仕事の忙しさとかそれ以上にある種のやりきれなさが限界を超え始めたこともあって、なんとなく落ち着かない週末を過ごすうちに、本格的な冷込みが気配を現す。
日曜日は子どもの行事がダブルであってそれで1日が終わった。自分がやりたいと思うことはあまりできなかったけど、いい週末でもあった。
朝9時からあった野球の試合では、相変わらずバッティングの課題はあるものの、いろいろ自分の未熟さを悔しく思う一方で得意のバントを活かしてチームのいい流れに貢献できたりと、なかなかの活躍はできた。
試合の反省会も失礼して初めて使った配車アプリで来てもらったタクシーで自宅に戻り、午後は慌ただしくピアノ教室の発表会に参加した。
100名程度のこじんまりとしたホールで、グレンダ・オースチンの「ブルームードワルツ」という小品をソロで弾き、その後、レオポルド・モーツアルトの「おもちゃのシンフォニー」を妻と子の連弾で披露した。
練習し始めた頃はしばらくは一体どうなることかの家庭的な修羅場?が続いたが、何とか人様に聴いてもらえるだけの演奏にはなった。
野球や塾通いの一方で、細々と続けている程度なのだが、ロクに練習もしないくせに自分からはヤメたいとも言わない。
野球にも塾にもピアノにもそれぞれにすごい子はたくさんいる。ではいずれでもそれほどでもないけどそこそこできるというのは、どんな価値があるのだろうか。考えても答は出ないが、子どものいろいろな様を見ることができるのは豊かである。
音楽については、今みたいな状況は必ずしもよいことではないとは思うけど、できることなら自分で聴いて気に入った音楽をピアノに向かって音を探りながら演奏してみるとか、そうなってくれればいい展開になるのではと願うのだけど、考えてみればそこまで音楽を聴ける環境にあるわけでもない。
親からすれば当然のことのように考えてしまいがちな音楽というものの普遍性が、実はいろいろな前提が大きく違って来ていることを見逃してしまっているのだろうか。
昨年の発表会でも立派な演奏を聴かせてくれた中学生のお姉さんが、今年はショパンの「幻想即興曲」を弾いてくれた。
実はプログラムをもらってから、我が子のことはさておいて楽しみにしていたのが彼女の演奏であって、実際に聴いてみるとこれが他の演奏者とは抜きん出た内容で感銘を受けた。
聞けばご両親はともにさほど音楽には興味がないけども、その子は本当にピアノが大好きで毎日何時間も自分の部屋で電子ピアノにヘッドフォンをつないで弾いて、今の先生の教室に通いながらそのレベルに達しているのだと言うから驚きである。
同じ年代でも上をみればきりがないのだろうけど、そうして身近なところで音楽の才能を感じることがきできるというのは、実に貴重で嬉しい体験に違いない。
そんな状況に誘われてなのか、先週なぜか急に聴いてみたくなって久しぶりにガブリエル・フォーレのヴァイオリンソナタを聴いている。
初めて聴いたのは社会人になって間もない頃、ある縁があって当時話題だった若手女性ヴァイオリニスト アンアキコ・マイヤーズの演奏だった。
クラシックのことはほとんど知らなかった僕が室内楽という形式に興味を持ったのもこの曲がきっかけだった。楽曲についてはウィキペディアに驚くほど詳細な解説があるので、興味がある方は参照されたい。
全体を通して素晴らしい作品だと思うのだが、このソナタはピアノパートがとても魅力的でとりわけ僕が大好きなのが第1楽章である。この素晴らしさをうまく表現できる言葉が見つからない。美しさ、躍動感、情緒、雄弁...。
ヴァイオリニストもさることながら、あまりすごいピアニストが伴奏についてしまうと、ヴァイオリンが食われてしまうのではと思えるほどだ。
以下は韓国のヴァイオリニスト キム・ボンソリによる2016年のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでの演奏。この曲は彼女のお気に入りのレパートリーらしく、キムの力強いヴァイオリンが聴ける素晴らしい演奏と思う。
他には日本人ヴァイオリニスト木嶋真優の素晴らしい演奏がアマゾンプライムで聴くことができるので、そちらもお試しあれ。
今日は疲れてしまったのでこの辺で。
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