先週の水曜日に東京初台のオペラシティで、セシル=テイラーの来日公演があった。本来は1月初旬に予定されていたのだが、セシル自身の体調の都合で延期となり、この日ようやく実現したものである。忙しいさなかであったが、もうこれを逃しては彼の演奏を生で聴く機会はないだろうと、〆切が迫っているレポート作りも早々に放り出して会場に向かった。
ほぼ1年前にこのろぐでレビューしたオーネット=コールマンの時と同様、今回もなぜか山下洋輔とのジョイントコンサートになっていた。最初に言っておきたいのだが、個人的には今回の企画は音楽的な観点からは成功とはいえないという感想を抱いた。
オーネットの時もなぜ「わざわざ」山下を当てるのかという素直な疑問はあったのだが、結果的には新しい音楽を追究するオーナットの姿勢を聴衆の一人としてうまく受け入れることはできた。しかしながら、今回それはかなり難しいだろうことは初めからある程度予想はできたし、結果的にもその通りとなった。
コンサートは二部構成で、最初にそれぞれのソロを披露し、続いてデュオでの演奏した。セシル観たさに気持ちがはやったのか、僕はまず初めにセシルが出てくるものと思い込んでしまっていた。会場が暗くなって山下が登場した時は、大好物のとんこつラーメンを待っていたらみそラーメンが出てきた時の記憶がよみがえった。余談だが、その時僕はそのみそラーメンを食べたのだが、それは格別にまずかった。後日同じ店でみそラーメンを注文して食べたら、それはそれなりにおいしかった。ものの評価は必ずしもその本質だけでは決まらない。
山下はオーネットの時と同じ格好で舞台に現れ同じ台詞をしゃべった「とうとう僕の人生の中でこの時がやってきました」。彼は2曲の演奏を披露し、ピアノを交換する段取りの後いよいよセシルが登場した。彼が舞台に現れないうちから、木の玉で作ったと思われる楽器(もしかしたら首飾りかもしれない)のじゃらじゃらという音が響き渡った。続いて彼の即興詩の朗読が始まったかと思うと、セシルが牛歩戦術の様なダンスをしながら舞台に現れた。この登場にオペラシティに集まった聴衆はあっけにとられた。
おもむろにピアノの前に座ると彼は20分近くかけて、たっぷり1つの演奏を披露してくれた。その前の山下の演奏がなかったらもっとピュアに楽しむことができただろうが、それが非常に悔やまれる。山下がいかに偉大なアーチストであろうとも、セシルの前ではその影響でスタイルを作ったピアニストに過ぎない。
ピアノという楽器の特性上、一定の音楽の様式に乗っ取った演奏をするうえでは、同じ曲を演奏しても音楽の複雑さ(これもよく考えればあまり意味のないことだと思うのだが)とはまったく無関係に、演奏者の個性がそこに反映される様を楽しむことができる。ある意味それが現代のピアノミュージックの大きな楽しみ方になっている。
ところが、本来はより自由な表現を求めて様式の枠が取り払われたはずのフリーフォームな演奏となると、途端に表現の限界が露呈する。それでも現代音楽の様に一聴した感じではフリーフォームのように思えても、実は細部まで綿密に構成された音楽の場合は、やはりコンポジションとしての楽しみ方は不変である。しかし、インプロヴィゼーションとなるとピアノ本来の雄弁さは急に影を潜めてしまう様に思えてならない。今回のコンサートで僕が一番感じたのはやはりその点だった。
考えてみれば、ジャズの世界ではピアノはサックスやトランペットともに花形楽器の一つであるが、フリージャズの世界に限って言えば、そこはほとんど管楽器と打楽器の独壇場といっていい状況である。セシルはその世界で数少ない(もしかしたら唯一の)スタイリストでありその個性は強力であるが、フリーの世界で他にどんなピアニストがいるかと考えてみれば思いつく人がいない(もちろん山下は思いつくが)。
コンサートのことを「日米フリージャズの競演」とか「2人の強烈な個性が激しくぶつかり合い・・・」と表現することはまったく持って構わないと思うのだが、実際に聴いてみた僕の感想は、演奏が激しくなるほど2人の個性は薄れ、その交わりの中に何か新しいものが聴こえたかと言えばそれはなかったということになる。その意味ではやや残念な結果であった。個人的にはセシルの単独公演か、それが無理なら打楽器とか管楽器とかそういう人とのデュオなりを期待したかったところである。別に同じジャンルの人間で紫綬褒章の「文化人」である必要はないと思うのだが。
とはいえ、フリーピアノインプロヴィゼーションの醍醐味を存分に味わえる内容ではあった。前半はそれなりに民族衣装っぽい出で立ちでショーアップ(?)していたセシルだったが、後半のデュオでは大好きなスポーツウェア(膝丈のナイロンパンツにTシャツ)に着替えて現われ40分以上に及ぶ熱演を繰り広げてくれた。アンコールに応えて5分ほどのデュオパフォーマンスも披露してくれた。セシルは観客の拍手を浴びるのが苦手らしく、すぐに舞台から去ろうとするので山下が懇願して観客に再度挨拶するのが微笑ましかった。
会場にはかなりのご年配の方も含め年齢層の高い聴衆が集まっていた。考えてみればセシルはもう半世紀以上も演奏家として活動している。1960年代のジャズに青春を謳歌した人の中にも、密かにセシルを支持してきた人は少なくなかったのかもしれない。まぎれもなく彼は「ジャズジャイアント」なのだから。オーネットともにその姿と元気な演奏を生で楽しむことができたのは、僕の人生でも大切な体験である。
以後、セシルの演奏をいくつも聴いた。やはり一番のお気に入りでこのろぐでも初めの頃に取り上げた"Dark to Themselves"は、iPodで聴きながら思わずうなってしまう名演である。このユニットがもしいま僕の目の前に現れたらしばしの発狂を楽しめそうである。他にも何枚か持っているソロ演奏やユニット演奏、デュオ演奏などの作品を聴き漁った。やっぱりセシルの音楽は素晴らしい、万歳!
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