新しい家に移り住んで2週間がたった。引越しの前日からまた妻の母親がきてくれて、引越し後の面倒をいろいろと看てくれた。おかげさまでたくさんあった段ボールは僕のCDやらこまごましたものを除いて、4、5日程度でほとんどかたづいてしまった。
引っ越して最初の週末で僕も自分の荷物の整理をして、週明けの月曜日には空っぽになったおびただしい量の段ボールやら梱包材などを、引越し業者に引き取りにきてもらった。これで家の中はあらかた片付いてしまった。ご近所へのご挨拶も済ませ、なんとかこの家の住人としての格好はついた。
2日間会社に出た後、水曜日からは8連休に入った。最初の3日間は広島から兄がやってきて、泊まっていった。子供がいるのでいままでのように妻と3人で食事に出かけたりというわけにはいかないが、近所にある大きな公園を散歩したり、新しくできた大型家電量販店への買い物につきあってもらったりした。そこでようやくテレビと掃除機を買った。
兄の滞在最終日には、購入した家具で唯一到着が遅れていたソファが届いた。お店で実物を見て選んだつもりだったのだが、いざ自宅にやってくるとこれがなかなかの存在感で、ずっと空けてあったそのためのスペースに感じられていたもの足りなさは、一気に吹き飛んでしまった。
今回は目黒にあるエンライトギャラリーという家具屋さんにお世話になった。2階のリビング全体を東南アジアのテイストで揃えてある。これは以前からの僕らの希望でもあった。おかげさまでとてもいい雰囲気に部屋をまとめることができた。
子供の方は順調に育っている。兄がやってきた2日目には、スリングに収まって4人で元町まで出かけた。初めてバスや電車に乗り、中華街で飲茶も楽しんだ。バスの振動やエンジン音が心地よいらしく、長い信号待ちでアイドリングストップするとしーんとする車内で少しぐずり始めたりする。エンジンがかかって動き始めるとまたすやすやと眠る。
いまのところまだ3時間ごとに母乳とミルクを欲しがり、それ以外にも何かとぐずっておねだりする。もっぱら妻が世話をしてくれていて、夜中に泣いたりしても僕が起きる頃には、汚れたおむつを捨てたりするくらいしかやることがない。
泣き声が大きくコルトレーン級だと以前に書いたが、泣き叫びが激しく続くと声が割れたり裏返ったりするので、最近はもっぱら「ファラオ泣き」と呼んでいる。もちろんファラオ=サンダースに因んでのことだ。
僕はフリーとか現代音楽とかいろいろと聴いてきたせいか、不思議と赤ちゃんの泣き声を耳にしても、あまり嫌な気分にならないようだ。それどころか微妙な声色の変化を楽しんだりしてしまう。自分の子供の泣き声については、1週間もしないうちにこれはファラオの咆哮にそっくりだなあと思ってしまった。
今回CDを整理しながら、このところほとんど聴いていなかったものをいくつか棚に並べてみたのだが、そのなかにファラオの懐かしい作品もあった。「ライヴ」と題されたこの作品は、1982年にアメリカ西海岸で演奏されたものを収録してある。1曲目の"You've Gat to Have Freedom"の冒頭からあの咆哮が全開である。
しかし、ここには1960年代のコルトレーン作品や、マントラー等との演奏で聴かれた凶暴な演奏は影を潜め、ブルースやゴスペルといった黒人のルーツミュージックの世界に立ち返った内容になっている。
コルトレーン死後に発表されているファラオの作品は、クラブ系のアーチストから高い支持を集めているらしいが、それは単なるビートやグルーヴにとどまらない、彼の音楽全体に滲み出るブラックスピリッツに対するものだろうと思う。
連休後半になって少し体調を崩してしまった。折しも新型インフルエンザの問題が毎日のようにニュースで流れており少し心配にもなったのだが、幸い大事にはいたらなかった。
いまお気に入りのソファでは妻が束の間のうたた寝を楽しんでいる。子供はリースで借りたベビーベッドでマイルスのマラソンセッションを聴きながら眠っている。時折、声を上げたりし始めたのでそろそろ目覚めるのも時間の問題だろう。
横浜の新居に響きわたる咆哮は、できれば昼間だけにして欲しいものだが、まだようやく昼と夜の区別ができ始めた本人に自制を促すのは無理なことだ。いましばらくはその泣き音をファラオの咆哮に見立てて楽しむことにしたい。
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