(海上自衛隊基地、アメリカ海軍横須賀基地、三笠公園、ドブ板通りでメキシコ料理)をたどった。子供の頃は一緒に軍艦のプラモを作ったぐらいなので、兄も興味深げにいろいろなものを見入っていた。今回は初めて戦艦三笠の中を見学したのだが、思いのほかいろいろな展示があり感心した。

足早に鎌倉の大仏を見物し、市内をぐるっと歩いて家に戻った。最後に雨が降ったが、なんとか家まで帰り着いた。兄が携行していた万歩計によると、その日だけで11kmを歩いたの出そうだ。まあそんなもんだろうと考えたら、どっと疲れてきた。

日曜日には調子はかなり回復したが、予定していた秋葉原には結局兄独りで行ってもらった。まあああいうところはたぶん独りで回った方が楽しいに違いない。案の定、ダイナミックオーディオ5555で目当ての80万円もする高級AVアンプを試聴し、店員さんの熱のこもった解説に相当洗脳されてしまったらしい。

それに比べると僕などは、先週にiPodを接続して使う小型のラジオ付きスピーカーを1万5千円で買ってご満悦なのだから、安上がりなものである。昔使っていた4GBのiPod nanoをさしてダイニングテーブルの横で使っているが、これはなかなか便利だ。

風邪はなんとか下火になり、月曜日から会社に行った。なんだかかなり長いこと休んだような気がした。少し気がかりなことがいくつかあり、心配だったのだが、それも休みの間に考えに整理がつき、実際その通りに事が運んだので一安心である。風邪は流行っているらしく、一緒に仕事をしている女性が僕に変って会社を休んだ。

とまあ、そんなわけで更新が遅れてしまった。まだ書きたいことがあるのだが、まだ少し調子が万全ではないので今日はこの辺にしておく。

4/13/2008

コンチェルト

なんとなく重苦しい春。新しい将来に向けて意気揚々と行きたいところが、足下がぬかるみ。周囲の景観もぼやけてしまっている。

会社生活を始めて20年がたった春。200枚のCDを持って上京したあの日から、結局のところここまで大きな転機らしいものはなかったように思う。両親が逝き、妻と結婚し、職場を異動しても、僕は僕のままだと感じている。もしかしたら、感じていられるというのが正しいのかもしれない。

仕事で引き受けていた会社のブログをこの4月でとうとう閉鎖することにした。このろぐとは異なる意味で、ずいぶんと文章を書く勉強にはなったのだが、結局のところ、うまく続けることはできなかった。いま考えると、ブログの企画をきちっと決めていなかったのがまずかった。更新のタイミングにしても、取りあげるテーマもあまりちゃんと決めず、どうとでもできるようなタイトルをつけてしまったのがいけなかったようだ。

一方で、月刊誌から少しだけお金をもらって書いている連載があり、どういうわけかこれが続いて3年目に入ってしまった。いまのところ雑誌に掲載された後にウェブでも公開されているのだが、6月からは紙のメディアがなくなりウェブのみになるらしい。これを機に打ち切りになるのかなと思っていたら、1回あたりの分量を少し減らして、月2回にできないかと編集部の人から打診された。

連載していること自体にはっきりとした手応えがあるわけではない。見ず知らずの人から「読んでますよ」と言われたこともないし、書いた内容について誰かから批判や賛辞をいただいたこともない。それなのにお金を払ってでもそれを続けて欲しいと言われるのが、なにかちょっと気味悪くさえ感じられる。それでも書くことを続けさせてくれるわけだから、これは何か目に見えない期待であっても応えなければいけないなと思った。

週末、妻が泊まりがけで出かけてしまったので、久しぶりにステレオセットの前でゆっくり酒を飲みながら音楽を聴いて過ごしている。ここ最近は、聴くものがかなりバラバラなのだが、いまは富樫雅彦と菊地雅章がデュオで録音した作品「コンチェルト」を聴いている。

ずいぶん前に誰かがこの作品のことを雑誌か何かで絶賛していて、気になっていたのだがなかなかお店で巡り会うことがないままの状態が続いた。それが3、4年ほど前に渋谷の中古屋で偶然に見つけ、それ以来これは僕の密かな愛聴盤となっている。

2枚のCDに収められた富樫のパーカッションと菊地のピアノによる14曲の演奏は、比較的音数の少ないゆっくりとした深い世界を形作って展開してゆく。絶えず同じテンポを保つことなく、様々に流れを変えながらあるしっかりとした時間と空間を作り上げてゆく。iPodのような移動中に聴く音楽ではなく、家の中でじっくりと味わたい音楽である。個人的には、Disc2の1曲目"Riding Love's Echoes"が特に気に入っている。

そろそろ再発されてもいいのではないかと思うのだが、なぜか未だに廃盤のままである。都内の中古CD屋で何度か見かけたことはあるものの、結構レアな状況になってしまっているのが残念な作品だ。もし見かけることがあったなら、それはもう運命に感謝して即買いだと思っておいた方がよい。

出会ってしまったら何でも当たり前のように感じてしまうのはよくないことだ。一期一会は難しい。

4/07/2008

音楽のこれから

2月頃からいろいろ立て込んでいた仕事が、今日でようやく一段落した。まあ徹夜で死ぬ様な思いというわけではなかったが、とにかくいろいろな情報を整理して現在の姿を明らかにしつつ、そこから新しいアイデアを出していかないといけない。

今日上げた仕事は音楽市場とインターネットに関するもの。音楽ならもう毎日聴いているし、これは得意分野だと思っていたのだが、やはり最近の若い音楽についてはほとんど何も知らない。今どんな音楽が流行っているかとか、そういうことはレポートの主題ではないのだが、新しい動きを始めるのは若いアーチストたちだ。

おかげでいろいろなことを勉強させてもらった。いくつかのミニ知識をここで披露しておこう。

これまで世界中で1億枚以上売上げたアルバムは、たった1枚しかない。マイケル=ジャクソンの「スリラー」がそれ。さらに意外と思われるかもしれないが、5千万枚以上売上げたアルバムはないのだそうだ。4千万枚以上売上げたのはビージーズの「サタデイ ナイト フィーヴァー」やピンクフロイドの「狂気」などわずかに6枚。ビートルズの「アビーロード」でさえ3千万枚なのだ。

アメリカのラジオ広告はいまでもインターネット広告とほぼ同じ市場規模がある。日本は既にラジオ広告はインターネットの半分以下しかない。アメリカで1週間に5分以上連続でラジオを聴いたことのある人は約1億4千万人。ラジオがいかに日常生活に根付いているかがよくわかる。

最後に、アメリカの音楽アーチストで稼ぎの多いトップ10の収益内訳を見ると、だいたい7割前後はコンサートツアーから得られる収益なのだそうだ。そのうちの一人であるマドンナのマネジメントを担当する人物の言葉として「昔はアルバムを売るためにツアーをしたけど、いまはツアーで儲けるためにアルバムを出すんだよ」というのが象徴的だ。

今回の仕事を通じてこんな知識を勉強した。それで音楽はこれからどうなるのかということなのだが、いま自分たちが楽しんでいるような「録音された音楽」の経済的価値、つまりそれを手に入れるのに払うお金については、どんどん安くなっていくのではないだろうか。それは高いものと安いものの差が広がるということでもある。そしてもちろん無料のものも多く出回る。代わって音楽本来の魅力である生演奏(つまりライヴ)の価値は上がるということになる。

自分はまだまだ音楽を買うということを続けていくと思うのだが、多くの人にとって音楽とはお金を払って楽しむものではなくなっていくように思う。それは例えば映像やゲームの付録だったり、携帯電話のボタンを押したら勝手に流れてくるものかもしれない。それでも僕らがいい音楽と思えるものは、人の気を引きつけることだろう。しかし、やはり音楽そのものの何かが薄いものになっていくような気がしてならない。