10/10/2011

ライヒの"WTC 9/11"

これまでにもいろいろな音楽を聴いてきた。時折思うのは「音楽」という言葉はいつ生まれたのかなあ、ということ。訳語なのかそれとも古くからある言葉なのか、中国から伝わった漢語なのか。僕はそのことを知らない。

ウィキペディアで調べてみると、中国の古い文書に音楽という表現が見られると書いてはいるが、それが今日の日本語の音楽の語源なのかはわからなかった。

いろいろな音楽を聴くなかで、それについては人々のいろいろな了見のあることがわかる。ある人にとっては素晴らしいと思える音楽でも、別の人には何も訴えかけるものがないということはよくあるし、時に激しい嫌悪を催させることもある。

何のものであれそこにある音が耳障りだというのが、その多くの理由であり、他にはそこで表現されている概念が相容れないものである場合もある。

そういうときに言われることとして「やっぱり音楽は音を楽しむと書くのだから、楽しくなければダメだよ」という類いのものがある。ずいぶん若い頃にはじめてそういう表現を耳にしたとき(目にした時だったのかもしれないが、どちらだったのかはもう覚えていない)、僕は単純になるほどうまいことを言うものだなあと思った。

しかし、いろいろな音楽を受け入れながら自分の音楽に対するポリシーとして、できる限り耳に入ってきた音楽を拒絶や無視をしない、ということができ始めてからは、そのフレーズはやはり納得しがたいものとなった。

音を楽しむというのは間違っていないと思うが、楽しくなければという表現に、どうしても寛大さを感じることができず、とても狭い意味での「楽しい」を言っている様に思えてならないのだ。


スティーヴ=ライヒの新作"WTC 9/11"を買った。アルバムタイトルになっている組曲を含む3つの作品が収録されている。タイトルの意味は言わずもがなだと思う。

このタイミングで発表されるのはあの事件から10周年が経過したことを契機にしており、数々の機関から共同で、作曲者であるライヒと演奏者であるクロノス・クァルテットに委嘱された作品である。

(ご注意:ここから先ではスティーヴ=ライヒの楽曲"WTC 9/11"の内容について具体的な表現が含まれます。この作品に興味をお持ちの方で、まだ作品をお聴きになられていない方にとっては、ある種ネタバレ的な記述が多く存在します)

作品は3つの楽章からなり、1988年の作品"Different Trains"と同じ手法を用いて作られている。簡単に言うと作品のテーマに縁のあるいろいろな人の肉声によるフレーズを切り出し、そのイントネーションをそのまま楽譜上の音程とリズムに置き換えてフレーズにしてしまうのである。

それをそのままヴァイオリンやチェロが旋律としてなぞり、それらのフレーズの羅列にあわせた伴奏を加えることで、一連のメッセージ性を持った楽曲に仕上がるという仕掛けである。まあ聴いた方が理解が早いと思う。

第1楽章は"9/11"。事件当時に交わされた実際の無線交信記録から、NORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)とFDNY(ニューヨーク市消防局)に保管されている職員の肉声を使ってある。そして事件そのものを象徴する音として、電話の受話器をあげたままの状態を続けた際に出る警告音("F"つまり"ファ"なのだそうだ)を使用しており、楽曲はその音で幕を開ける。

第2楽章は"2010"。2010年になって作品を委嘱されたライヒ自身によって行われた、事件を現場として体験した3人の人物(WTCの4ブロック北の学校に子どもを送った母親、消防局の指揮官、そして現場に最初に到着した救急車のドライバー)へのインタビューから、象徴的なフレーズが引用される。

第3楽章は"WTC"。ここでは事件後から一定期間、遺体や遺体の一部をDNA鑑定などでの判別のために保管し続けた場所にいた、数名の人物の声が使用されており、その一部として聖書の詩編の一節が原語で詠われる。

この作品は聴く限りただただ痛痛しいばかりの15分間である。「楽しい」ということのかけらもない。第3楽章で出てくる賛美歌も残念ながら「安楽」というものを生み出すには力及ばずという具合なのである。

僕はこれを何度も聴いた。途中からは"Differenet Trains"とかわりばんこにして聴いた。

あの作品もホロコーストを扱っているという意味では同じ悲惨なテーマではあるが、敢えてそれだけにフォーカスするのではなく、同じ時代の別の場所で起こっていたことと対比させ、40年以上を経過した時点から当時を振り返るやりかたが、悲劇を柔らかく表現する役割を果たしていた。

しかし、"WTC 9/11"では、10年の時を経たいまも悲劇はほとんどそのままの形で、人々の心に刻み付けられていることを表現している。

"2010"と題された第2楽章でも語られている内容は当時の現場の描写そのものであり、彼らのなかでそのことに関する時計はとまったままなのである。

第3楽章でも、タイトル"WTC"に込められたもう一つの意味(これについてはライヒ自身によるライナーノートをご参照ください、僕は唸ってしまいました)とともに、楽曲の締めくくりでこのテーマを象徴する心象がひたすら癒えない「恐怖」であることが強く提示される(これも具体的に何であるかは書きません)。

そして、冒頭の第1楽章はあまりにも衝撃的だ。これに関しては芸術の表現手法としての賛否を問う声があがったとしてもおかしくはないと思う。僕にとっては、英語に対する感性がネイティブの人よりはるかに低いことが、まだ相当に刺激を減じていると思うのだが。

悲しい記憶や想いを表した歌や演奏はいろいろ聴いたが、正直こんなに辛い音楽を聴いたのは初めてである。

ライヒ自身がこの楽曲についてに解説の最後にこう語っている「WTC "9/11"はわずか15分半ほどの作品だ。作曲の間、随所で私は時間を引き延ばそうと試みたが、いずれの場合もそれによってインパクトが弱くなると感じてやめた。この作品は簡潔であることを望んでいる。」(ライヒの試みとは、おそらくは印象的なフレーズを何度か繰り返して表現することが中心だったと思う)

これは重く辛い音楽です。でもとても素晴らしい音楽です。もしかしたら聴いて後悔されるかもしれません。ただ、それも音楽なのだと思います。何事も楽しいこと心地よいことばかりではありません。音楽も人生も世の中も。

Reich: WTC 9/11, Mallet Quartet, Dance Patterns - Edmund Niemann, Frank Cassara, Garry Kvistad, James Preiss, Nurit Tilles & Thad Wheeler
Different Trains - Steve Reich

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