8/10/2008

「スカイクロラ」を観る

8月9日土曜日。朝から髪を切って色を入れてもらいに行った。今回は暑いので髪を短くしてもらった。

このところ1年以上担当してもらっている美容師に、もし僕のヘアスタイルを自由にプロデュースするとしたら、どうしてみたいか聞いてみた。彼女とは毎回いろいろな話をするのだが、相手は接客モードなのでそんなことを聞いても愚かなことだとは思った。案の定、返ってきた答えはやっぱりはっきりしないものだった。いまとなってはどういう返事だったのかあまり覚えていない。

自宅に戻り、ケンタッキーで買ったチキンやビスケットなどを昼食として食べ、少し昼寝をした。夕方から妻と川崎に映画を観に行くことにしたから。

昨日に比べれば少し曇っていて過ごしやすい感じだった。上映時間まで少し間があったので、川崎ラゾーナで日用品の買い物をしようと立ち寄ってみると、広場のステージでD−51というヴォーカルユニットのステージが始まるところだった。歌はなかなか上手だし、曲も悪くない。30分程の短いステージだったが、こういうものを生で観ることはなかったので、とても新鮮で爽やかな気持ちにさせてくれた。

結局、買い物の時間はなくなったのでそのまま川崎チネチッタに直行した。

今回観たのは押井守監督の「スカイクロラ」。押井作品を劇場で観るのはこれが初めてである。以前から一度観てみたいと思っていたのだが、その度にいつの間にか公開期間が終わっているというお決まりとも言えるパターンが続いていたので、今回はそのあたりを断ち切る思いで行動を起こした。こう書くとずいぶん大層なことをしたような書き方だが、嫌みな感じがするだろうか。

この作品にひかれたのは、押井作品を劇場でしっかり観てみたいということと、予告編で観た戦闘機による空中戦のシーンの素晴らしさが主たる動機になっている。しかし実際に観てみると、作品自体が持つ深いテーマが僕自身のなかにある世界のドアをノックするような気がして、そのことが結果的に深い印象となって残る作品だった。

作品のテーマを形作る上で重要な設定となっている「キルドレ」によく似た考え方を、僕自身もずっと昔から持ち続けている。それは中学生ぐらいから心の中に芽生え始め、少しずつ形や周辺の設定を変えながら、結局いまに至るまで僕の心の中に居続けている。

社会人になったら、あるいは結婚したらそれはいつの間にかいなくなっているのかなあと、おぼろげに考えた時期もあったが、そうはならなかった。僕という人格のなかで無視できない存在になっているといった方がいいだろう。

キルドレの様な概念は、おそらくは現代の多くの人に共通しているものだと思う。僕のように積極的にそれを心のなかで飼っている(飼われているのかもしれない)人も少なくないだろうし、意識の底でその存在にほとんど気づかずにいる人も少なくないと思う。もちろんどちらがいいというようなことではない。

それはあまりにプライベートなものであるから、僕は自分のなかにあるそれについてこれ以上書くことはできない。作品に描かれたものが、原作者や監督のなかにあるそれの一部であることには、おそらく間違いはないとも思うが、これはそうしたプライベートなものをもっと普遍的な概念に翻訳して表現していると考えるべきだと思う。

作品は本当に素晴らしいものだった。テーマについてはもちろん、現代のアニメーション(もはやそう呼ぶのはおかしいのかもしれないが)が、こんなところまで来ているのかということに素直に驚きもしたし、絵作りだけでなく、台詞や物音にいたるまでの音作りにも感心した。もし観てみようと考えている人がいるなら、僕は積極的にお勧めしたい。

どんな映画もそうだが、この作品については最後のクレジットロールになっても席を起ったり気を抜いてしまわない方がいい、別に驚くようなことが起こるわけではないが、作品のイメージをはっきりさせて帰るにはそうした方が無難だとだけ伝えておきたい。

映画を視る前に偶然に楽しんだD−51とは真逆の世界ではあったが、僕のなかには程度の差はあるものの、どちらもしっかりとした印象を残してくれるものだった。今日もいい一日だったし、僕はまた前に進んだ。

スカイクロラ 公式サイト
D-51 オフィシャルサイト

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