長い休みも一週間が過ぎ、残すところあと2日となった。とても充実の毎日だ。傍目からは、平日の夜とか普通の週末にやりそうなことを、ただやっているだけなのかもしれない。そんなに休みがあるなら、どこか旅行にでも行けばいいのにという人もいる。だけどいまの僕は旅行よりもやりたいことがたくさんある。
この休みは5つほどの大きな軸に従って行動している。具体的な内容は書かないが、音楽を聴くというのは、その中には入っていない。これは別に休みであろうとなかろうと、僕にとっては変わらないことだから。もちろん毎日何らかの形で—多くはiPodで—聴いているが、いつも以上に聴いているということはないかもしれない。
その中から、2つのテーマを選んで書いてみたい。1つ目はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」だ。
僕はいまだに読書が苦手だ。一般に、暇つぶしには最適の場所と考えらてれる大きな本屋さんも、僕にとっては決して居心地がいい場所ではない。逆に最近ではあまり長くいると気分が悪くなってくる。いろいろな本のタイトルや表紙に書いてある言葉が、なにか脅迫的なものを持って自分に迫ってくるように思えることがある。これは情報社会の一側面だろう。
そんな僕でも、長いこと読んでみたいと思っている本がある。ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」がそれだ。何かの音楽だったか映画だったかは忘れてしまったが、その評論のなかでその作品とこの小説の関連性を指摘したものがあって、それがずっと頭の中に残っている。その状態はたぶんもう20年以上続いていると思う。何度か本屋で文庫を手に取ってみたが、どうしてもこれを買って読み切るだけの自信がわいてこずに、その度に断念していたように思う。
数年前の結婚して間もない頃、通勤電車の中で運良く座ることが出来たので、座席で音楽を聴いていた。次の駅を発車して気がつくと、僕の目の前に一人の若い女の子がたって一所懸命本を読んでいる。その娘の身なりは茶髪でかなりルーズな感じだったのだが、彼女が読みふけっているカバーを外した文庫本のタイトルを見て、僕はちょっとギョッとした。それは「カラマーゾフの兄弟」だった。
その日、家に帰って、僕がその小説のことを気にかけていることと、その日たまたま出くわした出来事について妻に話したところ、彼女は「ふーん」と興味深げに話を聞いてくれた。そして、程なくして妻はその作品を古本屋で買って来て読み始めたのである。この辺は、気になるCDがあれば、すぐに手に入れて聴いてみる自分と似ていると思ったが、僕はこの小説を買って読んでみようという気にはどうしてもなれなかった。
日頃、日本の現代小説を中心に読んでいる妻にとっても、この作品はやはりなかなかの苦行(?)だったようで、何度か挫折しかかりながらも、大方1ヶ月程かけて完読したようだった。でも僕は自分が読んでいないので悔しさもあったのか、「ふーん読み終えたんだ」程度で流してしまい、しつこく感想を求めたりしなかった。
それでも、読み終えられた3冊の文庫本は、僕にはしばらくの間プレッシャに似た特別な存在感を放って棚に置かれていた。その時も結局僕は作品を読むことに取りかかることは出来なかった。挫折するのが怖かったのかもしれない。
そのうち、ふとしたことから旧ソ連時代にこの作品を映画化したものがあり、その評価がなかなかのものであることをネットで知った。しかも、その作品はDVD化されていた。
小説の日本語訳は新潮文庫のもので上中下の3巻組。ページあたりの文字数が最も多い版のもので、どの巻も厚さが1.5センチ以上ある。今回紹介するプィリエフ監督の映像作品も3部構成になっており合計で3時間48分ある。少し前までは大きなDVDショップで見かけることがあったのだが、販売元で絶版になったらしく、最近はネットでも購入できない状況になっていた。
今回、長い休みに入るにあたって、最初は小説を読む(休暇期間中に読み終えることは無理にしても)ことも考えたのだが、やはりそれだと休暇のすべてをそれに費やすことになってしまうので、その映画を手に入れて観てみることを、目標の一つにすることにした。「観てから読むか、読んでから観るか」とかいう映画の宣伝文句があったが、どこかで邪道と思いつつも現代的感覚と開き直って「観てから読む」つもりで、長年の懸案に挑むことにしたわけである。
ところがこのDVDの入手がちょっと難航した。頼みのネット系が全滅。今回に限っては輸入盤というのもないから、国内の主要なネット販売で在庫切れが確認された結果、あとは店舗を地道に回るしかなかった。何軒か大きなソフト屋さんを回った。幸い、秋葉原の石丸電気に店頭在庫が1点あり、無事に手に入れることができた。
それでもやっぱり心の準備に時間がかかってしまい、買ってから5日経過した昨日の夜、はじめてこれを通しで観賞した。重厚、そして圧倒的だった。4時間は長いと思ったが、実際にはあっという間に過ぎた。
作品のあらすじなど概要は略す。ストーリはどちらかと言えば短い期間に起った出来事で展開するのだが、そこに関わってくる登場人物の深い人間性とその人間模様の壮大さは、まったく持って圧倒的である。アマゾンのサイトにあるレビューなどを読むに、この映画は原作から比較すれば省略された部分がかなりあるものの、基本的なストーリと作品のテーゼそのものは原作にかなり忠実なようである。
こういう作品は小説でも映画でも、最近はあまりない。というか、もう世に出ることはないのかも知れないなとさえ思った。一人の人間が物事を突き詰める深さは、もはや深くなっていない。いまの時代は深さより広さを追い求める傾向がある。そしてそこで重要になるものも、「論」より「情」になってきているようだ。贅沢とはそういうことだろう。
映画とはいえはじめて触れてみた「カラマーゾフの兄弟」の世界はやはり重厚なものだった。随分回り道をしてもったいぶった体験になってしまったわけだが、見終えてしばらくすると、原作を読んでみたいという想いが強く沸き起こってくる。それはしばらくそのままにしておいても、そう簡単には醒めてしまうことはない性質のものだ。近いうちに、僕は必ず原作に目を通すことになるだろう。
ドストエフ好きーのページ ドストエフスキー研究家(?)のさいごさんによる、大変素晴らしいドストエフスキー情報サイト。今回の作品についての解説はこちら。
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