4/26/2009

川崎を去る

2週間ぶりの更新。前回にお知らせした通り、先週月曜日に自宅の引越しをした。結婚して10年間住み続けたアパートと川崎市にお別れをして、社会人の独身時代を過ごした横浜市に小さな家を建て、そこに移り住むことにした。

家を買うことを決めたのは昨年の夏だった。ちょうど妻のお腹に子供がいることがわかったのと同じ頃。元々は住んでいたアパートの近くにあるマンションを考えていたのだが、想定していたよりも値段が高く内容もよくなかったので、勢い「あのくらいお金出すんだったら戸建てが買えるよなあ」と負け惜しみをいったのが始まりだった。

どういうわけか妻が持て余したエネルギーで物件を検索したのが横浜の山手だった。実際、自分たちにとってまだ手頃な値段で建売の物件がいくつかあった。こうなりゃもうついでだとばかりに、さっそく不動産会社に電話して、翌週現地見学ツアーと相成った。

実際に物件を見てみると確かにこぎれいでマンションに比べれば広いものばかりだったのだが、やはりお手頃なのにはわけがある。どれも駅から遠いしこの付近特有の複雑な地形のなかで突然空きが出た土地に建てられたものという感じだった。

ほぼ半日にわたって4つの物件を見せてもらったのだが、どれも立地の点でいまひとつ決め手に欠けるものばかりだった。すっかり日も暮れ、今日はこのくらいで帰ろうかとしたとき、ものは試しにと、あと少し値段が高くなってもいいとしたらどんな物件があるのか、と店の人に尋ねたのが運のつきだった。

「昨日売出になった分譲物件ですが、ものすごい人気で・・・」と見せられた1枚の図面。まだ建物はなく、分譲の区画だけが決められており、そこに業者が指定した仕様と部材を使って、条件内で自由に家が建てられるのだという。帰宅ついでに日の暮れた現地まで車で送ってもらい、真っ暗な土地だけを確認した。駅からは十分に近く、とてもいい条件の場所だった。

結局、翌日曜日の朝に2人で相談して、その物件を買うことにした。ただし景色のよい北側の土地が買えればという条件で。この12時間即決が功を奏して僕らは目当ての区画を手に入れることができた。

もちろん安い買い物ではない。たくさんのお金を借りなければならなかったが、産まれてくる子供との新しい生活含め、何か大きな節目を感じそれに突き動かされるようにことを進めた様に思う。

以後、妻のお腹が大きくなるのに合わせて、家の姿も図面上から実際の形になるまで進化していった。自分たちが家を設計するなど考えていなかったので、最初はとても不安だったが、親切で熱心な設計士さんのおかげで、引渡しが行われたのは子供が産まれた翌日だった。

少し余裕を持って引越しの日を決めていたのだが、それでもまだ生後1ヶ月である。とても自分たちだけで荷造りをするのは無理と判断し、引越し業者の人に荷造りをすべてお任せするコースを選ぶことにした。

引越し前日、引越し屋の制服を来たおばさん3人がやってきて、てきぱきてきぱきと自分の家の荷造りをやり始めた。それはもう驚く様な働きぶりだった。わずか4時間で狭い2LDKに詰まった荷物の8割は段ボールに収められた。翌日には平日ということもあって数名の作業員がやってきて、ものの2時間でアパートは空っぽになった。

こうして僕らは10年間住んだアパートをタクシーで後にした。続きはまた次回。

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