3/19/2006

ミロスラフ=ヴィトウス「エマージェンス」

 長い休みに書くろぐ、2つめのテーマは「ベース」について。

以前にも書いたかもしれないが、僕はいつかは自分でもベースのソロ演奏を、音楽作品として残してみたいと考えている。ライヴをやってそれを録音して残すというよりも、スタジオレコーディングとしてあるコンセプトを持ったアルバムを作りたい、それがいまの僕のささやかであると同時に大それた音楽的目標である。

休みに入ってすぐに、久しぶりに楽器に関連した道具を購入した。MTR(Multi-Track Recorder)というもので、録音機能を中心に、音楽を制作するいろいろな機能がまとめられている。僕が購入したのはZOOM社のMRS-8という商品。この世界でも技術の進歩と低価格化は凄まじい。

8トラックのデジタルレコーディング機能に、ドラムマシン、ベースマシン、エフェクター、アンプシミュレータがついて、記録用の外部メモリ1GBを含めて3万5千円ほどだった。インターネットで注文して、お金を振り込んだ翌日の朝には品物が届いた。本当に便利な時代になったものだ。

機能の詳細はいちいち説明しないが、僕からすれば十分すぎる程の内容である。これで何をするのかといえば、もちろん自分のベース演奏を記録するのだ。まだいじくり始めてから3日しか経っていない。ようやく基本的な操作と、音色を自分の好みに近づけるところまで漕ぎつけた。

最近では、バンド活動も自然消滅的に休止してしまい、なんとなく自分でベースを手にしては、頭の中から余計な考えを追い払うかのように、無心にベースをつま弾くということが多くなっていた。それはそれで楽しみ方の一つかもしれないけど、やっぱり自分が楽器をやるのは、自分のなかにある何かを表現したいということは絶対に無視できない。

自分が演奏したものと向き合うのは、楽器演奏の基本姿勢として一番大切なものだと思うが、僕はその意味ではあまり厳しくないので、こうしていったん録音してそれを鍛錬しようというわけだ。そしていずれその中から自分が遺したいと思う演奏の形がはっきり見えてくるだろう。

ベースは一般には、あまりソロ楽器としては認知されていない。でも楽器による表現を極めるという意味では、どんな楽器についてもソロ演奏は、究極的な形である。それ故に、僕はいろいろな楽器のソロ演奏を好んで聴いて来た。

楽器の構造上の特性によって、表現の幅が楽器によって異なるように思えた時期もあった。でも音楽をいろいろと聴いていくうちに、ある時期からそういうことは実はあまり関係ないのだなと思うようになった。同時に、豊かな表現力を持つように見えて、実は一般には極めて決まりきった表現方法だけが認知されている楽器、具体的にはピアノやギターなど、がいまの音楽にもたらしている問題も見えてくるようになった。そして、その問題は結局またすべての楽器にも還ってくることなのだが。

前回のろぐで、僕の大好きなベーシスト、デイヴ=ホランドのソロ作品をとりあげた。今回は、もう1枚同様のベースソロ作品で、僕がベースのことを考える度に取り出しては聴いているものをとりあげたい。

ミロスラフ=ヴィトウスはチェコ出身のベーシスト。元々クラシックの演奏家からジャズに場を拡げて来た人らしく、その意味では、ビート楽器というベースの原点にウェイトが置かれたホランドに比べ、ベースのメロディックな側面を上手く引き出しているように思う。またアルコ(弓引き)の美しさは素晴らしい。

今回の作品も全編、ヴィトウスのソロ演奏。やはり重ね取りの類いは一切ない。自身のオリジナル作品や、ビル=エヴァンスの演奏で有名な「不思議の国のアリス」、またロドリーゴの「アランフェス協奏曲」をベースにしたものなど、多彩な内容であるが、どの演奏も聴き逃せない深みをもっている。

これらの作品は、ベースという楽器によるソロ演奏ということについて、いつ聴いても僕に何か新しいインスピレーションを与えてくれる。それは演奏技術のことだったり、音楽の表現のことだったり、生き方だったり、勇気だったりする。いずれの作品にしても、とても素人が真似の出来るものではない。だけど目標は高く持っていた方がいい。

アコースティックベースの巨人2人のソロ作品を聴きながら、僕は自分とベースとのこれからについて、あらためて考えはじめた。まだすぐには形にすることは出来ないけど、必ずそれを実現したいと思った。

Miroslav Vitous Web Site 公式サイト トップページにあるLOOK AT THESE HANDSの映像は必見です。

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