1/30/2007

インフルエンザ

先の週末、朝からコンコンと咳が出るなあと思っていたら、時間が経つにつれみるみる悪寒がして来て、具合が悪くなってしまった。午後から妻の友人宅にご招待されていたので、それでもなんとか出かけては見たものの、到着して間もなくこりゃダメだとギブアップして、僕ひとり先に帰らせてもらった。家に帰って熱を計ってみると39.0度、この歳でこれだけ熱が出ると視界が歪む。

翌日は仕事を休んで、近所の小児科病院へ行き、子供達に混じって診察を待つ。こういう病院は頼りになるのかならないのか、少し不安がつきまとう。僕は自分では勝手にインフルエンザだと思い込んでいるのだが、診てくれた先生は「インフルエンザの症状とは少し違うんだよなあ」と首をひねる。(教訓:どんな仕事でも、その道のプロがお客の前で首をひねるものではない)。

結局、念のためインフルエンザの検査をしておきましょうということになり、長い綿棒で鼻の奥の粘膜を採取(なかなかの苦痛である)、結果はすぐに出た「予想に反して出ましたよ、A型インフルエンザですね」。おかげでインフルエンザ治療薬「タミフル」と解熱剤などを出してもらうことができた。

そのようなわけで、月曜と火曜は仕事を休んで自宅で静養している。いまは熱もかなり下がったが、夜になると悪寒がする。今年は暖冬の影響でインフルエンザの流行はまだないといわれて来たが、ここに来て流行の兆しなのかもしれない。皆様もお気をつけ下さい。おかしいと思ったら早めに病院に行くことです。タミフルは発症48時間以内であれば有効ですから。

音楽の話はまた今度。。。

1/21/2007

親父のバースデーケーキ

この1週間、仕事の進捗が思うように行かない部分があったりして、少し心のゆとりがない日々だった。音楽は先のろぐで書いた内容を引きずって、ほとんど毎日マイケルとアリスに関係する音楽を聴いて過ごした。

マイケルについては、相変わらずリーダー作品ばかりを聴き続けた。彼は自分のソロ名義で8枚のリーダー作を残しているが、これについては全部しっかりと揃えておこうと思う。セッションマンとして、あるいはブレッカー・ブラザーズとして彼を代表する名演はいくらでもある。それはそれで非常に価値のあるものだ。しかし僕にとっては、やはり彼の「後期」の活動となってしまったソロ活動に、より大きな力を感じる。うまく書けないが、それを受けとめるべき時期がいまであるような気がする。

一方、アリスのリーダー作もコルトレーン死後のものを2枚手に入れ、こちらもじっくりと聴いてみた。ここからもいろいろな刺激を受けた。彼女の作品を含め、ジミー=ギャリソンやファラオ=サンダースといった、コルトレーン最後のグループに参加したアーチスト達の作品を、もっとしっかり聴いておきたいと思った。そこには、いまの音楽では絶対に感じることのできない、貴重なインスピレーションが満ちているから。

ジャズの世界でも非常に対照的な位置にあった2人のアーチストだが、いずれの音楽もやはり非常に奥が深いものである。同時に聴くことについて、僕にはまったく違和感はない。たぶん僕の中では、コルトレーンという存在がそれらを明確に位置づけてくれているのだと思う。

それぞれの音楽については、またいずれかの機会であらためて触れてみたいと思う。いまは僕の中の音楽を感じる部分が、深くて強い音楽に刺激されすぎて少し疲弊してしまっているようだ。もちろんそれは心地よい新しい興奮を感じさせてくれる疲れである。

今回は、このお正月にあった出来事をひとつ書いておこうと思う。

帰省先の実家で迎えた元日の午後、あまりに暇だったので少し散歩に出ることにした。僕の実家は和歌山市の北側、紀ノ川を渡ったところに山の斜面を造成した住宅地の中程にある。標高はたぶん100メートル近くあると思う。歩いて登るには結構きつい坂もある。正月にしては割と暖かい薄曇りのなか、僕等はその坂を下った。

最寄り駅の六十谷(むそた、と読みます)駅の近くまで来た時に、そこから少し先に行ったところに小さなケーキ屋さんがあるのを思い出した。母親が亡くなって父が独りになってしまって以降、お正月に帰省する度に、僕等はいつもケーキを用意していた。なぜなら親父の誕生日が1月3日だからだ。

僕がそこにケーキ屋さんがあることを知ったのは、何年か前のお正月だった。もともと店など余りないその界隈で、正月早々営業しているのはスーパーを除けばそのお店くらいだった。いつもは帰省途中の大阪あたりで、兄に頼んだりしておいしそうなケーキを用意していたのだが、いつかは親父の誕生日を祝うケーキをそこで買ってみるのもいいかなと考えたことがあった。

今年は祖母の喪中でもあり、なんとなくそうしたお祝いをするのもどうしたものかと相談し、結局ケーキは買わないでいたのだが、そのお店のことを思い出して、それならホールではなくショートケーキでも買って帰ろうかということになった。

はじめて入った店内には、素朴な手作りケーキやクッキーなどが狭いディスプレイに並べられていた。たぶん普段はもう少しレパートリーも豊富なのだろうが、お正月モードで半分程度の品揃えにしてあったようだ。僕等はその中から4種類のケーキを選び、箱に詰めてもらった。お店はご夫婦で営業しているらしい。

このケーキがおいしければ、来年からはここでケーキを買おうなどと考えながら、お店の人と少し話をしていると、実は周辺の道路拡張工事でその場所を立ち退かなければならなくなり、お店は今度の3月限りで閉店するのだという。「どこか他の場所でお店は続けないんですか」と言っても、「いやねえ、まあもうこの歳だし、ここまで続けて来れたからもういいかなって思いましてねえ」と、なんとも残念な返事がかえって来た。

その日の夜、自慢のすき焼きを振舞ってくれた父に、そこで買ったケーキで簡単に誕生日のお祝いをしてあげた。今年で75歳、世紀の4分の3を生きたことになる。リューマチと糖尿病を患っていて、本来はお砂糖たっぷりのケーキなど食べさせてはいけないのかもしれないが、まあ簡単でも何かお祝いしてあげたいと思った。

ケーキは非常に家庭的で素朴な味だった。はっきり言って、都会的な華やかさはまったくない味であるのだが、実家で親父と一緒に食べるケーキとしては、その方が自然だったと思う。もしあのお店に行かなかったら、来年の今頃に、散歩ついでに出かけたものの、なくなってしまったお店の周辺を所在なさにうろうろする自分たちの姿があったのかもしれないと思うと、その日に開けたケーキ屋さんの扉は、運命的なものだった様に感じられた。

昨年の夏頃、病院から戻った親父と電話で会話した僕は、父の口から耳慣れない病名を告げられた。それが「MDS(骨髄異形成症候群)」だった。だから、マイケル=ブレッカーがその同じ病気で逝ってしまったことは、僕には別の意味でもショックだったのだ。

今日も親父と少し電話で話をした。幸い、受けている投薬の効果が出て来ていて、症状は以前に比べてよくなっているようで、それを聴いた僕は少しほっとすると同時に、なぜか正月に食べたあのケーキの味を思い出し、そのケーキを旨そうに食べる父の姿が浮かんだ。なんとかこのままうまく病気の進行がおさまり、元気で居続けて欲しい。

骨髄異形成症候群 国立がんセンター

1/15/2007

さよならマイケル、さよならアリス。

 突然の訃報、しかも2人同時だった。現代ジャズサックスの巨人マイケル=ブレッカー、そしてジョン=コルトレーンの妻アリス=コルトレーン。ジャズミュージックの歴史の中では、まったく異なる世界にいるように思われがちな2人だが、共に「コルトレーンの継承者」という風に思われていたことでは、大きな共通点があったことになる。それだけに、何か不思議な運命を感じないわけにはいかない。

マイケルの死因はMDS(骨髄異形成症候群)という血液の病気から発症した白血病だった。2年半に渡る闘病生活だったそうだ。最近では同じ病気で、前東京都知事の青島幸男氏が亡くなっている。この病気は骨髄が原因不明の機能不全に陥り、正常な血液を生産できなくなるという病気で、根本的な治療には骨髄移植しかない。マイケルと彼の妻スーザンは、辛抱強く一致する骨髄ドナーの出現を待ち続けたが、残念ながら願いは叶わなかった。

マイケルは僕等の世代のヒーローだった。彼が参加しているというだけで、それがどんなCDでも、聴いてみたいという強い衝動に駆られた。何気に中古盤のバーゲンセールを物色して、ジャケットの中に一瞬彼の名前を見つけたとき、それまで何の興味もそそらなかったそのCDジャケットが、突然輝いて見えてくる。そういう経験をした人は多いだろう。

彼の演奏は常に彼らしさに溢れていた。迫力、スピード、スケール、どの演奏をとっても圧倒的な存在感だった。会社で彼の訃報を知った僕は、仕事帰りの電車に乗ると同時に、マイケルの音楽を求めてiPodのダイヤルを回した。幸い、最近このろぐで取り上げたチック=コリアの「スリー クァルテッツ」が入っていた。奇しくもコリアが「コルトレーンに捧ぐ」とタイトルに入れた作品が収録されている。電車の雑音を打ち消して高らかに響くマイケルの咆哮。思わず涙をこらえる。

すぐに僕の頭には彼の名演集が駆け巡った。あんな演奏もあった、こんな演奏もあった。それらは本当に途切れることなく次々に思い出されては、僕の心に鳴り響いた。2000年には青山のブルーノートにやって来た彼のグループを、妻と僕の当時会社の後輩だった男とその彼女という4人で聴きにいったことも思い出した。グループ全体を燃焼させるマイケルは、まるで無敵の巨人に思えた。

家に帰ってすぐに持っている彼のリーダーアルバム数枚を引っ張り出し、次々に聴いてみる。どれも僕にとっては少し懐かしい音だ。大学生活最後の頃に発売され「いまさらながらの初リーダー作」といわれた「マイケル ブレッカー」(写真上)は特に想い出深い1枚だ。彼が正式にジャズミュージシャンとしてデビューしたこの作品を、コンテンポラリーに体験できたことの歓び。いまから考えればまだ大した耳を持っていなかった当時、一丁前にも「やっぱりリーダー作とサイド作は違う」などと一人で納得していた。

上京直後、まだ右も左も不案内な渋谷で看板を見つけて飛込んだタワーレコード(現在の場所ではなく、東急ハンズの斜め向かいにあった)の店内で、突然流れて来たセカンドアルバム「ドント トライ ディス アット ホーム」(すごいタイトルだ!)。店員が試聴代わりにかけたものだったのだが、棚に並べる前の商品を店員に頼み込んで売ってもらった。他にもいっぱいいっぱいある。


そしてもう1人、アリス=コルトレーンの死。意外にもネットのニュースや新聞でよく取り上げられたあたり、芸能欄担当者の趣味や時代が出たようにも感じる。

僕は彼女のことを考えるとき、いつも「評論家」とか「マニア」という言葉をイヤなものとして思い出す。アリスの音楽的評価ははっきり言って低い、いやむしろ悪いと言った方が適切だろう。コルトレーン最後期の音楽活動でのピアノ演奏は言うに及ばず、トレーンの死後に彼の音源にストリングスをかぶせて再構成した作品を「アリスの改悪であり、コルトレーンへの冒涜」と紹介した評論家もいた。晩年のコルトレーンの音楽がおかしくなったのは、アリスの所為だという人までいたぐらいだ。ばかばかしいと同時にアリスが本当に可哀想である(彼女はそれをさして気にしていないと思われるが、実際はどうだったのだろうか)。

そんなことを言う人は肝心なことを忘れている。それは彼女がコルトレーンが愛した妻であるということ。そのトレーンが生前ずっと音楽で表現するのは「愛」だと言っていたことだ。僕自身も、コルトレーンの死後、その音楽を一番忠実に深く継承したのは間違いなく彼女だと思っている。そして彼女は素晴らしい音楽家である。

 彼女は未亡人になって以降も、音楽家として活動を続け自己名義のリーダー作も残している。今世紀になって再び活動を新たにし始めたところだっただけに、惜しまれる。彼女の死を知って僕の中に流れたのは、彼女の弾くハープだった。チャーリー=ヘイデンの作品「クロースネス」(写真右)には、アリスのハープとのデュオ演奏「フォー トゥリヤ」が収録されている。この演奏の神聖な美しさは、彼女の考える音楽の一端をとてもよく象徴している。僕も未聴の作品がまだまだあるので、これを機会に彼女の音楽を改めて辿ってみたいと思っている。

突然に、そしてほぼ同時にもたらされた2人の音楽家の訃報。アリスはコルトレーンの音楽の根や幹の部分をしっかりと継承し、マイケルはその上に勢いよく空に向かって成長する枝や花となって音楽を咲かせた。僕を含め多くの人がその木のまえに立ち止まり、花や枝や幹に手を伸ばし、そこから聴こえて来る音に耳を傾ける。これからも新しい実ができ、その命は続いていくだろう。

さようならマイケル、さようならアリス。
そして、ありがとう。

1/13/2007

キース=ジャレット「サンベア コンサート」

 前回は、「サンベア コンサート」について、ほとんど触れずじまいだったので、あらためて今回この作品について触れておこう。(同時に前回のタイトルを変更した。ご了承願いたい)

この作品がECMから発売された当時、僕はまだ中学生になったばかりだった。その頃はLPレコードの時代で、「キース=ジャレットがLP10枚組のピアノソロ作品集を発表」という記事を、たぶん「FMレコパル」誌か何かで見たのだと思う。当時の僕はほとんどプログレ少年だったし、キースの名前を知ったのはこれがきっかけだった。

作品はほどなくしてNHKのFM放送(たぶん平日午後4時10分からの「軽音楽をあなたに」だったと思う)で放送され、僕の兄がカセットデッキで録音していたのを憶えている。兄がそれを何回か聴いたのかどうかは知らない。いつの間にかそのテープには他のものが録音されていて、キースの演奏は消えていた。僕が当時その音源を耳にしたのかどうかも、いまはほとんど憶えていない。

前回にも書いた通り、この作品は1976年のソロツアー日本公演の模様を収録したもの。ライヴ盤と言うよりドキュメンタリーの様なものだ。CDになって、それが収録日別ごと1枚ずつに整理され、とても聴きやすくなった。僕がこの作品を手に入れたのは2年ほど前。アマゾンかなにかで国内盤初回の中古を安く手に入れた。よくわからないが「初回特典オリジナルエッチングプレート」なるものがついていた。

「サンベアコンサート」をちゃんと全部聴いた人は、僕の周りではたぶん2人しかいないと思う。いずれも大学時代のバンド仲間だが、そういう人たちともこの作品についてじっくり意見を交換したことはまだない。少し前に一度だけ、この作品ではどの日の演奏がいいか、ということを少し話したことがあった。実はその頃はCDを買っていたものの、僕はまだすべてを把握できていなかった。確か、Disc4の東京かDisc5の札幌かどっちかだね、などと話したのを憶えている。

6時間以上におよぶピアノ即興演奏。今回じっくり聴いてみて、やはりどれがいいというのは決められないなと思った。その日ごとのキースの調子のようなものを感じたかと思うと、別の日に聴いてみると全然違った聴こえ方がして、実はそれが自分自身の調子だったのかなと考えたりする。こんなことを言っているうちは「すべてを把握」なんていうのはバチ当たりか。

最近のキースは(おそらくは「メロディ・・・」を境に)、ソロ演奏の単位を数分の比較的短いピースにまとめるようになったが、この頃は一度始めると止まらない様子で、30〜40分間の絵巻物を見るような演奏である。確かに、最近の演奏の方がコンパクトな分、より緻密でかつ多様性に富んだ演奏になっているように思う。この作品に限らず、ケルン、パリ、ウィーンなど同時代の多くのソロ演奏は、比較的共通した雰囲気を持っている。

別の言い方をすれば、どの演奏にも開始早々に聴くものを釘付けにする力を備えている。いまの僕には、それぞれの演奏が違った何かを見せてくれるというよりは、同じ宇宙を感じさせてくれるという印象を持つ。だからどの演奏がいいということを考えるのは、あまり意味がないのだろうと感じている。

ややおこがましいかもしれないが、演奏の世界に入ると自分がキースと同じ目線になってくる。ピアノの演奏ができる人には、そう聴こえて当たり前なのかもしれないが、白と黒の鍵盤が頭の中に浮かび、やがてそれは目の前に広がる。それがキースの存在というより、ピアノの存在あるいはピアノの魂というふうに僕には感じられる。

年末以降今日に至るまで、いろいろなスタイルではあったが、ここに収録された演奏を聴くことができたのは幸せだった。少々高価なセットであるのは難ではあるが、その価値は十二分にある。お試しください。

1/08/2007

2007年お正月の徒然

謹賀新年。本年も頑張って書いていきたいと思いますので、えぬろぐをよろしくお願いいたします。

年末年始は4泊5日の予定で、和歌山にある僕の実家に妻と帰省した。仕事やらいろいろな疲れからか、必ずしも体調は優れなかった。できることなら、このまま川崎でゆっくりと正月を過ごしたいというのが本音なのだが、独りで暮らす親父のこともあるのでそうもいかない。毎年書いているかもしれないが、どうも年末年始というのは、気分が重くなる。

帰省の新幹線は混雑していた。期間中の音楽にと、キース=ジャレットの「サンベア コンサート」をiPodに入れて、車内で聴いた。ヘッドフォンを買替えて初めての新幹線だったが、やはりこういう長距離移動の時は威力を発揮した。おかげで気持ちよく演奏を楽しみながら電車の旅を過ごせた。

親父はわざわざ和歌山駅まで僕等を迎えにきてくれた。心配していた体調も顔色が意外に良く、足取りもしっかりしていたので、ホッとした。迎えに来てくれたといっても、駅前のデパートで年末年始の食材を調達しに来た様なものである。おそらく僕等に任せても、ケチな買物しかしないだろうと思ったに違いない。

いまや和歌山市内で唯一のデパートとなった店は、地上部分は比較的閑散としていたが、地下の食料品売り場だけは異様に活気があった。地方都市の年の瀬とはこういうものだろう。人ごみをかき分けながら、僕等はそこで、普段の生活では考えられない様な食材をどかどかと買い込んだ。すき焼き用の牛肉、刺身用の切り身、年越しそば、その日の夜食べるにぎり寿司・・・等々。支払いは親父名義の外商ツケ払いだったが、3日分の食料とはいえ、僕等にしてみれば洋服でも買ったのかというような金額だった。

大晦日には兄も合流し、恒例の食い道楽飲み道楽の正月となった。少し度が過ぎて体調を壊しかけたおかげで、2日に予定されていた中学校の同窓会をドタキャンしてしまったのが心残りだったが、おかげでなんとか体調を持ちこたえさせることができたので、まあ仕方ない。あとで幹事や友人に連絡したところ、24名程が集まって3次会まで行ったのだそうだ。次は5年後と決まったらしい。それまで、みんな楽しく過ごせればいい。

昨年、祖母が亡くなったこともあって、今年の正月は祝い事は一切なしで、おせち料理もなしであった。それでも、女一人で台所の切り盛りをしてくれた妻には、ひたすら感謝である。帰りの新幹線の車内で、労いの意味も含めて、新大阪駅でサバの棒寿司と白ワインを買い込んで、車内で一杯やろうとしたのだが、どういうわけか指定席なのに通路にまで人があふれるという状況で、とても寛げる雰囲気ではなかったのが残念だった。

車内では、和歌山駅のお土産屋さんで買った饅頭や海老煎餅をつまんだだけで、寿司とワインは家に戻ってから平らげることになった。やはり大阪の駅で売られている食べ物はきちんとしている。偏見かもしれないが、あらためてそう実感した。

年明け早々、雑誌に連載している原稿を書かねばならなかったのが、なかなか巧くまとまらず結局3連休中もそれに追われて、あまりノンビリできなかった。なんとか完成させたものの、いまは少々疲れてしまっている。再びキースの演奏をCDで聴きながら、これを書いている。ようやく少し寛げそうな気分になってきたところだ。

本当はこの作品のことや、めずらしく正月早々に読んだ小説のことなども書いてみたかったのだが、またいずれかの機会に書くことにして、今日は焼酎でも飲みながらもう少し音楽を聴いて寝ることにしようと思う。

今年も皆様にとってよい年でありますように。