10/16/2005

ソフィア=コッポラ「ロスト イン トランスレーション」

  上原ひろみに続いて「秋の豪華2本立」の続編。先週の3連休にDVDを借りて観た、ソフィア=コッポラの映画「ロスト イン トランスレーション」について。以前、ある知り合いからこの映画は面白いから絶対に観るように、と言われてずっと気になっていた。たまたま近所のレンタル屋にDVDが置いてあるのを発見し、ようやく観ることができた。

 この作品は、巨匠フランシス=コッポラの娘ソフィアの初の本格的監督作品として話題になった。日本ではとりわけ、現代の日本を舞台にしていることが大きな注目を集めた。サントリーや新宿パークハイアットホテルなどが実名で登場し、新宿、渋谷、青山などの街並がそのまま巨大セットのように扱われている。

 サントリーウィスキーのCMキャラクターに抜擢されその撮影のため来日した大物男優と、夫の人気映像作家の仕事に同行して同じホテルに宿泊していた若い妻の、数日間の巡りあいを中心に描かれている。

 表面的には現代版東方見聞録とでも言おうか、不思議の国日本珍道中といった要素がちりばめられている。舶来カブレの自虐的インテリの日本人が特に大喜びしそうな内容であるが、それらはあくまでも作品の舞台セットとして機能しているものである。そのセットを効果的に使いながら、役者たちが演じる人間の心模様が、作品の本質を見事に描きあげていく。この作品の本質はタイトルが表すものズバリである。

 タイトルの意味は「翻訳では伝わらなかったニュアンス」とでもいえばいいか。もちろん、それは単純に英語と日本語の翻訳というだけではない。慣れない日本人との仕事に失望の連続を味わう主人公の男優。そうした日本とアメリカの文化的ギャップに始まり、男女2人の主人公それぞれが異国の日本で味わう、同じアメリカ人同士の夫婦間に存在するコミュニケーションギャップ。いくら身と心を通わせても、通信手段が発達しても、表現方法が発達しても、それでも伝わらないことはいくらでもある。

 そして、女の友人の招待で2人で出かけた東京のクラブやカラオケにおいて、そうした場の文化を通して互いを認識し、充実したコミュニケーションを楽しむ日本人とアメリカ人。「この唄は難しい」とか言いながら、主人公を演じるボブ=マレイがオリジナルより1オクターヴ低く唱うブライアン=フェリーの名曲「モア ザン ディス」のシーンは、素人芸を演じているにしては妙に上手くてなかなか素晴らしい場面だった。

 こうした、作品に登場する人間や文化が交わすすべての邂逅が、ある意味「トランスレーション」であり、そうした中には、完璧なコミュニケーションなどあり得ないと同時に、絶望的に伝わらないコミュニケーションもまたない、というこの作品の主題が極めて上手く表現されているように思う。

 先に触れた、上原ひろみが各国での演奏会に招かれて、音楽が共通の言語であることを改めて実感したというのは、いまさら新しいことではないがやはり現実にやってみた人だけが実感できる感覚なのだろう。彼女のピアノ演奏と、フランシスの映画作品の2つをたまたま同時期に体験した僕が感じたのはそういうことだ。表現を磨くこと、そのための経験を積むこと、そして実際にやってみること、何度でもやってみること、結果的に必ず報いられるとは限らないが、何もしなければ何も起らないのだ。

Sofia Coppola imdbによるソフィアのプロフィール、女優としても活躍(?)されてます(Star Wars Episode 1にもご出演)
Sofia Coppola Talks About "Lost In Translation,"... IndieWIRE誌掲載のソフィアのインタビュー(および読者の反応)

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