5/04/2008

連休と形見分け

ここ10年間ほどは5月の連休といえば9連休はあるのが当たり前だったような気がする。会社がそうなるようにうまく振替休日などを工夫してくれたり、自分で休みを1日増やしてそうしたこともあったかもしれない。今年は祝祭日の並びがどうにも意地悪な形になっていて、僕の勤める会社では、5月1日から6日までの6連休ということになっている。

それでも工場の操業を考慮した連休を設定する兄の勤める自動車会社の様に、飛び石連休の間にも休みを入れて11連休にしているところもあるようだ。その話を担当してくれている美容師の女性に話すと、半ば信じられないという表情で「私は11連休なんてとっちゃったらもう仕事には戻れないでしょうね」と言った。彼女のような仕事は、長くても4連休程度しか休みがとれないのだそうだ。

同じく本来ならカレンダー通りの4連休しかない妻と一緒に、30日の夜から新幹線と在来線を乗り継いで和歌山の実家に帰った。同じ時期に兄にも来てもらい、家の片付けやまだ残っている手続きなどを進めた。手続き関係は今回でほとんどのことをやり終え、遺された品々の片付もまだまだモノはたくさんあるが、どうやら先が見えたように思う。

今回は母親の品物を集中的に整理して、父や母の親戚(兄弟姉妹)たちに分け届けるということをした。洋服やアクセサリーなどを一通り整理し、分けられそうなものをより集め、それらをレンタカーを借りてそれぞれの実家に運ぶのだ。遺品の形見分けは財産の分与とは少し意味合いが違うはずなのだが、そこにはどうしても人の性分が少なからず姿をちらつかせるものでもある。

両家それぞれの親戚に別々に集まってもらい、あらかじめこちらでセレクトした品物を渡して、あとは自分たちで話し合ってくださいという形をとることにした。結果的には心配した揉め事などもなく形見分けは完了した(と思う)。後日、母の妹にあたる人からメールをもらったのだが、やはり品物を受け取った嬉しさというか安堵感が先立つも、やがて故人の不在に伴う寂しさが微妙に入り交じった感覚になり、涙があふれてきたのだという。

兄や僕そして僕の妻も、それぞれ少しずつ品物をもらうことにしたが、それにしてもまだ品物の一部に過ぎない。すべての品物の整理にはまだあと少し時間と労力を要するようだ。連休でそれらを一気にやってしまうという考えもあるのだが、とりあえず何かに追い立てられているわけではないので、父の一周忌なども含めもう少し時間をかけてやることにした。片付けばかりを続けるのは実際かなり疲れるものだ。

短い期間だったがいつもの和歌山グルメはしっかり楽しんだ。まだ少し気になるお店もあるので、次回からは少し趣向を変えて楽しみたいと思う。

和歌山から帰った翌日の今日は、まだ疲れも残っていた。それでも家でじっとしている気にもなれないので、目黒線の西小山まで電車に乗り、少し前に友達に教えてもらったイタリア料理店「コージー」でお昼を食べ、そこからまた武蔵小山や目黒不動尊、林試の森公園などを散策した。雨の降りそうな空模様だったがなんとかお天気は持った。ちょっとした散歩に身体にも適度な運動をしつつ、のんびりした気分を味わうことができた。

音楽は帰りの新幹線で先に紹介したエレクトロニカを聴いたりしただけだった。この手の音楽はお店でCDを買うのは難しいが、ECやダウンロードでは手軽に入手できる。ただまだ自分の知識や情報が十分ではないので、ネット上の専門店でいろいろと試聴したりしている段階である。十分に試聴ができるのはやはり嬉しい。実際に作品に触れてみると、こういう音楽の世界が非常に層の厚いものになっていることに驚かされる。

そんなことを言いながら、先ほどこのろぐを書く直前にダウンロードでアルバムを2枚購入した。合計で約13ポンド(2700円程度)になる。タワーレコードでCDを買うよりもかなり安いし送料も要らない。そしてなによりも自宅ですぐに作品を耳にできるメリットはやはり大きい。もしかしたらしばらく病み付きになるかもしれない。

実家に帰って親戚にあったり、自宅で少しのんびりしたり、どこかノスタルジックな音楽を聴きながら家でウィスキーを飲んだりしているうちに、また久しぶりにいろいろな友達と会って酒を酌み交わして語り合いたい、そんな気分がわき上がってきた。

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