3/21/2011

混乱と精神統一

震災から10日間が経過。余震を心配する週末が明けたと思ったら、原発と停電の問題が持ち上がり、直接地震や津波の被害を受けていない首都圏が惨めに混乱した1週間となった。

買い占め騒動、チェーンメールや義援金詐欺、被災とは無縁の多くの人もあっさりと心の隙をつかれ、文明の利便性を享受している社会ほど、システムやそこに暮らす人々の心が脆いということの一端を垣間みている。「人は無力」とはむしろこういうことを言うのだろう。

今回の震災について、「我欲に対する天罰」とびっくりする様な発言をした人がいた(翌日謝罪のうえ撤回した様だ)。「天罰」という言葉は被災された方々への配慮をあまりにも欠いているとは思うのだが、一方で、彼の言う「我欲」を戒めるべきということについては、言いたかったことはわかる。

電力を中心としたエネルギー全般に対する考え方は大きな転換を迫られつつある。もう少し言えば「エコ」という流行語が全然抱えきれていない問題の本質が明らかになっている。電力会社が喧伝してきた「オール電化」の理想は、この1週間であっさりと振り出しに戻された。元々うさんくささに満ちてはいたのだが。

首都圏で突如として起こった「買い占め騒動」はその問題と裏腹の関係にある。もし送電されてくる電力を家庭で備蓄する仕組みがあったとしたら、同じ争奪戦が起こってさらなる混乱に拍車がかかっていたことだろう。ガスで電気を起こす仕組みがもっと普及していたら、やはり同じことが起こっていただろう。ガソリンの状況を見ていれば一目瞭然である。

原子力発電は、核軍拡時代において非核宣言をした日本が世界の競争から取り残されないために、政府がぎりぎりのところで判断して確保した技術的な砦だった。

もちろん本来的に安全性の問題は言われていたことだし、今回の様な事態が起こった以上それを責めるのは容易ではあるが、東西に数万という核兵器の森が出現した当時の状況に対する一定の斟酌は必要だろう。そのうえで今回の教訓をどう受け止めるかということになる。

今回の事故が天災か人災かという点については、設備そのものの問題に加えて、炉心停止後の対応の問題も含めていろいろな議論が行われることになるだろう。

幸いにも現時点では、自衛隊はじめとする関係者の努力で、事態は少し冷静になれるレベルになってきている。ヘリでの散水を茶化す向きも見られたが、あの時点での状況がどれほど緊迫したものだったかをよく知る必要がある。それは、首相や官房長官をはじめ東京電力職員など記者会見でカメラの前にたった人たちの表情にはっきりと表れていたと思う。

被災地、とりわけ三陸沿岸を中心とした場所での人々の生活や国土の復興についても、これからいろいろな思惑が入り乱れながら事が進んでいくことだろう。神戸の時とはかなり事情が異なるところがある様にも思える。僕はその地の人間ではないからこんなことを考えるのかもしれないが、行政側でのかなり思い切った決断があるべきだと思う。

福島第1原発の廃炉についてはほぼ確定と言われているが、それをよしとしない勢力の火が完全に落ちたわけでもない。膠着していた八ツ場ダムの再建にも大きな影響が出るだろう。


そんななか、わが家でも家族を広島に帰すことを決めた。僕自身は近郊で連鎖的な大地震が再発することや、都市部の生活インフラの混乱が気がかりであった。そこへ広島の妻の実家から「放射能が心配」とかいう連絡が来て、なんだか釈然としないまま結局金曜日からしばらく帰省させることにした。僕も同行し日曜日の午後に単身横浜に戻ってきた。

家族を守る行動としては間違っていないとは思うが、正直ちょっと後悔している面もある。ここは被災地ではないし、放射能については、いろいろな専門家の見解を知り関係者の努力を信じて見守ることで十分だったと思う。ここに住むと決めたのだからこの場にとどまって踏ん張るべきところを、安易に逃げ出したかの様な気持ちも拭えないでいる。

阪神淡路大震災のとき、半年ほど経って訪れた復旧現場で目にした言葉に「頑張れ言うな!頑張っとるねん!」というのがあったことを思いだす。関西の人らしい本音の言葉だったと思う。

まだ誰もこの震災をきれいに整理して受け止められる状況にはないと思う。いまの時点で感じたことを書いてみた。

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