1/29/2017

母の誕生日に

母の誕生日だった。

67歳で逝ってしまった時は早過ぎるねと誰もが感じたものだけど、もし生きていたらいま85歳になっていたことになる。それはそれで長生きである。もうそんなに経ったんだなあと思う。

亡くなってしまった人は死んだ日を「命日」として記念にするけど、その人が命を授かった日のことはあまり話題にしなくなる。戸籍の紙切れでも生前は生まれたことの証だったものが、死んだらそれが死んだことの証にとって代わる。不思議なものだ。

何か偉大な業をなした人であれば死んでからも生誕祭とかを祝ってもらえるみたいだけど、多くの人がそれを大切に思える業を遺すというのは大変なこと。でも誰にでも生きて遺した業はある。

母が僕に遺してくれたものは、僕のすべてだろうと思う。そう思うと急にいままで記憶のなかに埋もれていた具体的な記憶がよみがえる様に感じる。

生きていたことを思い懐かしんだりするのなら、やっぱり死んだ日にやるよりその人が生まれた日にそれをするのが自然じゃないかな。

そういえば母の形見的なものといえば何があったかな。写真は何枚かある。あとは生前使っていた品がいくつかあるかな。それらはどれもまだ僕に語りかける力を持っているけど、自分の中にある記憶を蘇らせるための形見ってことなんだろうなあ。

今の時代、写真や映像なんかはいくらでも残せるし、見たくなればいつでも見ることができるようにもなった。子どもなんか生まれたその日にビデオにデビューしている。もちろん撮ったのは僕だけど(笑)。当たり前なのかもしれないけど、やっぱりスゴいことだよなあ。

そういえば僕のことを記録した一番古い動画はいつのものだろう。いまあるデジタルアルバムを見ても子どもが生まれる前は動画は撮ってないみたいだ。昔、父が撮った8ミリフィルムがあったはずだけど、実家を整理した時あれはどうしたっけかなあ。もうないんだろうなあ。

なんだかしばらくぶりに、お母さんに会いたいなあという気持ちがした。それが無理なら、せめて自分以外の人が持っている母の記憶を聞いてみたいように思った。

(おまけ)日が昇る直前がいい。

0 件のコメント: