10/10/2004

キース=ジャレット/ゲイリー=ピーコック/ジャック=ディジョネット「オールウェイズ レット ミー ゴー」

click! 前々回の海童道、そして前回の横山勝也と純邦楽が続いた。この2週間は実際に聴いていた音楽も、ほとんどそのいずれかだった。尺八の演奏は「風を聴く」ようなものである。おかげで自分の耳にたまっていた、いろいろな音楽を聴いた結果として残った、何か「燃えかす」のようなものが吹き飛ばされ、きれいにリセットされたような気分になり、以降何を聴いてもとても新鮮に聴こえる。音楽を聴くうえでの基本的姿勢のひとつは、演奏者の息遣をたどること。そのことを、あの作品は僕に再確認させてくれたように思う。楽器を演奏する機会が、家でつま弾くレベルのことも含め、かなり減ってしまっているこの頃だけに、そういう姿勢はなおさら忘れかけていくものだったのかもしれない。

 尺八の演奏を聴いてみて、あらためて考えたのは「自由」ということだった。風のように聴こえる尺八の演奏は、厳しい「道」のうえに成り立った芸術であることはもちろんなのだが、海童道のようにそうした道を外れてさらなる「自然」を求めた音楽にも、それを含めてさらには西洋音楽の領域までを視野にいれつつ、従来の尺八道を広げようとする横山勝也の音楽にも、共通して「自由」という時間や空間の概念を表現する姿勢を感じずにはいられなかった。西洋音楽のメロディー、ハーモニー、リズムという音楽の要素という観点からは、非常に自由な何か、それは単に僕自身にとっての耳新しいさだけなのかもしれないが、を感じさせてくれた。逆に、フリージャズなど西洋のフリーミュージックが、ともすれば散漫なものに聴こえてしまうのは、そうした「道」の不在によるところが大きいと言えるのかもしれない。

 いまの時代、僕たちの生き方は自由なのかと問われれば、なかなか難しい。昔に比べて年齢や性別に起因した伝統的な因襲やしきたりからは、確かにかなり解放されつつある一方で、現代というシステムは、僕らに新たな因襲をもたらしているようにも思える。若い世代はいつの時代にも「自由」を叫ぶ。会社の企画や戦略を議論する場でも、「従来の枠にとらわれずもっと自由に」というような言葉をよく耳にする。それは実行の当事者に向けられているのか、組織や体制に向けられているのか、実際のところは難しい問題である。もちろん「自由」と「道」はそのいずれかが絶対的に存在できるものではないのだが。

 今回の作品は、タイトルがとても印象的である。日本語で言えば「いつも自由でいさせてくれ」とでもなるのだろうか。1ヶ月ほど前にとりあげたキース=ジャレットの作品がその代表であったように、この3人による演奏活動はジャズのスタンダード曲を、彼らの境地で新たな作品として演奏することが売りのひとつであった。しかし、この作品はCD2枚全編にわたってオリジナル曲、その多くがトリオ編成によるインプロヴィゼーション(即興演奏)、で占められている。彼らとは設立時からの付き合いであるECMレコードは、この作品をカタログナンバーで1800番目という、ひとつの節目の作品として位置づけており、それだけ製作者側のの「気合い」もこめられた作品になっている。

 残念ながら、セールスの方は必ずしも好ましくなかったようだが、その点についてECMは確信犯的であったと考えるべきだろう。3人の演奏家たちは、もちろんそんなことを知る由も気にかけることもなく、トリオによる濃密な即興演奏を繰り広げている。内容的にはもう十二分に期待に添うものであることは言うまでもない。「スタンダーズ ライブ」で聴かれた奇跡の連続は、15年の時を経たここでは、より時間的空間的に引き延ばされた芸術に進化しており、あるときは聴くものの集中を促し、あるときはリラックスや楽しいノリをもたらしてくれる。このメンバーによるスタンダードを中心にした最新作「アウト オブ タウナーズ」はなかなかのセールスを記録しているらしいが、僕はそれよりもまだこの作品の方が好きである。

 幸運にも、僕はこの演奏が収録された2001年4月24日の東京公演を、渋谷のオーチャードホールで実際に聴くことができた。コンサートは二部構成だったが、いわゆるスタンダード曲の演奏は少なく、スタンダード中心の演奏を勝手に期待していた多くのお客さんを、いい意味で裏切ることになった。僕個人の印象としては、スタンダード曲の演奏になると、3人がどことなくつまらなさそうにしているように見えた(もちろん彼らが手を抜くなどということはあり得ないのだが)。そのくらい彼らの即興演奏は強い印象を残してくれた。

 だからそれらが収録された作品にこういうタイトルが付けられているのが、珍しくストレートだなと感じる一方で、彼らの姿勢と自信が感じられて嬉しく思ったものだ。あえて「フリー」という表現を使わずに、こういう表現を用いたところが、芸術家としての姿勢がよりはっきり表されているのかもしれない。以前にも書いたように、この作品はキース=ジャレットトリオとしてではなく、3人のリーダーによる共作という位置づけになっているのも納得できる。それは、即興という「自由」な形で一瞬にして生み出されたことは事実であり、20年近い共演経験という長い「道」から生み出されたこともまた事実である。

 気軽に「ながら」で聴ける作品とは言えないかもしれないが、非常に深い味わいのある作品である。こういう音楽を聴ける時間や空間を持てることは、間違いなく「自由」な証である。それは決して与えられるものではなく、自ら作るものなのだろうと思う。

(この作品に興味を持たれた方は、ジャケット写真をクリックしてみてください。アマゾンでこの作品を試聴したり、購入することができます)

ECM Records
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