3/27/2011

冬は寒く、夜は暗い。そして人は強くも弱くもなれる。

震災から2週間がたった。

被害の全容が次第に明らかになってきているが、いまだ行方不明となってしまっている方の数が増え続けている状況。復興に向けた第一歩がようやく踏み出されつつある一方で、被災された方々の想いは複雑であり苦悩に満ちたものになっているようだ。

元々保守的な考え方が強い地域であるだけに、そのことはいい意味でも悪い意味でも影響が出てきている。

あれだけの被災に遭いながらじっと避難生活を耐え忍ぶ様が世界の賞賛を集めているが、一方で、住み慣れた土地を離れるかとどまるかの選択を迫られているものの、一時的な退避という合理的判断をめぐってさえ、被災者の方々の感情が引き裂かれている。これについては、僕の現在の状況(別に被災でもなんでもないのだが)にも大きく共通するところである。

巨大な二次災害となって現れた原子力発電所の問題は、予想されたこととはいえ、深刻な状況はかなり長期化する様相を呈してきている。炉心が止まれば安心という単純なものではなく、一度始めたら簡単には止められない核燃料の性質をどう安全に管理してゆくかという、とりあえずの目標にさえなかなか近づくことができない状況だ。

チェルノブイリの様な爆発の事態に至る可能性は低いとはいえ、放射能汚染の問題が足下で少しずつその正体を現してきている。放水が功を奏して少しずつ施設内部に近づけるようになったと思ったら、(当然のごとく)新たな事実が次々と明らかになる。原発から250km離れた横浜市でも、空気と水の放射能汚染に関するデータを公開してくれており、僕も欠かさずチェックさせてもらっている。

節電の呼びかけに応じて、職場や家庭そして商店や公共の場所など至る所で、照明を減らしたり暖房を控える等の協力が行われている。僕の家や職場でもまだ妻と子どもは帰ってきていないので、戸建ての独り暮らしはエネルギー効率の観点からは好ましいことではない。

しかし、いざこの様な暮らしを送ってみて気づくのは、その意味で特に不自由は感じないということ。そう、いままでが少し異常だったのだと僕は思う。当たり前のことだが、冬は寒いし、夜は暗いのだ。

人は自力では数十キロも離れた場所を毎日往復することはできないし、もちろん空を飛ぶこともできない。遠くにいる人と意志を通い合わせることもできないし、時空を離れて演奏された音楽を自由に聴くこともできないのだ。

文明のありがたさを再認識すると同時に、文明がもたらしているものの仕組みをある程度理解すること、そしてその不完全性をしっかりと認識しておくことがあらためて重要だと気づかされる。それによって、現代における人間自身の本質とか本性というものについても認識をあらたにすることが求められるのだろう。

その気持ちの持ちようによっては、人は強くも弱くもなるのだ。

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