8/31/2008

雷鳴

ある仕事に関わったことで、この木曜日から土曜日までの3日間、会社の研修施設に泊まり込むことになった。いわゆる合宿である。詳しい内容はとても書けないが、仕事や会社ということについていろいろなことを考えた3日間だった。もちろんこのプロジェクトを主催した人たちにとっても、それなりに実りのある3日間だったと思う。希望的な成果が少しあり、そうでない実感が少し深まった、そんなところだろうか。

施設は東京府中市の多摩川沿いにある。東日本全域で木曜日の夜から激しい雷雨が続いた。初日の夜中は特に雷が激しく、宿泊した部屋の窓から見える鉄塔や橋など高い建物にことごとく落雷する様が見られた。異常な閃光と轟音。日頃滅多に体験できるものではないので、僕は明かりを消した真夜中の部屋で、そうした窓の外をしばらく見続けていた。

雷の原理は理科で習う程度の理屈はわかっているつもりだが、輝く稲妻についてはともかく、雷鳴がなぜ起こるのか、そしてどうしてあのような音色になるのか、それがわからずにつくづく不思議に思った。しかしそこにある「電気的(エレクトロニカ)な音」の本質は、人工的な電子音の本来の姿をはっきり感じさせてくれる。僕はそこにある種の信頼感とか頼もしさの様なものを感じる。

仕事では僕は主催者のお手伝いをする役割なので、実際に検討の中心になって働いた人たちに比べれば、それほど忙しくしたわけではないと思うのだけど、やはり最終日にはすっかりくたびれてしまった。家に帰ったのは土曜日の夜だった。目の奥からじんわりとした疲れがわき上がり、それは日曜日の夜になったいまも残っている。外ではまた激しい雨が降ったりやんだりしている。

これで1つの仕事に一段落がついたことになるのだが、やはり明日から始まる9月のことを考えると、いろいろなことが僕を待っている。僕はそれらのことを考えながら、一方ではそれらと相対的な距離を置くことを考え、同じ期間の別の生き方について考えている。そうすることで僕は人生に膨らみを持たせることができる。

8/24/2008

15分の過去と未来

最近、またCDをちょくちょく買うようになっている。まだ手元には届いていないが、いま時点でも3つのCDアルバムを海外のサイトに注文していて、そのうち1つは3枚組のセットだ。今月は久しぶりにひと月に買ったCDの枚数が10枚になりそうだ。

音楽なら毎日聴いてるよと思っていても、特に新しい音楽に対する関心の強い弱いによって、この枚数は変るようだ。もしかしたら仕事が忙しいので、そのストレスを解消しようとしているという側面もあるのかもしれない。

音楽ダウンロードは便利だし、間違いなくこれからの音楽販売スタイルの主流だと思う。しかし、いまの時点では、簡易なスピーカーで聴いていても音質はやはりCDには劣るし、何かの間違いでファイルが開けなくなるという心配もある。だから本当に欲しいと思ったら、よほどのことがない限りまだCDを買うことになる。

しかし、やはり新品のCDを円建てで買うのは高くつく。僕が好んで聴いているマイノリティミュージックについては特にそうだ。その意味ではディスクユニオンのサイトなどで、面白そうな新作の情報を入手しては、申し訳ないと思いつつ海外のサイトからそれを取り寄せるということが多くなっている。送金に手数料がかからなくなったネットでの取引は、本当に有り難いものだ。

音楽を少しでも安く手に入れたいと思うのは、学生の頃に蒐集癖がついた名残だと思う。当時のアルバイトの収入からすれば、決して貧乏な学生生活ではなかったと思うが、そのほとんどを音楽とアルコールに回していた僕の生活は、周囲から見れば貧しい生活に映ったかもしれない。そういう僕の体験からは、欲しい音楽を手に入れる=CDを買うという感覚は、そう簡単に抜けそうにはない。

いま聴いているのは、日本人ベーシスト、菊地雅晃の「・・・15分なら過去にも未来にも行けるよ・・・」という作品。もう10年以上前の作品らしいが、ご本人のブログによるといまでもかなり納得のいっている自信作だとのこと。彼は日本のジャズピアノの巨匠「プーさん」こと菊地雅章の甥で、同氏のユニット「菊地雅章スラッシュトリオ」でもベースを務めている。

僕はこのCDを数年前にタワーレコードで買った。いまでもHMVのオンラインショップで取り扱いがあるようだ。内容はアコースティックベースのソロアルバムなのだが、マイクで拾った音を、コルグのアナログシンセモジュールなどを通して電子的に変調して独特の音世界を創造している。いわゆるフリーインプロヴィゼーションの作品だが、非常にしっかりした「作り」が感じられ、素晴らしい音楽だと思う。

雅晃氏は現在もいろいろと活躍しているようで、僕も是非一度ライヴを聴きに行きたいと思っている。ブログもなかなか面白く、「音楽 41泊45日」という最近のエントリーには、非常に共感を覚えた次第である。

だいぶん涼しくなった。忙しかったせいか、ちょっと身体が重い。風邪をひかないように気をつけないと、まだもう少し片付けなければならない仕事が残っている。

8/16/2008

ミステリー タイド

いわゆるお盆休みの週で、通勤の電車は比較的すいていた。僕も15日だけはお休みをもらった。しかし、どうしてもチェックしないといけない仕事があって、午前中の少しだけ職場に出かけるはめになった。人を頼りにしたいと思うのだが、それがなかなか思ったようにいかないというのは辛いものだ。

金曜日とそれに前後する3日間は猛烈に暑い毎日だった。そんな気候だったのと少し疲れがたまったのか、身体がだるくてどこにも出かけずに家でごろごろして過ごした。

土曜日の夜に世田谷区が主催する多摩川花火大会があったので、妻と2人で出かけた。妻もこのところあまり体調が優れないので、出かけられるのかと心配だったのだが、なんとか東急の多摩川駅まで電車で出かけ、そこから少し河原を歩いて適当な場所にシートを広げた。

結果的に花火を見物する場所としては、今ひとつだったのだが、川面からの涼しい風にあたりながらしばし夜空の下でのんびりした。僕らが座った場所は、打ち上げ場所からまだ2キロほど離れた場所だったが、結構多くの人があちらこちらに座って花火もそこそこに思い思いの時間を過ごしていた。

先週末に渋谷のタワーレコードで買ったエレクトロニカの作品を紹介しておく。アイルランド在住のアーチスト「ハルク」ことトーマス=ホウが今年リリースした作品「ライズ オブ ア ミステリー タイド」、直訳すれば「怪しげな上げ潮」とでもいうのか。

エレクトロニカといってもクレジットを見る限りは電子楽器は使用されておらず、チェロやクラリネット、バスーンといった楽器を録音して様々に加工して作り上げたと思われる、不思議な優しい音空間世界が広がる。渋谷タワーのニューエイジコーナーで試聴し、すぐに気にいってしまった。

トーマスはこれを完成させるのに18ヶ月間を費やしたらしい。自分で考える余地が少ない、人から言われた作業をして過ごす18ヶ月間のことを考えると、こんな濃密な成果とはほど遠いものだろう。


hulk
"Rise of a Mystery Tide"

8/10/2008

「スカイクロラ」を観る

8月9日土曜日。朝から髪を切って色を入れてもらいに行った。今回は暑いので髪を短くしてもらった。

このところ1年以上担当してもらっている美容師に、もし僕のヘアスタイルを自由にプロデュースするとしたら、どうしてみたいか聞いてみた。彼女とは毎回いろいろな話をするのだが、相手は接客モードなのでそんなことを聞いても愚かなことだとは思った。案の定、返ってきた答えはやっぱりはっきりしないものだった。いまとなってはどういう返事だったのかあまり覚えていない。

自宅に戻り、ケンタッキーで買ったチキンやビスケットなどを昼食として食べ、少し昼寝をした。夕方から妻と川崎に映画を観に行くことにしたから。

昨日に比べれば少し曇っていて過ごしやすい感じだった。上映時間まで少し間があったので、川崎ラゾーナで日用品の買い物をしようと立ち寄ってみると、広場のステージでD−51というヴォーカルユニットのステージが始まるところだった。歌はなかなか上手だし、曲も悪くない。30分程の短いステージだったが、こういうものを生で観ることはなかったので、とても新鮮で爽やかな気持ちにさせてくれた。

結局、買い物の時間はなくなったのでそのまま川崎チネチッタに直行した。

今回観たのは押井守監督の「スカイクロラ」。押井作品を劇場で観るのはこれが初めてである。以前から一度観てみたいと思っていたのだが、その度にいつの間にか公開期間が終わっているというお決まりとも言えるパターンが続いていたので、今回はそのあたりを断ち切る思いで行動を起こした。こう書くとずいぶん大層なことをしたような書き方だが、嫌みな感じがするだろうか。

この作品にひかれたのは、押井作品を劇場でしっかり観てみたいということと、予告編で観た戦闘機による空中戦のシーンの素晴らしさが主たる動機になっている。しかし実際に観てみると、作品自体が持つ深いテーマが僕自身のなかにある世界のドアをノックするような気がして、そのことが結果的に深い印象となって残る作品だった。

作品のテーマを形作る上で重要な設定となっている「キルドレ」によく似た考え方を、僕自身もずっと昔から持ち続けている。それは中学生ぐらいから心の中に芽生え始め、少しずつ形や周辺の設定を変えながら、結局いまに至るまで僕の心の中に居続けている。

社会人になったら、あるいは結婚したらそれはいつの間にかいなくなっているのかなあと、おぼろげに考えた時期もあったが、そうはならなかった。僕という人格のなかで無視できない存在になっているといった方がいいだろう。

キルドレの様な概念は、おそらくは現代の多くの人に共通しているものだと思う。僕のように積極的にそれを心のなかで飼っている(飼われているのかもしれない)人も少なくないだろうし、意識の底でその存在にほとんど気づかずにいる人も少なくないと思う。もちろんどちらがいいというようなことではない。

それはあまりにプライベートなものであるから、僕は自分のなかにあるそれについてこれ以上書くことはできない。作品に描かれたものが、原作者や監督のなかにあるそれの一部であることには、おそらく間違いはないとも思うが、これはそうしたプライベートなものをもっと普遍的な概念に翻訳して表現していると考えるべきだと思う。

作品は本当に素晴らしいものだった。テーマについてはもちろん、現代のアニメーション(もはやそう呼ぶのはおかしいのかもしれないが)が、こんなところまで来ているのかということに素直に驚きもしたし、絵作りだけでなく、台詞や物音にいたるまでの音作りにも感心した。もし観てみようと考えている人がいるなら、僕は積極的にお勧めしたい。

どんな映画もそうだが、この作品については最後のクレジットロールになっても席を起ったり気を抜いてしまわない方がいい、別に驚くようなことが起こるわけではないが、作品のイメージをはっきりさせて帰るにはそうした方が無難だとだけ伝えておきたい。

映画を視る前に偶然に楽しんだD−51とは真逆の世界ではあったが、僕のなかには程度の差はあるものの、どちらもしっかりとした印象を残してくれるものだった。今日もいい一日だったし、僕はまた前に進んだ。

スカイクロラ 公式サイト
D-51 オフィシャルサイト

エコー

8月8日の金曜日は会社の全社一斉休日だった。久々の3連休を楽しんでいる。

金曜日は予報通り東京はこの夏初めての猛暑日になった。せっかくの休みにもかかわらずなぜかじっとしていられない。日頃なかなかできない用事を済ませようという気持ちと、とにかく街に出かけてみたいと言う気持ちが入り交じる。

渋谷の証券会社に手続きをしに出かけ、その後、同じ筋にあるタワーレコードに立ち寄って、先週ガマンしたエレクトロニカ系のCDを買い付ける。その後、悪阻(つわり)がひどくて入院してしまった会社の同僚を見舞いに、恵比寿のとある病院へ向かった。

部下が入院したのでお見舞いに行かねばと、その程度のことしか考えずに教えられた病院に向かった。時間はちょうどお昼前、既に猛暑だったと思う。駅から10分程の道のりでは折りたたみの雨傘をさして歩いた。

病院はきれいな総合病院だった。受付で相手の名前を伝えたときに、自分が今日訪ねるのは産婦人科なのだということに初めて気がついた。本来の面会時間より時間がずいぶん早かったのだが、ナースセンターで相手の名前と僕の身分を伝えると、そこにいた看護士が本人に確認してくれ、産科病棟のロビーまで出てきてくれたので、なんとか面会は成立した。

新生児室とかは興味深かったが、他の妊婦さんが通路を通るたびに興味深げな視線を向けてくるので(当たり前だろう)、ちょっと不思議な居心地だった。当の本人は点滴をつけていて少しやせていたが、話をしたりするには何も問題はない感じだったので、僕はひと安心した。

生まれたばかりの赤ん坊の泣き声のする病棟を後にした。エレベータホールの近くできれいな女性が、何か不思議な仕草の体操をしている横でずいぶん長くエレベータを待った。外の日差しはさっきよりもいっそう強く僕を迎えた。

この日、妻は出勤で近々退職する同僚の送別会もあって帰りが遅かった。なので家でウィスキーを飲みながらステレオセットで先週から買い込んだ音楽を聴いた。今回はそのなかから特に気に入った1枚を紹介しておく。僕が大好きなピアニストのポール=ブレイと、富樫雅彦のデュオを収録した「エコー」である。

1999年にブレイが来日した際に企画されたこのセッションは。横浜のみなとみらい小ホールで収録されたもの。おそらくは観客なしのレコーディングセッションだと思われる。

この2人の音楽についてある程度知っている人からすれば、非常に魅力的な組み合わせに映ると感じることだろう。内容はその期待を十分超える素晴らしいものである。いちいち楽曲の解説はしないが、セッションに至る経緯がライナーにあってとても興味深い。

自分が音楽を演奏するなら、一番挑戦してみたいのはこうしたスタイルのものだと思う。それぞれの心あるいは身体の中にある音楽を、既存の楽曲によらずに自由に楽器を通して表現する。楽器を演奏する本当の目的とはそういうものだと思う。

もし既存のものを演奏するのなら、いまの僕にはジャズは難しすぎる。ロックとかブルースとか、ヴォーカルが入った(これも気に入った相手が見つかればの話だが)小編成のシンプルなものをライブ中心でやってみたいと思う。

この作品の魅力は、音色のニュアンスを十分に含んで表現される2人の演奏が、互いに呼応しあいながら展開されてゆく、その空間表現とでもいえるものである。何かの時にも書いたかもしれないが、演奏される内容はとてもヴィジュアルな表現を僕に感じさせる。ホールの残響はそのキャンバスとして素晴らしい役割を果たしている。


Paul Bley / Masahiko Togashi
"Echo"

8/03/2008

ドント ルック バック

このところの忙しさの主因となっていた仕事が、先週金曜日の朝に最終版の資料を提出してようやく落着となった。それなりに大事な仕事だと思うし、いろいろな資料の寄せ集めではあるがなんとかやり遂げたという自負もある。しかし要領の悪さやチームワークの問題もあって、過程や経緯に不満や反省を残す結果にもなったことはやや心残りである。

金曜日は会社で机上の整理をしたり、ちょっとした仕事を片付けたりしてある程度時間が過ぎたが、結局正規の終業時刻になる前に職場を失礼した。とにかく眠かった。先月は3日間の休出をした。僕にとっては異例のことだ。親父の法事などもありなかなかのんびりできる週末はなかった。

なのでこの週末は久しぶりにのんびりした。知人からご自宅へのお誘いなどもいただいていたのだが、それもお断りして自分の好きなように時間を過ごすことにした。先ず土曜日には久しぶりに渋谷に出かけた。渋谷は暑い東京でも特に暑い場所だ。

道玄坂の壱源でミソラーメンを食べ(やはりいつ食べてもウマい)、汗だくになりながらいつものCD屋巡りをした。ディスクユニオンジャズ館、レコファンそしてタワーレコード。このところ抑えてきたCD購入だったが、この日は割と積極的に欲しいと思ったものを買った。

いろいろと欲しいのはあった。特に最後に訪れたタワーは興味をそそるものがたくさんあったのだが、既にそれまでの2店で4枚のCDを買っていたので、今回はおあずけモードでガマンした。

レコファンで買ったCDにボストンの「ドント ルック バック」がある。懐かしさもあって以前から無性に聴きたかった。ダウンロードでも良かったのだけれど、自分にとってはかなり思い出深い作品なので手元に持っておくのもいいかなと思った。案の定中古品はダウンロードよりも安かった。

1978年発表というからもう30年も前の作品ということになる。僕は13、14歳で中学2年生の頃だ。いまでも自分で買ったLPレコードが実家にあるはずだ。僕にとってこの頃何度も聴いたアルバムというのは何枚もあるのだが、耳と身体を通して(このあたりの意味はお察しいただきたい)しっかり聴いた作品となると、そんなに数はない。これはそうした中でも特によく聴いた音楽だと思う。

自宅に戻って聴いてみる。たぶん20数年ぶりだと思う。まあ記憶というのはすごいものである。もうアルバムの隅々にいたるほとんどすべての音が頭のどこかに記録されている。それでもやっぱりいま聴くと自分の耳は肥えてしまったんだあということを感じた。

1曲目のタイトルナンバーのイントロに神々しいまでのオーラを感じていたあの当時からすると、それは普通のアメリカンロックという感じで耳に入ってきた。「ギターオーケストレーション」と称されたトム=シュルツの多重録音はやはり見事である、同時にブラッド=デルプが独りで重ね録りしたコーラスも素晴らしい。それらがいま聴くともっとカジュアルなものに受け止めることができたのは嬉しい気がした。

30分ちょっとの短いアルバムであるが中身はとても濃い。僕はとりわけ"A Man I'll Never Be"と"Used to Bad News"の2曲がお気に入りだった。どちらも非常に切ないメロディーと歌詞が魅力の作品だ。

他に買ってきたアルバムなども聴きながら昼寝をしたりして土曜日の午後を過ごした。どれもそれなりに魅力のある音楽のようだ。夜はこれも久しぶりにパスタを作って妻と2人で食べた。夜はまた音楽を聴きながらウィスキーをやったりした。暑い夜だった。

日曜日もお昼に近くの中華料理屋に食べに出かけた以外は家でゴロゴロして過ごした。昨日、買わなかった音楽のことが気になって、ネットでそれらを物色してみたり、エアコンをつけた部屋で昼寝をしたりしているうちに夜になった。妻の実家からいろいろなものが送られてきてその中に実家で採れたというミニトマトがたくさんあったので、それと鶏肉でまたパスタを作って夕食にした。

久しぶりにのんびりした週末が終わろうとしているいま、これを書いている。自分の周囲でいろいろな価値が回っているのを感じている。少し落ち着いてそれらについて考えてみたいと思っている。暑さは時に辛いものだが、もう少し続いて欲しいとも思う。


BOSTON "DON'T LOOK BACK"