3/29/2009

変容

子供が産まれて1週間。母子揃って退院の日がやってきた。自宅に近い病院なので、入院中はほぼ毎日会社帰りに立ち寄って、2人の様子を見に行った。妻は産後の治療に並行して、さっそく子供の面倒を看なければならないから大変である。

あわただしく7日間が過ぎ、ミルクととびきりの泣き声を交互に繰り返す子供の顔にも、少しずつ表情が出てきた。少しずつ開いてきた瞳には何が映っているのだろうか。

退院の日、新しい家族を迎え入れるために、部屋をきれいに掃除したり子供の寝具を用意したり、部屋を暖めたりと、いろいろやらなければいけないことがあってそれだけで目が回ったが、やはり気持ちはうれしいものである。帰宅前に病院でたっぷりミルクを飲ませてもらったおかげで、子供は珍しくすやすや眠っていた。

広島から妻の両親もやってきてくれ、5人でタクシーに乗ってアパートまで帰ることにした。荷物をまとめて会計を済ませていよいよご帰宅である。3月下旬にしては寒い日だった。自宅は25度近くある病院の中とはずいぶん違うので、それが心配だったのだが、毛布や布団をしっかり用意してあったので、子供は車中から眠ったまま我が家に到着した。

しばらく義母が一緒に泊まってくれて、少しお手伝いをしてくれることになり、4人での新しい生活が始まったところである。僕もミルクの作り方や飲ませ方を教えてもらったり、一緒にお風呂に入れるのを手伝ったりしている。できる限りは自分も同じように子供の面倒を看てあげたい。

子供の名前は、少し前から妻と2人で考えてきたものに落ち着いた。特に深い意味を込めるでもなく、自分たちが尊敬する人の名前から字をもらい、あとは語感から判断してしっくりくる響きを考えた。自分たちを含め近しい人の名前から字をもらったり、苗字との間に意味的なつながりもたせたりするのは、あまり好みではない。

さて、そんな状況なのでなかなか音楽を聴く暇もないのだが、新しい家族が加わったお祝いの意味もかねて、産まれる少し前に相次いで到着したCDのなかから、とびきりの演奏を捧げてみたい。ブランフォードの新作"Metamorphosen"である。

メンバーは、カルデラッツォ、レーヴィス、ワッツからなる不動のクァルテット。今回も凄い内容である。冒頭の"The Return of the Jitney Man"からしてもう興奮がとまらないが、現時点でのベストテイクは、レーヴィスのベースソロ"And Then, He Was Gone"とそれに続くワッツの作品"Samo"である。これはもうただただ唸り続けるばかりの内容である。まだ3月だが早くも今年のベストアルバムはこれだとの予感である。

子供の表情や反応、鳴き声の音色などはどんどん変容してゆく。これからしばらくはいままでとはかなり異なる生活のパターンになるだろう。ろぐの更新は引き続き頑張って行きたいと思う。

3/22/2009

誕生!

3連休初日の金曜日。天気もあまりぱっとしないし、家でのんびりすることにした。近所のインド料理屋で2人揃ってカレーを食べ、少し買い物をして帰宅した。

夕方になって、最近届いたマイケル=マントラーのCD"No Answer/Silence"を居間のオーディオで聴いていたら、横になっていた妻が「お腹の子供が動いてる」と言う。妻の耳にもちょっと不思議な音楽に響いたのが、子供にも伝わったのかななどと考えた。

そうこうするうちにお腹が少し痛むと言う。陣痛かなあ、どうなのかなあなどと言っているうちに、痛みは規則正しい間隔で現れるようになり、それはすぐに10分から5分間隔になった。面倒を見てもらっている近くの産科院に何度か電話するうちに、ほどなく病院へ来なさいとの指示が出て、僕はタクシーを呼んだ。

妻はかなり痛そうだったが自分で起き上がってアパートの階段を下り車に乗り込んだ。幸い病院の場所を知る運転手さんで、病院まではワンメータで着いてしまった。着いてすぐに当直の看護士さんが様子を診てくれ、もうかなり状況が進んでいることを教えてくれた。時間は午後10時だった。もしかしたら今日中に産まれるかもしれないとも。

強い痛みで辛そうな表情の妻を励ますといっても、手を握って「頑張ろうね」と声をかけてあげるぐらいのことしかできない。とにかくこの状況では男は無力である。病院のCDプレーヤを借りて、妻がお産のときに聴きたいといっていたキース=ジャレットの"The Melody At Night, With You"をかけてあげた。

結局、それから日付が変わってそう経たないうちに子供は産まれた。妻の側から僕もその一部始終を見させてもらった。頭が出てきた時は「おおっ!」と思ったが、続いて手が出てきたときは正直少しギョッとした。

先生のサポートと慣れた手であっという間に子供は妻のお腹から産まれてきた。看護士さんがすぐに妻にも見えるように彼を持上げ、それを見た妻が「ああ、出た」と初めて安堵の表情を見せたその瞬間、子供は高らかに産声を上げた。元気な男の子だ。

狭い道を頑張ってくぐって出てきてくれた子供と、この子を10ヶ月間胎内に育んで最後に無類の苦痛を味わいながら産み出してくれた妻には、ただただ感謝感動するばかりである。このことは一生忘れないでいられるだろう。

妻が産後の処置を受けるため僕は分娩室を出た。なんやかんやで1時間半近く待つ間、兄に携帯メールで連絡を入れた以外は何をしてたのかよく覚えていない。待っている間、隣の部屋でキースのピアノが流れるのが聴こえた。産後の処置も辛そうだったが、彼女のいろいろな気持ちもあのピアノで少しは癒されただろうと思う。

再び分娩室に戻り家族3人で初めてのひと時を過ごした。お互いに子供を抱いて写真を撮ったり、話しかけてみたりした。子供はとにかく大きな声で繰り返し泣いた。それは何よりの音楽だった。

結局午前4時前に僕は病院を後にした。かなり眠気があったのと、早朝でもまだ辺りは真っ暗で風も少し冷たかったのだが、僕の足取りは雲の上を歩いてるように軽かった。家に帰ってシャワーを浴び、本当はすぐに眠って翌朝の用事に備えなければならないのだが、やはりビールでひとり祝杯をあげてしまった。

というわけで、新しい家族が誕生しました。妻とともに、またこのろぐにもちょくちょく登場することになると思います。これからも見守ってやってください。

3/15/2009

マーグ財団の夜

一昨日の金曜日、勤めている会社に入って以来20年の付き合いになる男から携帯に連絡が入った。少し前にメールをもらって何やら話がある様子だったので、近々飲みに行こうということになっていたのだが、どうやらその誘いのようだ。

彼とは入社して3〜4年の期間はかなり頻繁に飲みに行っていた。いまも時折足を運ぶいくつかの行きつけの店はそうしたなかから巡り会ったものだ。技術職なのだが人との接点のところで機転のきく性分だからか、会社ではかなり忙しい職場に取り付かれる男で、そうこうするうちにだんだんと飲みに行く機会も減っていった。

僕がほとんど職場を異動することもなく時間が経過して行くなか、彼はいくつかの職場を移り歩き、やがて大阪勤務となってしまってからは、ほとんど飲みにいく機会はなくなってしまった。それでも不思議と最低限の消息は何らかの形でお互いに通わせ合っていたようだ。

2年前のこの時期、彼は再び東京勤務になった。もともと関西の出身同士なので独身寮でも気があったのだが、喜んで赴任して行った大阪勤務になった時とはうって代わって、こちらに戻ってきた時は決まりが悪そうにしていた。

それからも時折思い出したように連絡を取り合い「飲みに行こう」となるのだが、いつもなかなかタイミングが合わず実現しない。結局、それから彼と飲みに行ったのは今回が3回目だった。まあ考えてみれば悪くないペースではある。

前回に続いて今回も東京に戻ってきた彼がお気に入りだった西小山の「カフェカウラ」で一杯やることにした。マンションの1階にあるワイン好きのご夫婦がやっている小さなカフェで、美味しい料理と軽めのお酒、そしてやわらかい光加減が素敵なお店である。

彼との会話はいろいろな次元を行き交い、時に理屈っぽく熱くなることもあるのだが、一方ではかなり独特なボケとツっこみを交えて展開するので、僕にとってはとても楽しい一時になる。もちろん今回も例外ではなかった。

この日、彼の話の主題は「また大阪に戻ることになった」ということだったのだが、そんな話も最初のうちで、やがて会話は仕事のことから会社がこの先どうなるのかという話になりかけるのだが、辛気くさい話も面白くないので、時折お店の外を眺めては傘をさしている人を数えて、やっぱり今夜は雨やなあ、などとどうでもいい内容に転換したりした。

実際、傘をさす人の割合は短い間にも時々刻々と増減したので、いつの間にか野球かサッカーのテレビ中継に興じるように、帰りにビニル傘を買った彼が雨派で傘を持たない僕が晴れ派に分かれて、どちらが優勢かを競うようになった。

しばらくするとその遊びにも飽きたので、話がまた日本経済のこれからみたいな内容に戻って一気に白熱するかと思いきや、彼がお店の美味しそうなソーセージをフォークにさしたまま床に落とすという失態を演じ、今度はそれをお店の人に白状して謝るか気にせず黙って食べるかで飲み問答となり(それだけでお互いグラスワインが1杯ずつ空いた)、食べることを躊躇する彼に代わって、僕が自分のソーセージを半分彼に分けて、問題の1本は僕が引き取って平らげた。

この日はお天気が悪かったせいもあってか、お客はこの変な男性2人だけだった。お互い4杯ほど飲んだところで彼が先ずトイレに立ち、その後僕が続いた。お店のトイレに通じるドアの手前に大きなポスターが飾ってあり、それが前回来店した時の記憶を甦らせながら僕の目に飛び込んできた。

ミロが描いたというそのポスターには"Nuits de la Fondation Maeght"の文字がある。

直訳すれば「マーグ財団の夜」という意味だが、正確にはフランスにあるマーグ財団美術館で開催された「現代音楽の夕べ」というイヴェントを告知するものである。ポスターの下段には、日本のピアニスト高橋悠治がケージや武満の曲を演奏することなどが記されている。

これを見た僕がギョッとしないわけがない。僕にとって最も重要な音楽アルバムのひとつである、アルバート=アイラーのラストレコーディングのタイトルそのものだからだ。僕はもちろんCDも持っているが、大学生の頃に買った2枚のLPレコードはいまも手元に残してある。これはいずれ額に入れて家のどこかに飾るつもりでいる。

お店の人にその話をしたりするうちにさらに夜も更け、お腹も満たされて、今夜彼と再会した目的もほとんど果たされたように感じた。彼は少しぼやきながらも再び巡ってきた大阪勤務を喜んでいるのは明らかだったし、同じタイミングで僕の身に訪れるいろいろなことについても素直に喜んでくれた。

彼と飲む機会はまたしばらく遠くなることになるだろうが、それはまた楽しみにとっておけそうなことである。せっかく見つけたカフェカウラは、もったいないので僕が他の誰かと一杯やるのに使わせてもらうことにしよう。

快調に吹きまくるアイラー最後の咆哮とそれに熱狂するフランスの観客たち。この数週間後に訪れる謎の死については、誰にも何も言う資格はない。ただあるのはこの素晴らしい演奏だけだ。

3/08/2009

お片付け

このところ大層な勢いで自宅の片付けを進めている。結婚していまのアパートに越してきて10年間が経過した。そもそも50平米もない小さな2LDKの間取りだから、そんなにモノはないハズだと思うのだが、いろいろな物陰に要らないモノがキノコのように群生しているのは、どこの家もだいたい同じ事情だと思う。

少し前にも書いたが、モノを捨てることに抵抗を感じるようになった。時代がそうなりつつあるのか、単に僕が年取ったからそう感じるだけなのかもしれない。もともと周囲からは比較的物持ちのいい性格だと見られているようだ。だけど自分が浪費家ではないと言い切る自信はない。

気がつけば景気が悪いこともあって、社会全体がお片づけモードである。それも今回はかなり大掛かりな大掃除である。余計な人を片付ける、余計な部門を片付ける、余計な制度を片付ける、余計な会社を片付ける。そうしたことに合わせて余計なモノが大量に片付けられようとしている。

片付けているつもりの人がいつのまにか片付けられてしまうなどということもよくあることだ。自信たっぷりの人ならいざ知らず、世の中で自信を持って仕事をしている人はいまは少数派だと思う。そんな状況だから人は少しずつ疑心暗鬼になっていくのだと思う。

何事もそうだと思うが、何かを片付けろと言われても正しくそれを成し遂げるのは意外に難しい。片付けというのは一種の自己否定だから自分でそれをやるのは難しいのだろう。だからといって人にやってもらえばいいというものではない。余計にややこしい作業である。

ディスクユニオンが買取強化キャンペーンをやっているので、先週CDやDVDの整理をして数十点のメディアに泣く泣く見切りを付けて送り出した。それらは現在まだ査定中だが、それなりの値段がつくとの自信はある。

今日がキャンペーンの最終日ということもあって、外出がてらさらに十点ばかりのメディアに見切りをつけてお茶の水に向かうことにした。3月だというのに寒い日曜日だ。

途中、川崎駅のホームでカメラを持った鉄道マニアが大勢集まっているのに遭遇した。彼らのお目当ては、今月で廃止されるブルートレーン「富士」の姿だった。川崎駅は通過となるのだが、撮影する条件としては悪くないのだろう。鉄道警察による構内整理が出るほどのにぎわいだった。

面白かったのは、通過直前までは比較的のんびりと待っているふうだった彼らが、直前の列車が走り去るとにわかに緊張を高めて一斉に目的の方向に注意を向けたこと。このとき一瞬にしてあたりの空気が変わったのに続いて、通過電車の去来を告げる構内放送で緊張が一気に高まった。事情を知らない一般の人々までその方向に注意を向け、なかにはカメラや携帯電話で写真を撮ろうとする人までいた。

富士号がかなりのスピードでホームに滑り込んできて、走り去るまでわずか十秒間ほどの出来事である。ネームプレートを掲げた勇姿を収めるチャンスなど普通のカメラならわずか1、2秒しかなかったはずだ。

列車が通過すると、マニア達はそそくさとホームを後にして散り散りとなって行ってしまった。名残惜しいが実質的により優れた代替え手段がいくつもある以上、廃止は仕方ないということだろう。ここでも片付けが進んでいる。それは必要なことであって決して悪いことではない。

心なしかお茶の水の街も人が少ないように感じた。それでもディスクユニオンは元気に営業してくれていた。今回はCDとDVDあわせて11点を引き取ってもらったが、査定金額は8880円となかなかのものだった。また誰かの耳を楽しませてくれるのであればその方がいい。

査定を待つ間、お茶の水駅前にあった「博多天神」でラーメンを食べた。久々に食べる博多ラーメンはやっぱり美味しかった。もちろん無料の替え玉を楽しんだのは言うまでもない。これなら500円を払う価値は十分にある。満足だ。

いいなと思う音楽はいろいろあるのだが、それについてはまだ次回。

3/03/2009

10年目の命日

少し気分の落ち着かない週末だったせいか、ろぐの更新が遅れてしまった。このところまた季節が冬に戻ってしまい寒い毎日である。関東ではこれから明日の朝にかけて雪が降り少し積もるとのことだ。

この月曜日に仕事でひとつのイベントがあった。営業部門からの要請で最近話題のとあるコンビニエンスストアチェーン大手の社長を相手に、ちょっとしたプレゼンを行うことになっていたのだ。

自分の出番はほんの20分弱程度なのだが、それに続く営業部門のプレゼンを含め、事前に先方との内容打ち合わせが1ヶ月半ほど前からあった。正直この手の仕事の進め方は厄介なことも多い。

僕が発表する内容は飾りの様なもので、消費を取り巻く大きなトレンドは現在こうなっていると思いますという内容を、流通業大手の社長相手にするという、まさに釈迦に説法そのものである。こういう時はやっぱり自分で考えたことを多少大胆に言い切るのがいい。何処かで見聞きしたような内容を寄せ集めてわかったような話をするのは一番悪い。

肝心の営業からの話がいまひとつぱっとしない内容だったので、イベントとしては必ずしも成功だったとは言えなかった。それでも、相手の社長は僕らが用意したしがない材料をもとに、いろいろな持論を展開してくれ、恥ずかしくもそれが僕にはとてもいい勉強になった。

当たり前のことを言っているようで、その言葉が突く本質の迫力はやはり相当なものである。具体的なことをここには書けないのが残念だが、社長就任時に若手から抜擢されたことが話題になった人物だけに、経営者の資質ということを見せつけられた思いである。

経営に限ったことではないだろうが、自身でよく考えること、それを自分でしっかり表現すること、これはとても大切なことだ。振りをしたり寄りかかるのはそうしたことが出来たうえで、使い分ける高等なテクニックだ。器にない人は真似をしたり寄りかかることから離れることができない。実体のない寄りかかりは早晩崩れさる。

その日、僕は仕事を終えると早々に帰宅した。家では妻がちょっとしたごちそうを用意してくれていた。別にひと仕事を終えた僕へのおもてなしというわけではなく、この日は母の十回目の命日だったから。

テーブルに写真を用意して、生前母が僕に買ってくれた小さな花器に妻がかわいらしいチューリップの花を生けた。白ワインのハーフボトルを開けて乾杯した。母はたぶんそこそこお酒はいける口だったと思うが、妻も交えてゆっくり食べて飲むという機会はほとんどなかった。

こういう何かのイベントで食事をするときには、キースの"The Melody at Night, With You"がうちの定番になっている。誰かのことを明確に想う気持ちにあふれたこの演奏は、母のことを想う気持ちにも十分通じるものがあった。

食事の後、シャワーを浴びて、独りでもう少し酒を飲んだ。今度は同じキースの"Spirits"を聴きながらだった。自分のなかで何かをやり直したいと思う気持ちがそうさせたように感じた。

これら2つのアルバムは、いずれもキースにとってのあるひとつの区切りを表現するものである。それらにまつわるエピソードとキースの音楽に対する資質は、DVD作品の"Art of Improvisation"に詳しい。