9/02/2007

パウル=パンハウゼン「パルティータ フォー ロング ストリングス」

 土曜日の早朝、自宅から200メートルほど離れた木造アパートが火事で全焼してしまった。午前4時半ごろだったそうだ。そうだ、というのは僕も妻もその騒ぎには気がつかなたったから。

その日僕等は武蔵小杉駅まで歩き、そこから久しぶりに2人で渋谷に出かけた。妻にとってはお初となる「壱源」のラーメンを食べ(やはり旨い)、気の向くままに街をぶらぶらして買い物をした。途中、立ち寄ったアップルストアで、新しいiMacを品定め中にアクセスしたヤフーのニュースで火事のことを知った。「住所を見ると近くだね」などと話していたのだが、帰りに平間駅から自宅に戻る途中で、それがいつも前を通っているアパートだと知った。

電話線工事の作業車が出て、焼けたケーブルの補修にあたっていた。アパートは6世帯からなる2階建てのかなり古い木造建築で、ほぼ全焼という有様だった。ニュースによると2人の居住者が亡くなられたらしい。今日通りかかると、1回のある部屋のドアに花が供えられていた。

火の勢いが余程強かったらしく、アパートに隣接する3階建ての住居も、その側が半焼していた。あの家にはもう住めないだろう。さらに路地を挟んで向かい側に最近できた新しいアパートの窓ガラスが、熱で割れていたほどだ。そして一番気になるのが、この現場が大きな道路を隔てて消防署の真向かいに位置するということ。距離にして50メートルもないところなのだ。なのにこれほどの状況というのは、やはり出火時間から考えて発見と通報がかなり遅れてしまった結果だと思う。

いままでも火事の現場を何度か見たことがあるが、その恐ろしさとともに、後に残された残骸から受けるなんとも言いようのない虚無感が、一時意識を強く支配する。亡くなられた方含め、被害に遭われた方には本当にお気の毒に思う。


さて、土曜日に本当に久しぶりにベースに触れてみた。父が入院してからなくなるまでの間、ほとんどまともに触れたことがなかったから、もう数ヶ月ぶりということになる。時折、聴いている音楽にあわせて指を動かすことはあった。実際に弦を指ではじいてみると、意外にもすんなりとあの感触を取り戻せたような気がした。何を弾くわけでもなく、指の赴くままのフレーズを奏でながら、あっという間に1時間が過ぎていた。

僕は音楽が好きだ。なるべくいろいろな音楽に、その演奏者や作者の意識と表現に耳を傾けてきた。僕がそれを聴いてみたいと思う動機にはいくつか側面があるが、楽器という面から考えると一つの嗜好としてあるのは、弦楽器が好きだということだろう。ギター、ベース、ヴァイオリン、チェロに始まり、シタールや三味線、琵琶などいろいろな弦楽器に、どことなく魅力を感じ接してきた。弦が伝えてくる振動に何らかの安らぎとか興奮を感じるのだろう。すなわち「弦フェチ」だ。

ベースを久しぶりに触ってみたいと思ったのは、先にアランの店で買ったピーター=コウォルドのDVD作品を視たからだった。この作品についてもいずれは触れることになると思うが、その作品を体験し、久しぶりにベースを触ってみることで、自分の耳がこのところ触れることのなかったある種の弦の響きに向かっていることを感じた。それはある意味でアヴァンギャルドな響きだった。手当たり次第にそういう音楽のCDを取り出しては、その中に響きを自分の耳に入れた。

そうして何枚かのCDを聴くうちに、僕は久しぶりに今回取り上げた作品を手に取ることになった。これは作者の目的からすれば、厳密には音楽作品とは一線を画すものかもしれないが、音を収録した作品なのだから僕にとっては立派な音楽だと思っている。それはかなりの極地に位置する音楽だ。

作者のパウル=パンハウゼン氏は音楽家ではない。空間に何かをインスタレーションすることで表現を行うアーチストなのだそうだ。その彼が1982年から始めた作品に「ロング・ストリング」と呼ばれるシリーズがある。ある決まった空間に長い弦を張って視覚的な表現を構築するとともに、それを弓や指で演奏するというものである。今回の作品もその一環として行われた演奏を収録してある。

収められているのは3曲。以下にタイトルをそのまま書いておく。
1. Partita for 16 long strings of equal length
2. Partita for 16 long strings equally diminishing in length
3. Partita for 16 long strings propotionlly tuned

おわかりのように、いずれも16本の「長い弦」を使って演奏されるものなのだが、少しずつ条件が異なっている。1曲目が同じ長さの弦を同じ音程に調弦したもの、2曲目はある一定の間隔で長さを減じていった16本の弦を調弦したもの、3曲目はある一定の比率で長さを減じていった16本の弦を調弦したものを用いたものとなっている。

演奏の内容を簡単に書くと、1曲目は(当然のことながら)同じ音程とその倍音を交えた弦の響きが延々20分間続くのに対して、2曲目、3曲目は演奏される弦に応じて次々に現れる弦の響きが複雑に入り乱れる26分間の演奏である。2曲目が明確な調整を持たないのに対して、3曲目はある約束事に従った調性がある。そのあたりのこと含め、この作品に至るパンハウゼン本人やその協力者たちによる詳細な解説が、ライナーノートに記されている。

この音は毎日聴きたくなるものではないが、ごくたまに何かの機会に強く渇望してしまう異様に心地よい音楽である。「弦フェチ」にはたまらない、という表現が妥当かどうかは僕には自信がない。しかし心地よさのかなりの部分が、弦の響きそのものにもたらされることは間違いない。変な言い方になるが、ギターやチェロといったいろいろな弦楽器の表現を、究極の上流まで遡ったところにある源泉とでも言おうか、弦の響きの祖先みたいなもののようにも思える。そこには何の主張も感情もない、時間と空間そして純粋な音だけが存在する世界だ。

この世界に浸ると、まるで自分の中の音を感じる何かが掃除される様な気分になる。1曲目はとてもやさしい単調なブラシ、2、3曲目は感触の異なるやや刺激のあるブラシというところだろうか。どのブラシを使うかはそのときの気分次第だ。今回は3本まとめて何回かやってしまった。ブラシの使用前後で音楽に対する感性が変わるかどうかは、実際に試してのお楽しみである。

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