5/31/2009

フクシアの花に誘われて

生活のリズムはようやく落ち着いてきた。新しい家族と新しい住まいにはとても楽しませてもらっている。毎日に何かしらの新しさがある。一方で新しい仕事にはどうもまだ馴染めない。

自分が元々いた職場だというのは、たぶんその理由の大きなもののひとつだろう。時代は変わり職場の人は大きく変わった。それでも変わらない何かがある。それらは自分自身の中にも同じようにある。解決するのはなかなか厄介な代物である。

百年に一度の景気後退というのは一体誰が言い出したのか。個人的には何を持ってそんなことを言っているのか理解できない。経済は自然現象ではないのだから、大地震や台風と同じ様な表現はあたらない。

景気が悪いと言っても物事の進み方は決して一様ではない。いずれ上向くと思っているものが案外いつまでも下がり続けるというのはよくある話だ。いわゆる「終わった」状態である。多くの場合、当事者はうすうす終わったことに気がついているのだが、どこかでそれを認めたくない、あるいは認めることができないでいる。

音楽の世界でも「何とかはもう終わった」とか「何々の時代は終わり」とか、よく使われる言葉である。しかし服飾やデザインの世界同様、芸術には流行の波があっても、優れたものに終わりはない。それは必ず誰かの記憶にとどまり続け、大切に受け継がれて行くものである。何かの媒体に記録したものがあれば、それはいろいろな人の間を彷徨ってゆく。

少し前にろぐで書いた、元町の中古屋で見かけたサム=リヴァースの中古CDだが、結局あれからそれほど日が経たないうちに、仕事のストレスも手伝ってか会社帰りにさっと途中下車して回収してしまった。「フューシャ スィング ソング」と題されたブルーノートのアルバム。ジャケットがなかなかかっこいい。それが僕を呼び止めたようだ。

フューシャとは植物の名前で、謎めいた魅力をもつ不思議な形の花を咲かせる種である。日本ではドイツ語読みのまま「フクシア」と呼ばれている。

このアルバムはリヴァースのアルバムとしても、あるいはブルーノート4000番台のなかでも決して有名な作品ではない。僕が興味を覚えたのはドラムがトニー=ウィリアムスであること。ちなみにベースはロン=カーター、ピアノはジャッキー=バイアード、そしてプロデューサはアルフレッド=ライオンである。1965年の録音というから当時のジャズシーンはだいたい想像がつく。だからこのアルバムの中身は想像するのが難しかった。

ふらりと入った中古屋、それも、さほどジャズに力を入れているというわけではないお店で、どうしてもある作品に惹かれてしまうということは実際たまにある。まるで棚のなかから「やっときてくれましたね、ずっと待っていましたよ」と急に語りかけてくる様な感じ。

もちろんだからといってそれが必ず当たりとは限らない。見事に騙される場合だってある。それはその時の自分の気持ちに依るところが大きい。気持ちの不安定なときにお店でうっかり相手の誘いに乗ってしまい、損をすることもある。中古屋は売りに出されたCDの溜まり場である。もしそれらに気持ちがあるならそれはきっと穏やかなものではないだろう。

さて今回はどうだったかというと、幸いにもとてもいい出会いだったと言える。収録されているのはすべてサムのオリジナルだが、気をてらったようなところはなく、まるでスタンダードの様な自然なスタイルである。新しい題材をネタにメンバー全員がとてもリラックスしてセッションを楽しんでいる。これはいい買い物だった。

せっかくフクシアのことを知ったので、新居に少しばかりある植え込みで花を育ててみたいと思った。

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