土曜日に春一番が吹いたらしい。春一番といっても今年のそれはちょっと不気味な嵐だった。昼過ぎまでは気温がぐんぐん上がりコートいらずの陽気になるかと思われたが、事前の天気予報で伝えられた通り、東京では午後2時を過ぎたあたりから急に北風が強まると同時に、気温が下がり始めた。
渋谷をぶらぶらしていた僕も、いろいろなCDやDVDに後ろ髪ひかれる思いを我慢して、そそくさと東急電車に乗り込んだ。車窓から去ってゆく渋谷の街を眺めていると、北の空に砂煙の様な雲が立ちこめているのがイヤでも目に入ってきた。その雲の暗さを見ていると確実に雨か雪が降ると思わせるものだったが、実際には違っていた。それは本当に砂煙を含んだ雲だったのだと思う。
自宅の最寄り駅を降りてみるとその雲がちょうど空の半分くらいまで覆いかぶさってきていて、自分のいるところがまさにそれに飲み込まれようとしているところだった。商店街を行く人も思わず足を止めて空を眺めている。数十メートル先の景色は砂埃にかすみ、路地を吹き抜ける風にも砂が混じっているように思えた。気温は渋谷で感じたよりもさらに冷たく感じられた。
スーパーで酒を買って足早に自宅に向かう。ちょうど北向きの路地を歩くのだが、行く先の空はいままで見たこともない異様な色の雲だった。吹き付ける風がこのところ穏やかで乾燥していた地面のあらゆる埃や砂を舞い上げた。それが大きくなってあの雲になったのだろう。
家に帰って洗面台で髪をバサバサとはたいてみると、白いシンクに砂粒がざらざらと落ちた。洗面所の窓を開けて出かけていたせいで、気のせいか洗面所の床がざらざらしているように思われた。その日の夜のニュースで知らされるまで、それが春一番だなどとは考えても見なかった。例年よりも遅いのだそうだ。
そろそろ花粉の季節でもある。気がつくと目の下が少し腫れているようだ。この季節になると先ず始めに目にこういう症状が現れる。今年はかなり飛散量が多くなるとの見通しらしいが、果たしてどうなることか。
本当の春が訪れる少し前のこの時期、どうにも気持ちがさえないことが多い。飛び始めた花粉に腫れる目しかり、期末が迫る仕事の重圧しかりというところだろうか。2月は街のいろいろな商売の人にとっても、一番入りが悪い時期なのだという。酒を飲むのも何か中途半端な感じだ。何か落ち着かないのがこの月だ。もっともそんなことをはっきりと感じるようになったのは、ごく最近になってのことだ。
このところ耳にする音楽はすっかりジャズづいている。そんななかでちょっと興味があって聴いてみたい音楽があったのだが、結局渋谷ではCDを買わずに家に帰ってiTunesのダウンロードですませてしまった。アート=ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの"Meet You at the Jazz Corner of the World"。日本語ではそのまま「ジャズコーナーで会いましょう」で通っている。なんともいい感じのタイトルだ。
お目当てだったショーターとモーガンによる2管フロントが素晴らしいのはもちろんだが、聴いてみてあらためて思うのは、ジャズメッセンジャーズというグループのまとまりの良さというか、安心感のような懐の深さが心地よいなあということ。
はっきりいって思わずドキリとするような超スリリングな瞬間とか、唖然とする様な凄まじさがあるわけではないが、タイトルにある通り、いつの時代でも世界のどこの国でもこの作品が流れていれば、そこが「ジャズコーナー」と呼ぶにふさわしいご機嫌な場所になるのだから不思議だ。もやもやした時期に聴いても変わることのないジャズの素晴らしさがしみじみと伝わってくる作品である。
2/24/2008
2/17/2008
時間の諸相
木曜日に妻の祖母が亡くなりまして、家内は次の日から日曜日までの予定で、実家のある広島の方に帰りました。自分も一緒に帰った方がいいのかどうか少し考えたのですが、このところずうっとホームで暮らしていらしたお祖母さんには、とうとう一度もお会いすることもなく、お通夜やお葬式にだけ参加させてただくというのもなんとなく気が引けておりましたところに、妻の方もまあ遠いところだし無理しなくてもいいんじゃないかと言ってくれましたので、今回は独りで家に残って週末を過ごすこととなりました。
急にそのようなことになりましたので、特に何をするという予定があるわけではなかったのですが、まあ自分の好きなことをやりたいようにして時間を過ごすしかありません。いつもそうしているではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、いざこういうことになってみるとあながちそうとも限らないなと感ずるところもないわけではありません。
時間というものは不思議なもので、本来は世の中にはひとつの時間の流れしかないはずなのですが、そのなかを行きてゆく者は皆めいめい己の時間というものがあると信じて疑いません。私がまだ独り身でいたころに、ある友人が私にこういいました。
「まったく最近は独り身のおまえがうらやましいわ。なんせ自分の時間というものがいっぱいあるやろ」
「そんなもんかね」
「そりゃそうや。おれらみたいに結婚して子供もおったら、そりゃそういうもんはないでえ。ええか、先ず結婚したら自分の時間は半分になるわけや。そこへ子供ができてみい、それで自分の時間はさらに半分になるようなもんや。そこへもてきて、仕事やら付き合いやらでさらにその半分、また半分とどんどん時間がなくなってゆくわけや」
「ちょっと待てや。僕にも仕事や付き合いいうもんはあるよ。まあ君ほどでもないかもしれへんけど」
「まあそうやな。それでも家に帰ったら基本的には独りやろ」
「そりゃそうやけど、それがホンマにエエんかどうか、最近の自分にはようわからんわ」
「まあ結婚を考えとるときはそういうもんやろなあ」
「そういう君はいまは違うということかい」
「うーん、やっぱり自分の時間はないね。っていうか激減したなあ、独身のころにくらべて。家で好きなように音楽聴けるわけやないし自由にCDも買われへんし、酒飲むのもなんか気い遣うようになってしもたしなあ。。。」
この男の言いたかったことはもちろんわかりますし、似た様なことを言う人はほかにもいます。自分自身も結婚してしばらくしてから、そういうことを感じたことがないわけではないです。「結婚したら半分、子供ができたらさらにその半分」という表現は面白いと思いましたが、結婚はまあ大人どうしでやることですから、時間の過ごし様はいろいろなことを通じてわかりあったりできるもんだと思います。子供ができると確かにしばらくの間は一方的に時間がとられてしまうということはあるでしょう。それでもそれと引き換えにあることに大きな価値があるわけですから、それだけ時間を費やすということがつまり愛情を注ぐということになるんではないでしょうか。
しかしいくら時間があったとしても、やりたいことがなければ何にもうれしいこともありがたいこともないというのも事実です。時間がないとか言う人は、それだけ何かやりたいことがあるけどできないという人かもしれません。しかし一方で、やりたいと思うてるのが果たしてどの程度のもんなのか、これがわかっている人は意外に少ないのではないでしょうか。自分にはやりたいことがあるんだという人でも、1日2日ほどの時間ができる程度であればあれをやろうこれをやろうと思えても、それが1週間1ヶ月となってくるとだんだんとその人の信じていたやりたいことの底が割れてくるというもんだと思います。
このさき一生フリーやと言われて、ずうっといろいろな音楽を聴いていられたら楽しく過ごせるかと考えてみれば、たぶんそれは違うと思います。一方では、自分には他にもやりたいことがいろいろあるんだと感じているのも事実ですが、この先自分の時間はまだ無限にたくさんあるという実感は徐々に少なくなってきたように思います。もうそろそろ未知なるやりたいことを想定する年ではないのでしょう。
一つ言えるのは、何にもやらないでやりたいと思うてるだけではいつまでたってもそれは本当にやりたいには育っていかんということでしょう。その意味ではいろいろと手を出してみるのは絶対にええことだと僕は思います。毎日が充実していると感じている人は、特別な何かをやらなくても毎日の生活がその人のやりたいことというわけで、もしかしたら一番幸せなのはそういう生き方かもしれませんが、自分はまだそんなところまでは至っていないのでしょうね。
結局、自分はこの2日間いままでとあまり変わりなく、買い物をしたりラーメンを食べたり酒を飲んだり音楽を聴いたりして過ごさせてもらいました。まあいろいろと得るものはあったと思います。妻は予定通りに日曜日の午後に帰ってきました。2日間のことをいろいろと話してくれましたが、特に何か大きな問題があったわけでもなくお祖母さんとのお別れは無事にすませることができたようです。
寒い週末でしたが少し違った時間と空気のある週末でありました。
急にそのようなことになりましたので、特に何をするという予定があるわけではなかったのですが、まあ自分の好きなことをやりたいようにして時間を過ごすしかありません。いつもそうしているではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、いざこういうことになってみるとあながちそうとも限らないなと感ずるところもないわけではありません。
時間というものは不思議なもので、本来は世の中にはひとつの時間の流れしかないはずなのですが、そのなかを行きてゆく者は皆めいめい己の時間というものがあると信じて疑いません。私がまだ独り身でいたころに、ある友人が私にこういいました。
「まったく最近は独り身のおまえがうらやましいわ。なんせ自分の時間というものがいっぱいあるやろ」
「そんなもんかね」
「そりゃそうや。おれらみたいに結婚して子供もおったら、そりゃそういうもんはないでえ。ええか、先ず結婚したら自分の時間は半分になるわけや。そこへ子供ができてみい、それで自分の時間はさらに半分になるようなもんや。そこへもてきて、仕事やら付き合いやらでさらにその半分、また半分とどんどん時間がなくなってゆくわけや」
「ちょっと待てや。僕にも仕事や付き合いいうもんはあるよ。まあ君ほどでもないかもしれへんけど」
「まあそうやな。それでも家に帰ったら基本的には独りやろ」
「そりゃそうやけど、それがホンマにエエんかどうか、最近の自分にはようわからんわ」
「まあ結婚を考えとるときはそういうもんやろなあ」
「そういう君はいまは違うということかい」
「うーん、やっぱり自分の時間はないね。っていうか激減したなあ、独身のころにくらべて。家で好きなように音楽聴けるわけやないし自由にCDも買われへんし、酒飲むのもなんか気い遣うようになってしもたしなあ。。。」
この男の言いたかったことはもちろんわかりますし、似た様なことを言う人はほかにもいます。自分自身も結婚してしばらくしてから、そういうことを感じたことがないわけではないです。「結婚したら半分、子供ができたらさらにその半分」という表現は面白いと思いましたが、結婚はまあ大人どうしでやることですから、時間の過ごし様はいろいろなことを通じてわかりあったりできるもんだと思います。子供ができると確かにしばらくの間は一方的に時間がとられてしまうということはあるでしょう。それでもそれと引き換えにあることに大きな価値があるわけですから、それだけ時間を費やすということがつまり愛情を注ぐということになるんではないでしょうか。
しかしいくら時間があったとしても、やりたいことがなければ何にもうれしいこともありがたいこともないというのも事実です。時間がないとか言う人は、それだけ何かやりたいことがあるけどできないという人かもしれません。しかし一方で、やりたいと思うてるのが果たしてどの程度のもんなのか、これがわかっている人は意外に少ないのではないでしょうか。自分にはやりたいことがあるんだという人でも、1日2日ほどの時間ができる程度であればあれをやろうこれをやろうと思えても、それが1週間1ヶ月となってくるとだんだんとその人の信じていたやりたいことの底が割れてくるというもんだと思います。
このさき一生フリーやと言われて、ずうっといろいろな音楽を聴いていられたら楽しく過ごせるかと考えてみれば、たぶんそれは違うと思います。一方では、自分には他にもやりたいことがいろいろあるんだと感じているのも事実ですが、この先自分の時間はまだ無限にたくさんあるという実感は徐々に少なくなってきたように思います。もうそろそろ未知なるやりたいことを想定する年ではないのでしょう。
一つ言えるのは、何にもやらないでやりたいと思うてるだけではいつまでたってもそれは本当にやりたいには育っていかんということでしょう。その意味ではいろいろと手を出してみるのは絶対にええことだと僕は思います。毎日が充実していると感じている人は、特別な何かをやらなくても毎日の生活がその人のやりたいことというわけで、もしかしたら一番幸せなのはそういう生き方かもしれませんが、自分はまだそんなところまでは至っていないのでしょうね。
結局、自分はこの2日間いままでとあまり変わりなく、買い物をしたりラーメンを食べたり酒を飲んだり音楽を聴いたりして過ごさせてもらいました。まあいろいろと得るものはあったと思います。妻は予定通りに日曜日の午後に帰ってきました。2日間のことをいろいろと話してくれましたが、特に何か大きな問題があったわけでもなくお祖母さんとのお別れは無事にすませることができたようです。
寒い週末でしたが少し違った時間と空気のある週末でありました。
2/11/2008
下北沢、横山大観と真っ赤なベントレー
いろいろな気候が楽しめた3連休だった。土曜日の夜にはまた雪が降ったが、日曜月曜と日を追うごとに暖かく穏やかな気候になった。
土曜日は和歌山から知人が出張で上京してきた。川崎在住のもう一人の幼なじみと3人で、夜になって一席設けることにした。このメンツで呑むのは昨年末以来だから、わずか1ヶ月あまりのブランクでの再会となった。少し前だったらこんな機会が続け様にあることなど考えられなかった。やっぱり何かの縁があるのだろうなと思った。今回は知人の推薦で下北沢の街で飲むことになった。
下北沢は僕にとってほとんど馴染みのない場所だ。まだ新入社員だった頃、教育研修で隣のクラスに同じ寮に入っている男がいて、ある土曜日に渋谷で開かれたそのクラスの飲み会に参加した僕は、彼を含め最後まで居残った8人に入ってしまった。もう電車がないので、結局その中にいた女性が住んでいた下北沢のアパートに全員で押しかけて雑魚寝したのが唯一の記憶だ。男女同数だったので狭いアパートのなかでなぜか男女が隣り合って寝たのを覚えている。
下北のイメージは、学生の街、飲み屋がいろいろある街、そして演劇や音楽の街といったところだ。確かに通りを行き交う人たちに若者が目立った。駅を降りてみるともう雨がぽつぽつと降り始めていた。一件目は「風知空知」というお店。店名を観て僕にはすぐピンときた。下北にしては比較的ゆったりした店内に、1970年代のロックが流れていた。
お店に入って飲み始めてしばらくすると、テラスの窓の向こうで雪が激しく降るのが見えた。ゆったり話をするには悪くないお店だと思ったが、とにかくよく飲む3人でおなかもすいていたのでお店のメニューがちょと物足りない感じだった。おまけに激しい雪の所為で、心のどこかで早めに帰らないとなあという気持ちが芽生えてしまい、余計落ち着かなかったように思う。なので入店して1時間もしないうちにお店を替えることにした。外に出てみると既にうっすらと積もり始めている。
2件目で地下にあるおでん屋さん(お店の名前を忘れてしまった)に入り、少し酔いが回ったのと外界から隔たった場所に落ち着いたこともあって、やっと落ち着いて飲めるようになった。ちょっと工夫を凝らしたおでんと熱燗が美味しかった。土地が高いせいもあって値段は少し高めだと思ったが、考えてみれば僕がこのところずいぶんと安いお店ばかり世話になっているので、ちょっと世間一般の感覚からずれてきてるのかなとも思ったが、やっぱり酒を飲むのだったら安いにこしたことはない。家飲みができなくなると僕にとってはたいそう辛い生活になるだろう。
その前の金曜日に妻が少し体調を崩していたのだが、それも回復したので日曜日は以前から予定していた「横山大観没後50年展」を観に、六本木に新しくできた新国立美術館に出かけた。ある程度覚悟はしていたが会場内はちょっとした混雑で、じっくり見入るという雰囲気ではなかったが、それでもかなりの数の大観作品を一堂に観ることができて大満足だった。
一番のお目当ては、今回全編が展示されている長尺の絵巻物「生々流転」「四時山水」の2点である。以前に書いたかもしれないが、僕はそれぞれの全編を収録した図録本を持っているほどお気に入りである。といってもその存在を知ったのは数年前のこと。テレビの番組で生々流転が紹介されていたのを観て感動し、図録本を古本屋から取り寄せたところ間違って四時山水が届いてしまい、中身を観て結局それも買い求めることになったというわけだ。
もちろんそれら2点以外にも、代表作「無我」をはじめとする数多くの作品に接することができ、非常に得難い機会となったのは言うまでもない。同時に開催されていた「文化庁メディア芸術祭」もなかなかの内容で、もっとゆっくり観ることができればよかったのだが、アート部門大賞受賞作で広島の原爆ドームをモチーフにした映像作品「nijuman no borei」が強く印象に残った。こうした芸術や文化を大観の時代につなげて体験できたのも何か奇特な時間だった様に思う。短い時間に久しぶりに目からいろいろな刺激を取り込んだので、視覚が少し飽和した。
美術館を出たのは午後2時半頃だった。当初は六本木の新名所「東京ミッドタウン」を見物がてらお昼でもと言っていただのが、ミッドタウンは外から見ただけでもういいかねえということになった。人混みの六本木を抜けて妻の職場に近い広尾まで歩き、そこでピザとパスタの遅い昼飯を食べた。彼女が仕事でお昼を食べるときにはたまに利用するお店らしく、比較的お手頃な値段で美味しくてボリューム満点の料理にありつくことができた。
そのまま恵比寿駅まで歩き、駅のショッピングビルをぶらついて家に帰ることにした。駅の少し手前まで歩いて交差点で信号待ちをしていると、通りに大きくて真っ赤なクラシックデザインのスポーツカーが走ってきて、僕らの目の前で交差点を折れて走り去った。さっきあれだけいろいろなものを目にして、もう今日の目は何を観ても刺激に反応しないと思っていたのだが、その車の様相があまりにも鮮烈だったので僕も妻もあっけにとられて見入ってしまった。
「何?あの車、なんて言う車?」と聞かれて、僕はとっさに「ベントレー・・・かなあ」とまったく反射的に口をついて言葉が出た。妻も「へええ・・・」と言いながら走り去る後ろ姿を見送った。なぜかわからないが、走り去る車を見ながら、僕は自分もいっしょにあの車の向かう先に連れて行って欲しいというような気持ちがよぎるのを感じた。真っ赤なベントレーが何かとてつもないところに向かって走っていくように見えた。
家に帰ってネットで調べてみても、あの車がベントレーだったのかどうかは結局はわからなかった。「B」に羽が生えたエンブレムは見当たらなかったし、あんなに車長のあるスポーツカーは初めて見た。しかも公道である。2人で目撃したので、まず現実の出来事だったのは間違いないと思うのだが。刺激を受けた目には時におかしな景色が見えるものである。
土曜日は和歌山から知人が出張で上京してきた。川崎在住のもう一人の幼なじみと3人で、夜になって一席設けることにした。このメンツで呑むのは昨年末以来だから、わずか1ヶ月あまりのブランクでの再会となった。少し前だったらこんな機会が続け様にあることなど考えられなかった。やっぱり何かの縁があるのだろうなと思った。今回は知人の推薦で下北沢の街で飲むことになった。
下北沢は僕にとってほとんど馴染みのない場所だ。まだ新入社員だった頃、教育研修で隣のクラスに同じ寮に入っている男がいて、ある土曜日に渋谷で開かれたそのクラスの飲み会に参加した僕は、彼を含め最後まで居残った8人に入ってしまった。もう電車がないので、結局その中にいた女性が住んでいた下北沢のアパートに全員で押しかけて雑魚寝したのが唯一の記憶だ。男女同数だったので狭いアパートのなかでなぜか男女が隣り合って寝たのを覚えている。
下北のイメージは、学生の街、飲み屋がいろいろある街、そして演劇や音楽の街といったところだ。確かに通りを行き交う人たちに若者が目立った。駅を降りてみるともう雨がぽつぽつと降り始めていた。一件目は「風知空知」というお店。店名を観て僕にはすぐピンときた。下北にしては比較的ゆったりした店内に、1970年代のロックが流れていた。
お店に入って飲み始めてしばらくすると、テラスの窓の向こうで雪が激しく降るのが見えた。ゆったり話をするには悪くないお店だと思ったが、とにかくよく飲む3人でおなかもすいていたのでお店のメニューがちょと物足りない感じだった。おまけに激しい雪の所為で、心のどこかで早めに帰らないとなあという気持ちが芽生えてしまい、余計落ち着かなかったように思う。なので入店して1時間もしないうちにお店を替えることにした。外に出てみると既にうっすらと積もり始めている。
2件目で地下にあるおでん屋さん(お店の名前を忘れてしまった)に入り、少し酔いが回ったのと外界から隔たった場所に落ち着いたこともあって、やっと落ち着いて飲めるようになった。ちょっと工夫を凝らしたおでんと熱燗が美味しかった。土地が高いせいもあって値段は少し高めだと思ったが、考えてみれば僕がこのところずいぶんと安いお店ばかり世話になっているので、ちょっと世間一般の感覚からずれてきてるのかなとも思ったが、やっぱり酒を飲むのだったら安いにこしたことはない。家飲みができなくなると僕にとってはたいそう辛い生活になるだろう。
その前の金曜日に妻が少し体調を崩していたのだが、それも回復したので日曜日は以前から予定していた「横山大観没後50年展」を観に、六本木に新しくできた新国立美術館に出かけた。ある程度覚悟はしていたが会場内はちょっとした混雑で、じっくり見入るという雰囲気ではなかったが、それでもかなりの数の大観作品を一堂に観ることができて大満足だった。
一番のお目当ては、今回全編が展示されている長尺の絵巻物「生々流転」「四時山水」の2点である。以前に書いたかもしれないが、僕はそれぞれの全編を収録した図録本を持っているほどお気に入りである。といってもその存在を知ったのは数年前のこと。テレビの番組で生々流転が紹介されていたのを観て感動し、図録本を古本屋から取り寄せたところ間違って四時山水が届いてしまい、中身を観て結局それも買い求めることになったというわけだ。
もちろんそれら2点以外にも、代表作「無我」をはじめとする数多くの作品に接することができ、非常に得難い機会となったのは言うまでもない。同時に開催されていた「文化庁メディア芸術祭」もなかなかの内容で、もっとゆっくり観ることができればよかったのだが、アート部門大賞受賞作で広島の原爆ドームをモチーフにした映像作品「nijuman no borei」が強く印象に残った。こうした芸術や文化を大観の時代につなげて体験できたのも何か奇特な時間だった様に思う。短い時間に久しぶりに目からいろいろな刺激を取り込んだので、視覚が少し飽和した。
美術館を出たのは午後2時半頃だった。当初は六本木の新名所「東京ミッドタウン」を見物がてらお昼でもと言っていただのが、ミッドタウンは外から見ただけでもういいかねえということになった。人混みの六本木を抜けて妻の職場に近い広尾まで歩き、そこでピザとパスタの遅い昼飯を食べた。彼女が仕事でお昼を食べるときにはたまに利用するお店らしく、比較的お手頃な値段で美味しくてボリューム満点の料理にありつくことができた。
そのまま恵比寿駅まで歩き、駅のショッピングビルをぶらついて家に帰ることにした。駅の少し手前まで歩いて交差点で信号待ちをしていると、通りに大きくて真っ赤なクラシックデザインのスポーツカーが走ってきて、僕らの目の前で交差点を折れて走り去った。さっきあれだけいろいろなものを目にして、もう今日の目は何を観ても刺激に反応しないと思っていたのだが、その車の様相があまりにも鮮烈だったので僕も妻もあっけにとられて見入ってしまった。
「何?あの車、なんて言う車?」と聞かれて、僕はとっさに「ベントレー・・・かなあ」とまったく反射的に口をついて言葉が出た。妻も「へええ・・・」と言いながら走り去る後ろ姿を見送った。なぜかわからないが、走り去る車を見ながら、僕は自分もいっしょにあの車の向かう先に連れて行って欲しいというような気持ちがよぎるのを感じた。真っ赤なベントレーが何かとてつもないところに向かって走っていくように見えた。
家に帰ってネットで調べてみても、あの車がベントレーだったのかどうかは結局はわからなかった。「B」に羽が生えたエンブレムは見当たらなかったし、あんなに車長のあるスポーツカーは初めて見た。しかも公道である。2人で目撃したので、まず現実の出来事だったのは間違いないと思うのだが。刺激を受けた目には時におかしな景色が見えるものである。
2/09/2008
ザ グレート コンサート オブ チャールズ ミンガス
久しぶりにミンガスの音楽をじっくりと聴いた。僕も一応ベース弾きだから彼のことは人一倍気にかかるし、彼の音楽について何らかの考えとか感想を持っていないとなあという気持がどこかにある。
僕はミンガスの音楽が大好きだ。彼のベース、作曲、アンサンブル、言動、そして人望。それらに存在する一貫性。音楽家に限らず有名な人の中には、絵に描いた様な一貫性(いわゆる「伝説」)で語られる例も多くあるし、ああいうものはある程度割り引いて受け止めることが必要だと思う。
ミンガスの音楽は、灰汁をすくう前の鍋の様なものである。表面に浮いている灰汁をどう感じるかでかなり好き嫌いがはっきりするのではないかと思う。僕はライヴ演奏にその醍醐味があると思っているのだが、ライヴの方がそれが強くなるのは言うまでもない。世に発表されている彼の作品にはライヴ盤が多い。そのことは僕と同様に灰汁の強いミンガス鍋のファンが多いことを物語っている。
一番の特徴はメンバーの間に醸し出されるある独特の空気感だ。インタープレイやソロ演奏が非常に大きな割合を占め、そこで発揮される高い音楽性に演奏者個人の能力だけでなく、グループとしてのパワーがみなぎるから不思議だ。それがミンガスのバンドマスターとしてのリーダーシップなのだろう。なのでそういうスタイルに慣れていないと、場合によっては何かバラバラに勝手なことをやっているように聴こえてしまうことになる。ミンガスの音楽をつかみどころがないと感じるのはそういうことなのだと僕は考えている。
そしてもう一つの魅力がミンガスの作品の「音楽臭さ」にある。彼の書く音楽はメロディ、ハーモニー、リズムという音楽の基本要素において、非常に強いダイナミズムと独自性がある。最初に書いた魅力とは裏腹になるかもしれないが、彼の音楽の音符に書き込まれている部分は極めて緻密である。そういう素晴らしい材料からいい旨味とたっぷりの灰汁が出る、それが絶妙のバランスをとって聴くものに示される。その灰汁をどう処理するかは聴く側の感性に委ねられる。
今回の作品は、1964年4月に行われたパリ公演の模様を収録したもので、かなり昔にLPレコード3枚組で発売されていた彼の代表作である。音源の権利をジャズレーベルのヴァーヴが買取り2003年にCD化された。僕も学生時代から存在は知っていたが、輸入レコード屋で見かけても値段が高いし、中古屋でもなかなかいい条件で巡り会うことがなかった。今回やっとCDで手に入れた次第である。
録音はモノラルだが僕が想像していたよりは音はよかった。従来未発表だった2つのトラックでは、マイクのセッティングを変えるときのノイズが入ったりするものの、演奏はどれも本当に素晴らしい。ミンガスやドルフィー、バイヤード等おなじみのメンバーのソロもたっぷりで、ライヴならではの楽しいパフォーマンスが次々に飛び出してくるのが痛快である。
アンサンブルが美しい"Orange was the colour of her dress then blue silk"では、楽しそうにベースソロをひくミンガスの声が微笑ましい。丁々発止のインタープレイが壮絶な"Fables of Forbus"、ドルフィーのアルトからチャーリー=パーカーの作品が次々に飛び出す"Parkeriana"等々、まさに名曲名演ぞろいの作品だ。
寒い冬でもこれを聴いていると身体の中まであったかくなるのだから不思議だ。ミンガスをこれまで敬遠していた方にもぜひとも聴いていただきたい作品である。
僕はミンガスの音楽が大好きだ。彼のベース、作曲、アンサンブル、言動、そして人望。それらに存在する一貫性。音楽家に限らず有名な人の中には、絵に描いた様な一貫性(いわゆる「伝説」)で語られる例も多くあるし、ああいうものはある程度割り引いて受け止めることが必要だと思う。
ミンガスの音楽は、灰汁をすくう前の鍋の様なものである。表面に浮いている灰汁をどう感じるかでかなり好き嫌いがはっきりするのではないかと思う。僕はライヴ演奏にその醍醐味があると思っているのだが、ライヴの方がそれが強くなるのは言うまでもない。世に発表されている彼の作品にはライヴ盤が多い。そのことは僕と同様に灰汁の強いミンガス鍋のファンが多いことを物語っている。
一番の特徴はメンバーの間に醸し出されるある独特の空気感だ。インタープレイやソロ演奏が非常に大きな割合を占め、そこで発揮される高い音楽性に演奏者個人の能力だけでなく、グループとしてのパワーがみなぎるから不思議だ。それがミンガスのバンドマスターとしてのリーダーシップなのだろう。なのでそういうスタイルに慣れていないと、場合によっては何かバラバラに勝手なことをやっているように聴こえてしまうことになる。ミンガスの音楽をつかみどころがないと感じるのはそういうことなのだと僕は考えている。
そしてもう一つの魅力がミンガスの作品の「音楽臭さ」にある。彼の書く音楽はメロディ、ハーモニー、リズムという音楽の基本要素において、非常に強いダイナミズムと独自性がある。最初に書いた魅力とは裏腹になるかもしれないが、彼の音楽の音符に書き込まれている部分は極めて緻密である。そういう素晴らしい材料からいい旨味とたっぷりの灰汁が出る、それが絶妙のバランスをとって聴くものに示される。その灰汁をどう処理するかは聴く側の感性に委ねられる。
今回の作品は、1964年4月に行われたパリ公演の模様を収録したもので、かなり昔にLPレコード3枚組で発売されていた彼の代表作である。音源の権利をジャズレーベルのヴァーヴが買取り2003年にCD化された。僕も学生時代から存在は知っていたが、輸入レコード屋で見かけても値段が高いし、中古屋でもなかなかいい条件で巡り会うことがなかった。今回やっとCDで手に入れた次第である。
録音はモノラルだが僕が想像していたよりは音はよかった。従来未発表だった2つのトラックでは、マイクのセッティングを変えるときのノイズが入ったりするものの、演奏はどれも本当に素晴らしい。ミンガスやドルフィー、バイヤード等おなじみのメンバーのソロもたっぷりで、ライヴならではの楽しいパフォーマンスが次々に飛び出してくるのが痛快である。
アンサンブルが美しい"Orange was the colour of her dress then blue silk"では、楽しそうにベースソロをひくミンガスの声が微笑ましい。丁々発止のインタープレイが壮絶な"Fables of Forbus"、ドルフィーのアルトからチャーリー=パーカーの作品が次々に飛び出す"Parkeriana"等々、まさに名曲名演ぞろいの作品だ。
寒い冬でもこれを聴いていると身体の中まであったかくなるのだから不思議だ。ミンガスをこれまで敬遠していた方にもぜひとも聴いていただきたい作品である。
2/03/2008
ソニー=ロリンズ「イースト ブロードウェイ ラン ダウン」
週末はまた雪が降った。今回は日曜日の未明から深々と降り続き、川崎でも10cm以上の積雪となった。この週末はほとんど自宅近辺で過ごした。平間駅の界隈では小さいながらもいろいろと新しいお店ができていて、土曜日の夜は駅の近くにできた鉄板お好み焼き屋「シーメー2」というお店に入ってみた。
なかなかイケメンの兄さんがやっているところで、アジアン風の落ちついた内装でまとめられた店内は居心地もよく、料理も十分に楽しめた。大阪の下町料理「とん平焼き」などもあり、お店の看板であるお好み焼きもとてもおいしかった。値段も平間価格で安心である。お酒も焼酎を中心にいろいろと揃えてあり長く居座って呑むにもいい雰囲気である。ただ、せっかくいいお店なのにお客の入りが芳しくないのが気がかりだ。なんとか頑張ってほしいものである。
先週、会社の同僚から妙な噂を耳にした。テナーサックスの巨匠ソニー=ロリンズがこの春に来日するというもの。ロリンズといえば、確か2、3年前に「最後の海外公演」として来日したはず。長年連れ添った奥様に先立たれ、そのショックもあって体力の衰えが著しくなり、彼女の分も含め少しでも長く生きたいという思いから本人がそう決断したということだったと記憶している。
確かに調べてみると今年の5月に来日し、東京と大阪で一晩ずつの公演を行うとあった。メンバーなどは明らかにされていない。本人の体調がかなり回復した何よりの証拠だと思えば、ファンにはよろこばしい限りである。しかし、そういうこととは別に、なんとも言い難い気持ちがぬぐい去れないのも事実だ。確かにロリンズの音を生で聴いてみたいとは思うのだが、なんというか(巨匠には失礼ながら)胡散臭さの様なものを感じないと言えばウソになる。来日公演の告知を視ながら僕はそんなことを感じていた。
少し考えてみて思ったのは、やはり奥様が亡くなられたことはそれほどロリンズにとって大きなことだったということと、その彼が音楽や人生に対して本当に強い自身を持っているのだなということだった。こればかりは実際にそういう境遇に遭った人にしかわからないのだろうが、僕の人生のなかでは、父が母を亡くした後の最初の1年間とその後の様子のことが想い出される。そして自分自身にも妻がいること、そして自分が音楽をとても好きだということだ。そう考えると、彼の姿を見てみたい彼の音を聴いてみたいという気持ちも少しわき起こってきた。
77歳という年齢はサックス奏者にはかなりキツそうな気もするが、一昨年のオーネット=コールマンのことを思えば、そういう心配はあまり意味のないことのように思う。あくまでも本人がやると言っているのだから演奏にはそれなりの自信があるに違いない。まあ確かに往年の強力な演奏を考えれば、単純にオーネットの音楽と比較するのは無理があるかもしれない。それでも彼の音楽の魅力は十分に伝わってくるのだろう。
そんなことを考えるうちに、当たり前のようにロリンズの音楽が聴きたくなった。ロリンズといえばこのろぐのはじめの頃に「ザ ソロ アルバム」を取りあげている。あれはいまでも僕が好きなロリンズだが、今回聴きたいと思ったのは違うアルバムだった。「イースト ブロードウェイ ラン ダウン」、これもまた僕には印象深いロリンズの作品だ。
僕が中古レコードを一生懸命さがして回っていた大学生の頃、このレコードはいつでもどこでも中古の棚で出会うことができた。つまりそれだけ売られやすいレコードだったというわけだ。何度も顔をあわせているうちに、僕はこのアルバムのジャケットに愛着を感じてしまっていたのかもしれない。乱暴に絵の具を塗り付けた前衛画にロリンズの写真がまるで遺影の様に貼付けられている。これが何ともカッコいい。
そしてそのジャケットの雰囲気そのままに、作品の中身はなんともまた粗っぽい音楽になっている。フレディー(=ハバード)を加えた1曲目のタイトル曲は、フリーの影を引きずりながらもかつてのジャズの都であり続けようとする当時のマンハッタンの状況を表しているようだ。コルトレーンのもとを去ったエルヴィンもまたロリンズと同じような気持ちだったのかもしれない。あと、ジミー=ギャリソンのベースが大胆にフィーチャーされているのもいい。おそらくスタジオ録音でギャリソンのベースをここまで大きく扱っている作品は他にない。
トリオ編成の後半2曲も素晴らしい。どちらも非常にロリンズらしい音楽なのだが、力の抜け方とでもいうのか、音楽に対する構え方が明らかに従来のものと異なる姿勢になっていて、それが僕には「本当のロリンズ」とでも言えばいいのか、そういう魅力が強く伝わってくるのだ。僕は彼の代表作はある程度持っているし、それらをたまに耳にすることもあるが、それとは別のロリンズを聴けるこの作品が「ザ ソロ アルバム」と並んで、僕のお気に入りなのである。
今度の来日公演で彼の楽器から出てくるのはもしかしてこういう音なのかもしれない。そう考えると、なんだか急に聴きに出かけてみたい様な気がしてきた。
なかなかイケメンの兄さんがやっているところで、アジアン風の落ちついた内装でまとめられた店内は居心地もよく、料理も十分に楽しめた。大阪の下町料理「とん平焼き」などもあり、お店の看板であるお好み焼きもとてもおいしかった。値段も平間価格で安心である。お酒も焼酎を中心にいろいろと揃えてあり長く居座って呑むにもいい雰囲気である。ただ、せっかくいいお店なのにお客の入りが芳しくないのが気がかりだ。なんとか頑張ってほしいものである。
先週、会社の同僚から妙な噂を耳にした。テナーサックスの巨匠ソニー=ロリンズがこの春に来日するというもの。ロリンズといえば、確か2、3年前に「最後の海外公演」として来日したはず。長年連れ添った奥様に先立たれ、そのショックもあって体力の衰えが著しくなり、彼女の分も含め少しでも長く生きたいという思いから本人がそう決断したということだったと記憶している。
確かに調べてみると今年の5月に来日し、東京と大阪で一晩ずつの公演を行うとあった。メンバーなどは明らかにされていない。本人の体調がかなり回復した何よりの証拠だと思えば、ファンにはよろこばしい限りである。しかし、そういうこととは別に、なんとも言い難い気持ちがぬぐい去れないのも事実だ。確かにロリンズの音を生で聴いてみたいとは思うのだが、なんというか(巨匠には失礼ながら)胡散臭さの様なものを感じないと言えばウソになる。来日公演の告知を視ながら僕はそんなことを感じていた。
少し考えてみて思ったのは、やはり奥様が亡くなられたことはそれほどロリンズにとって大きなことだったということと、その彼が音楽や人生に対して本当に強い自身を持っているのだなということだった。こればかりは実際にそういう境遇に遭った人にしかわからないのだろうが、僕の人生のなかでは、父が母を亡くした後の最初の1年間とその後の様子のことが想い出される。そして自分自身にも妻がいること、そして自分が音楽をとても好きだということだ。そう考えると、彼の姿を見てみたい彼の音を聴いてみたいという気持ちも少しわき起こってきた。
77歳という年齢はサックス奏者にはかなりキツそうな気もするが、一昨年のオーネット=コールマンのことを思えば、そういう心配はあまり意味のないことのように思う。あくまでも本人がやると言っているのだから演奏にはそれなりの自信があるに違いない。まあ確かに往年の強力な演奏を考えれば、単純にオーネットの音楽と比較するのは無理があるかもしれない。それでも彼の音楽の魅力は十分に伝わってくるのだろう。
そんなことを考えるうちに、当たり前のようにロリンズの音楽が聴きたくなった。ロリンズといえばこのろぐのはじめの頃に「ザ ソロ アルバム」を取りあげている。あれはいまでも僕が好きなロリンズだが、今回聴きたいと思ったのは違うアルバムだった。「イースト ブロードウェイ ラン ダウン」、これもまた僕には印象深いロリンズの作品だ。
僕が中古レコードを一生懸命さがして回っていた大学生の頃、このレコードはいつでもどこでも中古の棚で出会うことができた。つまりそれだけ売られやすいレコードだったというわけだ。何度も顔をあわせているうちに、僕はこのアルバムのジャケットに愛着を感じてしまっていたのかもしれない。乱暴に絵の具を塗り付けた前衛画にロリンズの写真がまるで遺影の様に貼付けられている。これが何ともカッコいい。
そしてそのジャケットの雰囲気そのままに、作品の中身はなんともまた粗っぽい音楽になっている。フレディー(=ハバード)を加えた1曲目のタイトル曲は、フリーの影を引きずりながらもかつてのジャズの都であり続けようとする当時のマンハッタンの状況を表しているようだ。コルトレーンのもとを去ったエルヴィンもまたロリンズと同じような気持ちだったのかもしれない。あと、ジミー=ギャリソンのベースが大胆にフィーチャーされているのもいい。おそらくスタジオ録音でギャリソンのベースをここまで大きく扱っている作品は他にない。
トリオ編成の後半2曲も素晴らしい。どちらも非常にロリンズらしい音楽なのだが、力の抜け方とでもいうのか、音楽に対する構え方が明らかに従来のものと異なる姿勢になっていて、それが僕には「本当のロリンズ」とでも言えばいいのか、そういう魅力が強く伝わってくるのだ。僕は彼の代表作はある程度持っているし、それらをたまに耳にすることもあるが、それとは別のロリンズを聴けるこの作品が「ザ ソロ アルバム」と並んで、僕のお気に入りなのである。
今度の来日公演で彼の楽器から出てくるのはもしかしてこういう音なのかもしれない。そう考えると、なんだか急に聴きに出かけてみたい様な気がしてきた。
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