2/11/2007

キース=ジャレット「イン ザ ライト」

 長いことモヤモヤとしたままになっていたあることに、ひとつの決着を付けることができた。かなり以前からそういう思いはあったのだが、特に今年に入ってここ1ヶ月ほどの間は、そのことで実際にあちこちを駆け回っていて、それでもなかなか満足のいく内容につなげることができなかった。いま、ひとまずそれは一つの段階を過ぎ、結果には非常に満足している。ことの詳細は、個人的なこととしてまだここには書かない。誰にでもこれに類似する様なことはきっとあるはずだ。

そのために、会社帰りの時間を川崎駅前で過ごしていた先週のある日、僕はもやもやした思いを少しでも和らげようと、中古レコード店「トップス」に立ち寄った。ちょうど3年前のろぐで取り上げて以降、えぬろぐでも何度かお店で出会った作品をとりあげてきた様に思う。今回の作品もその時に巡り会ったものだ。

トップスはジャズとラテンを中心に、主に中古LPレコードを取り扱うお店である。店内の多くのスペースがレコードで埋めつくされている。CDは壁際の棚のいくつかに置かれているが、枚数はレコードよりも少ない。ジャズのCDはレジの向こう側(マスターのすぐとなり)にきれいに整理されている。僕はそのコーナー以外はほとんど見ない。

おそらく現在の場所で開店してもうかなりになるのだろう(僕の推定では軽く30年は経っていると思う)。薄暗いビルの階段を登っていくと、たいてい1950年代のご機嫌なモダンジャズが店内に鳴り響くのが聞こえてくる。お店の入り口にかかっているビニールシートののれんをかき分けると、マスターが口笛か鼻歌で演奏に参加しているのが目と耳に入ってくる。

僕は未だにマスターと会話したことはない。彼は明らかに1960年代の日本でのモダンジャズブームを、コンテンポラリーに経験したと思しき人物である。これまでに一通りいろいろなジャズを聴いてきたのだと思う、そのことは棚にきれいに整理されたCDを見ればよくわかる。そして「やっぱり俺のジャズはこれだよ」と落ち着いたのが、50年代のモダンなのだと思う。もしかしたら同時期のブルーノートのラテンを中心にしたラテンジャズブームや、その後のスタン=ゲッツのボサノバシリーズなどを機に、ラテンの方にも目覚められたのかもしれない。

このお店に4人以上のお客が同時にいるのを、僕はまだ見たことがない。この日は平日の夜7時半で、閉店の30分前だったからお客は僕ひとりだった。店にはエディ=コスタのスウィンギーなヴァイブ演奏が流れていて、マスターの口笛が高らかに鳴り響いていたのはいうまでもない。毎度のことだがこういう状況には少し緊張してしまう。

なぜなら、僕はCDの棚しか見ないし、しかも手にするには1960年代のフリージャズとか、ECMなど1970年代以降のヨーロッパ系ジャズがほとんどである。店内に醸し出されるマスターのモダンジャズワールドとはかなり違う。エディ=コスタやクリフォード=ブラウンが鳴り響き、ご機嫌にそれらを口ずさちょっぴり気難しい屋のマスターの前に、セシル=テイラーやデレク=ベイリーなんかの作品を差し出すのは、いくらこっちがお客だとはいえ、やはりちょっと気が引けるものだ。まあ最近ではそうした時のマスターの表情をチラ見するのが密かな楽しみでもあるのだが。

実は今回は、前回のろぐで取り上げたファラオの作品を中古で探すのが目的だったのだが、残念ながらお目当てのものは棚にはなかった。ひとりぼっちのお客としては、閉店間際のこの時間に手ぶらで帰るのも、何かお店に悪い様な気がしてしまう。マスターの「なんだ冷やかしか」という視線を背中に感じながらお店を後にするのも、やや自虐的で悪くはなかったのだが、僕としては晴れないモヤモヤのこともあったし、やっぱり何か買って帰りたい思いもあった。

しかし、この日の棚には、僕の興味を惹くものが珍しく少なかった。僕の気持ちがあんまり音楽の方にまっすぐではなかったことも一因かもしれない。そんななかで手に取ったのがキース=ジャレットの「イン ザ ライト」だった。

キースが1970年代にECMに残した作品は、ソロピアノと、ポール=モチアン等との1960年代クァルテットの延長のもの、そしてそれ以外のキースの個人的な音楽探求とでも言えるものに大別される。この作品はその3番目の部類に属するものだ。キースには失礼だが、この群に属する一連の作品はあまり人気がない。

それを反映してか、作品には珍しく本人がそのことを弁解するかのような、ラーナーノートを寄せている。その中でキースは「いままでの自分の作品とのいかなる関係も絶った状態で聴いて欲しい」と書いている。いま思えばまったく無用の断り書きだと思うのだが、当時これを発表することはそのくらい実験的だことであったのだろう。逆にこの作品の制作を勧めたECMのプロデューサ、アイヒャー氏のキースへの想いがいかに深いものだったかがわかる。

「イン ザ ライト」は一言でいうなら「キース=ジャレット作曲集」である。2枚組のCDに収録された8つの作品は、オーケストラ作品だったり、弦楽四重奏やブラスアンサンブルのための作品だったり、ピアノ作品だったりと実に様々な演奏フォーマットを前提にしたものが収められている。これらはすべてキースがバークレー音楽院を1年で中退した1960年代のある時期に、当時住んでいたアパートの一室で書き溜めたものだという。

僕はもちろんこの作品を知らない訳ではなかったが、内容が内容だけに、キースの音楽探究編のなかでもかなりエッジな部分に属する作品であることは間違いない。少なくとも、中身を聴く前に知ることができる情報だけから判断すれば、そうなってしまう。これまで、何度も中古屋でこの作品を見かけることはあったが、僕も手を出してこなかった。それを買うなら他に買うものがあるだろうとか、まあいま買わなくてもいいだろうという判断が働いてしまう。

その日トップスの店内で、僕の頭の中では意外にもあっさりとこの作品を買おうという判断が成立してしまた。これまでの経緯を読んでいただければお分かりの通り、それは自分の中での憂さ晴らしだったり、お店の雰囲気に追いつめられたりと、ある種音楽とは関係のないところを中心に行われた部分が多い判断だった。

マスターにこの作品を差し出すと、彼は鼻歌をやめて黙々と包装とレジ打ちをしてくれた。彼の頭の中ではもはやエディ=コスタとこの作品の比較すらあり得ないことだったことだろう。「はいはい、遅い時間にありがとうね」といった感じで淡々と執り行われた出荷の儀式は、おそらくこれまでこのお店で何千回と繰り返されてきたことの一部に過ぎない。そしてそれを通じて、僕らのもとにすばらしい音楽が届けられるのだ。だからこのお店は憎めないのである。

さて作品の内容は、僕には非常に楽しめるものだったとだけ書いておこう。先にも書いたように、キースがライナーに記した想いは杞憂に過ぎない。キースの音楽として、ほかの作品や演奏にも十分通じるものがあるし、彼のインプロヴィゼーションのスケール感を知る上で、大切な手がかりを提供してくれるという意味で、完全にキースの音楽世界そのものである。

特に、最後に収められた"In The Cave, In The Light"は、作るのに極めて苦労したというキースの言葉が物語るように、非常に素晴らしくかつまた重要な作品である。まだ3回しか聴いていないが、この曲は聴けば聴くほど限りなく深さが増していきそうに思える。たぶん僕の中での重要なキースの愛聴曲になりそうな予感(というかほぼ確信にかわりつつあるが)でいっぱいである。キースになじみ深い人にはわかるかもしれないが、彼が手に入れた広大な自宅に作ったスタジオは"The Cavelight Studio"であり、彼の楽曲を管理する著作権管理会社は"Cavelight Music"と名付けられる。この作品にはキースの音楽の原点というか核にあるものが込められているように思う。

冒頭に触れた僕のモヤモヤもそうしたことに関係があるのだが、「一般的」とか「普通」といわれるものとは異なる視点を常に持ち続けることを僕は大切にしたい。このアルバムはそういう姿勢に満ちたキースの挑戦であり、彼の音楽の重要な部分を表現している。これとの出会いを作ってくれたトップスにも感謝したい。

0 件のコメント: