4/03/2011

梅小路

2週間ほど広島に「疎開」していた妻と子どもが帰ってくることになった。さすがに広島まで迎えにいく気はなかったが、飛行機に乗せて2人だけで帰らせるのも大変だろうと思い、お互いに新幹線で移動して京都で落ち合うことにした。そこで1泊して京都の街をブラブラして、次の日に横浜まで還ってくる段取りだ。

京都駅のホームで2人を出迎える。最近鉄道に興味を持ち始めた子どもは、飛行機で移動するよりは楽しめたようだ。2週間ぶりに会った子どもは、僕のことを忘れるでもなく(当たり前か)という感じに見えたが、時間が経つに連れて僕が一緒にいることを実感してくれている様に思えた(親バカか)。

初日はホテルにチェックインする前に、円山公園のしだれ桜で有名な八坂神社に行ったのだが、肝心の桜はまだほとんど咲いておらず、しかも東山魁夷の絵で見るよりも明らかに歳をくった老木だった。おまけに境内は花見客を見込んだ出店がずらりと並んでおり、僕らはどこに来たんだっけという興醒めだけが残った。

そのままバスで銀閣寺へ。ベビーカーに妻の荷物もあって移動は大変だったが、ここはやっぱり美しかった。京都駅まで帰るバスがやたらと混雑して辟易したが。

駅前の安いホテルで和室が空いているというので、そこに宿をとった。京都は国内だけでなく世界中から観光客がやってくる街なので、宿泊施設はいろいろな種類がある。やはり小さな子どもがいる僕らには和室が最適だ。部屋にはユニットバスが付いていたが、上の階には大浴場もあり結構のんびりできた。

たかだか子どもを迎えにいくだけにしてはちょっと贅沢かなとも思ったが、子どもの2歳の誕生日もまともに祝ってあげることができなかったので、まあこのくらいはいいかと思った。夕食はホテルの向かいにある居酒屋「京都庄や」で食べた。小さな座敷を用意してくれて食事の内容も予想外に充実したものだった。

翌日は京都に行くことに決めてから思いついた蒸気機関車館で有名な梅小路公園に行ってみることにした。これが思いのほか充実したところで、結局チェックアウトしてから新幹線に乗る午後3時前までの時間を、ここで満足して過ごすことができた。京都駅の近くにこんないい場所があるとは知らなかった。

梅小路蒸気機関車館の名前はそれこそ小学生の頃から聞いていたが、実際に訪れたのは今回が初めて。子どもが電車や機関車に興味を持ち始め、おもちゃや写真を見るたびに「しゅーしゅーぽっぽ」と言っているので、実際に動く本物の蒸気機関車を見せてあげるのはいい経験になるだろうと思った。

蒸気機関車は単なるノスタルジーだけでは決してない、とても深い魅力がある機械だ。展示されている機関車はD51やC62をはじめほとんど70年以上の歳月が経過しているのだが、すべてまだ実際に動かすことができるものばかり。1日3回ある蒸気機関車の列車に試乗することができる「スチーム号」はここの名物らしい。

黒煙を煙突から立ち上らせ、いろいろなところから白い蒸気を勢いよく吹き出す様は、感情とか逞しさといったものを超えた生き物の雰囲気を感じさせる。大きな汽笛の音はまさにその命の証のように力強く空気を震わせる。感動的だった。

子どもも妻も満足だったようだ。園内の売店で昔の駅弁を思わせる弁当を買って、石炭の匂いが漂ってくる屋外で食べた。

その後は、梅小路公園内にある「朱雀の庭」と「いのちの森」に立ち寄った。京都の造園技術を結集したというだけあって、現代的な感覚にもあふれた静かで美しい庭園と森である。僕らが行った時は訪れている人も少なく、静寂の中に時折蒸気機関車の汽笛が聞こえてくるのは風情があった。

気温がかなり高めで初日はかなり暑く感じることもある陽気だったおかげで、気持ちよく過ごすことができた。京都は僕にとって住みたい場所だとは思わないが、何度でも訪れたい場所である。

こうして2週間の独り身生活は終わり、また家族3人での暮らしに戻ることができた。子どもは少しまたコミュニケーション能力が進化した様に感じた。

震災から3週間が経ち、いまだに被害の全容が判然としない状況が続いている。被災された方々のことを思うと、こんな時間を過ごすのは申し訳ないようにも思う。しかし月が替わり、年度が替わり、被災地も少しずつ本格的な復興モードに移りつつある。僕らも情勢を見守りつつ今回の震災で得た教訓を胸に、新しい復興に向けて歩み始めないといけない。

「頑張ろう、日本」の様なスローガンが巷にあふれているが、真の意味が理解されているだろうか。あれは単に被災地の復興を願うだけのものではない。もちろんそれだけでもとてつもない頑張りが必要なのだが、あの震災が日本にもたらした深い影響が実際に姿を現すのはこれからだ。

国際社会の中での日本の産業が経済が国民生活がさらに大変な状況に陥ってしまったことは、これからいやでも実感させられることになる。その意味では阪神の震災の時とは、時代はかなり変わっているところもあるのである。

口先や手先だけの頑張りでは乗り越えられない変化がやってくる。いままで見て見ぬ振りをして先送りにしてきたことをやらなければならなくなる。その意味する内容は広いと思う。

(おまけ)
朱雀の庭に植えられたパンジー

梅小路蒸気機関車館で試乗した機関車

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