インフルエンザはなんとか無事に終息し、水曜日から3日間は仕事に出ることができた。まあいろいろと労を要することもあったわけだが、ようやく週末を迎えることができた。以前からの約束があったので、木曜日と金曜日の夜にはそれぞれの相手と飲みにも出かけた。少し遠慮がちにではあったものの、久しぶりに飲む酒や料理はおいしかった。
さて、2月になって最初の今回は久しぶりに音楽の話をしよう。マイケルとアリスの悲報以後、聴く音楽はほとんどその関係のもの中心になっていて、特にここ1週間はコルトレーンに直接縁のある音楽を聴くことが多かった。1月にはその関係で何枚かのCDを買った。そのなかに今回の作品である、ファラオの「カーマ」が含まれていた。
僕がインパルス時代を中心に、コルトレーンの音源を必死で揃えようと大阪市内のお店を駆け巡っていた大学時代、ファラオのこの作品にはいやというほどお目にかかったことを憶えている。ある程度大きなお店であれば、ほとんどどこの中古屋さんでも、ジャズのコーナーを漁っていると、この、ともすれば仰々しくとさえ思われる瞑想に耽るファラオの姿に出くわしたものである。
中古屋で頻繁に見かける作品には何か訳がある。レコードの蒐集に少し慣れてきた僕には、そういったことばかりが気になり、僕はとうとうこの作品を今日まで聴くことなく過ごしてきた。しかし、先のアリスの死をきっかけにいろいろと聴き直した音楽の中で、僕の中ではいやでもファラオの存在がクローズアップされてきたのだ。
収録作品は2曲。アルバムの大半を占める33分の長編"The Creator Has a Master Plan"が作品のメインであることは言うまでもない。タイトルは、ある会社のウェブサイト制作会議の席上、顧客側の度重なる仕様変更にぶちキレた制作会社の担当者が、思わず口走った一言に由来している(はずがない)。もちろんここでは、創造主たる神のみが知りえる摂理の存在を歌い上げた、ファラオの悟りの境地が表現されている。
冒頭からファラオのトレードマークである、フラジオトーンで朗々と歌い上げられるテーマと、それに続くベースのリフに導かれるリズムはとても印象的であり、そこにコルトレーンの音楽を継承しつつ新境地を拓いた彼の勇姿が、ジャケットの写真にだぶって想起されるあたり、非常に感動的な内容である。
一聴して感じる人も多いと思うが、ここではインパルス後期のコルトレーンとアイラーの音楽に通じるスピリッツが、より洗練された形で表現されている。例えば、僕の耳には、"The Creator..."の展開に、コルトレーンの「至上の愛」における「承認」や、アイラーの"The Truth is Marching in"等からの音楽的な影響を感じるのは間違いない。
このアルバムでは、ファラオと楽曲を共作しているレオン=トーマスの歌が全編にフィーチャーされ、アルバムの主題となるメッセージを歌い上げるのが大きな特徴になっている。しかし、この人のヴォーカルは、"The Creator..."の随所で聴かれる、ファルセット(裏声)を交えたヨーデルの様な野性的な歓喜の歌声は、非常に素晴らしい効果をあげている一方で、言葉をロングトーンで歌い上げる一般的な歌い方を聴くに(特に2曲目の"Colors")、まあ失礼かもしれないがプロとしての歌の才能については「音痴」と言わざるを得ないものがある。
まあ、そこがこの作品を、ある意味でコルトレーンやアイラーの代表作に聴かれる様なややシリアスに過ぎるような雰囲気から、一線を画したものにしているのだろう。別の言い方をすればそれは1970年代の新しい響きと言えるのかもしれない。ともかく作品全体は、そんなことを超えた素晴らしいエネルギーに満ちていることは間違いない。聴くものに不思議な悟りのパワーをみなぎらせてくれる音楽である。
僕はファラオをコルトレーン後期のフリージャズを中心に聴き始めているので、彼の真骨頂はやはりそうした混沌たる叫びにあると認識しているのだが、彼の演奏には一方できわめてハーモニーを強く意識した(変な表現だが)音楽的な側面があることを決して忘れてはならないと思っている。
最近、若い人が集まるインターネットの掲示板などでコルトレーンについて書かれているものを読んでいると、ファラオの音楽に「滅茶苦茶」「うるさい」といった言葉が記されているのを見かけて、何とも残念な思いをした。まあそれでもファラオやアリスは、一頃に比べれば十分前向きに聴かれるようになってきているのは事実ではあるが。
この作品を境に、ファラオは新たなスタイルを確立しての作品を発表してゆくことになる。僕もあまり多くは聴いていないものの、やはりこの「カーマ」が放つパワーは、ある時代の始まりとなるだけでの十分力強い明確なものがあると思う。これ以降の作品では、やはり何かの雑音や亡霊のようなものの存在に惑わされたような、不透明な何かを感じてしまうのだ。新しいステージへの転換を感じさせてくれるこの作品の醍醐味は格別である。
病み上がりの3日間、僕は毎日これを聴きながら仕事に向かい、これを聴きながら家に帰った。今日もこれを書きながら既に2回通して聴いている。こうして週末は体内に残存のウィルスを一掃するとともに少し英気を養い、また来週からは新しい転換を求めながら日々を過ごしていきたい。
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