2/17/2007

デイヴ=リーブマン「ザ ブレッシング オブ ザ オールド ロング サウンド」

 なかなか物事は思うようには進まない。あることが少し落ち着いたと思えば、今度は別のことが気になり始める。そういうことが交互に繰り返されているうちに、時間は経過してゆき、僕はその流れの中で時に焦り、時にもがき、時に居直る。この頃は少し居直ることが多くなったかもしれない。焦りもがくよりはマシなのではと思っているのだが。

東京ではとうとう初雪よりも先に春一番が吹き荒れる事態になった。気象庁の観測史上初のことらしい。僕の住んでいる川崎では、数週間前にほんの一時だったが雪が舞うのを見ることができた。季節の旬の表情は、ほんの一瞬でもやはり記憶にしっかりと残るものだ。あれがこの辺りで見かける最後の雪だった、などということにならなければいいと思うのはやや大げさだろうか。

そんな気分と季節のなか、不意に心によみがえってきた音があった。大抵の場合こういう音楽は既に押し入れの中に仕舞い込んであって、少し苦労してそれを取り出そうか、それとも面倒なので聴きたいのを我慢して記憶の中の音影をむさぼって過ごすかのどちらかになる。しかし今回は事情が違っていた。部屋にあるCDラックの中にその作品がちゃんと僕を待っていてくれたのだ。

作品の内容を象徴するように、ジャケットには複数の笛を口にしている様に見える不思議な石像の写真が掲げられている。僕はこの像を見ると、いつも何かまるで呪いのかかったような不吉なものが一瞬心のどこかをよぎるのを感じる。まるで「インディージョーンズ」の映画に出てきそうな、触ると何か不幸がおこる石仏の様な感じである。
「ずいぶん久しぶりじゃないか、やっと思い出してくれたかね。」
笛を吹く石像のくぼんだ目線は僕にそう語りかける。

この作品はジャズサックス奏者のデイヴ=リーブマンが、1990年にイタリア人のアフリカ音楽研究家ジャンフランコ=サルヴァトーレによる企画のもと録音したユニークな演奏集である。4人の管楽器(というより単純に笛といった方がいいだろう)奏者による合奏は、特殊な呼吸法で途切れることなく続く伴奏をベースにしていて、タイトルにある様な太古の音楽にリーブマンの洗練されたサックス演奏が絡む構成になっている。

演奏者によるオリジナル作品に加えて、リーブマンらしく"Africa Brass"と"The Drum Thing"という2つのコルトレーン作品が含まれている他、リッチー=バイラークの美しいバラード"ELM"なども演奏されている。いずれの演奏も非常に素晴らしい内容である。

この音楽の魅力は「原時間」とでも言える時間の流れにある。ここにある音楽のなかを流れる時間は、いろいろな音楽のなかでもとりわけゆっくりしている。そこにはもはや緩急のようなものはなく、何もない広大な原野にある空気とか、大きな川の下流に見られるひたすらゆっくりとした流れを感じさせる。自然本来が持つ時間の流れ、すべての日常生活のベースにある流れだ。この演奏は人間をそうした最もプリミティブな時間の底流にそっと戻してくれるように思う。

このCDを買ったのはたぶん横浜関内にあるディスクユニオンだった。会社の寮を出てやっとまた学生時代の様な1人部屋の時間が持てるようになった頃だったと記憶している。学生時代に比べて日常の時間の流れ方はまったく変わってしまっていたが、僕にはそれが新鮮でもあった。自分の時間を生きているのか、そうでない何かの時間を生かされているのか、そんなことも考えずに過ごしていた様に思うが、それでもこの作品を初めて聴いた時は、ゆっくりと確実な時間の流れに衝撃を受けたことは、いまでもはっきり覚えている。

残念ながらいまは既に廃盤になってしまっているようだが、都内を中心に中古CDを扱っている大きなお店でたまに見かけることがあるように思う。自分の時間を取り戻したいと感じている人は、リーブマンの名前とこの不思議な石像のジャケットを手がかりに、足を使ってこの作品を探し求めてみるのも悪くないかもしれない。

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