9/16/2007

クリフォード=ブラウン「コンプリート エマーシー レコーディングズ」

 43歳になった。

最近はあまり誕生日といわれても特にピンと来るものはなかった。歳をとったなあということはわかるのだが、(くだらない内容にせよ)人生が充実していると実感できているので、まだ年齢の壁のようなものを感じて落ち込むということはない。40歳になったときも、40歳代かあという何か大台に乗ったような思いはすぐに忘れてしまっていた。

ところが今年の誕生日の実感は、最近のものとは少し違っていた。それは歳をとったという重みを感じたのではなかった。やはり父がいなくなったことが、何か年をとることをいままでと違ったように感じさせているようだった。それは寂しさのような要素ももちろんあるが、それとは別に何か新しい期待のようなものを感じさせる様でもある。ただそれだけのことだ。

妻が中目黒のイタリアンレストランを予約してお祝いをしてくれた。2人とも初めて行くお店だったが、とても満足できる内容だった。今回はお店のアラカルトメニューを組み合わせたコースにしたのだが、とかくイタリアンのコース料理というのは、どこかうそ臭い感じがするものと思っていたのだが、今回は単においしいというだけでなく、時間の過ぎ方とかお店の雰囲気とか、いろいろな意味での「ひと時」がとても心地よく感じられたのがよかった。

食事の前に僕は髪を切り、独りで渋谷で時間を過ごした。タワーレコードに長い時間居座り、新しい音楽に耳を傾け、結果的に3枚のCDを買った。これらの作品についてはまたいずれ取り上げてみたいと思っている。自分にとっての新しい何かを象徴するような3枚の様に感じている。

誕生日のお祝いというわけではないのだが、月初にアップルから発表された新しいiPodを待ってましたとばかりに購入した。発表当日の朝5時に起きて、同社のウェブ直販サイトで買った。もちろんお目当てはiPhoneで話題の新しいインターフェースを備えた"iPod Touch"である。いま使っているiPod Nanoは大のお気に入りだが、そろそろ新しいものが欲しいなとも思っていた。

品物が届くのは月末になる。これからはいままでの倍の容量の音楽が持ち運べるようになる。写真や映像が見られたり、無線LANでウェブを楽しめるのも魅力的だ。いまから待ち遠しい気持ちをもとに、手持ちのCDをデジタル化する作業を進めることにする。まず着手したのは、いくつか持っているジャズのボックスセットをデジタル化することだった。今回の作品はその一つである。

ジャズトランペット奏者クリフォードブラウンの、短い人生における絶頂期を収録した10枚組みのセットである本作は、間違いなくジャズの歴史の中での最重要音源の一つに数えられる名作である。1954年から56年にかけてのバラエティに富んだセッションは、この時代のジャズの様子を凝縮した音の巻物だ。

盟友で先月83歳で亡くなったマックス=ローチをはじめ、直後にブラウンとともに自動車事故で命を落とすことになるリッチー=パウエル、さらにハロルド=ランドやソニー=ロリンズといった多彩な演奏家とのアルバムセッションやジャムに加え、ダイナ=ワシントン、サラ=ボーン、ヘレン=メリルという素晴らしい女性ヴォーカルとのセッション、さらには僕が愛聴するストリングスを交えたセッションなど、内容の素晴らしさはいくつかあるこの時代のコンプリートボックスのなかでも一、二を争うものである。

しかし、こういう完全版と称するセットにもいくつか問題はある。一言でいってしまえば、いくらCDとはいってもやはり複数のディスクに分かれてしまっているものを、気軽に楽しむにはもはや少し面倒を感じる時代になってしまった。

加えて、この全集の編集に音源の倉庫で骨を折られた児山紀芳氏には大変申し訳ないのだが、やはり別テイクといわれるものをいくつも重ねて収録してあるのはどうも使い勝手が悪い。未発表になったのにはそれなりの理由があるのだから、それらは参考資料として別にするなどの工夫が欲しかった。

そこで今回は10枚のCDからマスターテイクだけを取り出してデジタル化することにした。それでも全部で78曲、時間にして6時間程度になるだろうか。これらをごっそり手持ちのiPodにいれ、通勤時にそれを頭から順番に繰り返し聴いてみたのが先週である。

まあわかってはいるのだけど、なんとも贅沢なフルコースである。これらの演奏がすべてもう50年以上前に収録されたものというから、あらためてクリフォード=ブラウンという人の才能(演奏家としてだけでなくグループやシーンをまとめ上げるリーダーとしても)には驚かされる。ここに収録された演奏をしたとき、彼は若干24~26歳だったのだ。

すべての楽曲に貫かれる彼のトランペットの普遍性と、参加する演奏者の違いがセッションごとにはっきりと際立つジャズの魅力。こうしてマスターテイクだけを並べて聴いてみると、本当に1曲の無駄もない素晴らしさには、もはや圧倒とか脱帽とかそういう言葉も意味を成さないと思える。

久しぶりに超上質の1950年代のモダンジャズに浸った。それは誕生日を迎える直前の行いとしては、何かとてもいいタイミングだったように思える。もちろんこれからもこの音楽を何度も聴くことになるだろうことは確実だが、父のことや母のことも含めた、自分にとっての何か大きなものを、ここで一度総括したかのような気持ちがそこに重なった様に思えた。

ところで、これからクリフォードの演奏を聴いてみようと思われる方は、こうした高価なセットを購入する必要はないと思う。マスターテイクを収録した10枚の代表アルバムは、いまや定番中の定番としてとても安価に手に入れることができるし、おそらくは50年を経過したこれらの演奏については、何らかの形で非常に安価のボックスセットが出現するはずだ(すでにあるのかもしれない)。ともかく誰でも一度は聴いておく価値のある音楽である。この輝きは当面褪せることはないだろう。

僕はまた新しい時代とその音楽を求めて進んでいく。

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